立山・裏剱《日本百名山》


- GPS
- --:--
- 距離
- 33.3km
- 登り
- 3,006m
- 下り
- 4,831m
コースタイム
- 山行
- 15:03
- 休憩
- 2:03
- 合計
- 17:06
- 山行
- 9:11
- 休憩
- 1:47
- 合計
- 10:58
天候 | 1日目(10/7):晴れ 2日目(10/8):晴れ 3日目(10/9):晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2003年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
下山口:欅平駅から黒部峡谷鉄道トロッコで宇奈月駅 |
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
1日目(10/7)
先月のダイヤモンドコースのときと同様8:30に室堂に入り水筒を玉殿の湧水で満タンにして登山を開始した。新田次郎の「点の記」で籠っていた行者を宇治長次郎が救い出したとされた玉殿岩屋に寄り道した。一ノ越を経由し雄山(3,003m)へ9:40に登頂。3度目の登山で初めて晴れた山頂に巡り合った。展望の素晴らしさを改めて実感!剱があんなに近いとは! 今日の雄山神社は無人で山頂登り放題、最高峰の大汝山(3,015m)、富士ノ折立(2,999m)と山頂域は爽快で写真を撮りまくった。北側斜面は5日に降った雪が凍結し軽アイゼンを着ける人もいたが雪のない部分を選び問題なく通過することができた。
真砂岳(2,861m)では東京から来た親子4人連れに出会った。小学校を休ませやって来たとのことで最近はこういうケースは多いのだろうか? 私の頃は幼稚園までしか休まさなかったけどなあ。人なつこい子で両親も明るく、周りに見える山のガイドをしてあげると笠ヶ岳を「鹿島槍だと思ってました」なんて愉快な人たちだった。剱御前小屋までの間に出合った剱岳に登って来た人の情報を総合すると、5日の降雪直後は各小屋で登山禁止とされたようで、今日は前剱の北斜面の凍結に恐れを為し引き返した人と、大したことはなかったという人半々だった。
「剱御前岳経由で剣山荘方面行けない」という看板を無視して剱御前(2,777m)に登頂した。この頃になってガスが発生し山頂からの展望は得られなかった。北への稜線も特に問題なく剣山荘に到着した。小屋の営業も次の連休までで今日の宿泊者は20人、1部屋2人でゆったりしていた。この小屋には風呂があり最高に良かった。
2日目(10/8)
5:30一番の出発でいよいよ剱岳を目指した。一服剱、前剱と荒々しさを加えるが鎖もしっかりしており安全な山になっている。明治時代に柴崎測量官初登頂の頃は大変だったことだろう。7:22剱岳(2,998m)に登頂、今日一番かと思ったら先客がおりがっかり。西の雲が厚すぎ御来光は見られなかったが昨日以上に展望は良く針ノ木岳の左に富士山が見えていた。爺ヶ岳の上には浅間山、四阿山など遠くの山も見通せた。
これからが本日のメインイベント北方稜線縦走だ。コース入口には一般登山者禁止の看板、ここまでのように鎖はなく岩にへばりつくように登下降を繰り返す。残雪もあり注意しながら行ったので命が縮むほどの思いはなかった。長次郎の頭(2,940m’)から池ノ谷乗越に下るとき向かい側にはあのチンネの岩峰、一般人には登れるものではない。登山道はと探すと谷筋の急斜面を下降、雪がしっかり残っており浮石の斜面を慎重に降り始めるとヘルメットを着けてピッケルを使い登ってくる登山者と出合った。池ノ平から来たと言う。本当はこんな装備でないとダメなのかなと思いながらもこの先大丈夫だと確信した。下り切った所が三ノ窓、この先の道が分らずウロウロするうちに目の前の壁、小窓の王(2,740m’)に裏側から登ってみた。上から見降ろして西側に登山道があるのを発見した。怪我の功名でルート外の小窓の王まで登れたが1時間以上のタイムロスを生じた。
