記録ID: 6032823
全員に公開
ハイキング
奥武蔵
秩父三十四所観音霊場♪ 【二日目】札所十二番 野坂寺~札所二十三番 音楽寺
2023年10月08日(日) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 08:39
- 距離
- 15.8km
- 登り
- 212m
- 下り
- 107m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:22
- 休憩
- 4:14
- 合計
- 8:36
距離 15.8km
登り 212m
下り 124m
12:18
12:44
12分
おやつ休憩
15:52
ゴール地点
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
本堂の左上に『観音霊験記による縁起●甲斐の商人』
山賊に殺されそうになった甲斐の商人がただ一心に「南無観世音」と唱えると、身につけていたお守りの中から光明が輝いた。山賊たちは眼を開けられず商人に侘びたところ眼が開いた。山賊の首領は仏罰を恐れて山賊をやめて仏道修行を行うようになった。この姿に感動した商人は、故郷から聖徳太子のお作りになった観音像を運んできて、山賊と協力してこの場所に堂を建てた。それがこの寺の本尊という。
umi)むかって左のふれあい観音、触れるとポカポカと暖かいのにはびっくり!!境内には、一筆だるまの碑や、不動明王など、いろいろあります。門前には、どっしりしたお地蔵様も。
山賊に殺されそうになった甲斐の商人がただ一心に「南無観世音」と唱えると、身につけていたお守りの中から光明が輝いた。山賊たちは眼を開けられず商人に侘びたところ眼が開いた。山賊の首領は仏罰を恐れて山賊をやめて仏道修行を行うようになった。この姿に感動した商人は、故郷から聖徳太子のお作りになった観音像を運んできて、山賊と協力してこの場所に堂を建てた。それがこの寺の本尊という。
umi)むかって左のふれあい観音、触れるとポカポカと暖かいのにはびっくり!!境内には、一筆だるまの碑や、不動明王など、いろいろあります。門前には、どっしりしたお地蔵様も。
土蔵作りの経蔵の堂内には輪蔵(りんぞう)形式の経庫があり、『黄檗(おうばく)版一切経』が保管されています。
紐を握って右回りに一周しました。一切経すべてを読誦したのと同じ功徳を得られました(^。^)
写真左下の額には『観音霊験記』。ここにはすべて飾ってあります。
umi)納められているお経が見えるところに感激(≧∀≦)回すのに、かなり力がいります。
紐を握って右回りに一周しました。一切経すべてを読誦したのと同じ功徳を得られました(^。^)
写真左下の額には『観音霊験記』。ここにはすべて飾ってあります。
umi)納められているお経が見えるところに感激(≧∀≦)回すのに、かなり力がいります。
『観音霊験記による縁起●火災の利益』
この寺には数多くの霊験が伝えられているが、特にありがたいのが火災から九死に一生を得た物語。
この門前の高野氏の娘が江戸に嫁ぎ、そこで明暦の大火に遭った。10万人以上が亡くなったこの火災で、観音の霊験により命を永らえたという。
umi)門前に今も高野氏は残っているんだろうか。お寺を出た角には、地蔵尊。石仏もありました。
この寺には数多くの霊験が伝えられているが、特にありがたいのが火災から九死に一生を得た物語。
この門前の高野氏の娘が江戸に嫁ぎ、そこで明暦の大火に遭った。10万人以上が亡くなったこの火災で、観音の霊験により命を永らえたという。
umi)門前に今も高野氏は残っているんだろうか。お寺を出た角には、地蔵尊。石仏もありました。
正面が秩父神社⛩です。レトロな建物が残ってます。
魅力的なお店がたくさんあるけど、どこも準備中💧
umi)寄り道の虫がウズウズ。準備中でよかったかも(^_^;) 犬の散歩の方に声をかけていただけて、うれしかったです。
魅力的なお店がたくさんあるけど、どこも準備中💧
umi)寄り道の虫がウズウズ。準備中でよかったかも(^_^;) 犬の散歩の方に声をかけていただけて、うれしかったです。
15番『少林寺』へはここを曲がります。
15番札所は、近くにある秩父神社の境内にあった『母巣山 蔵福寺』でしたが、明治維新の神仏分離により「蔵福寺」は廃寺(はいじ)となり、市内柳島からこの地に移転した『五葉山 少林寺』と『母巣山 蔵福寺』が合併し『母巣山 少林寺』として札所を受け継ぐ事になったそうです。
この石標は昔日の名残でしょうか。
15番札所は、近くにある秩父神社の境内にあった『母巣山 蔵福寺』でしたが、明治維新の神仏分離により「蔵福寺」は廃寺(はいじ)となり、市内柳島からこの地に移転した『五葉山 少林寺』と『母巣山 蔵福寺』が合併し『母巣山 少林寺』として札所を受け継ぐ事になったそうです。
この石標は昔日の名残でしょうか。
階段を降りたところには『一願達磨』。ひとつだけお願いできます(^-^)
umi)ひとつだけお願いするハズが、詳細を説明してたら長くなって、結果ひとつと言えなくなってしまった。これが私の駄目なとこの一つだね、、、。
umi)ひとつだけお願いするハズが、詳細を説明してたら長くなって、結果ひとつと言えなくなってしまった。これが私の駄目なとこの一つだね、、、。
14番『今宮坊』到着!
