【相模國 6藤沢宿】
広重東海道53次藤沢宿は時宗の総本山清浄光寺(遊行寺)を背景に、手前に江ノ島弁財天大鳥居、大鋸橋(遊行寺橋)を渡るのは納太刀を担ぐ大山詣の一行
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【相模國 6藤沢宿】
広重東海道53次藤沢宿は時宗の総本山清浄光寺(遊行寺)を背景に、手前に江ノ島弁財天大鳥居、大鋸橋(遊行寺橋)を渡るのは納太刀を担ぐ大山詣の一行
昨日、暗闇の中到着した小田急藤沢本町駅を出立
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10/11 7:39
昨日、暗闇の中到着した小田急藤沢本町駅を出立
おしゃれ地蔵:「女性の願い事なら何でも叶えてくださり、満願のあかつきには、白粉を塗って御礼をする」
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10/11 8:07
おしゃれ地蔵:「女性の願い事なら何でも叶えてくださり、満願のあかつきには、白粉を塗って御礼をする」
七面地蔵尊:昭和の初めに東海道拡張工事で山を切り開いたところ、人骨が多数掘り出され、近くの養命寺に丁寧に祀られ、仏の供養のための地蔵
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10/11 8:10
七面地蔵尊:昭和の初めに東海道拡張工事で山を切り開いたところ、人骨が多数掘り出され、近くの養命寺に丁寧に祀られ、仏の供養のための地蔵
大山道道標:東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていた道標
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10/11 8:32
大山道道標:東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていた道標
道標の不動明王
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10/11 8:32
道標の不動明王
大鳥居:大山遥拝の一の鳥居
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10/11 8:33
大鳥居:大山遥拝の一の鳥居
四ツ谷の一里塚:江戸日本橋より13里 8:33 藤沢本町駅より2.8km(歩行距離累計69.6km)
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10/11 8:54
四ツ谷の一里塚:江戸日本橋より13里 8:33 藤沢本町駅より2.8km(歩行距離累計69.6km)
二ツ家稲荷神社:大山詣での信者が立ち寄った立場茶屋(休憩所)があったところ
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10/11 8:56
二ツ家稲荷神社:大山詣での信者が立ち寄った立場茶屋(休憩所)があったところ
【茅ヶ崎市】
明治天皇御小休趾碑:慶応4年(1868)7月に江戸を東京と改め、その年の9月に元号を明治と改め、明治天皇は東幸することとなり、10月に南湖の本陣で小休した後、ここ小和田で再び休憩されたという
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10/11 9:09
【茅ヶ崎市】
明治天皇御小休趾碑:慶応4年(1868)7月に江戸を東京と改め、その年の9月に元号を明治と改め、明治天皇は東幸することとなり、10月に南湖の本陣で小休した後、ここ小和田で再び休憩されたという
牡丹餅立場跡:藤沢宿と平塚宿の間には四谷、牡丹餅、南湖、八幡の4つの立場があった
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10/11 9:31
牡丹餅立場跡:藤沢宿と平塚宿の間には四谷、牡丹餅、南湖、八幡の4つの立場があった
松並木碑:茅ヶ崎市内の国道1号線沿いの黒松は幹回り2.2mで、推定樹齢400年。この風景は安藤広重の東海道五十三次にも描かれておおります。(解説版要約)
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10/11 9:42
松並木碑:茅ヶ崎市内の国道1号線沿いの黒松は幹回り2.2mで、推定樹齢400年。この風景は安藤広重の東海道五十三次にも描かれておおります。(解説版要約)
茅ヶ崎一里塚:江戸日本橋より14里 10:00 藤沢本町駅より7.8km(歩行距離累計74.6km)
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10/11 9:59
茅ヶ崎一里塚:江戸日本橋より14里 10:00 藤沢本町駅より7.8km(歩行距離累計74.6km)
寛永寺の石灯籠:上野寛永寺には歴代将軍への供養として多数の石燈籠が献上されていが、震災や戦災などで被害を受けた寛永寺への再建寄付の返礼として贈られたものと。芝増上寺の石灯籠は秩父霊場34観音札所の内28か所にもあった。
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10/11 10:07
寛永寺の石灯籠:上野寛永寺には歴代将軍への供養として多数の石燈籠が献上されていが、震災や戦災などで被害を受けた寛永寺への再建寄付の返礼として贈られたものと。芝増上寺の石灯籠は秩父霊場34観音札所の内28か所にもあった。
茅ヶ崎市マンホール: 茅ヶ崎の海と「烏帽子岩」を中心に、太陽とカモメ、漁船がデザイン
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10/11 10:08
茅ヶ崎市マンホール: 茅ヶ崎の海と「烏帽子岩」を中心に、太陽とカモメ、漁船がデザイン
南湖の左富士:東海道のうちで左手に富士山を見る場所は、ここと吉原(静岡県)の2ヶ所が有名。昔から茅ケ崎名所の一つとして南湖の左富士が巷間に知られている(解説版)
