五大尊岳(篠尾から往復)

- GPS
- 04:47
- 距離
- 5.7km
- 登り
- 644m
- 下り
- 644m
コースタイム
| 天候 | 曇 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
大小森集落下の崩壊地は左岸に道。稜線は急傾斜で要注意。 |
| その他周辺情報 | 周辺に多数の温泉。 |
写真
感想
この週末は三連休となったが、初日の土曜日は孫の小学校で音楽会があるので、その参観ということになっている。そこで山行は日曜日、連休の真ん中の日と決まった。場所は紀伊半島。和歌山県内にはまだ登るべき山がいくつもある。そのうちの一つは熊野本宮近くの五大尊岳だ。この山、奥駆道の最南端近くに位置して非常にアクセスが悪い。なかなか行く決心がつかずに今日まできた。だが、連休中日ということで気持ちに余裕(たるみ)ができて、日帰りで登ってみることにした。問題は、日帰り登山が可能なのか、である。過去の記録を見ると、奥駆道完全踏破を目指している「何十時間」という長丁場の山行で五大尊岳を通っているものがたくさん見つかったが、日帰り登山、という条件に合致するものはほとんど出てこない。比較的「現実的」なものは、玉置山から南下して往復する山行だが、それでも18km以上の歩程、自宅からの日帰りは大分無理しないと不可能なのだった。そんな中、ほとんど唯一といっていい楽々日帰り可能と思われる記録がヤマレコに見つかった。それは、五大尊岳の真下の集落である篠尾から、廃村となって久しい大小森(おこもり)を経て南尾根に乗り、これを往復するというルートだ。うーん、これしかない!これでルートは決まったが、心配なのは車でのアクセスである。狭隘にして離合困難、ダートでパンクの恐れあり、とったケースが多いので、新車にして一カ月もたたない我々としては神経質にならざるを得ない。だが、上記の記録にはアクセスについては一言もなく、また、篠尾(ささび)川支流を遡行したという最近の記録も拾い出したが、こちらにも車道についての記載はないので、きっと道路は問題なし、と楽観的に理解した。実際、後者の記録に写りこんでいる車道の様子は不安のないものだった。
そして決行の日。奥吉野を越えていくというドライブルートもあったが、結局、大枚はたいて高速で南紀田辺まで行き、そこから中辺路を東に走る。いままで「なかへんろ」と思い込んでいたこの古道、本当は「なかへじ」なんだ、と「いまさら聞けない」タイプの学習をしつつ、これでもか、と延々と車を走らせる。ようやく本宮に達して熊野川に沿って東進、ナビの言うなりに「高津橋」を対岸に渡った。これが間違いだった。高津橋を渡ってしまうと、必然的に熊野川の左岸を行かざるを得ないが、上地集落を通るこの道が狭隘にして保守が悪い。実際には短い区間だが、緊張する。ここは高津橋を渡らずに国道をさらに新宮方向へ進むべきだったのだ。東敷屋トンネルを出たところで左折して敷屋大橋を渡り、対岸で左折することで、簡単に、かつ快適に篠尾への道に入ることができる。もちろん帰路はこの経路にした。往路では、狭隘道路を抜けて篠尾川を渡り、ようやく篠尾への道に合流した。ここから篠尾へは、全く不安のない快適な道路。やがて篠尾集落を見下ろす地点に来ると、篠尾川渓谷の観光案内板がたち、道路右脇には舗装された駐車スペースがあった。左にも広いスペースがある。ここからわずかに進むと登山口で、ここにも一台分の芝地スペースがあり、ここに停める。
この芝地脇に古い石積みがあって道跡を認める。ここから小さな谷の左岸についた道跡を歩き始める。最初は送水管に沿って進む。周囲は植林で、薄暗い。やがて谷は崩壊地となって終わり、見回すと左岸上部に古い石垣があった。道はその石垣に向かってついているようだったが、崩壊によって消えたように見えた。実は、下流側にジグザグで登るように道は付いてていたのだが、前方ばかりに気を取られ、後ろを振り返らなかったため、これを見落とした。無理やり正面のリスキーは崩壊面を登って超えたが、下山時には本来の道で楽に下った。崩壊地の上は一転して平坦となり、石垣で作られた区画が広がり、道が切られているのだった。そして、いまだ少数の家屋は形をとどめて、かつての集落の名残を今日に伝えている。ここは大小森という集落の跡。12世紀に平家一門の兵庫左衛門尉氏永らがこの地を開拓して住み着いたとされる。廃村になったのは昭和35年ごろという。集落のメインストリートだったと思われる石垣で仕切られた道を進むとお地蔵様の前に出る。ここを左折して歩を進めると、作業道跡となり、間もなくY字の分岐となる。行きは右の道をたどる。ほとんど水平の道をたどれば、やがて尾根上に出る。ここから稜線を登っていく。最初は緩いのぼりであるが、指数関数的に傾斜が増して、四つん這いで登ることになる。過去の記録に記された通りだ。ひと踏ん張りして急登区間が終わったので、あとはそこそこの登りかと思ったら、緩急を繰り返して気を抜けない。顔を上げると正面に大岩が座している。岩の上を抜けられそうだが、東側に踏み跡らしきものを見つけてここは巻くとする。踏み跡はすぐあいまいになり、尾根のてっぺんから離れないようにトラバースして東に派生する尾根に乗り、本来の稜線に復帰する。ここからは傾斜はそこそこのレベルで、最後にちょいと頑張ると南峰の山頂が迫ってきた。誰もいないものと思っていたが、山頂には一人の先行者が休憩中だった。山頂には奥駆道の道標があるものの、山名版はない。山頂を含め、今日のコースは眺望も得られないのだった。我々が登ってきた道の降り口には、「許可を受けたもの以外立入禁止」という地権者の立て看板があった。途中にこの看板があったら躊躇しただろうが、登りきったところにあったので登頂を果たせたわけだ(実際には尾根に乗った地点の地面にこの札が落ちているのを帰路に発見した)。おそらくマツタケ採取を禁止するのがその意図であろうから、9月、10月の入山はトラブル回避のため控えたほうがよさそうだ。
山頂は風が肌寒いし、先客もいるので、我々は一歩手前の尾根の肩に下って昼食とする。腹ごしらえがすんだらさっそく下山。下りは足元に注意が必要だ。登りでずいぶんしごかれた急斜面も順調に下り、トラバース路はのぼりで使ったものの下側を走る作業道をたどって大小森に戻る。お地蔵様を拝んだのち、歴史ある村の跡を後にして駐車地へと向かった。時間はまだ3時前、楽勝!と思ったのだが、帰路は高速に乗るなりの渋滞で、「連休」の掟を久々に思い知らされた我々であった。
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