伝承によると、弘法大師がこの地を訪れたとき、役行者の随身という童子が現れ、そこに生えていたカヤの木を用いて観音像を作るよう告げたため、これに従って観音像を安置する小堂を建立したそうです。
伝承によると、弘法大師がこの地を訪れたとき、役行者の随身という童子が現れ、そこに生えていたカヤの木を用いて観音像を作るよう告げたため、これに従って観音像を安置する小堂を建立したそうです。
『観音霊験記による縁起●石原宮内(くない)』
武田信玄の家臣、石原宮内は観音菩薩の信仰が厚い武将だった。信玄の怒りを買い、死罪を命じられたが、処刑の前夜、信玄の夢枕に観音菩薩が現れ「宮内を助けてください」と言った。信玄はこのお告げを信じ、宮内をそう側近に取り立てて褒美を与えた。
umi)その後の宮内がどんなだったか知りたい。
武田信玄の家臣、石原宮内は観音菩薩の信仰が厚い武将だった。信玄の怒りを買い、死罪を命じられたが、処刑の前夜、信玄の夢枕に観音菩薩が現れ「宮内を助けてください」と言った。信玄はこのお告げを信じ、宮内をそう側近に取り立てて褒美を与えた。
umi)その後の宮内がどんなだったか知りたい。
16番までテクテク歩いてたら、マンホールの可愛いデザイン蓋♡
旧秩父市の鳥『ヤマドリ』と旧市の花『きぶね菊(シュウメイギク)』が描かれたものです。ちなみに現在の秩父市の鳥は『オオルリ』、花は『シバザクラ』です。
umi)旧秩父市のだったんだね。歩いていて、シュウメイギクにもよく会ったよね。
旧秩父市の鳥『ヤマドリ』と旧市の花『きぶね菊(シュウメイギク)』が描かれたものです。ちなみに現在の秩父市の鳥は『オオルリ』、花は『シバザクラ』です。
umi)旧秩父市のだったんだね。歩いていて、シュウメイギクにもよく会ったよね。
『酒樽大黒天』
大正年間に作られた樽で、中には木製の大黒天像が安置されています。大きな酒樽で、一日三合で30年分が入るそうです(^.^)
umi)すごい存在感なのに、帰り間際、まだお参りしていないことに気づいて慌ててお参り💧
大正年間に作られた樽で、中には木製の大黒天像が安置されています。大きな酒樽で、一日三合で30年分が入るそうです(^.^)
umi)すごい存在感なのに、帰り間際、まだお参りしていないことに気づいて慌ててお参り💧
『札堂』
江戸時代は納札が木製で、釘などで柱に打ち付けていたため、柱には無数の釘や釘跡が見られます。秩父札所で札堂が現存しているのはここだけだそうです。
札所巡りをすることを『打つ』というのは納札を打ち付けることに由来しています。
ここには数百枚の納札が保存されていて、遠くは四国、九州から来訪した人もいたそうです。凄すぎる!
umi)釘跡が痛々しく見えるけど、江戸時代はあたりまえだったんだね。
江戸時代は納札が木製で、釘などで柱に打ち付けていたため、柱には無数の釘や釘跡が見られます。秩父札所で札堂が現存しているのはここだけだそうです。
札所巡りをすることを『打つ』というのは納札を打ち付けることに由来しています。
ここには数百枚の納札が保存されていて、遠くは四国、九州から来訪した人もいたそうです。凄すぎる!
