鎌ヶ峰縦走(野麦峠〜鎌ヶ峰〜月夜沢峠)[本州横断シリーズ]


- GPS
- 32:00
- 距離
- 13.2km
- 登り
- 793m
- 下り
- 1,065m
コースタイム
5/2 05:10・1959標高点-09:05月夜沢峠-月夜沢峠林道下山
天候 | 1日〜2日;晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2010年05月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
5/1 ・野麦峠には乗鞍岳からの廃道となってしまった登山路も降りてきている。切り開きがある。 ・野麦峠には石碑(「工女泣きし 野麦峠や いま若葉」)があってその脇に以前『みねの茶屋』という茶屋があったが、今は空き地となっていて車が停められる。 ・野麦峠からは1800m峰にあがる切り開きを登る。雪あり。 ・標高点・1861の頂上は東西に長く樹林の中の踏み跡を拾う。ところどころヤブあり。頂上の西端には5mほどの小岩峰があり、踏み跡らしきものが岩峰基部南側を巻いているように思えるが(雪面のため明瞭ではない)、そこまで行くと行き過ぎ。岩峰を認めたら早めに南に派生する尾根(=辿るべき尾根)を探すこと。樹林帯で見通しが利かず尾根を探しにくい。特にガスのときには要注意。 ・・1861を過ぎたコル先に2本目の送電線が横切っており好展望。乗鞍岳が見える。 ・快適な雪面にステップを刻み、塩蔵(三等三角点)は樹林中の小ピーク。展望はない。わずかに赤布がピークであることを示しており三角点の標石は雪の下だ。 ・ここからはまっすぐいくつかのコブを乗り越えながら南下するのみであり迷うことはないだろう。 ・1970m地点や、2065m地点にもコブがあり、地形図で見るより細かいコブがある。 ・鎌ヶ峰のひとつ手前のほぼ鎌ヶ峰と同じ高さのコブの下りは急なヤブとなっており、良く赤布を探すこと。ほぼ県境ぞいにまっすぐ下っており、迷ったらまっすぐだ。 ・2065mピークでは前穂高岳の展望が良い。 ・鎌ヶ峰の頂上は樹林中。雪が1〜2mほど積もっており、2等三角点の標石も雪の下。また頂上を示す人工物もまったく見当たらず原始の姿を保っている。ここまで主に東側に張り出した雪の上を拾って登降する。 ・鎌ヶ峰からは南への尾根に迷わないために約160歩ほど歩数を数えたあと東に向かう。 ・藪のない快適な大斜面が展開しているが、雪が腐っていてアイゼンが団子になる。一歩一歩ダンゴを落としての下降に体力を消耗する。 ・標高点・1974のあたりも雪原となっているが、標高が下るに従い、雪が減りササが優勢となってくる。 ・標高点・1959の手前のコルで本日の登山活動を終了。15:20だった。御岳の勇姿が美しい。 5/2 ・月夜沢峠を目指し朝5時過ぎに出発。 ・・1959の下りは緩やかな快適な下りだが、ササが優勢となってくる。 ・1860mのコブから尾根は北に向きを変える。・1959からの下りにしてもこのくだりにしても国土地理院の地形図とよく相談して道迷いを防止することが必要だ。 ・1800mあたりからはササ原に雪田が散在するという状況になりササ藪が厳しい。 ・体力を消耗しないように雪田を繋げて歩くがそれも難しく再び尾根が北から東に向かうあたりは猛烈な笹薮漕ぎとなる。 ・標高点・1861の登りは石楠花も登場してやっかいな藪となる。尾根が細いところではかすかに踏み跡も認められるが、楽になるほどではなく重荷に喘ぐ。 ・標高点・1861の西端は一部展望が開ける。 ・標高点・1861の下りは急な100mの下り。藪をかきわけ東北東を目を凝らすと階段上に下れる尾根が現れる。 ・下りきったところは細長い快適な樹林の尾根。 ・このあたりはまったく雪がない。 ・標高点・1834もコンパスを見て東進し、樹林とササの猛烈な藪を一気に下る。下に月夜沢林道を認めるようになると少し切り開きが出てくる。 ・切り開きに従い、下ると誰もいない月夜沢峠だった。前穂高の好展望。 ・ここより月夜沢林道を経て赤田沢に下った。 |
