富士山


- GPS
- --:--
- 距離
- 15.4km
- 登り
- 1,508m
- 下り
- 2,435m
コースタイム
- 山行
- 3:05
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:05
- 山行
- 8:40
- 休憩
- 2:00
- 合計
- 10:40
- 山行
- 2:35
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 3:05
天候 | 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
08:31 静岡 09:00 静岡発(高速バス) 11:10〜40 富士宮口五合目着 11:40 表口五合目レストセンター 12:45 富士宮口五合目発 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所等なし |
その他周辺情報 | 御胎内温泉(御殿場口五合目からタクシーで20分、4420円 |
予約できる山小屋 |
八合目池田館
御殿場口七合四勺・わらじ館
九合目万年雪山荘
九合五勺胸突山荘
頂上富士館
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
長袖T(厚め)
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
行動食
非常食
飲料
ハイドレーション
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
ナイフ
カメラ
|
---|---|
備考 | 長袖シャツは不要だった。長袖T(厚め)でじゅうぶん。 |
感想
今回は去年の「ブラタモリ」でタモさんたちが行った、富士宮口→宝永火口→駒ヶ岳→剣が峰を目指す。
富士宮口五合目でP氏と合流。昼を食べてから登山開始。
夏休みとはいえ、まだ平日だったので登山者は思ったほど多くなかった。
1日目は山頂を目指さず、宝永山荘から宝永火口への道をたどる。午後になると雲が上がってきて見晴らしはよくなかったが、火山活動の跡がよく見えた。
2日目は山小屋から御来光を眺め、山頂へ向けて出発する。はじめのうちは静かな登山道だったが、8合目あたりから、山頂でご来光を眺めた人とすれ違うようになり、少々混雑する。P氏はブルが通るたびにカメラを向けていた。天気がよいせいか高山病の気配もなく、山頂までたどりつく。浅間神社の前のベンチでは寝っ転がっている人も多かった。日差しが強かったので日焼けが心配…。しばらく休んで剣が峰へ向かう。
剣が峰の山頂をふむ。意外にもあまり並んでおらず、すぐに記念写真を撮ることができた。風もほぼなく、日差しが強くむしろ暑く感じるくらい。快適なおはち巡りをし、吉田口側の山頂でお昼を食べる。(みそラーメン)
お店が並んでいて、神社のお祭りの屋台のよう。
御殿場口側へ回り、郵便局でハガキを出す。七合目のわらじ館でもう1泊するため、下山開始。
このころから雲行きが若干怪しくなり、風が冷たくなってくる。長袖Tシャツとカッパを出す。高山病の気配か、軽い吐き気も覚える。
さすがに9時間以上も歩いていると、ゆっくりとはいえ足の負担を感じる。わらじ館が見えた時はほっとした。山の日の前日のためか、少々混雑。
3日目も山小屋からご来光を眺め、スパッツとザックカバー、サングラスにマスクをして、大砂走へと向かう。ふかふかの砂で足に負担をかけないと聞いていたが、スピードのコントロールがうまくできず、それなりに負担はかかった。だが、みるみるうちに高度は下がっていく。
大石茶屋へ到着。P氏は念願の富士山Tシャツを購入。きのこのお茶をいただく。ダシが出ておいしかった。
帰りは御殿場口五合目から御胎内温泉までタクシーで移動。レストランもついていて快適な施設だった。砂埃をおとし、のんびりとお昼を食べ、バスで御殿場駅へ。