umi)釘跡が痛々しく見えるけど、江戸時代はあたりまえだったんだね。
『回廊堂』
ここには四国八十八カ所の札所寺院の本尊を写した仏像が並んでいます。回廊堂を一巡すれば四国八十八カ所巡礼と同じ功徳が得られるそうです。
天明3年(1783)、浅間山大噴火により命を失った人や家畜の精霊菩提のために造営されたそうです。浅間山大噴火が秩父にも及んでいたとは…。
umi)浅間の大噴火、未曾有の災害。ほんとに重い。人や馬が流されている絵をみたことがある。家畜のことも供養してもらえて、ありがたい。
ここには四国八十八カ所の札所寺院の本尊を写した仏像が並んでいます。回廊堂を一巡すれば四国八十八カ所巡礼と同じ功徳が得られるそうです。
天明3年(1783)、浅間山大噴火により命を失った人や家畜の精霊菩提のために造営されたそうです。浅間山大噴火が秩父にも及んでいたとは…。
umi)浅間の大噴火、未曾有の災害。ほんとに重い。人や馬が流されている絵をみたことがある。家畜のことも供養してもらえて、ありがたい。
17番『定林寺』に到着!
ここは、そもそもは妙見社(現在の秩父神社)の触役をつとめる林家の個人の持寺で、妙見社の近くにあったものを江戸時代後期に現在の場所に移転したそうです。
長享2年(1488)の『秩父札所番付』では1番札所(ちなみに、先に出てきた15番札所の前身の蔵福寺が2番札所)。発願の札所とすることで、秩父巡礼は秩父の鎮守である妙見社にゆかりの深いものであるとしたのかもしれないとのこと。
umi)このお寺もアニメの聖地みたいで、絵馬やポスターを置いてました。
ここは、そもそもは妙見社(現在の秩父神社)の触役をつとめる林家の個人の持寺で、妙見社の近くにあったものを江戸時代後期に現在の場所に移転したそうです。
長享2年(1488)の『秩父札所番付』では1番札所(ちなみに、先に出てきた15番札所の前身の蔵福寺が2番札所)。発願の札所とすることで、秩父巡礼は秩父の鎮守である妙見社にゆかりの深いものであるとしたのかもしれないとのこと。
umi)このお寺もアニメの聖地みたいで、絵馬やポスターを置いてました。
『百観音の梵鐘』
お参りの前につくようにとありました。加減が分からず大きい音が💦
umi)それを聴いて、加減したつもりだけど、大きい音に💧鐘をつかせていただけるのは、ありがたい(それも文化財を)。
お参りの前につくようにとありました。加減が分からず大きい音が💦
umi)それを聴いて、加減したつもりだけど、大きい音に💧鐘をつかせていただけるのは、ありがたい(それも文化財を)。
説明。
この鐘には、こんな由来があるそうです。
「身重の婦人が秩父巡礼の際、この地で出産した。女性は始末に困って赤子を捨てた。ところが結願後に帰宅すると、捨てたはずの赤ん坊が土間にいて、そばに定林寺の御影があった。女性は自分の行為を反省し、この梵鐘を寄進したのだという。」
umi)ほんと細かい。御詠歌は、鋳造した後に彫ったってことか。
この鐘には、こんな由来があるそうです。
「身重の婦人が秩父巡礼の際、この地で出産した。女性は始末に困って赤子を捨てた。ところが結願後に帰宅すると、捨てたはずの赤ん坊が土間にいて、そばに定林寺の御影があった。女性は自分の行為を反省し、この梵鐘を寄進したのだという。」
umi)ほんと細かい。御詠歌は、鋳造した後に彫ったってことか。
『観音霊験記による縁起●壬生良門(よしかど)の臣 林太郎定元』
中世の武将、壬生良門の忠臣、林定元は主君を諌めたことで怒りを買い追放され、知人を頼ってこの地にやってきた。知人はすでに故人となっており、定元も失意のうちに亡くなった。残された3歳の男の子は、空照という僧侶に育てられ、後に壬生良門と出会う。定元を失ったことを悔やんでいた良門は、定元の子と知ると、定元の旧領を与え、定元夫婦の菩提のため一堂を建立。定元の名にちなみ、定林寺とした。
中世の武将、壬生良門の忠臣、林定元は主君を諌めたことで怒りを買い追放され、知人を頼ってこの地にやってきた。知人はすでに故人となっており、定元も失意のうちに亡くなった。残された3歳の男の子は、空照という僧侶に育てられ、後に壬生良門と出会う。定元を失ったことを悔やんでいた良門は、定元の子と知ると、定元の旧領を与え、定元夫婦の菩提のため一堂を建立。定元の名にちなみ、定林寺とした。
今回は『江戸巡礼古道』の道標をたくさん見ました。秩父の中心部を歩いたのに、大きな道はほとんど通らずに歩けて良かったです(^-^)
umi)一部市街地の大通りを歩いたときは、空気からして、ここまで違うのか!と思うぐらいでした。
umi)一部市街地の大通りを歩いたときは、空気からして、ここまで違うのか!と思うぐらいでした。
18番『神門寺』に到着!