写真
感想
■山行記録(野麦峠〜鎌ヶ峰〜月夜沢峠縦走〔本州横断の旅〕)
・日時:2010年5月01〜02日(日)
・パーティー:H2O・junjapa〔いやしい探検隊〕
本州横断の山旅として挑戦した雪の乗鞍岳(安房峠〜乗鞍岳〜野麦峠)のプランは調べてみると平成6年のこと、かれこれ16年の前のことだ。自分はまだ35歳だったし、H2O氏もまだ45歳という若さだったわけで、年月の進む早さには驚くばかりだ。しかし歳月は経ても夢までが齢を重ねるわけではない。夢はいつでも永遠だし、いつまでも輝き続ける。
そんなわけで卑しい探検隊復活、途切れていた本州横断の旅がまたスタートしようとしている。地形図を見ては溜息を付いていたこの尾根に新たに足跡が残されようとしている。この喜びは何にも変えがたい。
本州の横断の旅・・・去年の年末から今年の冬、単独行でカバーできる尾根筋は可能な限りトレースをしていった。横断コース上にある安倍奥の山々は機関銃のようにして追い続けた。
H21.12.06 梅が島温泉―安倍峠―大光山―安倍の大滝―梅が島温泉
H21.12.13 中ノ段―上十枚山―大光山―上十枚山―十枚峠―中ノ段(H2O氏とともに)
H22.01.31 有東木(葵高原)―地蔵峠―十枚峠―地蔵峠―仏谷山―細島峠―青 笹山―有東木(葵高原)
H22.02.06 平野―真富士峠―第一真富士山―青笹山―有東木(葵高原)
H22.02.14 平野―真富士峠―第二真富士山―龍爪山―若山―牛妻坂下
ともあれ、この3月の3連休にH2O氏の退職祝いも兼ねてトライしようとしていた野麦峠〜境峠のプランだったが、天気が悪くH2O氏の提案で中止したのであった。中止は正解であのまま決行していたら遭難してたかも知れない。
ということでこの春爛漫の5月の連休に満を持しての縦走プランとなったのである。H21.12.13にH2O氏と一緒に安倍奥を縦走して以来、自分自身には3.01付けでYM工場への転勤があり、また、H2O氏はシニア契約が終了して3.31に晴れて退職となるなど、それぞれの一身上の変化があるなどしたが、その夢の実現にはいささかの揺るぎもなかった。
「4/30の夜に中央高速のSAに集合し一台で・・・」という提案をしたが、事前のタクシー会社への調査で境峠まで縦走が完了してもそこから野麦峠に戻るのに7000円〜8000円かかるという情報を得たところ「それはいけません!高すぎます!」(H2O氏)ということで“2台で行きましょう”という提案となり、結局、諏訪湖SAで午前3時の待ち合わせとなったのである。
そのまま諏訪湖から伊那北を下り、権兵衛峠トンネルを越えてまずは境峠へ。
境峠への登りでナンと雪が降ってきた。ありえねー!境峠でjunjapaは車を下り、すべての道具をH2O車へ。ついでにH2O氏の退職祝いのおいしいワインをお渡しした。真夜中の境峠での突然のお渡しとはこれまたナンと卑しい探検隊ぽいのだろう!(笑)
寄合渡を経て野麦峠へと登っていくとますます雪が!到着した野麦峠は肌寒く、ガスがあたりを閉じ込めて何ともわびしい情景。ふたりとも何となくしょぼくれてしまい、しばらく仮眠とする。
しかしこの峠を女工たちが越えていったのだ。O氏によれば、女工哀史は、ことさらに悲劇的に描かれているのではないか、仕事が保証されているだけ良かったのではないか。今のフリーターたちの方がよっぽど悲惨なのではないかなどと話をする。
30分ほど寝ると天候も回復傾向。そのうちに飛騨側から軽自動車があがってくる。あとで気がついたが、写真を趣味とする人だったようだ。ちょっと寝たあと、私は200円あまりの半額になったコンビニ弁当、O氏は愛妻Z子さんのお握りを無心に頬張る。
さて出発だ。
6:20明るくなり天気も良くなった野麦峠は春の装いだ。今後、高気圧が迫り天気はどんどん良くなるだろう。南方を見ると右に張り出した尾根がありその上に東屋がちょこねんと乗っているがそれを右に睨みながら目の前の鎖のはった切り開きを登り始める。
