記録ID: 7009882
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無雪期ピークハント/縦走
磐梯・吾妻・安達太良
吾妻連峰縦走(東吾妻山〜西吾妻山)
2004年10月16日(土) 〜
2004年10月17日(日)


- GPS
- 12:54
- 距離
- 25.6km
- 登り
- 1,624m
- 下り
- 1,380m
コースタイム
天候 | 16日:晴れ 17日:快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2004年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス タクシー
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
復:天元台−白布元湯(リフト・ロープウェイ) 白布元湯−米沢駅(バス) |
写真
1日目。
福島駅からタクシーに乗って午前6時30分に浄土平に着く。まず、標高1707mの吾妻小富士に登る。整備された道を5分ほどで火口を取り囲む稜線上に立った。
振り返ると浄土平が一望の下だった。左手の湿原の向こうに見えるのはこれから行く東吾妻山。浄土平の右手には一切経山が蓬莱山を挟んで東吾妻山と対峙している。 吾妻小富士の頂上は火口を挟んでちょうど反対側だったのでその登頂は割愛した。
福島駅からタクシーに乗って午前6時30分に浄土平に着く。まず、標高1707mの吾妻小富士に登る。整備された道を5分ほどで火口を取り囲む稜線上に立った。
振り返ると浄土平が一望の下だった。左手の湿原の向こうに見えるのはこれから行く東吾妻山。浄土平の右手には一切経山が蓬莱山を挟んで東吾妻山と対峙している。 吾妻小富士の頂上は火口を挟んでちょうど反対側だったのでその登頂は割愛した。
7時ちょうどに2日分の食料で重くなったリュックを担いでいよいよ吾妻連峰の縦走開始です。最初に目指すのは東吾妻山。天文台とビジターセンターとの間をとおり、広い駐車場を横切って登山道に入る。
登ること20分ほどで道は平坦になり、やがて東吾妻山と蓬莱山との間の広々とした鞍部に出る。このあたりは樹木が少なく見通しがよい。青空を背にした台地に向かって、笹原の中に木道が続いている。
十字路を左に折れて東吾妻山に向かってしばらく歩いたところでリュックを道端に置いて山頂を目指す。道はそれほど急でもなくドンドン距離を稼ぐことが出来る。そのうち前方が明るくなったと思う間もなく、突然樹林が切れてハイマツ帯に飛び出した。
その右には前大巓から続く赤茶けた一切経山が大きく横たわっていた。一切経山の彼方に見える山並みは蔵王連峰。
10月の東北の山はさすがに寒く、眺めに見とれている間に体が冷えてきたので、8時45分に山頂を辞す。
10月の東北の山はさすがに寒く、眺めに見とれている間に体が冷えてきたので、8時45分に山頂を辞す。
空身の軽さでドンドン下って行き、途中でリュックを回収して9時10分に十字路に戻る。つぎは十字路をそのまま真っ直ぐに進んで鎌沼に向かう。
しばらく木道を行くと湖畔沿いの遊歩道と合流する。鎌沼の向うに見える一切経山目指してその遊歩道を行く。
しばらく木道を行くと湖畔沿いの遊歩道と合流する。鎌沼の向うに見える一切経山目指してその遊歩道を行く。
酸ヶ平を通り抜けて避難小屋には9時40分に着いた。一切経山への登りはこの酸ヶ平小屋から始まる。取付きの結構急な道もしばらくの間で、15分ほどで稜線に出る。振り返ると酸ヶ平や鎌沼の景色が素晴らしい。しかし全体的に緑色が支配的であまり秋らしい感じがしない。
一切経山の山頂も東吾妻山と同じように広々として眺めがよい。山頂の北側に行くと眼下に五色沼を見下ろすことが出来た。今日は曇り空のため湖面の眺めも今一つだが、それでもコバルトブルーの水面は神秘的な感じがした。
空模様は相変わらず曇りがちだが西の方には青空が見え、その下には遙かに西吾妻山から東大巓にかけてのたおやかな山並みが望まれた。あんなに遠くの稜線まで本当に踏破することが出来るのだろうかと、長大な山並みを縦走する時の不安感がいつものように頭の中を横切る。
中大巓の右手遠くには飯豊連峰の姿も望まれた。頂上にはひっきりなしに人がやってくるので早々に立ち去ることにして次の目的の家形山に向かう。
