記録ID: 8862777
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ハイキング
金剛山・岩湧山
葛城二十八宿/第12品13品経塚(堀越観音)
2025年10月26日(日) [日帰り]

体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:21
- 距離
- 11.5km
- 登り
- 829m
- 下り
- 847m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:10
- 休憩
- 2:09
- 合計
- 7:19
距離 11.5km
登り 829m
下り 847m
16:40
ゴール地点
| 天候 | 曇りのち雨 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
復路:南海バス/滝畑ダム→河内長野駅前 約45分 560円 |
| その他周辺情報 | 日本遺産 葛城修験 https://katsuragisyugen-nihonisan.com/ ■大変参考になる「私本葛城峯中記」 http://www.enyatotto.com/gyoujya/gyoujya.htm 【葛城二十八宿】第十二経塚「妙経提婆達多品」(だいばだったほん) http://www.enyatotto.com/gyoujya/12shuku/12shuku.htm 【葛城二十八宿】第十三経塚「妙経勧持品」(かんじほん) http://www.enyatotto.com/gyoujya/13shuku/13shuku.htm |
写真
堀越観音
リレーブログ 〜私の街の葛城修験のご紹介(堀越癪観音)〜|日本遺産 葛城修験 〜里人とともに守り伝える修験道はじまりの地〜 https://katsuragisyugen-nihonisan.com/blog/post_13.php
リレーブログ 〜私の街の葛城修験のご紹介(堀越癪観音)〜|日本遺産 葛城修験 〜里人とともに守り伝える修験道はじまりの地〜 https://katsuragisyugen-nihonisan.com/blog/post_13.php
昔、役行者は葛城二十八宿の霊場を不動堅固に保つために葛城の峰々に二十八の宿(峯域)を開き、各宿毎に法華経経塚を築造し、周辺に行所を設けて修行の便としました。
此処、堀越・神野の郷は葛城二十八宿修験の紀州側の重要な行所の巡礼路です。また粉河寺から槇尾山施福寺へ西国三十三所観音霊場の巡礼路、高野詣り路など各方面からの山越え古道の分岐点です。
行き交う行者や旅人達、商人達の休憩所、接待所として長い歴史を通して重要な働きをしてきました。
さて、此処東の燈明ヶ岳は遙か昔、役小角が母公の難病を救わんと小庵を設け護摩参篭した行所です。母公の難病は無事平癒。今の堀越癪観音の前身です。再訪の犬鳴山の燈明ヶ岳と対比して東の燈明ヶ岳と称します。
霊験は今も輝き、この葛城巡礼古道に行者の法螺の声、錫杖の声が峰峯に響きます。宝照院鉄山 記
此処、堀越・神野の郷は葛城二十八宿修験の紀州側の重要な行所の巡礼路です。また粉河寺から槇尾山施福寺へ西国三十三所観音霊場の巡礼路、高野詣り路など各方面からの山越え古道の分岐点です。
行き交う行者や旅人達、商人達の休憩所、接待所として長い歴史を通して重要な働きをしてきました。
さて、此処東の燈明ヶ岳は遙か昔、役小角が母公の難病を救わんと小庵を設け護摩参篭した行所です。母公の難病は無事平癒。今の堀越癪観音の前身です。再訪の犬鳴山の燈明ヶ岳と対比して東の燈明ヶ岳と称します。
霊験は今も輝き、この葛城巡礼古道に行者の法螺の声、錫杖の声が峰峯に響きます。宝照院鉄山 記
護摩のたわ朴留 堤婆達多品(第十二経塚)
https://katsuragisyugen-nihonisan.com/cultural_property/cat01/post_12.php
https://katsuragisyugen-nihonisan.com/cultural_property/cat01/post_12.php
装備
| 個人装備 |
白衣
地下足袋
軍手
雨具
弁当
飲水等
|
|---|
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kayo












13:11の自然石道標、
Google学校のAI先生に「巻の尾」で聞いてみました。
『「巻の尾」は、役行者が法華経の巻物を納めたことに由来する「槙尾山施福寺」を指す場合と、犬などの「巻き尾」という尾の形状を指す場合があります。どちらを指すかは文脈によります。
槙尾山施福寺の場合
役行者が法華経の最後の巻物をこの地(如法峰)に納めたことから、「巻の尾」と呼ばれるようになりました。
これが山号の「槙尾」の由来とされています。
「巻尾」は「巻(まき)の尾(お)」と読み、この山を示します。』
などと出てきますので 道標はもしかしたら”左 まきのお山”とかではないでしょうか。
槇尾山が左の方向にありませんでしたか。
その二つ上の石に彫られた像
槇尾山は空海が滞在したお寺です。もしかしたら燈明岳を利用して 橋本の九度山に下り 高野山を目指したことを思うと 私には空海の姿を想像してしまいます😆
そういえば槙尾の由来はそのように本で読んだような。そして、自然石に彫られた字も「まきのを」と読めるような。
草を掻き分けてしっかり写真を撮れば良かったと反省!目立たない石を見つけた事が嬉しくて少々舞い上がっておりました。
ただ、石を正面に見たときに槇尾山が左あるかというとそうではなさそうです。動かせそうな石でした。
槙尾山は空海も滞在したお山でしたか。石に彫られた線を丁寧に見ると、お坊さんのように見えていました。でも行者さまの像があったから、自分の視覚を修正してしまったんです。どなたか特定はできないけど、素直に見ると袈裟(?)を着た人が結跏趺坐しているように見えます。分かったら嬉しいけど、分からなさもまた楽しい。
丁寧に見てくださりありがとうございます😊
大峯奥駈道の本は持っていますが、葛城修験は持っていないので、いつか手に入れたいです。
山で歴史や信仰の痕跡を見るのは楽しいです😊
石像が空海かだれだかわからないことが 現代人を愉しませてくれているのかもしれませんね。空海本人が彫った自画像かもしれませんょ😆
実は実家が槇尾山まで車で20〜30分の地元なもので 自分の興味もあって改めて槇尾山施福寺のことを紐解いてみました✌
白い地下足袋は吉野古道の帰りに買ったのですか?
同じルートを7年前の串柿の時期に歩きました♪
あの時はまだ、笠田駅からコミュニティバスがありました。
東谷バス停から北に登っていくと、文蔵の滝があります。
隠れ滝で、滝行をされる方がおられます。
kayoさんなら、絶対好きそうな滝ですよ。
機会があれば、ぜひ行ってみてください。
ちょっとずつ慣れて行きたいです。
パピレオさんの紀伊路、良かったな〜。「やっぱり良いですね」って前回と同じコメントになるから控えてました😄
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