ここはかつて長生院(神仏混交だった)といい、修験の寺として栄えていたが、火災や神仏分離令で打撃を受け、さらに明治5年の修験道禁止令によって存続出来なくなってしまい、観音堂は曹洞宗の寺院として新たな歴史を刻むことになったそうです。
宮大工は、秩父の名匠と言われた藤田若狭。
umi)なんだか、しっくりくるお堂です。
ここはかつて長生院(神仏混交だった)といい、修験の寺として栄えていたが、火災や神仏分離令で打撃を受け、さらに明治5年の修験道禁止令によって存続出来なくなってしまい、観音堂は曹洞宗の寺院として新たな歴史を刻むことになったそうです。
宮大工は、秩父の名匠と言われた藤田若狭。
umi)なんだか、しっくりくるお堂です。
観音堂の後ろ側が回廊になっています。大日如来、千手観音、文殊菩薩、虚空蔵菩薩などが安置されています。
中央のお手綱を握ることで、観音堂のご本尊の聖観音と結縁できるようになっているそうです。予習が足りず残念なことに💧
umi)右手には、小さくて素朴な仏像が沢山納められています。時間があれば、じっくり拝見したかったです。赤と白の綱がお手綱です。私は結縁してきたよ。ごめんよ〜💦
中央のお手綱を握ることで、観音堂のご本尊の聖観音と結縁できるようになっているそうです。予習が足りず残念なことに💧
umi)右手には、小さくて素朴な仏像が沢山納められています。時間があれば、じっくり拝見したかったです。赤と白の綱がお手綱です。私は結縁してきたよ。ごめんよ〜💦
『観音霊験記による縁起●巫女の神託』
この寺はかつて神社で、門前にはサカキの巨木が左右にそびえ、まるで楼門のようになっており、神門と呼ばれていた。いつしかその社が廃れてしまい、再建しようと神学を奉納したところ、巫女に神が宿り「この地は神社ではなく寺院が栄える」と告げた。里人はこの神託に従って寺院を建立した。
この寺はかつて神社で、門前にはサカキの巨木が左右にそびえ、まるで楼門のようになっており、神門と呼ばれていた。いつしかその社が廃れてしまい、再建しようと神学を奉納したところ、巫女に神が宿り「この地は神社ではなく寺院が栄える」と告げた。里人はこの神託に従って寺院を建立した。
途中の踏切で、派手な電車が。本数が少ないのに、🚃に2度も会えました(^。^)
umi)私は、アワアワ慌ててスマホを出してるうちに、通り過ぎてしまい撮れず😓派手だけど、何が描かれているかも、わからんかった💧
umi)私は、アワアワ慌ててスマホを出してるうちに、通り過ぎてしまい撮れず😓派手だけど、何が描かれているかも、わからんかった💧
お腹がぺこぺこなので、焼きまんじゅうを買っておやつ休憩(^-^)三本から購入でき、450円でした。
その後、歩き始めたらすぐに住宅街にレストランがあってショックでした💦
umi)レストランがあったのはショックだったけど、レストランだと、気持ちが途切れたかも。焼きまんじゅうは、埼玉にもあるんだね。お腹いっぱいになって、眠気が出てきてしまった💧
その後、歩き始めたらすぐに住宅街にレストランがあってショックでした💦
umi)レストランがあったのはショックだったけど、レストランだと、気持ちが途切れたかも。焼きまんじゅうは、埼玉にもあるんだね。お腹いっぱいになって、眠気が出てきてしまった💧
歩き出す前に、これから歩く道をチェック!
22番が移転したので21番から23番までの『江戸巡礼古道 長尾根みち』を歩けず『明治巡礼古道』になっちゃう(涙)明治より江戸がいいに決まってる〜。
今思うと、体力、時間共に余裕があったので、22番から江戸巡礼古道に戻っても良かったって思うけど、そうなると明治も気になったかも(笑)
umi)そうね。後になって思うと江戸の方を歩けたかも。しかし、なんで移転しちゃったのか💧
22番が移転したので21番から23番までの『江戸巡礼古道 長尾根みち』を歩けず『明治巡礼古道』になっちゃう(涙)明治より江戸がいいに決まってる〜。
今思うと、体力、時間共に余裕があったので、22番から江戸巡礼古道に戻っても良かったって思うけど、そうなると明治も気になったかも(笑)
umi)そうね。後になって思うと江戸の方を歩けたかも。しかし、なんで移転しちゃったのか💧
19番『龍石寺』に到着!