中大巓の右手遠くには飯豊連峰の姿も望まれた。頂上にはひっきりなしに人がやってくるので早々に立ち去ることにして次の目的の家形山に向かう。
一切経山の北斜面を駆けるようにして下って行くとすぐに樹林帯に入る。その樹林帯を抜け、右手に五色沼を見ながら鞍部を行き、一登りすると標高1877mの家形山の頂上だ。10時50分に着く。
吾妻山の名前の元となったと言われる家形山の山頂からは福島市内が一望できた。
吾妻山の名前の元となったと言われる家形山の山頂からは福島市内が一望できた。
家形山から先は樹林の中の道になり周囲の展望とはしばらくお別れだ。一切経山を越えると人の数はグンと減るが、さらに家形山から先は殆ど人影を見ることはない。
五色温泉方面への分岐点を過ぎて烏帽子山との鞍部の平坦な道を行き、11時25分に滑川温泉へ下る道との分岐点の兵子に着く。
五色温泉方面への分岐点を過ぎて烏帽子山との鞍部の平坦な道を行き、11時25分に滑川温泉へ下る道との分岐点の兵子に着く。
帽子山山頂の東側は樹林に覆われているが、西側は遮るものが無く眺めがよい。目の前には全山樹林に覆われた昭元山が立ちはだかっており、その頂上を越えて行くには一汗も二汗も掻くことになりそうな感じがした。昭元山の背後には西吾妻の山々が波打つように連なっている。
烏帽子山から東大巓を見る。今日泊まる明月荘はあの山の向こう。まだまだ遠い。早朝からの山歩きでお腹も空いてきたのでここで昼食をとることにした。
岩がゴロゴロした山頂は風が冷たく寒い。簡単な食事を済ませてから昭元山に向かう。
岩がゴロゴロした山頂は風が冷たく寒い。簡単な食事を済ませてから昭元山に向かう。
烏帽子山からの下りは、登ってきた薄暗い樹林の道とは対照的な明るいハイマツ帯の岩の道だった。眼下の鏡沼を目指して急降下し、ほどなく樹林の中の鞍部に着く。鞍部からほぼ下った分を登り返して午後1時5分に標高1893mの昭元山に着いた。
昭元山の急坂を下り、東大巓への緩やかな道を登って行く。樹林の丈が低くなり草地が見られるようになって、1時50分に谷地平から登ってくる大倉新道と合流する。さらに木道を辿り、池塘が点在する湿地帯を登って2時10分に標高1929mの東大巓の頂上に着く。
東大巓山頂直下の湿原から越えてきた山々を振り返る。手前から昭元山、烏帽子山、家形山。その右には一際高く一切経山。
東大巓山頂から平坦な木道をしばらく行くと明月荘を経て立岩へ下る道の分岐点に着いた。明日の行程の西吾妻方面への道を左に分けて明月荘への平坦な木道を進んで行く。流れる霧の切れ間から遠くに広大な弥兵衛平湿原が見える。東吾妻山から一切経山にかけての東吾妻一帯の景色とは全く違った雄大な景観を目の当たりにして、遙々と来てよかったと思うのだった。弥兵衛平小屋とも呼ばれる明月荘には2時30分に着いた。
東大巓山頂から平坦な木道をしばらく行くと明月荘を経て立岩へ下る道の分岐点に着いた。明日の行程の西吾妻方面への道を左に分けて明月荘への平坦な木道を進んで行く。流れる霧の切れ間から遠くに広大な弥兵衛平湿原が見える。東吾妻山から一切経山にかけての東吾妻一帯の景色とは全く違った雄大な景観を目の当たりにして、遙々と来てよかったと思うのだった。弥兵衛平小屋とも呼ばれる明月荘には2時30分に着いた。
2日目。
秋の東北の高山ということもあり昨夕からかなり冷えてきたので寝るときはセーターを着込んだが、夜半からの冷え込みはそんなものではとても防げるものではなかった。そのうえ外では強風が吹き荒れて凄まじい風の音がしていた。
あまり寝られないうちに午前4時を回ったので外に出て空を見上げると降るような凄い星空だった。星の一つ一つが大きくキラキラと輝いている。まともに空を見上げるのが怖くなってくるほどだった。強風もいつの間にか止んでいた。
好天気を確認して小屋に戻り、5時近くになったので朝食の支度を始める。そのうちまわりの人もようやく起き始めた。
朝食を終えて小屋の外に出ると既にまわりは明るくなっていた。風もなく絶好の天気だが、その分冷え込みは厳しく冷たい空気には冬の匂いがした。5時45分に一晩お世話になった小屋にお別れをして昨日来た道を戻る。