晴れていれば左手上流に富士山が見える様だ
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10/11 11:32
南湖の左富士:東海道のうちで左手に富士山を見る場所は、ここと吉原(静岡県)の2ヶ所が有名。昔から茅ケ崎名所の一つとして南湖の左富士が巷間に知られている(解説版)
晴れていれば左手上流に富士山が見える様だ
神明宮:境内には平安時代の陰陽師安倍晴明(921-1005)が東国へ下向のおり、喉の渇きを潤した清水が湧き出ており、名付けて 「清明井戸」 と称す(社伝より)
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10/11 11:39
神明宮:境内には平安時代の陰陽師安倍晴明(921-1005)が東国へ下向のおり、喉の渇きを潤した清水が湧き出ており、名付けて 「清明井戸」 と称す(社伝より)
旧相模川橋脚:大正12(1923)年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、水田に橋杭が出現した。鎌倉時代の建久9(1198)年に架けた橋の橋脚で、大正15(1926)年に国の史跡に指定された。
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10/11 11:43
旧相模川橋脚:大正12(1923)年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、水田に橋杭が出現した。鎌倉時代の建久9(1198)年に架けた橋の橋脚で、大正15(1926)年に国の史跡に指定された。
双体道祖神:風化が激しい双体道祖神、前の丸石も道祖神か?
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10/11 11:56
双体道祖神:風化が激しい双体道祖神、前の丸石も道祖神か?
【平塚市】
馬入橋:相模川の河口付近は馬入川と呼ばれる
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10/11 12:01
【平塚市】
馬入橋:相模川の河口付近は馬入川と呼ばれる
馬入渡川会所跡:川会所(かわかいしょ)は、江戸時代に川越を取り締まった役所で川役所とも言った
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10/11 12:16
馬入渡川会所跡:川会所(かわかいしょ)は、江戸時代に川越を取り締まった役所で川役所とも言った
マンホール:湘南ひらつか七夕まつりをデザイン
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10/11 12:19
マンホール:湘南ひらつか七夕まつりをデザイン
馬入の一里塚:江戸日本橋より15里 12:28 藤沢本町駅より13.4km(歩行距離累計80.2km)
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10/11 12:27
馬入の一里塚:江戸日本橋より15里 12:28 藤沢本町駅より13.4km(歩行距離累計80.2km)
【相模國 7平塚宿】
広重の53次は平塚市と大磯町にまたがる高麗山(こまやま)を中心に、富士山が姿をのぞかせ、厳つい大山が聳える
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【相模國 7平塚宿】
広重の53次は平塚市と大磯町にまたがる高麗山(こまやま)を中心に、富士山が姿をのぞかせ、厳つい大山が聳える
平塚江戸見附:12:59 藤沢本町駅より14.0km(歩行距離累計80.8km)
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10/11 12:59
平塚江戸見附:12:59 藤沢本町駅より14.0km(歩行距離累計80.8km)
・脇本陣跡
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10/11 13:11
・脇本陣跡
・高札場跡
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10/11 13:13
・高札場跡
・東組問屋場跡
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10/11 13:14
・東組問屋場跡
・本陣跡
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10/11 13:17
・本陣跡
・西組問屋場跡
平塚には西と東の二つの問屋があり、両問屋場は十日目交替で執務したという
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10/11 13:22
・西組問屋場跡
平塚には西と東の二つの問屋があり、両問屋場は十日目交替で執務したという
京方見附跡:石垣と榜示杭が復元されている。後ろの霞んで見えるのが広重の絵の高麗山
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10/11 13:27
京方見附跡:石垣と榜示杭が復元されている。後ろの霞んで見えるのが広重の絵の高麗山
大磯町境:市町の境はこの先の花水橋の手前
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10/11 13:28
大磯町境:市町の境はこの先の花水橋の手前
平成の一里塚:広重の東海道五十三次・平塚宿に描かれた高麗山を意識してこの場所に設置した休息場所らしいが、旧東海道の一里塚と紛らわしい
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10/11 13:32
平成の一里塚:広重の東海道五十三次・平塚宿に描かれた高麗山を意識してこの場所に設置した休息場所らしいが、旧東海道の一里塚と紛らわしい
・花水橋