このお寺は巨大な一枚岩の上に建っています。
ここは昭和30年代に存続が危うい状態になってしまいましたが、地元の青年たちが巡礼姿で東京で托鉢をしたりして、昭和48年に観音堂の修復再建が行われたそうです。
umi)岩の表面が出ているので、独特な景観!
このお寺は巨大な一枚岩の上に建っています。
ここは昭和30年代に存続が危うい状態になってしまいましたが、地元の青年たちが巡礼姿で東京で托鉢をしたりして、昭和48年に観音堂の修復再建が行われたそうです。
umi)岩の表面が出ているので、独特な景観!
『観音霊験記による縁起●飛行の尊像』
この寺の観音堂は一枚の大きな岩盤上にあり、俗世界の塵土を踏むことはない特別な霊場。
その昔、全国に日照りが続いた際、天皇の勅により弘法大師が心を砕いて雨降りを祈願すると、以前、弘法大師が作った本尊が京都から飛来し、大きな岩が二つに割れ、龍が天に昇って雲を呼び雨を降らせたという。こうしたことから、この寺は龍宮から湧出した霊場という。
この寺の観音堂は一枚の大きな岩盤上にあり、俗世界の塵土を踏むことはない特別な霊場。
その昔、全国に日照りが続いた際、天皇の勅により弘法大師が心を砕いて雨降りを祈願すると、以前、弘法大師が作った本尊が京都から飛来し、大きな岩が二つに割れ、龍が天に昇って雲を呼び雨を降らせたという。こうしたことから、この寺は龍宮から湧出した霊場という。
『三途婆堂』
三途の川で渡し舟の代金として死者の服を剥ぎ取るという奪衣婆(だつえば)の坐像と、奪衣婆の兄とされる冥界の王の閻魔大王、なで仏で知られる賓頭盧(びんずる)尊者の三尊が祀られています。子供の病を治す「子育て婆さん」として信仰されているそうです。
umi)閻魔様はわかりやすい。びんずるさまも、そんな感じに見える。ただ、奪衣婆は、他で見るような怖い感じではない。「子育て婆さん」ならではかな。
境内には、『不動明王』、『茶筅塚』もあり。
三途の川で渡し舟の代金として死者の服を剥ぎ取るという奪衣婆(だつえば)の坐像と、奪衣婆の兄とされる冥界の王の閻魔大王、なで仏で知られる賓頭盧(びんずる)尊者の三尊が祀られています。子供の病を治す「子育て婆さん」として信仰されているそうです。
umi)閻魔様はわかりやすい。びんずるさまも、そんな感じに見える。ただ、奪衣婆は、他で見るような怖い感じではない。「子育て婆さん」ならではかな。
境内には、『不動明王』、『茶筅塚』もあり。
橋の途中に、定林寺にあったポスターやグッズと同じ絵のマンホールの蓋がありました。
調べてみたら、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』というアニメの聖地らしいです。
umi)そういえば、お寺に、マンホールの場所の一覧表があったよ。
調べてみたら、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』というアニメの聖地らしいです。
umi)そういえば、お寺に、マンホールの場所の一覧表があったよ。
道から階段を下って、20番『岩之上堂』に到着!
ここは荒川を見下ろす河岸段丘の上にあります。
この観音堂は個人が管理していて僧侶はいないそう。個人所有の堂はここだけ。
ちなみに長享2年の「秩父札所番付」でも20番札所で、この当時から番号が変わっていないのもここだけだそうです。
umi)すごくめんめんといろんな人が関わってきたというような年季を感じるお堂。来る道すがら、風化してどなたかわからない石仏がいらっしゃいました。
ここは荒川を見下ろす河岸段丘の上にあります。
この観音堂は個人が管理していて僧侶はいないそう。個人所有の堂はここだけ。
ちなみに長享2年の「秩父札所番付」でも20番札所で、この当時から番号が変わっていないのもここだけだそうです。
umi)すごくめんめんといろんな人が関わってきたというような年季を感じるお堂。来る道すがら、風化してどなたかわからない石仏がいらっしゃいました。
『観音霊験記による縁起●寺尾村の孝子』
この土地は寺尾という。この村の男性でが川向こうに住む母が病に倒れたとの知らせを受け、対岸に渡ろうとするが大雨による増水でままならなかった。そこへ見慣れぬ童子が現れ、男を舟で対岸まで運んでくれた。お礼を言うと「私はあの岩の上の者です」と答えた。さては観音様だったのかと岩の上を伏し拝んだ後、急いで母を見舞うと既に病も癒えていたという。
この土地は寺尾という。この村の男性でが川向こうに住む母が病に倒れたとの知らせを受け、対岸に渡ろうとするが大雨による増水でままならなかった。そこへ見慣れぬ童子が現れ、男を舟で対岸まで運んでくれた。お礼を言うと「私はあの岩の上の者です」と答えた。さては観音様だったのかと岩の上を伏し拝んだ後、急いで母を見舞うと既に病も癒えていたという。
umi)道標はあちこちにあるものの、説明の木札のあるのがないなぁと思っていたら、ありました。わからないけど、心求とはまを願主としたものに木札をたてたのかなぁ。この先に、『三界・・・』という石碑もありました。
道なりに進んで広い道に出ると間もなく、21番『観音寺』に到着!
