車を長瀞七草寺の尾花の寺である道光寺の向かいにある岩田地区公園に置かせてもらいます、現在半分ぐらいのスペースが残土置き場として使われているので駐車可能台数は12台前後だと思われます、綺麗な観光トイレがあります。
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車を長瀞七草寺の尾花の寺である道光寺の向かいにある岩田地区公園に置かせてもらいます、現在半分ぐらいのスペースが残土置き場として使われているので駐車可能台数は12台前後だと思われます、綺麗な観光トイレがあります。
岩田地区公園から白鳥橋で荒川を渡り野上下郷石塔婆へやってきました、高さ5メートルの日本一の大きさの石塔婆です、この後向かう仲山城跡の城主阿仁和直家が戦で討ち死にした後、十三回忌に夫人の芳野御前(妙円尼)が応安二年(1369年)に建てたものだそうです、説明看板に直家は落城の際に討ち死にと書かれていますが実際は野戦で討ち死にした後、仲山城が落城したという流れの様です。
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岩田地区公園から白鳥橋で荒川を渡り野上下郷石塔婆へやってきました、高さ5メートルの日本一の大きさの石塔婆です、この後向かう仲山城跡の城主阿仁和直家が戦で討ち死にした後、十三回忌に夫人の芳野御前(妙円尼)が応安二年(1369年)に建てたものだそうです、説明看板に直家は落城の際に討ち死にと書かれていますが実際は野戦で討ち死にした後、仲山城が落城したという流れの様です。
車道を歩いていくと仲山城跡が見えてきました。
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車道を歩いていくと仲山城跡が見えてきました。
車道脇に手書きの道標があります。
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車道脇に手書きの道標があります。
途中諏訪神社への参道入り口を通り過ぎて進むとやがて峠の様になった所へ出て、そこから斜面を左斜め上へ登って行きます。
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途中諏訪神社への参道入り口を通り過ぎて進むとやがて峠の様になった所へ出て、そこから斜面を左斜め上へ登って行きます。
斜面を登り切って痩せた尾根に上り真っすぐ登って行くと石積みの段らしきものが有り曲輪らしい形状が見られます。
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斜面を登り切って痩せた尾根に上り真っすぐ登って行くと石積みの段らしきものが有り曲輪らしい形状が見られます。
小さな曲輪らしき所を過ぎるとこの西側の尾根唯一の堀切です、道は正面の土塁の右側を進み次の曲輪と主郭の間の石積みだったらしい所を登ると主郭に到達です。
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小さな曲輪らしき所を過ぎるとこの西側の尾根唯一の堀切です、道は正面の土塁の右側を進み次の曲輪と主郭の間の石積みだったらしい所を登ると主郭に到達です。
主郭北側には土塁が有り、後ろには東屋が作られていて休憩が出来ます、主郭は東屋があると狭く感じる小ささで城というよりは砦クラスですが南北朝の頃の田舎のお城はこんなものでしょうか、仲山城下の下郷地区の広さから考えると兵力は50人も無かったと思われます、戦国時代で動員兵力が1000石で25〜30人ですからこのサイズの城でも大きいかも、攻めてきた秋山氏は陣見山を挟んで北側の児玉秋山地区の豪族の様ですから土地の広さから考えて倍ぐらいの兵力だったのではと考えます、直家も城では守り切れないと判断して樋口河原の野戦での討ち死にだったのでしょう。
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主郭北側には土塁が有り、後ろには東屋が作られていて休憩が出来ます、主郭は東屋があると狭く感じる小ささで城というよりは砦クラスですが南北朝の頃の田舎のお城はこんなものでしょうか、仲山城下の下郷地区の広さから考えると兵力は50人も無かったと思われます、戦国時代で動員兵力が1000石で25〜30人ですからこのサイズの城でも大きいかも、攻めてきた秋山氏は陣見山を挟んで北側の児玉秋山地区の豪族の様ですから土地の広さから考えて倍ぐらいの兵力だったのではと考えます、直家も城では守り切れないと判断して樋口河原の野戦での討ち死にだったのでしょう。
主郭南側も小さな段差で二郭目があり、その先にそれなりの規模の堀切がありました。
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主郭南側も小さな段差で二郭目があり、その先にそれなりの規模の堀切がありました。
堀切の先は灌木が邪魔ですが弧状に作られた腰曲輪、現在はその下に真っすぐ降りて行く踏み跡が有りますが当時、道は無かったような気がします。
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堀切の先は灌木が邪魔ですが弧状に作られた腰曲輪、現在はその下に真っすぐ降りて行く踏み跡が有りますが当時、道は無かったような気がします。
城跡から林道の峠の様な所まで戻り、集落へは戻らずそのまま林道を進むとカタクリの群落地に出ます、そこを通り過ぎて進みます。
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城跡から林道の峠の様な所まで戻り、集落へは戻らずそのまま林道を進むとカタクリの群落地に出ます、そこを通り過ぎて進みます。
