残雪の穂高 ザイテン滑落事故



- GPS
- 32:00
- 距離
- 33.9km
- 登り
- 1,613m
- 下り
- 1,604m
コースタイム
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
6/28 涸沢ヒュッテ〜穂高山荘〜涸沢ヒュッテ〜上高地=沢渡...稲刻=島々
アクセス | |
---|---|
予約できる山小屋 |
横尾山荘
|
感想
『青春の穂高岳』
ザイテングラード滑落事件(松本悲恋物語)
私は左太もものやけどの治療を東京の病院で続けることにして九月退院した。翌年はNHKで連続朝のテレビ小説「おはなはん」が放映されていて人気があったことを覚えている。入院中に看護に当ってくれた看護婦さんの一人と仲良くなって、|年以上の交際をした。これはこの事故の後篇部分だ。
回復して1年が経ち、身体も元通りになり、
そして翌年、一九九六年六月、私は「チカちゃん」をつれて奥穂高岳に行くことにしたのだ。この年は島々から上高地への道路は、昨年の台風の被害を受けて分断されていて、稲刻から沢渡まで一時間歩かされたのだ。
上高地から洞沢まで登る。残雪もかなりあったと思うが、どう登ったか覚えていない。個沢小屋に一泊し、翌日、奥穂高を目指した。天気は曇り、あまりよい天気ではなかったと思う。ピッケルを持ち、登山靴にアイゼンをつけてザイテングラードを登る。ノーザイルである。「チカちゃん」は雪山ははじめてである。強引に誘った感がないではなかったが、二人は若かった。私の二十一才の誕生日に近いころだったと思う。ザイテンにも白出のコルの穂高岳山荘にも雪はあった。十時ころに山荘に到着した。奥穂高岳の山頂を目指すには、小屋の目の前の岩場を越えねばならない。技術的に「チカちゃん」にそれを強いるのは危険だと判断して、山荘まで来たことで満足し、十分に休息してから下山することにした。
再び来た道を戻る。ザイテングラードに撮りかかる手前で「チカちゃん」に「アイゼンの雪を払ってね、だんごになったら滑るから」と、私はピッケルで、アイゼンに付いた雪を叩いて払う仕草をした。アイゼンワークで、クラストしていない雪のときには一番危険なことだからだ。
「ええ」と彼女は答えた。
彼女が私の前になって、ザイテングラードのルートに取り付こうとしたとき、「チカちゃん」が消えた。
カールに滑り落ちたのだ。私の足元からは彼女の姿が見えない。カールの斜度はかなり急である。私のたってるところからでは下が見えないのだ。
「オーイ、大丈夫かー!」と、私は叫びながら、ザイテングラードに付いている踏み跡を下る。何事が起きたのか不安な気持ちが私の顔から血の気を奪った。
「大丈夫だぞI!」と下から男の声が返って来た。
私は急いでザイテングラードを駆け下る。百メートルほど下って、やっと彼女が個沢の雪のカールの真中に横たわっているのが見えた。
「生きてるぞ−!」と再び声がした。私は少し落ち着きお取り戻した。でもこの下からの言葉にはずいぶんと助けられた。
ザイテングラードの中ほどに男性がいて見ていたのだ。
「いや、すみません、ありがとう」とその男性に礼を言った。
「大丈夫そうだよ」
「どうも」と.ぺこりと頭を下げたがその人の顔など覚えていない。私はその男性のところから、洞沢のカールは 広い。その真ん中い横たわっている「チカちゃん」が上半身を動かしている。斜度はかなりあるが、カールの雪面をトラーバースして彼女のところまで走った。実際には駆け出せないのだが、気持ちはそうだった。胸の鼓動が早まって、事故ったらどうしようと不安にかられた。しかし近づくと彼女は起きあがった。
「大丈夫かい?」
「ピッケルがうまくささって止まったの」
顔色はさすがに色がなかった。どこもぶつけたところはないようで外傷はない。少しほっとした。
「ザックがばらばらだ!」
ザックの口が開いて中のものが散乱している。ともかくその場にピッケルを立て、それに掴って動かないよう指示する。散らばった物を拾い集める。
「二百メーター以上滑ったかな」と私は上を見上げた。
「怖かった!」と彼女の少し元気がもどったような声に二人とも緊張が解れた。
「でももう大丈夫だよ、痛いところない?」
「ないわ」
少し落ち着きを取り戻してきた。
「よかった!怪我もなくて」
「ずいぶん滑ったでしょう?」
「驚いたよ、いきなり見えなくなったんだから」
落ち着くのをまって、ザックを点検し、体制を整えて、そのままカールの雪の上を歩いて小屋に戻った。
そしてその日のうちに松本に戻った。この時に失くした定期入れが半年後に拾われて戻ってきた。一九六六年の九月。
「チカちゃん」とは、その年の夏、大学のゼミの合宿を乗鞍高原の民宿で行ったので、その帰路松本でデートした。
大学のゼミの者と一緒に再び涸沢小屋に泊まったような気がするが、定かではない。はじその年の9月の初めに「チカちゃん」と表銀座を槍ヶ岳まで縦走した。燕岳から大天井岳の稜線はこまかい秋雨、雲の中を歩いた。彼女との山はそれが最後となった
「チカちゃん」とは百通くらいの文通をした。結婚も考え、一度は親にも紹介したが縁がなく、悲恋物語になった。
その時以来個沢には行っていない。
松本の街は青春の想い出が一杯つまった街だ。一番好きな街かもしれない。
穂高岳。美しい山だ。私はそれから3年後に結婚して、生まれた娘に「ほたか」と名付けたのだ。</span>
(2000年ごろ書いた。残念ながら写真は一枚もない。)
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