記録ID: 798258
全員に公開
ハイキング
九州・沖縄
『古城山』へ関門トンネルでピストン登山
2013年03月25日(月) [日帰り]

- GPS
- 02:40
- 距離
- 6.7km
- 登り
- 179m
- 下り
- 190m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:00
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 3:10
14:00
30分
スタート地点(みもすそ公園)
15:00
15:10
20分
和布刈神社
15:30
15:40
20分
第2展望台・壇ノ浦合戦図壁画
17:10
ゴール(下関側人道口駐車場)
○ほぼ観光目的の散策なので、コースタイムは参考になりません。
○「門司城」の歴史
・「門司城」は、当初、源氏との決戦に備えて、平家の平知盛が築城させた。1244年、平家残党狩りを鎌倉幕府から命ぜられた下総前司親房がこの地に到着、 間もなくその子孫が「門司氏」を称し、「門司城」を本城に、周囲に5つの支城を構え約350年間にわたり、北九州を治めた。南北朝時代は、門司氏の北朝方の居城となった。 室町時代末期になると、この城をめぐって、大友氏、大内氏、毛利氏の争奪戦の戦場となった。特に永禄年間の大友氏と毛利氏による門司城合戦は壮絶を極めた。その後の門司城の城主は入れ替わり続いたが、細川忠興の豊前入国後の1615年に「一国一城の令」により、およそ400年続いた歴史を閉じた。
○「門司城」の歴史
・「門司城」は、当初、源氏との決戦に備えて、平家の平知盛が築城させた。1244年、平家残党狩りを鎌倉幕府から命ぜられた下総前司親房がこの地に到着、 間もなくその子孫が「門司氏」を称し、「門司城」を本城に、周囲に5つの支城を構え約350年間にわたり、北九州を治めた。南北朝時代は、門司氏の北朝方の居城となった。 室町時代末期になると、この城をめぐって、大友氏、大内氏、毛利氏の争奪戦の戦場となった。特に永禄年間の大友氏と毛利氏による門司城合戦は壮絶を極めた。その後の門司城の城主は入れ替わり続いたが、細川忠興の豊前入国後の1615年に「一国一城の令」により、およそ400年続いた歴史を閉じた。
| 天候 | 曇天 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2013年03月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
●アクセス ・海底トンネル人道口付近には駅などがないのでマイカーが手軽で良い。 ・山口県下関市から対岸の福岡県北九州市門司区までを関門海峡の海底トンネルを利用して徒歩で行くのが面白いだろう。 ・関門海峡にある関門大橋の門司側の「和布刈(めかり)公園」を目標にする。 ・無料駐車場は、下関側の「関門トンネル人道口」(20台)、対岸の門司の布刈(めかり)側の「和布刈(めかり)公園」内(100台)に有り。 |
| コース状況/ 危険箇所等 |
○危険個所なし。 ○「古城山」は、和布刈(めかり)公園内にあるため、売店やトイレ有り。 |
| その他周辺情報 | ○付近には「門司港レトロ地区」や下関市側では、「海峡タワー」、水族館の「海響館」など観光施設や商業施設多数有り。 |
写真
この石碑にあるのは、祖母に当たる平 清盛の正室である二位尼(平 時子)は、安徳天皇を抱きかかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたと伝えられるが、そのとき二位尼の辞世の句だ
トンネルに入る前に付属施設にある『関門プラザ』に立ち寄った。トンネルに関する歴史や写真資料、開通工事の模様などを展示。入場は無料。 自動ドアの正面は、下関のシンボルで有名な「河豚(ふぐ)」の絵。
人道口エレベーター前に設置された通行可能時間や注意書きのある掲示板。犬や猫などの動物は不許可。通行料は、人は無料だが、自転車や原付は20円。通行時間は、06:00〜22:00まで。
壇ノ浦の古戦場だったこの海峡の潮の流れは早いことで有名だ。海面を観ていると・・・白く激しい波が大きく渦(うず)を巻いて激しく音を立てながら流れていた。平家一門の滅亡となった壇ノ浦の海戦では、どれだけ多くの人々が亡くなったのだろうか。
これが、その「明石与次兵衛塔」だ。江戸時代に日本で活躍したドイツ人のシーボルトもこの塔を見て、その著書「日本」に挿絵を描いていたそうだ。へ〜〜そうなんだ!まさか、これがそんな貴重なものとは!
右上の海中に身を投じたのは、安徳天皇の母である建礼門院(平清盛の娘・平徳子)で、源氏の兵士が引き揚げて助かった建礼門院は、出家して京都大原寂光院の尼僧として過ごした。写真右下の船の中央屋根の下にいる白服の女性が建礼門院の母で平清盛の正室の二位の尼(平時子)で、その左隣が安徳天皇だ。二位の尼は、安徳天皇を抱き かかえたまま、「波の下にも都がございます」と慰め、壇ノ浦の急流に身を投じた。 安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月、6年124日)で崩御した。 敗戦が迫ると、他の多くの女官や武将なども次々に海中に没した。
間もなく、巨大なレンガ造りの頑丈な入口のある構造物発見! 入口は閉鎖されて中に入ることはできない。奥行きはかなりある大きな施設だが・・・ これは、対岸の下関側にも同様のものが残っている戦争中の対空砲陣地の跡で、火薬庫や兵員室を備えた施設の跡だ。
16:00、山頂に到着!・・・そこの中央にあるこのセメントの構造物は、戦争中の対空砲陣地の台座の跡だ。ここに対空砲が据え付けられ、戦時中は、アメリカ軍機が接近すると、直ちに兵士が駆けつけ、ここから360度回転する対空砲により対空射撃をしていた。
撮影機器:
装備
| 個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
靴
サブザック
昼ご飯
地図(地形図)
筆記用具
携帯
時計
サングラス
タオル
カメラ
|
|---|
感想
○古城山(門司城跡)山頂(175m)から関門海峡を観る(2013年3月25日)
REALIST撮影
○めかり公園側から関門海峡の潮の流れを観る (2013年3月25日)
REALIST撮影
○公園として整備され、道もほとんど舗装済みのわかりやすい道を登るため、冒険気分もなく物足らなさを感じたが、それでも、遥か昔に平家が山頂に建てた城があったという『 門司城跡 』の記録に魅力を感じ、山頂から観る関門海峡一帯の歴史を感じる下界の眺望を体験でき満足だった。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:1453人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
REALIST










いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する