6:35(実働15分) 登りが急になったところでH2O氏がやはりピッケルが要る!といい出し、車に取りに戻ることになった。出発直前、ピッケルとアイゼンを持参するかどうかで議論した。「アイゼンは持参する」と私が主張しO氏がそれに従った、ピッケルはO氏が不要としてそれに同調したのであるが、縦走を終えた今振り返れば両方とも必携だったというのが結論。置いていくのはあり得ない。藪山といえども舐めてはいけない。
6:50 H2O氏が車から戻ってくる。再び重いザックを背負い登り始める。天気はどんどんよくなっていく。
7:10(実働累計35分)送電線が超えている最初の1800m峰を超えた先の鞍部で一本。展望が良い。
7:20発。そこから標高差100mあまりを登り、標高点・1861を超える。ここは東西に細長いピークとなっており、東から取り付いて西端に行きつく直前に南の方向に低く張り出している尾根に乗る。藪と樹林のミックスでありかつ切り立っているためにピークの南側を尾根を探しながら進むといったことができない。頂稜部をスムーズに進むことも簡単ではない。頂稜部西端は高さが20mほどの小岩峰となっており北側基部には踏み跡らしきものがあり、思わず進んでしまうが、左に目を凝らすと乗るべき尾根が見当たらない。後ろを進むO氏に尾根を見てもらうとやはり行き過ぎている。急遽戻ることにする。こういうときは一瞬、パーティーにも緊迫感が生まれ、突破するべき一点に向かって全員が集中する。この連帯感がなかなかいい。尾根を発見し、篠原が先行し、H2O氏に呼子で合図する。
8:25(実働累計1:40)尾根に乗ったあと少し登って2本目の送電線の鉄塔小ピークで一本。乗鞍岳が素晴らしい容姿をわれわれに見せ付けてくれているが、鎌ヶ峰にはまだまだ遠くいくつもの峰頭がわれわれを待ち構えている。乗鞍岳をと見ると自分たちが16年前に辿った尾根やルートが目で追える。素晴らしい・・・!あれは確かに自分たちのものだ。
8:40発 そこからは雪面を三等三角点のある塩蔵(1958m峰)に向かって直登する。
9:15塩蔵着(実働累計2:15)。樹林の中のピーク。赤テープ以外にピークを示す痕跡はない。三等三角点は雪の下だ。H2O氏に写真を撮ってもらう。
9:25発 地図では緩やかな尾根を登っていくことになっている。がひとつひとつの登り下りがやっかいだ。
10:00 1970mピーク着(実働累計2:50)まだまだ先は長い。主に雪面と藪のミックス。天気は良く野麦峠スキー場や鉢森山が眼前に“大展開”している。
10:10 発
10:50 2065m地点着(実働累計3:30)樹林中のピーク。槍が見える!というとH2O氏は「はあ、槍ですか・・・」といいつつさかんにカメラを構える。しかし何かがおかしい、よく見るとそれは槍ではなく前穂だったのである。あれは前穂ですね・・・あ、前穂ですか。それにしてもまだまだ鎌ヶ峰へはもうひとつコブを越さねばならない。
11:10 発。2120m峰を越えた下りはかなり急。このあたりは赤テープがかなりあるが、要するに尾根上をまっすぐ下るルートだ。
11:50着 2120m峰と鎌ヶ峰の鞍部で一本(実働累計4:10)疲れ始める。当初は、正午までには鎌ヶ峰に到着したいと願っていたが、それも無理となった。
12:00発
12:30鎌ヶ峰(2121m)着。(実働累計4:40)樹林に覆われた雪のピーク。岐阜百山。Webでは山名表示板があるなどの情報があったが、雪に覆われているせいか人工的なもの一切なし。2等三角点の標石も今は雪の下だ。H2O氏はこの自然のままの何もないピークの状況がとても素晴らしい!と絶賛している。写真を撮る。カフェオーレを飲む。うまい!カレーパンを食べる。まずい!温度はマイナス2度。風が吹く。O氏が購入したGPSを覗いてみるとなんと現在位置が鎌ヶ峰とずれたところに表示される。O氏が一瞬「鎌ヶ峰とは違うピークに登ったんではないか?」といい緊迫感が走る。が、それもありえないし、実際にGPSは、現在位置の表示がずれることはよくあるから、何度かやっているうちに表示されるだろうと待っているとやがてピッタリ鎌ヶ峰の表示の上に現在位置が表示された・・・ほっとした。ここまで実働累計4:40、資料では夏道で4時間とあるから、重荷を考えるとペースとしてはまあまあのスピードだったのかも知れない。結局、ここまでのルートのポイントは2つ目のピークの岩峰の下りと、鎌ヶ峰の直前の2120m峰の急な下りの2点だろう。資料での無雪期の写真を見ると鎌ヶ峰の頂上にも相当なササが繁茂しており、ここまで来るのに相当難渋しそうだ。やはり訪れる季節はこの早春がBestだろう。