ここのご本尊は大正12年の火災の時も難を逃れたので『火除けの観音様』と呼ばれて信仰されているそうです。
umi)左手、六地蔵。右手、沢山のお地蔵さまと宝篋印塔。その奥に八幡神社があります。弁財天などの石碑もありました。納経所に大きい猿(さるぼぼみたいな)があり、抱っこするとご利益があるということで、抱っこしてきました。
ここのご本尊は大正12年の火災の時も難を逃れたので『火除けの観音様』と呼ばれて信仰されているそうです。
umi)左手、六地蔵。右手、沢山のお地蔵さまと宝篋印塔。その奥に八幡神社があります。弁財天などの石碑もありました。納経所に大きい猿(さるぼぼみたいな)があり、抱っこするとご利益があるということで、抱っこしてきました。
『観音霊験記による縁起●八幡宮の神鏑(しんてき)』
この札所の場所はもとは八幡宮の社地であった。奈良時代の高僧・行基がこの地へ来訪した際、八幡宮の境内に生えていた神木で観音像を作った。これにより、この地が仏地となったので、この辺りの邪神や悪霊が大いに怒り、雷鳴を轟かせ、火を降らすなど暴れまわった。そこで、八幡の神は武甲山の神と力をあわせて邪神達を攻めた。そして八幡神の放った矢が魔族を貫き、邪神たちは姿を消したことから、この寺は矢乃堂と名付けられた。
この札所の場所はもとは八幡宮の社地であった。奈良時代の高僧・行基がこの地へ来訪した際、八幡宮の境内に生えていた神木で観音像を作った。これにより、この地が仏地となったので、この辺りの邪神や悪霊が大いに怒り、雷鳴を轟かせ、火を降らすなど暴れまわった。そこで、八幡の神は武甲山の神と力をあわせて邪神達を攻めた。そして八幡神の放った矢が魔族を貫き、邪神たちは姿を消したことから、この寺は矢乃堂と名付けられた。
道を挟んだ駐車場には『中村十九十郎』の墓があります(明治42年、62歳で没)。中村は秩父地方の地芝居、大和座の座頭で、「立役の名手、田舎千両」と評されたそうです。
umi)カッコよかったんだろうねぇ。
umi)カッコよかったんだろうねぇ。
観音寺からここまでは車が多い道路なので緊張しましたが、ここを左折して明治巡礼古道を進みます。
umi)ほっとするね。途中、薬師堂と、なにかのお堂がありました。この道標?じっくり読んでみたいところですが、大きく撮った写真が手ブレ💧
umi)ほっとするね。途中、薬師堂と、なにかのお堂がありました。この道標?じっくり読んでみたいところですが、大きく撮った写真が手ブレ💧
umi)仁王様も素朴でよいのだ!ちょっとエジプトチック? 帰り、納経所で、仁王様の手拭いを購入。秩父出身の漫画家が描いて、ちちぶ捺染で染めた地元コラボ。そういえば道すがら捺染の工場を通った。飴も買ったけど、こちらも秩父市市内で製造✨
本堂正面の桟唐戸には迦陵頻伽(がりょうびんが)の彫刻(右側)。
迦陵頻伽は頭部は美女、体は鳥という極楽の霊獣で仏の妙音を奏でるそうです。
umi)迦陵頻伽と風神、雷神とあるけど、もうひとりはどなたなのだろう。戸にある四枚がみんな魅惑的過ぎる〜🙀。戸の反対側がみられれば、ご尊顔を拝めるのだろうか。それは、叶わないのかな。見えないからいいのかな。
迦陵頻伽は頭部は美女、体は鳥という極楽の霊獣で仏の妙音を奏でるそうです。
umi)迦陵頻伽と風神、雷神とあるけど、もうひとりはどなたなのだろう。戸にある四枚がみんな魅惑的過ぎる〜🙀。戸の反対側がみられれば、ご尊顔を拝めるのだろうか。それは、叶わないのかな。見えないからいいのかな。