このあたりから榎峠方向を見ると林の木々の芽吹きが間近な雰囲気が感じ取れます、それと同時に雑木林の上の杉林の花粉のオレンジ色が気になります、この後目指すは雑木林の後ろに見えるガードレールの車道です、二股に分かれた林道を左側に進むと林道はすぐに行き止まりですがその先は平地になります、グーグルストリートビューでは藪原になっていたところで藪漕ぎを覚悟していましたが、綺麗に整地されて桜の苗木が植えられており難なく車道に出る事が出来ました。
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このあたりから榎峠方向を見ると林の木々の芽吹きが間近な雰囲気が感じ取れます、それと同時に雑木林の上の杉林の花粉のオレンジ色が気になります、この後目指すは雑木林の後ろに見えるガードレールの車道です、二股に分かれた林道を左側に進むと林道はすぐに行き止まりですがその先は平地になります、グーグルストリートビューでは藪原になっていたところで藪漕ぎを覚悟していましたが、綺麗に整地されて桜の苗木が植えられており難なく車道に出る事が出来ました。
車道に出て少し集落方向へ戻り樋口配水場の前から榎峠への旧道(山道)に入ります。
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車道に出て少し集落方向へ戻り樋口配水場の前から榎峠への旧道(山道)に入ります。
林の中を登って行くと程なく1回目の車道とのクロスポイント、旧道は車道を挟んでほぼ向かい側を登って行きます、少し登った所から振り返るとカーブミラーの左の辺りが出てきた所です。
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林の中を登って行くと程なく1回目の車道とのクロスポイント、旧道は車道を挟んでほぼ向かい側を登って行きます、少し登った所から振り返るとカーブミラーの左の辺りが出てきた所です。
2回目の車道とのクロスポイント、右の杉林の中から出てきて車道を渡り左斜め上に登って行きます、道標が腐って支柱の根元に落ちていました。
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2回目の車道とのクロスポイント、右の杉林の中から出てきて車道を渡り左斜め上に登って行きます、道標が腐って支柱の根元に落ちていました。
榎峠までは一気に登れる距離です、車道脇に峠名の標柱が有りました。
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榎峠までは一気に登れる距離です、車道脇に峠名の標柱が有りました。
登ってきた山道のすぐ脇に陣見山への山道の入り口があります、そこから一山超えて下ると再び車道に出ます、榎峠へ登る途中に横切った車道が林道陣見山1号線と合流する所で長瀞八景の看板が立っています。
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登ってきた山道のすぐ脇に陣見山への山道の入り口があります、そこから一山超えて下ると再び車道に出ます、榎峠へ登る途中に横切った車道が林道陣見山1号線と合流する所で長瀞八景の看板が立っています。
長瀞八景と言うだけあり長瀞方向の景色が良く見えます、ドンと中央に宝登山、その奥に三つほどあるピークは三峰神社から雲取山へと延びる稜線の様です、その稜線の左奥に小さくコブの様に見えるのが雲取山だと思います、右端で台形状に見えるのが飛竜山でしょうか。
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長瀞八景と言うだけあり長瀞方向の景色が良く見えます、ドンと中央に宝登山、その奥に三つほどあるピークは三峰神社から雲取山へと延びる稜線の様です、その稜線の左奥に小さくコブの様に見えるのが雲取山だと思います、右端で台形状に見えるのが飛竜山でしょうか。
宝登山の左には美の山(簑山)、奥に武甲山です。
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宝登山の左には美の山(簑山)、奥に武甲山です。
車道を横切り再び陣見山への山道に入ります。
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車道を横切り再び陣見山への山道に入ります。
稜線上の途中一か所北側の展望が開ける所がありました、今回のコースでは北側の山は見られないと思っていたので嬉しいサプライズです、左から平標山、二つピークが有るのが仙ノ倉山、その右がエビス大黒ノ頭、右端の大きな三角が万太郎山。
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稜線上の途中一か所北側の展望が開ける所がありました、今回のコースでは北側の山は見られないと思っていたので嬉しいサプライズです、左から平標山、二つピークが有るのが仙ノ倉山、その右がエビス大黒ノ頭、右端の大きな三角が万太郎山。
赤城山越しに武尊山も見えました。
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赤城山越しに武尊山も見えました。
そこから少し進むと今度は南西方向に八ヶ岳が、赤岳は手前の山の陰で見えるか見えないか程度ですがその右に主稜線越しに阿弥陀岳、その右に横岳で合っているでしょうか。
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そこから少し進むと今度は南西方向に八ヶ岳が、赤岳は手前の山の陰で見えるか見えないか程度ですがその右に主稜線越しに阿弥陀岳、その右に横岳で合っているでしょうか。