13:10 頂上発。ここから岐阜県と長野県の県境はずっと南下していくがわれわれは頂上を東に進む。頂上から125mほど南下したら東に向かわねばならず、一歩を70cmとして、125÷0.7=およそ160歩と踏んだ。実際に数を数えて160歩進むとその左には広々とした大雪面が現れた。これだ!ここからは下りだから気が楽だと話をしていたがトンでもなかった!。午後の日光は雪面を溶かしアイゼンがでっかいダンゴになってしまう。快適な大雪面の下りのはずが恐怖の下り、苦労のくだりとなってしまった。私はこのあたりでCapをなくしてしまった。とほほ。高かったのに・・・。一歩、一歩、ダンゴを落としながら下っていく。消耗戦である。だんだんと疲れてきた。O氏は今回は前回のSilverWeekのときと違って体調はばっちりのようであるが、私は体調がいまいちで重荷に耐えていない。標高差20mのコブを越えるのもひと苦労で、ぜいぜい言いながら登っていく。このあたりの雪面、基本的に気持ちがいい。それほど藪に苦しめられることがない。
14:10 ・1974を越えたコルで一本。(実働累計5:40)疲れたのひとこと。
14:25 発。当初は、少なくとも月夜沢峠まで行きたいなどと言っていたが、トンでもない高望みである。今日はあとひとつかふたつコブを越えたところで幕営だ。ああ早くゆっくりしたい・・・という感じだ。H2O氏は元気いっぱい。ここに来る前に、箱根を3本ほどトレーニングしてきたというし、街中で登山靴を履いていたという。
わたしは、秩父42kmを歩いてきたが、実質は36kmほどだったし、荷物の重さがまるで違う。今日は何kgかはわからないが、個人装備に加え、テント一式に水3.5lをしょっている。食糧も共同・個人ともあるが、荷物の重さのせいにしてはもうこういう山は登れない。
15:05 次のピーク1960m着(実働累計6:20)ササと雪面のミックスを歩きやすいところを狙って進む。15:10 発
15:20 テン場着 場所は・1959の手前のコル。ちょうどテント一張り程度の平地を見つけそこに張る。御岳の勇姿が素晴らしい。16年前、乗鞍岳を下っていたときにも見た御岳の姿だ。あのときは真っ黒なシルエットが覆いかぶさってきた。それを見てO氏は「junjapaさん!富士山が素晴らしい!」。私はそのときH2O氏が高山病にでもかかってしまったのではないか?と心配した(笑)。
さて、今回はjunnjapa新規購入のMontBellのテントと冬張り、グランドシートである。快適だ。冬張りはミニスカート付き。暖かい。ミニスカ好きのH2O氏にも気に入って頂けたと思う。そそくさと一切合財をテントの中に放り込んで、小生持参の白ワインで乾杯!これはH2O氏の退職祝いということもあって、重い荷物の中に忍ばせたのであるが、あまり退職自体はH2O氏は嬉しくないらしい。私には羨ましい限りなのであるが・・・。しかし、おかわりをお願いします・・・といっていたところを見るとワインそのものはお気に入りのようだった。最後には「ワインはすぐなくなるから、今度は濃度の濃いウイスキーをお願いします・・・なんて言っている。それなら自分で持ってきてください!(笑)
ワインとさきいかの組み合わせも絶妙。平地では??ということになるかも知れないが、ここ雲上のリゾートではこの組み合わせもOK