八ヶ岳やアルプスのような山登り(多様な高山植物、ライチョウ、気持ちの良い稜線歩きなど)を期待するとちょっと外れになってしまうが、なんといっても日本一の山。夏の山小屋や店が開いているときに登ったのは初めてだったので、買い物したり、ハガキを出したり、いっぱしの観光気分を味わえた。
今年最大の登山イベントである富士登山である。尊敬する某登山家社長曰く「一度も登らない馬鹿、二度登る馬鹿」という言い方があるそうで、当チームのリーダーが気を使って「一度登っておいた方がいい」と言って計画してくれたのだった。しかし、コース設定では意見が分かれた。一日あたりの走破距離をなるべく短くしたい筆者と3,000m以上の山小屋に泊まりたくないリーダーとで、意見が分かれたのだ。最終的にはリーダーが折れてくれて二日目は約3,000mの山小屋に泊まることとなった。富士宮コースを宝永火口に寄り道しながら登り、おはち巡りをして御殿場コースを下ってくるという2泊3日の設定である。ふつうは1泊2日のようだが、体力に自信のない当パーティのオリジナルプランである。
まず、リーダーとは富士宮口五合目で待ち合わせである。その前に筆者は富士山本宮浅間大社にお参りをした。新富士駅からのバスは路線バスにも関わらず、浅間大社で15分間の休憩をとってお参りできるように時間設定していた。ブラタモリで紹介していた湧玉池や二階建てのお社などを見て、安全祈願をしてからバスに戻った。
2時間ほどバスに揺られて富士宮口五合目に到着。リーダーと合流し昼食。富士山保全協力金を払い、いざ出発。先のことを考えてゆっくり進む。ほどなく六合目に着き、宝永火口の方に向かった。宝永の噴火は1707年だそうで、徳川綱吉の治世の末期である。ときに暴れん坊将軍こと徳川吉宗は22歳、JSバッハも22歳である。ちなみにアイザック・ニュートンは64歳ぐらい。ルイ14世は69歳。中国では清の4代皇帝康熙帝の治世である。そんな時代に噴火したわけだ。感慨深いものが・・・たいしてある訳ではない。第一火口の底まで行ってみたが、スケールが圧倒的。霧が出てきて全貌が眺められなかったのが残念であった。
さて、六号目まで引き返してくると、妙な掛け声をかけながら下ってくる人たちが。ん?富士山をかたどった赤いお神輿を担いで降りてくるではないか。聞くと黄色いのも後から降りて来るらしい。さすが富士山、この先も何が出てくるかわからない。その日は新七合目まで登って御来光山荘に宿泊。当然のようにビールを頼もうとすると、リーダーが信じられないといった顔でこちらを見て「止めといたほうがいいんじゃない」と一言。しかし振り切って注文。ぷはー。しみるぜ!ピーナッツ持ってきて良かった。うふ。山荘は割と標高の低い新七合目(2,790m)ということと平日ということで結構空いていて1つの区切られたスペースを2人で使えることとなりラッキーであった。夕食は当然(らしい)カレーライス。味は普通かな。翌日の朝食のおにぎりセットをその日のうちにもらい、7時ごろには寝る体制完了。おやすみなさい。
8月10日は3時ごろには目が覚めてしまった。団体さんが御来光を見に東側の尾根筋まで行くのにバタバタしていたが、その合間におにぎりを食べていると山小屋の人が味噌汁とお茶を出してくれた。これはうれしかった。さあ、今日はハードなスケジュールだ。頑張ってゆっくり行こう。御来光山荘を予定より少し遅れて出発した。新七合目から先は急登である。それをジグザグに登っていくが、登山道自体は非常に殺風景である。新しい火山ということなのだろう。振り返ると駿河湾や富士宮の町が見えたが、ちょっと霞んでしまっていたのが残念。遠くにはぼんやり伊豆半島も見えた。
ブルトーザーも見かけた。思わず写真を撮ってしまった。ブルドーザー道は歩行禁止だが、そのつづら折りの道のヘアピンカーブをどうやって曲がるのかと思っていたら、曲がるのではなく、スイッチバックするのでした。これは新たな発見であった。登山道とブル道が交差するところなどもあり踏切があったら面白いのにな、とかつまらない想像をしながら登った。いや想像だけでなく口に出していたのでリーダーから白い眼で見られた(サングラスしていたので本当のところは分からない)。富士山では交通事故は起きないのだろうか?
