毛受兄弟の墓から玄蕃尾城跡そして椿坂峠


- GPS
- 09:41
- 距離
- 26.4km
- 登り
- 962m
- 下り
- 968m
コースタイム
- 山行
- 9:13
- 休憩
- 0:28
- 合計
- 9:41
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
4月5日(土)「晴れのち薄曇り」 6時頃、行市山登山口の駐車場に到着するが、駐車場は見当たらず。毛受(めんじゅ)の森と云うか、墓地に僅かな駐車場があった。毛受兄弟の墓より行市山への登山道が始まる。難しい名前の毛受兄弟は、柴田勝家の小姓で、賤ヶ岳の戦で毛受兄弟は、金の御幣の馬印を掲げて勝家の身代わりとなり秀吉軍と戦い、勝家を越前・北之庄まで逃がすことに成功したそうです。登山道は良好で、林谷山砦跡、仲之谷山砦跡、橡谷山、別所山砦跡、行市山砦跡と続く。小谷山も虎御前山も、そして山本山から賤ヶ岳と砦や古墳が沢山存在する。沢山の砦を県界稜線を歩く事で眺め、何となく雰囲気がわかって来た。伊吹山の京極遺跡も似ていたな。また、此の湖北辺りは、稜線が街道のように立派だ。安土桃山時代の頃は、平野は湿地帯で、尾根筋のが歩き易かったのかも知れない。此の辺りは、標高も其れほど無く、起伏の少ない稜線なので、特に好都合だったのかも知れない。行市山を踏み、北へと進む。暫くは、廃物利用(弁当の入れ物、お菓子の袋など)の目印がある。平坦な稜線は間違えやすく、GPSがものを云う。GPSの無い頃は、ある程度進まないと間違いに気が付かなかった。倉坂峠(刀根越)へ到着する。少し寄り道し、福井県側の駐車場を見に行く。峠から僅かで柳ケ瀬山と出て、玄蕃尾城(内中尾山城)へと入る。此方も難読文字です(げんばおじょう)と読む。此処は流石に柴田勝家の本陣なので、曲輪・馬出・虎口・堀切などの遺構が大きくて立派である。更に北進すると、林道のような道があるが400m位で無くなった。其処からは、平坦な山稜となりルートファインデングが難しい。その下には、北陸自動車道や近代土木遺産となっている旧北陸本線(柳瀬トンネル)が走っている。踏み跡がはっきりして来ると、送電線に出た。455mピーク辺りは、県界線引きが谷を渡っている。此の辺りより、残雪が多くなってくる。ハイキングシューズなので、嵌ると雪が入り冷たい。沓掛山は滋賀県の独立峰となっている。益々残雪が多くなり、椿坂峠の県界稜線に到着する。此処からは、雪の無い林道歩きかと思っていたが、残雪で埋まっている。今冬越せなかったのか、子供の鹿の遺骸が横たわっていた。林道をなんと下りて、椿坂峠車道へと出た。もう雪は無いと思っていたが、此れまた想定外残雪が続く。本国道365号に出てようやく残雪とお別れで来た。長い国道を南下し、毛受兄弟の墓まで辿り着いた。
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