この辺りは明るい稜線が続きます。
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この辺りは明るい稜線が続きます。
杉林の中に入り少し進むと岩谷洞への分岐が現れます、グーグルマップで気になっていたので見に行きます。
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杉林の中に入り少し進むと岩谷洞への分岐が現れます、グーグルマップで気になっていたので見に行きます。
道標によると稜線から下り10分、想像していたよりぐんぐん高度を下げますので途中少し後悔の念がよぎります、石仏が沢山ある所に出てその奥が岩谷洞の様です。
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道標によると稜線から下り10分、想像していたよりぐんぐん高度を下げますので途中少し後悔の念がよぎります、石仏が沢山ある所に出てその奥が岩谷洞の様です。
洞の中にも沢山の石仏がおわしました、ここから降りてきた道を登り返して稜線に戻ったのですが、洞の前を過ぎて少し登ると岩谷洞奥の院がありそのまま陣見山頂上近くまで登る道が有った様です、奥の院は見落としました。
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洞の中にも沢山の石仏がおわしました、ここから降りてきた道を登り返して稜線に戻ったのですが、洞の前を過ぎて少し登ると岩谷洞奥の院がありそのまま陣見山頂上近くまで登る道が有った様です、奥の院は見落としました。
岩谷洞分岐からすぐに陣見山頂上です、最近の皆さんの山行記録を見ていなかったので昔の木に囲まれて展望の無い残念な山頂のイメージで来てみるとサプライズがありました。
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岩谷洞分岐からすぐに陣見山頂上です、最近の皆さんの山行記録を見ていなかったので昔の木に囲まれて展望の無い残念な山頂のイメージで来てみるとサプライズがありました。
頂上直下東斜面の杉林がまさに今木材として出荷中です、その結果の大展望に只々感動するばかりでした。
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頂上直下東斜面の杉林がまさに今木材として出荷中です、その結果の大展望に只々感動するばかりでした。
このまま通過するには勿体なく、テレビ埼玉の電波塔の北側にある電波塔(東京電力のかな?)の先まで進み早目の昼休憩を取る事にしました、北方向は赤城山の東半分から日光連山が良く見えます。
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このまま通過するには勿体なく、テレビ埼玉の電波塔の北側にある電波塔(東京電力のかな?)の先まで進み早目の昼休憩を取る事にしました、北方向は赤城山の東半分から日光連山が良く見えます。
アップにすると足尾山地に日光の山々が素晴らしい。
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アップにすると足尾山地に日光の山々が素晴らしい。
目を下に向けると右端に写っているチサンのゴルフ場がある丘陵地帯の陰から出てきた上越・北陸新幹線が北へ向かって走っていく姿が見られます、その下に見られる薄緑色のアーチ橋は行田浄水場から送られてくる県北向けの水道水が志戸川を越える水道橋です。
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目を下に向けると右端に写っているチサンのゴルフ場がある丘陵地帯の陰から出てきた上越・北陸新幹線が北へ向かって走っていく姿が見られます、その下に見られる薄緑色のアーチ橋は行田浄水場から送られてくる県北向けの水道水が志戸川を越える水道橋です。
少し目を右に向けると太平洋戦争後に開拓が始まった櫛挽台地の開拓地を守るための防風林の筋が良く見えます、その奥のオレンジの屋根が深谷市のごみ焼却場の熱を利用している屋内温水プール施設のアクアパラダイス パティオ、その右奥に二本の煙突から煙が出ている所は熊谷市のごみ焼却場、こちらは高齢者が入浴できる福祉施設が有ります。
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少し目を右に向けると太平洋戦争後に開拓が始まった櫛挽台地の開拓地を守るための防風林の筋が良く見えます、その奥のオレンジの屋根が深谷市のごみ焼却場の熱を利用している屋内温水プール施設のアクアパラダイス パティオ、その右奥に二本の煙突から煙が出ている所は熊谷市のごみ焼却場、こちらは高齢者が入浴できる福祉施設が有ります。
西の方向を見ると空気が澄んでいれば見える筑波山が霞んで良く見えません。
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西の方向を見ると空気が澄んでいれば見える筑波山が霞んで良く見えません。
望遠レンズでアップにしても何となく見えるかなという程度、近い所では右寄りに白く見えるのが彩の国くまがやドーム、その手前の高い煙突が有るのが太平洋セメント(株) 熊谷工場です。
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望遠レンズでアップにしても何となく見えるかなという程度、近い所では右寄りに白く見えるのが彩の国くまがやドーム、その手前の高い煙突が有るのが太平洋セメント(株) 熊谷工場です。
昼休憩を終えて波久礼方向に下り始めます、振り返って見通しの良くなった陣見山山頂をもう一度確認しましたw
