記録ID: 429208
全員に公開
雪山ハイキング
槍・穂高・乗鞍
奥穂高岳
1966年06月20日 〜
1966年06月21日



- GPS
- 32:00
- 距離
- 30.5km
- 登り
- 1,878m
- 下り
- 1,873m
コースタイム
1日目
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
5:26
0分
スタート地点
5:26
ゴール地点
6月20日 上高地ー涸沢ー穂高岳山荘
6月21日 穂高岳山荘ー涸沢ー上高地
6月21日 穂高岳山荘ー涸沢ー上高地
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
予約できる山小屋 |
横尾山荘
|
感想
21歳の夏、昨年の事故で入院した国立松本病院の看護婦のTちゃんと二人で穂高岳山荘一泊の残雪期の登山。若いから怖いもの知らずでしたかね。
上高地から一日で白出のコルまで歩いています。涸沢岳にのぼったかも知れないが、記録はない。
翌日、ザイテングラードのくだりに取り付くところで、Tちゃんにアイゼンがだんごになるから払うようにと注意して後ろを振るいかえった瞬間に、彼女が消えた。
はっとすると、ちょっとしてから、下のほうから「生きてるぞ!」と声がした。
涸沢に向けて200mほど滑り落ちたのだ。
ザイテンの岩場をあせるような気持ちで降りていくと、雪渓の中央で止まっている人影があった。
急いで近づいた。怪我はしていないし、意識もはっきりしていて、「ピッケルが刺さってとまったの」という。ザックはふたが開いて中のものがこぼれてしまったようだ。
Tは3歳年上だから24歳だったかな。
気丈な人で、すこし体制を整えて、雪渓を二人で下った。無事でよかった。このとき、上高地から島々へのバス道が雪崩で破損していて、一部区間を歩かされた。そんな青春の甘酸っぱい思い出の山の記録だ。
私の「探求」と題した大学のノートの日記(1965.10-1967.3)の中に、1966年6.19-21
19日 鈴蘭(高原)一泊
20日 穂高山荘一泊
21日 下山
雪の穂高へ、奥穂の山頂には悪天のため立てなかった。Chikaが
下山の時雪渓で滑って少し傷をつくったので心配した。
と書いてあって、其れが唯一の記録です。21歳の苦い思い出なのです。
、
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