北アルプス


- GPS
- 202:00
- 距離
- 54.8km
- 登り
- 3,945m
- 下り
- 3,947m
過去天気図(気象庁) | 2011年09月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
はじめて投稿します。
今年始めたテント泊山行の締めくくりとして、9/29〜10/7に北アルプスへ行って来ました。
<概要>
9/29 沢渡、上高地、横尾、涸沢、天泊
9/30 大雨のため休息、涸沢、天泊
10/1 奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、涸沢、天泊
10/2 横尾経由、槍沢ババ平、天泊
10/3 槍ケ岳登頂&絶叫、槍ケ岳山荘、天泊
10/4 槍ケ岳、東鎌尾根、喜作新道、大天荘、天泊
10/5 大天井岳、大雨のため常念小屋小屋泊
10/6 常念岳、蝶ケ岳、蝶ケ岳ヒュッテ、天泊
10/7 上高地下山、知人宅泊
10/8 帰宅
<日記>
9月28日
22時家族に見送られ出発、2時半沢渡駐車場、満天星空車中泊。
29日
5時40分発のバスで上高地へ。
気持ちいい空気に23kgのリュックを背負っているのを忘れ、はやる気持ちを抑えきれず快足飛ばし、後半バテバテ。
今回の旅で最も辛い1日となった。
夏に行った燕山荘でオーナーが言っていた、理想的な山歩きのペースを思い出し、以後に反映することにした。
途中、Kさんはここも登るのだろうかと思いながら、屏風岩の迫力に圧倒される。
涸沢着で元気を取り戻し、隣のテントの方と名物おでんで乾杯。
翌朝に向け豚角煮丼、19時就寝。
30日
4時起床するも強風大雨で一歩も出られず終日休息。
この休息が筋肉痛を癒し、翌日のパワーにつながったので、結果的には良かった。
孤高の人を一気に読み進み、翌日穂高岳なのに、槍への思いが膨らむ。
10月1日
穂高岳登頂記念日となる。
朝3時起床、体操、ストレッチ、牛丼後、興奮状態で夜明け前の5時涸沢を一番手出発。
後ろの人は遥か遠くの状況でヤッホー。
荷物が軽いのでザイテングラート取り付けなんのその、一気に踏破、7時穂高岳山荘着。
前日の雨で人気無く、50mの垂直はしごを1人で不安に登る。
強風の中頂上目指し、8時登頂。
30分程1人頂上で過ごす。
その後続々と登ってきたので、ようやく記念写真撮り合いで喜びを分かち合う。
9時下山開始直後、雷鳥3羽とご対面。
穂高岳山荘で一服後、今回の最難関コースで北穂高岳へ向かう。
10時半涸沢岳登頂後、未知の岩場に挑戦。
事前の岩場挑戦に関する3つの約束事のうち、荷物軽量、晴天の2つは良し。しかし周りに誰もいない単独行。
しかし気力十分、体調万全だったので思い切って挑戦。
途中スリル満点のクサリ、梯子の連続を慎重かつ冷静に一歩ずつ進む。
下降時に見えない足場を探り当てられないと一番焦って拳と肩に力が入る。
途中すれ違いの方は沢山いたが、私と同じ方向に進む人は皆無。
途中で涸沢で出会った御夫婦とすれ違い、無事の帰還を誓い合う。
緊張の連続で、12時半北穂分岐到着時には、思わず座り込んでしまった。
北穂頂上から見た大キレットは更に大迫力。チャレンジしたい気持ちは(今は)全く無い。
北穂からの下山は思ったより大変で15時半涸沢着後、逆コースですれ違った御夫婦とお互い無事帰ってきたことを確認し喜び合う。
穂高記念日にビールで乾杯。
2日
涸沢の朝焼け堪能後、9時出発、次の目的地、槍ヶ岳への闘志を燃やす。
横尾、槍沢ロッジ経由15時ババ平キャンプ場へ。
21時頃別のキャンパーが到着していたので、翌朝話を聞くと、11時間掛けて北鎌尾根で槍登頂後、強風でテントが張れずここまで降りてきたとのこと。
北鎌尾根を平然と登ってきた男女2名に尊敬の念を抱かずを得なかった。
3日
槍ヶ岳記念日となる朝は6時半ババ平出発。
昨日休養を十分取ったので、テントの重さも忘れ、興奮状態で槍を目指す。
雲間から初めて頂が見えた瞬間思わず、よおしいくぞの雄叫び。
10時45分槍ヶ岳山荘着、テント場一番乗り。
一息ついて12時半ついに夢に見た山頂アタック。
恐怖感より、早く上りたい気持ちが強く、12時50分歓喜の登頂、ガッツポーズ。
下山後、キャンプサイトで充実感満点の時を過ごす。
夕焼けと星空は最高だったが、夜は寒くて2時間おきに目を覚ます。
4日
4時半起床、夜明けと共に槍再アタック。
昨日見えなかった穂高岳丸見えで360度の大展望を満喫。
槍の影や雲の上に浮かぶ富士山も幻想的で夢のよう。