この春、H2O氏の息子も埼玉の病院に就職が決まったなどの話をする。おめでたいことだしH2O氏のワインを飲む顔も満更ではない。H2O氏の自宅に電話したときに電話口に出た息子さんの印象は大変良かった。その話をすると世間の荒波に揉まれてきたからだという。なるほどと思う部分もある。自分の息子も今は就職活動中。いくつかの会社からはES(EntrySheet)すら受け付けてもらえず、またある会社からは最終面接で不合格となるなどなかなか思うとおりに行かない。内定をもらっている会社はどこも今ひとつ。いったいどこの会社に最終的に就職するつもりなのか、そんな山とは関係ない話もそれぞれのオヤジ話として出る。こんなことも将来この縦走プランのBGMとして華を添える時期が来るのかも知れない。もしかしたらこの縦走プランの内容よりも人生に彩りを添える事項としてむしろ思い出として蘇ってくることなのか。
夜はカレーとレトルト米。これもうまい。しかし喰ってしまうと何もやることがない。ラジオの番組もいまひとつ・・・ということで早々と寝る。今日は疲れたから快適な眠りがまた楽しみなのだ。
5/2(日)3時起床、5時発。3時半ということだったが、もう眠れないのかO氏の「起きましょう」の声で起きた。
5:10 発 明るくなった尾根を進み始める。あたりはガスがかかっていて陰鬱な雰囲気。アイゼンがよく効く。・1959ではH2O氏がこっちですよ!と言った方向は南。進むべきは東。危ない危ない!よくふたりで地図と高度を睨めながら合意して進む。緩やかに下っていく尾根は快適。ときどき藪があるが気にならない。やがて高度が1850mを切る高度となってくると、ヤブが優勢になってくる。相当うるさい。
5:45 1800mコル着(実働時間35分)。ここまで高度が下がるとやばい。ササが大勢を占めところどころに雪面が点在するといった感じになり雪面を探し求めて繋げて歩くといった感じになる。場合によってはかなりササの群生を迂回することも必要になり相当疲れる。
6:00 発。このコルからが、厳しい登降の幕開けとなった。ここで、始めて人間のトレースを見つける。こんなところを歩く人がいるんだなぁと嬉しくなる。が、だからといって楽にはならない。1830m峰で直角に北から東に折れるがここの登りはササ登りであって雪がほとんどない。1830m峰(とはいってもちょっとしたコブに過ぎないが)で北側斜面に出会えるので、またその斜面に残っている雪を拾いながら東に進む。目の前には・1861と・1834がそびえている。道のある山なら大したことのない小コブだが、とても大きい障害物に見える。・1861mの登りは厳しい。ヤブの急登りであり、石楠花の枝が邪魔をする。小さな岩場を何とか登りきり、(そこには少し踏み跡らしきものもあった)・1861の西端の肩に到着。このあたりは雪はまったくない。
6:45 ・1861肩到着。(実働累計1:20)乗鞍岳の勇姿が再び目に飛び込んでくる。景色が素晴らしい。鳥が啼いている。鎌ヶ峰はガスで全貌が見えない。・1861の頂上も景色がよくO氏は素晴らしいを連発している。こちらは一杯いっぱいだが、余裕をカマシテいる。こんなヤブ山で素晴らしいを連発する人とはいったいナンでしょうか? 相変わらず雪はない。
6:55発。・1861の下りは約100mの急降 下り始めると5mほど切り開きがありおっ?ふみあと?と思わせるものがあるが、そこから先が密ヤブでしたも見えないが結構切れている!ありゃりゃ。右に行こうとするが、それも下が切れていて駄目。やはりまっすぐ下るっきゃないでしょう。と目の前のヤブを突っ切るとそこには急な階段状の尾根が。階段を丁寧に一段一段下るようにして下りる。このあたりでO氏はストックをなくしてしまったようだ。あの長いストックでヤブ漕ぎは無理がある。雪は一切なし。
7:40 ・1861を下りきったコルで一本(実働累計2:05)樹林の中。雪はこのあたり一切なし。やはり5月の連休では1900m以上ないと雪は厳しい。かりんとうをH2O氏にもらって食す。まいうぅ!。
7:50 発 ・1834mの頂上も樹林の中の笹薮。そこからは激ヤブ。月夜沢峠1700mに向かって130mを一気に下る。それにしてもすごいヤブだ。アイゼンを履いているのは滑らないという意味ではGood!,しかし、足がひっかかるという意味ではBad!