『観音霊験記による縁起●讃州の人、化犬となる』
この寺はその昔、現在の場所の奥の山上にあって花台山と言っていたが、延喜15年(915)、疱瘡が流行した時、「寺の場所を移すように」との観音の神託があり、これに従ったところ、子供たちの疱瘡がすぐ治った。その後も幼子の病気平癒の霊験あらたかだったので『童子堂』と呼ばれるようになった。
昔、讃岐に富裕な農家があったが、欲深であった。一人の僧が訪れて食べ物を求めたが、一切を施さなかった。僧は「せめて糠でも」と言ったが、「それは犬の餌だ」と言って取り合わない。そこで僧が犬を呼んだところ、この家の息子がこれを食べ、犬になってしまった。僧に「これは仏の罰だから童子堂に祈りなさい」と言われた父親は、この犬を連れて、四国、西国、坂東の霊場を願拝。そして秩父のこの寺にようやく着いたところ、犬が元の息子の姿に戻ったという。
この寺はその昔、現在の場所の奥の山上にあって花台山と言っていたが、延喜15年(915)、疱瘡が流行した時、「寺の場所を移すように」との観音の神託があり、これに従ったところ、子供たちの疱瘡がすぐ治った。その後も幼子の病気平癒の霊験あらたかだったので『童子堂』と呼ばれるようになった。
昔、讃岐に富裕な農家があったが、欲深であった。一人の僧が訪れて食べ物を求めたが、一切を施さなかった。僧は「せめて糠でも」と言ったが、「それは犬の餌だ」と言って取り合わない。そこで僧が犬を呼んだところ、この家の息子がこれを食べ、犬になってしまった。僧に「これは仏の罰だから童子堂に祈りなさい」と言われた父親は、この犬を連れて、四国、西国、坂東の霊場を願拝。そして秩父のこの寺にようやく着いたところ、犬が元の息子の姿に戻ったという。
23番へは明治巡礼古道を歩きます。車の多い道を歩くのはほんのちょっと。ここを入っていきます。
umi)途中にお地蔵さまもいらっしゃいました。奥に見える石碑は『如意輪観音』の文字塔。文字のって初めてみた気がする。その奥に祠があるけれど、柵があって近づけず😿
umi)途中にお地蔵さまもいらっしゃいました。奥に見える石碑は『如意輪観音』の文字塔。文字のって初めてみた気がする。その奥に祠があるけれど、柵があって近づけず😿
道なりに登り、23番『音楽寺』に到着!秩父ミューズパークの一角にあります。
正面に見えるのは、かつて客殿だったという納経所です。観音堂は納経所の前を左に進み、階段を上ったところにあります。
umi)ついに今日最後のお寺に!
正面に見えるのは、かつて客殿だったという納経所です。観音堂は納経所の前を左に進み、階段を上ったところにあります。
umi)ついに今日最後のお寺に!
六観音の梵鐘。下部に観音像(聖観音、不空絹索観音、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音)が浮彫りで鋳出されています。
今度は静かに撞いたつもりですが、また大きな音が、、、σ^_^;
umi)観音像は、なんとなくヨーロッパ風に見えました。私も今度こそ加減したつもりだけど、ゴォ〜ン!!
今度は静かに撞いたつもりですが、また大きな音が、、、σ^_^;
umi)観音像は、なんとなくヨーロッパ風に見えました。私も今度こそ加減したつもりだけど、ゴォ〜ン!!