秋の東北の高山ということもあり昨夕からかなり冷えてきたので寝るときはセーターを着込んだが、夜半からの冷え込みはそんなものではとても防げるものではなかった。そのうえ外では強風が吹き荒れて凄まじい風の音がしていた。
あまり寝られないうちに午前4時を回ったので外に出て空を見上げると降るような凄い星空だった。星の一つ一つが大きくキラキラと輝いている。まともに空を見上げるのが怖くなってくるほどだった。強風もいつの間にか止んでいた。
好天気を確認して小屋に戻り、5時近くになったので朝食の支度を始める。そのうちまわりの人もようやく起き始めた。
朝食を終えて小屋の外に出ると既にまわりは明るくなっていた。風もなく絶好の天気だが、その分冷え込みは厳しく冷たい空気には冬の匂いがした。5時45分に一晩お世話になった小屋にお別れをして昨日来た道を戻る。
6時10分に縦走路に合流し、東大巓の山頂を巻くようにして進んで行くとやがて広々とした弥兵衛平に出た。 その弥兵衛平の中を木道が一直線に敷かれており、その果てには西吾妻山から中大巓にかけてのたおやかな山並みが真っ青な空を背景にして一面に朝日を浴びていた。
中大巓との鞍部あたりを過ぎるころからようやく陽が差すようになってまわりが急に明るくなる。鞍部から緩く登って行くとほどなく大平温泉への分岐点に着く。時刻は6時50分。道標には籐十郎と書かれてあった。
やがて“いろは沼”と呼ばれる池塘群が現れ、そこを過ぎると道は少し急な登りとなって人形石に向かって行く。 地面から突き出た岩が点在する人形石の一角に7時35分に着く。高所に来るとさすがに風が冷たい。
また東大巓の右手には昨日歩いてきた東吾妻の山々が青い影となって続いていた。吾妻連峰の中心にある東大巓はその山頂こそ樹林に囲まれて展望は利かないが、頂上から緩やかに四方に延びる広大な斜面には弥兵衛平のように草原や池塘などが随所に点在し、山全体が高原のような印象を受ける。平ヶ岳や会津駒、巻機山などの上会越の山の雰囲気に近い。
そこからさらに進んで行くと今度はもっと広い開けた台地に出た。その端の方には大きな岩が積み重なっており、その上には“吾妻山高度指導標1963.6m”と書かれた標柱が立てられてあった。ここが人形石と言われるところのようだった。
大凹へ下り着いたあとは木道を坦々と歩く。底部の真ん中付近で小休止してから先に進み、8時15分に水場を過ぎると今日一番の急登が始まるが、それも見かけほど長くはない。一汗掻いて樹林帯から抜け出て梵天岩に近づくとまたまた湿原の中に池塘が点在するところに出る。
梵天岩の手前で少し登山道を外れて池塘のそばで東吾妻の山々を眺める。昨日の朝、右端の東吾妻山を出発した小さな点が、一切経山、家形山、烏帽子山、昭元山、東大巓、中大巓と幾つもの頂きを越えてここまでやってきたのだった。
梵天岩から岩の多い道をしばらく行くと岩がゴロゴロと積み重なった明るく開けた台地に出た。天狗岩と呼ばれるところで、その端の方には吾妻神社の祠が建っている。祠の右手遠くには青い空の中に山頂部が白くなった飯豊連峰がくっきりと見えた。
天狗岩から少し下って窪地を行き、オオシラビソの中を登り返して9時5分に標高2035mの西吾妻山の頂上に辿り着く。この山頂は吾妻連峰の最高峰であり、またこの山行の終着点でもあったが、樹林に囲まれて展望が全く利かないのは残念なことであった。
帰りは中大巓まで戻ってリフトで降りることにした。西吾妻小屋を後にして吾妻神社のある天狗岩には9時55分に着く。吾妻神社から飯豊連峰の雄大な姿を眺めてから、梵天岩や大凹、“かもしか展望台”を経てリフト乗り場の北望台まで下った。
感想
東北地方の南部にある吾妻連峰は、ほぼ同じ地域にある飯豊や朝日連峰に匹敵する規模を有しているが、内陸部にあるためか森林と池塘を散りばめた湿原に代表されるように大らかな山容をしている。
また、この山域は磐梯吾妻スカイラインや天元台ロープウェイなどを利用して高所までのアプローチが容易なことから、今回の山行は小屋(無人)泊りの1泊2日としたが、これで連峰の主要なピークを殆ど踏むことが出来た。
2日間の短い山行ではあったが、天候に恵まれて吾妻連峰の魅力を存分に味わうことが出来ました。特に泊まった明月荘周辺の弥兵衛平にその魅力が凝縮されているように感じました。
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