檜俣川赤ノ沢西赤沢〜佐武流山


- GPS
- 56:00
- 距離
- 21.7km
- 登り
- 1,529m
- 下り
- 1,521m
天候 | 晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
ハーネス+メット
フェルト地下足袋
シュリンゲ+ビナ+ 確保器
非常用防寒肌着+靴下
カッパ
シュラフカバー
マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフ
灯り
地図磁石
軍手
食器
焚き付け+ライター)
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共同装備 |
ツエルトかタープ
ストーブ(非常用)
ハンマー+ハーケン
ロープ30m
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感想
沢から佐武流山へ。この後、苗場山を乗っ越す計画だったが、同行氏の不調によりサブリューのみとした。
↓以下、藤原さんの了承を得た記録を掲載する。アナフィラキシーショックの怖さが少しでも伝われば、と思って。【2025.10.4掲載】
紆余曲折あって、本計画へ。
◆8/13;今回も参加のはずのyoneさんは当日の不参加表明で、鍋タープ借りて手を振り松本を発った。合流地の切明温泉で藤原さんと落ち合い、苗場山下山の予定で車を廻しておき、ゲートからの入山が11:20。カラマツ林をポクポク歩いて入渓した檜俣川暫くの河原にB.C.を置いたが、沢が小さく天場適地が無く、雨が降ったらアウトの場所である。ヤグルマソウを眺めて涼やかにビールを呑んだ。
◆8/14;沢から佐武流山へ登路としてだけ選んだ檜俣川赤ノ西赤沢だったが、遡行価値については問うほどにない。火山性の赤錆びた沢に登れない2mF現れて左岸を捲いたら後は何もない。価値云々は兎も角も、乗り越える岩から足の置き場、右か左か、ロープを出すのか鼻摘むのかの自発的かつ合理的な判断、選択を重ねるのが沢登りの真に置かれるべき価値ではないか? インドを旅していた頃、バックパッカー宿で同宿したカナダ人が「Life is full of decision,full of decision!」と念じていたのが懐かしい。損か得か、有利か不利かを基準とせず自らの意志で選び取っていくことが沢登り、ひいては人生の価値だろう。直登するもよし、高捲くもよし、はたまた戻るも止めるも立ち尽くすもよし。どうあってもいい自由さ、それに伴う意志、それらが私が沢登りに執心する理由の一つだ。かくして我々は、我々の意志を持って選んだ沢で目的を外した沢を採って藪漕ぎにハマり、喘いだ。とまれ、西赤沢源頭から遠い山、佐武流山に立った。視界もない、我々だけの静かな頂だ。水無尾根の下山路で左から聞こえてくる滝音に、ここ周辺で最も興味を惹くであろう「悪沢」を選ばなかったことを少々悔いた。藤原さんに先んじてBCに戻り、ビールを冷やし火を熾して帰着を待った。
昨年に引き続き、悲劇は山行二日目に起こった。それも帰着まであと50mもない場所で。17:15、藤原さんからコールが掛かって「着いたよ〜」ではないことには気付いたが、よもや蜂刺されとは思いもよらぬ事態だった。沢通しに来るべきところを高捲いたがためにクロスズメバチの巣を踏んで攻撃を受け、30ヶ所以上を刺された藤原さんは、倒れ込むように天場に戻ってきた。青ざめた表情で「横になりたい」「水が欲しい」「寒い、着替えを寝袋を」との要求に逐一応えていく。かつて報告のあった服部文祥氏の記事を思い出し、アナフィラキシーショックで一番恐れるべきが呼吸困難なので数度、呼吸が確保されているかの問い掛けをした。ポイズンリムーバーもエピペンもない状況下で出来ることは限られ、連絡をとりに走る準備だけはした。幸いにして意識混濁はなく反応は的確でハッキリとしており救援は不要だとの返答があったので経過観察して進行を見守った。大腿部にケロイドのような蕁麻疹が観られ、全身に痙攣ほどではない震えが起こって、傍目には蜂毒と身体が闘っている風に見えた。暫くして排泄を訴えたので川べりまで介助して移動し、転落することのないよう身体を支えた。直後に嘔吐もアリ、背中をさすった際に体温を観たが上昇した様子は見られなかった(低下に注意を払うべきだった)。食事は採れず、あとは見守って無事を祈るのみ、宵闇の焚き火にスコッチをくべてヒンドゥーの神アグニに託して手を合わせた。麦茶とポカリスウェットを枕元に置いて、何かあったら遠慮なく突ついて起こすよう伝えて、明日に備えて横になったのが20時のこと。アフリカの暴動等で数々の危ない状況をくぐり抜けてきた藤原さんほどの強運の持ち主が、よもやこんな冴えない場所を最期の地とするはずはあるまい、という根拠のない理由だけをヨスガに、心を確かにして寝入った。ただ、楽観こそしないが最悪の事態だけは避けられようと思えた。思えば過去にも、福建省の山奥に沢登りに出かけて同行の"俺は沢ヤだ"成瀬さんが生焼けの山椒魚を食べて皮膚毒にやられて悶えた一夜があったが、コーディネイターの梶田さんと心配しつつ呑んだ記憶が蘇った。
◆8/15;終戦の日の朝、果たして藤原さんは復調していた。薄笑いの表情に正直、安堵した。何にせよ、早めの行動をと思って4時には火を熾した。朝には食事も採れてタバコも呑む位なので、昨晩の状況からすれば望外の展開である。荷物も渡されず、普通に歩行もできていつもの冗談も飛びだして、当たり前の朝の有り難みを感じた。林道ゲートに下山して車を回収後、ヌルいだの何だのと文句を言いながらも切明温泉の河原露天風呂に長々と浸かり、危なかった昨晩を思い起こした。自力で運転して帰宅する藤原さんと別れ、折角の機会と岩菅山の登山口でもう一泊した。車中、ラジオで流れた鴨長明「方丈記」の導入部の朗読が身に沁みた、気がした。無常感の下で今回の件はどう解釈するべきなのか、藤原さんから貰い受けた酒を呑みつつ考えていたら、寝入ってしまった。
今年で5年目の藤原さんとの夏の山行、今回もまた波乱含みだった。お互いの強運さが果たして干渉を起こすのか?
本山行はyoneyamaさんの参加を強く呼び込むために前夜、変更を掛けた計画だった。来年こそは真に登りたいと思う沢を選択しよう。自らの意志を持って。
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う〜ん、ここは蜂づいた山なんでしょうか? 当方、クロスズメバチでした。結構、シリアスでした。
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