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10/11 13:33
・花水橋
・高来(たかく)神社:江戸時代までは、高麗寺に属し、明治元年の神仏分離によって高麗神社となり、高麗寺は廃寺。明治30年に、高来神社と改称。高麗山登山口
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10/11 13:47
・高来(たかく)神社:江戸時代までは、高麗寺に属し、明治元年の神仏分離によって高麗神社となり、高麗寺は廃寺。明治30年に、高来神社と改称。高麗山登山口
虚空蔵堂:虚空蔵と熊野権現を祀った小御堂がり、ここに下馬標が建っていた。大名行列もここで下馬し、東照権現の併祀された高麗寺に最敬礼をして静かに寺領内を通った。(解説版)
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10/11 13:49
虚空蔵堂:虚空蔵と熊野権現を祀った小御堂がり、ここに下馬標が建っていた。大名行列もここで下馬し、東照権現の併祀された高麗寺に最敬礼をして静かに寺領内を通った。(解説版)
化粧井戸:伝説によると鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近であったという。当時の大磯の代表的女性である 「虎御前」 もこの近くに住み、朝な夕なこの井戸を汲んで化粧をしたのでこの名が付いたと言われている。(解説版)
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10/11 13:55
化粧井戸:伝説によると鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近であったという。当時の大磯の代表的女性である 「虎御前」 もこの近くに住み、朝な夕なこの井戸を汲んで化粧をしたのでこの名が付いたと言われている。(解説版)
化粧坂の一里塚跡:江戸日本橋から16里13:57 藤沢本町駅より18.5km(歩行距離累計85.3km)
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10/11 13:56
化粧坂の一里塚跡:江戸日本橋から16里13:57 藤沢本町駅より18.5km(歩行距離累計85.3km)
【相模國 8大磯宿】
広重の53次大磯は「虎ケ雨」:虎ケ雨は陰暦五月二十八日に降る雨。鎌倉時代仇討ちをはたし討死した曽我十郎を悼み、恋仲の遊女虎御前が流す涙雨
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【相模國 8大磯宿】
広重の53次大磯は「虎ケ雨」:虎ケ雨は陰暦五月二十八日に降る雨。鎌倉時代仇討ちをはたし討死した曽我十郎を悼み、恋仲の遊女虎御前が流す涙雨
江戸方見附跡:14:05 藤沢本町駅より18.9km(歩行距離累計85.7km)
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10/11 14:05
江戸方見附跡:14:05 藤沢本町駅より18.9km(歩行距離累計85.7km)
北組問屋場跡
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10/11 14:16
北組問屋場跡
小島本陣跡:大磯宿には小嶋、尾上、石井の三箇所に本陣があった
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10/11 14:16
小島本陣跡:大磯宿には小嶋、尾上、石井の三箇所に本陣があった
石井本陣跡: 汐彩のお宿大内館が本陣跡
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10/11 14:20
石井本陣跡: 汐彩のお宿大内館が本陣跡
新杵:明治24年から続く、島崎藤村や吉田茂にも愛された和菓子屋。名物の西行饅頭、虎子饅頭
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10/11 14:21
新杵:明治24年から続く、島崎藤村や吉田茂にも愛された和菓子屋。名物の西行饅頭、虎子饅頭
南組問屋場跡:大磯宿には、南組と北組の二ヶ所に問屋場があった
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10/11 14:22
南組問屋場跡:大磯宿には、南組と北組の二ヶ所に問屋場があった
日本基督教団大磯教会:登録有形文化財建造物。昭和12年に建設。外壁は下見板コロニアル風で木造
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10/11 14:24
日本基督教団大磯教会:登録有形文化財建造物。昭和12年に建設。外壁は下見板コロニアル風で木造
・高札場跡
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10/11 14:29
・高札場跡
湘南発祥の地碑:中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました。(解説版)
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10/11 14:29
湘南発祥の地碑:中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい、大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました。(解説版)
大磯駅:14:38 藤沢本町駅より20.7km(歩行距離累計87.5km)
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10/11 14:36
大磯駅:14:38 藤沢本町駅より20.7km(歩行距離累計87.5km)
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