私も一回転の転倒。O氏も一回転転倒。この回転している瞬間、わけがわからなくなるがどういうわけか気持ちがいい!。一瞬でも負荷から解放されるからであろうか。自分の五体をすべて重力にまかせるこの快感!不思議な感覚だ。そのあと立ち上がるのには相当の体力がいるといった代償があるのであるが・・・。下の林道が見え始めるあたりから少し切り開きが出てきてそれを目当てにくだる。峠の切り開きの西側斜面の上には道祖神ともうひとつの石碑が2つ高いところに立っている。
9:05 月夜沢峠着(実働累計3:20)まったく雪はない。結構厳しいヤブで先行きが危ぶまれ、予備日はあるものの使わないとすると2日で抜けるのはむずかしいものとも思われ衆議一決、ここで降りることとした。帰りは月夜沢林道をてくてくふきのとうを摘みながら下山。途中から小生が野麦峠までO氏の車をとりに行き、さらに中央アルプスのふもと駒ヶ根はこぶしの湯で(O氏500円)2日間の厳しい山行きの汗を流したのであった。目の前には島田娘の雪形がきれいに浮かんでいた。
■エピソード
〇エピソード1 ふきのとう
林道にたくさん咲いていた。開いてしまっているのは駄目。つぼみがいい。たくさん食べるものではないがまさに春の味。誰かがすでにかなり摘んでいた。ふきのとうは、大きくなったら蕗になるのだそうだ。当たり前といえば当たり前か。
〇エピソード2 ザック
どうも今回はザックの調子が悪い。左側でしょっていると右側の肩紐が右肩からはずれてしまうのだ。今回、何度か右側の肩紐は二の腕にひっかけながらヤブを漕いでいたという感じだった。アメリカで買って何度かこれで山行はこなしているので初めてではないのだが、荷物が重いとその現象が如実に出るのだろうか。どうもおかしいと思ってよくみてみたら、O氏のザックと比べると明らかに自分のものは肩紐の付け根の間隔が広い。そうかー!アメリカ人用の肩幅で作られていたんだ!家に帰って両肩を見てみたら赤く爛れ裂傷が出来ていた。道理で痛いはずだー!
〇エピソード3 野麦峠の写真
早朝、野麦峠に到着したら広場があってそこに車を停めた。脇に石碑があって「工女泣きし 野麦峠や いま若葉」とある。16年前はこのあたりに茶屋があったとO氏が言う。この石碑の脇で写真を撮ったという。まったく覚えていなかった。帰宅してからH2O氏がそのときの写真を送ってくれた。確かに「みねの茶屋」が写っている。良く覚えていたなぁ。
■感想
・この稜線は標高が低く、5月連休では雪があまり期待できない。
・もしこの尾根筋を歩きたいという篤志家がいるのであれば、3月後半から4月前半がお勧めであろう。
・全般的には鎌ヶ峰から東進し1800m程度までは快適だったが、そのあとは、石楠花とササの雪のまったくない藪に苦しめられた。
・しかし、誰もいない手付かずの自然、そして乗鞍岳・御岳・奥穂高〜前穂高の吊尾根、そして鉢盛山や野麦峠スキー場、果ては中央アルプスや南アルプスと展望 には事欠かなかった。そして雪面にあるのは他人の足跡ではなく動物たちの無数 の足跡。天下一品の自然であった。
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