北鎌尾根を見下ろし、昨日の男女と加藤文太郎を思い出す。
8時半表銀座コース逆走コースのスタート。
銀座というくらいだから、歌でも歌いながら闊歩できるだろうと思っていたのが大間違い。
東鎌尾根、水俣乗超、西岳ヒュッテへの道は険しく、ハシゴ、クサリの連続。
テント背負ってのルンルン歩きなど到底できず、予期しない辛さにショック隠せず何度も仰向けになって青空を眺め、気力を取り戻す。
呼び名は、表アスレチックコースに改名すべきとなんどもつぶやいた。
ヒイヒイ言いながらなんとか西岳ヒュッテに到着。
火を起こす気力も無くカレーを注文、最高に旨い。
これより先は、表銀座そのもの。
晴天に恵まれ、槍を違った角度から何度も眺め、新たに全容を現した大天井岳、常念岳、蝶ヶ岳に向かって思いっきりヤッホー、大天荘を目指す。
大天井ヒュッテからの最後の登りがきつく、何度か座り込んだが、なんとか16時30分大天荘着。
燕岳と松本市内を望む場所に急いでテント設営。
強風だがなんとか就寝。
5日
天気予報が悪いため、4時半起床、強風の中テント撤収。
6時半大天井岳登頂後、常念岳に向かって出発。
途中雨になったが、ここでも雷鳥出没。
私の歩くコースを逃げて歩く姿に笑う。
私は3羽でしたが、7羽見たという人もいた。
あわよくば蝶ヶ岳までと思うも、大雨に見舞われ誘惑に負け、常念小屋泊を決心。
10時に1番手でチェックインし、21時間も滞在することになった。
まだ掃除しているなか、あまりの快適さに嬉しくなって、すぐに生ビールと焼き鳥、更にカレーうどんと缶ビール。
乾燥室は使えるし、部屋は12人部屋になんと1人。
夕食時に、以後同行する御夫婦らとの話に華が咲く。
夜、震度3の地震もあったが、暖かい布団は何日ぶりか考えながら、久しぶりに朝まで熟睡。
この日、後日友達になった男性は大雨の中、テント泊を決行していた。
6日
雨があがりの7時半出発、常念岳アタック。
後の蝶ヶ岳までの縦走コースは初心者コースと本に書いてあるが、私にとっての初心者コースは高尾山から陣馬山縦走。
北アルプスの初心者コースはレベルが全く違うが、ゆっくり歩けば危険というほどではない。
一番大事なのは疲れる前に休んで、○や→を見失わないことだと改めて思った。
常念岳山頂が近づくにつれ、雲が無くなり、気が付けばこれまで踏破した穂高、槍、表銀座、大天井が全部丸見えの大展望。
感極まり、人は沢山いるのに思いっきりヤッホー。
8日間も山にいると、もはや羞恥心など無い。
その後、ゴツゴツ岩場、アップダウンの繰り返しだが、これまで歩んできた道のりの全景が疲労を忘れさせる。
15時蝶ヶ岳ヒュッテにテント設営。
他の3名が松林の影に設営してるのに、眺望優先で風がまともに当たる場所を選んでしまったのが後の後悔に繋がる。
頂上で景色を眺めていると、ベテランの方がブロッケン現象を予測し、本当にそうなったのが驚きと感動。
私が見たのは、まだ太陽が高い時のプチ・ブロッケン現象でしたが、その後の本格的なのは見逃してしまった。
私を含む4名のキャンパーは調理場に集まりそれぞれの夕食をとっていたが、この4名が深夜の救出劇を繰り広げることになった。
天気予報は晴れなので全く心配していなかったが、深夜になるにつれて横殴りの風と雪が強まり、テントからでたら全部吹き飛ばされそうになった。
4時頃に焦って荷物をリュックに詰めていると5本中3本のテントロープが切れ、フレームが折れ曲がり、フライシートが凧になる。
私はそれをなんとか引き寄せ、体に巻きつけ、フラッシュライトで助けを求める。
しばらくすると既に撤収済みの方が私の所に駆けつけ、荷物の撤収を手伝ってくれた。
その後残る2人を共同で救出し、みんなの荷物を全て小屋に運びこんだのが4時半位。
私を助けてくれた方は、5時半の夜明けと共に次の目的地に出発していった。とてもかっこよかった。
残る3名と、ずっと心配していてくれた御夫婦とで記念写真や連絡先の交換と握手を交わし、7時半上高地へ向け出発。
急な下り坂を休み無しで一気に下り、9時40分徳沢着。
嘉門次小屋で岩魚の塩焼きとそばをいただき、上高地からバスで沢渡、足湯後、しゃくなげ荘で9日分の汗と垢を流す。
夜は親戚宅で泥のように眠る。
8日
ずっと履き続けた物凄い匂いの靴下をお土産に13時無事我が家に生還。
以上、こんな長期間の山行は、最初で最後かもしれませんが、最高の想い出になりました。
来年は八ヶ岳縦走を思案中です。
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