外国人が多い。やはり日本といえば「フジヤマ」なのだろうか。しかし遠くから雪をかぶった富士山をを眺めるのは美しいけど、この山は至近距離で見るとずいぶん殺風景に感じる。
ゆっくり、しかし確実に高度を上げていく。はっきり言って単調である。富士山は谷・尾根がないきれいな円錐形なのでそうなる訳だ。伊吹山の五合目より上を思い出した。 3,200mぐらいから軽い頭痛が始まった。気持ち悪くないし体力的にも大丈夫だが、高山病というやつなのだろう。リーダーから「大丈夫?」と言われたので「仕事で頭の痛いことばかりだから」と返しておく。それでも予定時間を取り返しながら富士宮口の山頂である駒ヶ岳に到着。なんとか登り切った。高山病での撤退はせずに済んだということになる。
一休みして剣が峰に向かう。剣が峰に登るアクセスが、ずるずる滑る道で閉口した。最高地点でちょっと順番待ちをして写真を撮った。ここからおはち巡りである。「おはち」には「お鉢」という説と「お八」という説があるらしい。火口見ながら歩いたが、色合いがちょっと毒々しくて噴火というエネルギーを感じさせるものだった。小一時間ほどかけて反対側の吉田口の頂上に到着。こちらは圧倒的に土産物屋などが多くにぎわっていた。食事をするところを探していると、ある店で呼び込みのお兄さんがリーダー自慢のサコシュを見て、「それ、『山と道』のサコシュですよね?」と声をかけてきた。気を良くしたリーダーは「ここにしよう」と言い、味噌ラーメンを食べることに。いつもはスープを全部飲むと叱られますが山ではいいらしい(余計な排出物は出さない方がいいからね)。
比較的ゆっくり休憩したのち、郵便局に向けて出発。ブルドーザーからの荷卸しに遭遇。新人らしき人が荷物を落下させてしまい怒られていた。頑張れ新人(かどうかわからないけど)! しばらく歩いて郵便局に到着。リーダーは3枚はがきを書いてきていて、スタンプを押して出していた。消印を見たいということで筆者にも送るとのこと。毎年ここで郵便業務が行われているってなかなかすごいことだ。
郵便局の横が御殿場ルートの下山口になっており、下山開始。しかし、ここからが我々パーティの苦難の始まりだったのだ。どーん。下山を開始するとまず気になったのが、勾配の急なことと上部に沢山ある岩と石。いつ落ちてきてもおかしくないような姿勢で鎮座しているので、落ちてきたとこのことを想像するとぞっとする。富士宮ルートも急勾配ではあったし、落石の懸念もちょっとしたけど、こちらほどではなかった。そして足場がガレ道ですごく歩きにくい。表示も「落石注意」とはあるのだが、位置を示す表示がない。疲れてきているし、気圧のせいか頭痛もちょっと悪化してきたようにも思えてきた。そして何よりリーダーの機嫌が悪くなってきたのだった。どーんどーん。これは由々しき事態だ。位置表示がないことをリーダーが罵りだしてしばらくしたころ、ようやく八合目に到着。八合目には山小屋はなく、雪崩か何かで壊れた残骸があるだけで、さらに下った赤岩八合目でやっと山小屋にたどり着いた。地図時間の約2倍かけて到達したことになった(地図時間は合っているのか?)。この先も歩きにくい道は続いたが、砂走館の屋根が見えてきたため、精神的には少し楽になって下山を続け、実は砂走館と目と鼻の先のわらじ館に到着した。厳しい下りであった。
わらじ館では丁重な出迎えを受けた。そして、受付の若い女性がリーダー自慢のサコシュに興味を示すという天佑が発生。「え、これどこのですか? へー、使いやすいですか? ちょっと見せてもらってもいいですか? あ、いいですね、これ・・・・」ということで、リーダーの機嫌は回復の方向に向かい、筆者は九死に一生を得たのであった(注;言葉の使い方が間違っています)。