小窓の頭(2,650m)から小窓へは300mの下降、雪渓の雪はこの季節でもすごい厚さで万年雪を実感した。小窓から池ノ平山への登りは凄まじくここだけは這松と岩の間を次々現れるロープに摑まり攀じ登った。山頂まで幾つもの小ピークを越え漸く池ノ平山(2,561m)に登頂した。池ノ平小屋から登って来た4人連れが写真を撮っていた。ここまでで体力を消耗し疲れが出てきた。東斜面は普通の登山道だが下りも足取りが重くなってきた。池ノ平も紅葉しており平ノ池周辺は結構良さそうだが小屋付近から写真を撮ってお仕舞いにした。15:00もう一足仙人池ヒュッテまで歩を進めた。仙人峠まで100mの登りが辛かった。峠まで登ってみると左側に仙人山(2,211m)への道ロープが張ってあったが荷物を置いてピストン、剱岳の眺めが素晴らしかった。
16:25仙人池ヒュッテに到着。小屋は当然空いているものと思っていたが2組のツアーで満杯。煩さに閉口、それでも何とか1人1枚布団が宛がわれたが6枚布団をひくと部屋が一杯でザックを置くスペースがなかった。廊下も狭いので外には出すなとのことでもっと混めばどうして寝るのかと恐怖を覚えた。しかしこの小屋にも風呂があり汗を流すことができた。そして食事の豪華さは山小屋とは思えないほどで満足。這松の枝や岩の角でぶつけた脛は痣ができ、疲れを癒すため食後早々に寝についた。到着が遅かったので部屋の入口すぐの布団が割り当てられたので出入りする人に脛を思い切り踏みつけられ寝るのも死ぬ思いだった。
3日目(10/9)
今日は朝から雲一つなし。5:45明るさを増し仙人池の向うに聳える剱岳は朝日を浴び真っ赤に焼け池にその姿を落としている。池畔はカメラの放列、朝の一瞬の天国の素晴らしさだ。この風景を撮るために何日も泊っているカメラマンもいる位だ。感動を胸に6:00小屋を出発し仙人谷を下った。風景のない他の谷筋とは趣が違い正面には後立山の姿も望め大いに楽しめた。仙人池小屋に達すると未だ登山者が残っているようだった。露天風呂のある山小屋で一寸魅力を感じるがここで泊まる訳にはいかない。仙人谷を下ると坊主山(2,193m)のから発する急峻な谷の雪渓が崩壊しており下流を迂回して通過した。仙人谷の高巻きとなり阿曽原峠に達した。急斜面を下ると黒部ダムから続く下ノ廊下の登山道と出合い阿曽原温泉小屋へと下って行った。
関電専用鉄道の高熱隧道が下を通る阿曽原温泉小屋に立ち寄り日電歩道の黒部ダムまでの状況を聴くと今年は1日も正式開通することなく終わりそうだとの事だった。阿曽原からは水平歩道で黒部発電所建設のために付けられた道、基本的に欅平に向けて水平か下降の道だが随所にアップダウンを伴った。折尾谷には雄大な滝が落ちており滝壺50m程のところを渡渉した。次の谷は砂防ダムの堤防の中がトンネルとなりその中をヘッドライトを点けて通り抜ける。凄いのは志合谷で谷をブロック状に崩れた雪渓が埋め地上を通過できる時期は一年中なさそうな地形だった。谷の直近でトンネルに入り谷をトラバース、150mにも及ぶ真っ暗な素掘りのトンネルで水の滴る中を潜り抜けた。近くに見えて中々近づかなかった欅平だが、12:24に到着した。黒部峡谷鉄道のトロッコに乗って宇奈月に到ると、地鉄駅近くの共同浴場(250円)で汗を流し帰路に着いた。
【その後】
剱岳の標高は登山時2,998mだったが、平成16年8月24日4等三角点「剱岳」が設置された。令和7年4月1日の成果情報では三角点標高2,997.00mとなっている。国土地理院の山岳標高は平成16年10月28日より2,999mとなった。
仙人温泉小屋から下の仙人谷は、雪渓の状態が常に厳しく危険が伴い、小屋の尽力でルートが確保されているが、平成19年7月雲切新道が開かれ阿曽原峠を越える仙人谷ルートは廃道となった。
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