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昼休憩を終えて波久礼方向に下り始めます、振り返って見通しの良くなった陣見山山頂をもう一度確認しましたw
下り始めてすぐに林道陣見山1号線に出ます陣見峠です、
林道を車で来てここから頂上まで5〜10分登って(個人差があります)手軽に大展望が楽しめる様になりました、右手方向に道幅が広くなっていて何台か駐車出来る所があります。
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下り始めてすぐに林道陣見山1号線に出ます陣見峠です、
林道を車で来てここから頂上まで5〜10分登って(個人差があります)手軽に大展望が楽しめる様になりました、右手方向に道幅が広くなっていて何台か駐車出来る所があります。
陣見峠から一度大きく下りやがて緩やかに下って行くと大槻峠に到着です、ここからは車道へ出る連絡路もあります、いよいよ虎ヶ岡城址へ登り返しです。
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陣見峠から一度大きく下りやがて緩やかに下って行くと大槻峠に到着です、ここからは車道へ出る連絡路もあります、いよいよ虎ヶ岡城址へ登り返しです。
虎ヶ岡城址の西尾根には三本の堀切が有り最初の堀切に到着、それ程深くない堀切です。
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虎ヶ岡城址の西尾根には三本の堀切が有り最初の堀切に到着、それ程深くない堀切です。
二本目の堀切はやや立派です。
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二本目の堀切はやや立派です。
三本目の堀切はかなり立派で虎ヶ岡城址最大の堀切の様です、ここを過ぎるといよいよ主郭です。
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三本目の堀切はかなり立派で虎ヶ岡城址最大の堀切の様です、ここを過ぎるといよいよ主郭です。
主郭には東屋が有り北側の展望も開けています。
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主郭には東屋が有り北側の展望も開けています。
波久礼へは南側の尾根を降って行きますがその前に東尾根の遺構を見に行きます、こちらには二本の堀切が有ります、最初の堀切はかなりの高度感が有ります。
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波久礼へは南側の尾根を降って行きますがその前に東尾根の遺構を見に行きます、こちらには二本の堀切が有ります、最初の堀切はかなりの高度感が有ります。
二本目の堀切も最初の堀切と同じくらいの深さがあり見事です、この先の曲輪の先に井戸跡らしき遺構が有るようですが登り返しが大変そうなので今回はここまでにして主郭へ戻ります。
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二本目の堀切も最初の堀切と同じくらいの深さがあり見事です、この先の曲輪の先に井戸跡らしき遺構が有るようですが登り返しが大変そうなので今回はここまでにして主郭へ戻ります。
南の尾根の主郭下の曲輪、全体的に城域が広く寄居の鉢形城の支場で鉢形城と同時に攻められた戦国の城という緊張感が伝わってきます、ちなみに攻め落としたのは真田昌幸だそうです。
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南の尾根の主郭下の曲輪、全体的に城域が広く寄居の鉢形城の支場で鉢形城と同時に攻められた戦国の城という緊張感が伝わってきます、ちなみに攻め落としたのは真田昌幸だそうです。
南側の曲輪からは階段が続く急降下です、この尾根沿いに攻め上がるのは担当したくない攻め口だと降りながら思いました。
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南側の曲輪からは階段が続く急降下です、この尾根沿いに攻め上がるのは担当したくない攻め口だと降りながら思いました。
後は緩やかな下りの尾根を亀の井ホテル長瀞寄居の脇の登山口まで一気に降ります、途中古峰神社のお札が祀ってある祠が有りましたが由緒は不明です。
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後は緩やかな下りの尾根を亀の井ホテル長瀞寄居の脇の登山口まで一気に降ります、途中古峰神社のお札が祀ってある祠が有りましたが由緒は不明です。
波久礼駅に到着、今回はヤマレコのログはここで終了、秩父鉄道で一駅秩父方向に戻り樋口駅から岩田地区公園へ戻ります。
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波久礼駅に到着、今回はヤマレコのログはここで終了、秩父鉄道で一駅秩父方向に戻り樋口駅から岩田地区公園へ戻ります。
樋口駅から荒川を渡る際朝は日影になっていた川筋が良く見えました、長瀞の岩畳から大分下流になりますが所々に岩がむき出しの所が有るのを初めて知りました。
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樋口駅から荒川を渡る際朝は日影になっていた川筋が良く見えました、長瀞の岩畳から大分下流になりますが所々に岩がむき出しの所が有るのを初めて知りました。
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