この日は山の日の前日ということで山小屋は結構混んでいた。しかし、隣のカップルが高山病でこれから山を下りるということになり、少し余裕ができた。でもこの夕方から降りるって大丈夫なんだろうか。代わりに同部屋になったオジサンは今回2回頂上まで登るという猛者であった。
リーダーは胃腸の調子が悪くなっているようで、なんと夕食のカレーライスを全部食べられないという。筆者も頭痛は続いていたが、悪化はしておらず、ビールを飲もうとしたら、「頭痛するのに絶対止めといたほうがいい」とリーダーに言われ、ここは断念。でも夕食後、団体のオジサンたちがビールだのウィスキーだのを持ち寄って酒盛りを始めているのを見て、うらやましいなあと思った。リーダーを見ると目が点になっていた。
翌朝、3時ごろトイレに行ったら、星がきれいに出ていた。天の川が見えてとても幸運だった。筆者は目が悪いのでコンタクトレンズを入れないとちゃんと見えない。でも天の川は分かった。今回の登山の大事な収穫の一つである。4時になるともう東の空は白んできて星は消えていた。御来光を見るため5時前から張っていたが、雲が厚く太陽が顔を見せたのは5時を過ぎてからだった。雲海との対比が美しい御来光だった。
リーダーは11日の朝も食欲なく、エネルギー源のためにゼリーを買って出発することに。予定よりちょっと早めに出発。やはり歩きにくい道をしばらく行くと、大砂走の案内板が出てきて、細かい砂利道を行くと、ほんとに砂の道になった。まるでSF映画のロケ地みたいな風景が広がる中、足をかかとから砂にめり込ませながら降りていく。適度なブレーキをかけながらでないと、相当足の筋肉に負担がかかると思われ、セーブしながら降りていく。それでも2時間半で1500mを下るという普段の登山では考えられない高低差を短時間で降りたことになった(案の定筋肉痛は来た)。
次郎坊からは砂の道ではあるが傾斜が緩くなり、ゆっくり歩いて大石茶屋に到達した。ここで備え付けのはたきで砂を落としたが、まあ、すごい砂ですね。スパッツはもとよりザックカバーはして正解だった。大石茶屋のおばさんはすごく愛想がよくて、だからという訳ではないが筆者はTシャツを買った。葛飾北斎の富嶽三十六景/神奈川裏沖のプリントTシャツ、1500円也。そこからタクシーを頼み、御殿場口五合目まで降りた。
御殿場口五合目では筋肉痛に関するアンケートをやっていた。アンケートを書き終わるとちょうどタクシーが来て、御胎内温泉という温泉に向かった。タクシー代4420円也。ここは広くてなかなかいい温泉だった。午前中なので空いていたし。男湯の利用者の平均年齢は60歳を超えていると思われた。筆者は同類と思われていたのだろうか?気になるところである。バスの本数が限られているため、風呂から出たらすぐに御殿場に行くか、ちょっとこの施設でのんびりするかの選択を迫られたが、温泉につかってヘロヘロになっていた筆者はゆっくりするほうを主張。施設内の食堂で昼ご飯を食べることに。でも当然ここは「ほろ酔いセット」でしょう。ここは譲れん。出てきた生ビールを半分一気に飲み、ぷはー。極楽。人生の幸せ。リーダーはマヨネーズのついていない冷やし中華を注文。食べられるようになって良かった。
さんざんゆっくりした後、バスに乗って御殿場駅へ。駅前では登山者に対して足や靴を洗うサービスを実施しており、なかなかおもてなし度が高いと思った。靴を洗い、あわてて土産を買い、リーダーと分かれて御殿場線に乗った。
家に帰るとまだ4時台であった。荷物や衣類からは大砂走の砂がたくさん出てきて処理に苦労した。ああいうところは他にはないのだろう。貴重な経験であったし全体でいい山旅であった。ただ、富士山はやっぱり眺める山であることを再認識した山旅でもあった。
以上
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