『観音霊験記による縁起●畠山基国の家来 内山源蔵』
ある時、中国地方の武将だった大内義弘との戦が始まり、内山源蔵も出陣することになったが、年老いた母のことが気がかりに。そこで母は秩父の音楽寺の御影を渡し、源蔵はかぶとの中に収めて出陣した。御影のご利益で何度も敵の矢や剣を逃れ、命を永らえただけでなく、手柄も上げた。源蔵は観音の霊験に感謝し、母共々に出家をして観音を供養した。
ある時、中国地方の武将だった大内義弘との戦が始まり、内山源蔵も出陣することになったが、年老いた母のことが気がかりに。そこで母は秩父の音楽寺の御影を渡し、源蔵はかぶとの中に収めて出陣した。御影のご利益で何度も敵の矢や剣を逃れ、命を永らえただけでなく、手柄も上げた。源蔵は観音の霊験に感謝し、母共々に出家をして観音を供養した。
秩父巡礼を開創した十三権者の石仏。
この十三人の聖者が、この山の松風の音を菩薩の音楽として聞いたのが寺号の由来だそうです。
音楽に関する願いごとを叶えるお寺として知られているそうですよ♪
umi)松風って、改めて聴いてみたい。納経所には、まだ削られていない武甲山の白黒写真がありました。通ってきたところから見えた建物は機屋さんだったそう。私の地元の伊勢崎も銘仙のまち。親近感がわきました。
この十三人の聖者が、この山の松風の音を菩薩の音楽として聞いたのが寺号の由来だそうです。
音楽に関する願いごとを叶えるお寺として知られているそうですよ♪
umi)松風って、改めて聴いてみたい。納経所には、まだ削られていない武甲山の白黒写真がありました。通ってきたところから見えた建物は機屋さんだったそう。私の地元の伊勢崎も銘仙のまち。親近感がわきました。
撮影機器:
感想
暑くも寒くもなくて、助かりました。前回は足の裏にマメが出来て痛かったですが、今回は無事でした。
それぞれのお寺が興味深く、歩く道すがらも、いろいろ気になり、楽しく歩いてくることが出来ました。
前回よりしんどくないと思っていましたが、寝不足がたたってしまったようで、後半元気不足を感じました。次回は、寝不足にならないように気をつけようと思います。ともあれ、無事に歩いてこれて、感謝です。
今日は、11番札所から出発です!前回は雨模様の歩き出しでしたが、今日は最高の歩き日和です♪
今回は秩父中心部を歩いたので、高低差もなく、お寺の距離も短いのでとても歩きやすかったです。徒歩ならではの道も多くて楽しく歩けました♪また、前回歩いたところより道標が多くて助かりました。ありがとうございます(^-^)
21番から23番までの『長尾根みち』がとても気になるので、次回ここを歩くときはそちらを歩きたいと思います。
今日も無事に歩き通せて感謝です。ありがとうございました(*^▽^*)
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コメント
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ほうほう、お参りの順路を、なーるほど感じながら拝読しました。
一枚岩の上のお寺さんは、四国徳島の常楽寺と似た雰囲気なのかなと思いました。
私もお二人と一緒に結願できるよう、お参りを始める予定です。
こちらの四国霊場は、来月結願予定です。歩くって、ありがたいことですね。
徳島の常楽寺、もう記憶にないのでネットで見てみました(笑)もう少しこじんまりとしていますが、似た感じかもしれません。
四国結願の前に歩き始めるのですかね。私たちはのんびりペースですから、すぐに追いつき、追い越しになっちゃいそう。
ramisukeさんならきっと30番まで二日でしょうね(^。^)ちなみに、私たちは30番まではあと二日かけて歩く予定です(笑)
「歩くってありがたい」に同感!歩きながらいつも思ってます(^-^)身体を労わりながらいつまでも元気に歩けるといいですよね(^o^)
先日の赤城、こちらこそ、お世話になりました。楽しかったですね😸お山の後、パスタを食べに行ったり、お互いのうちの猫の写真を見せあったり、愛車紹介を聴いたりしたのも楽しかったです♡
最新の四国レコ、拝見しました✨今回は順調ですね。今回は、降られずにすんだのかな。
四国にも岩の上のお寺があるんですね。
ramisukeさんも、秩父を歩き始めるのですか!ご一緒に結願出来るとよいです✨が、追いつき、追い越されるのでは、というのは、checheriさんと同意見です💧ramisukeさんのレコを参考に辿りそう。
「歩くって、ありがたいこと」いいですね✨歩いたからこそですね。
私もいつまでも元気に歩きたいです。
また、よろしくお願いします😺
すごいロング、またまたすごい力作ですね〜 これは出版できますね。寝不足ですか? 願いごともそんなにいっぱい? 素敵なレコありがとうございました。
いつもより長距離でもほぼ平らなので楽なのですよ(笑)レコはまたまた長時間かけました😅2日間で23番まで歩いたので、残り11寺を4日。次回からはレコ作成も少し楽になりそうです😁
秩父は四国ほど道標がないので、地図と睨めっこなのです。で、使用感ありなんです🤭
コメントを、ありがとうございます。
何をするにも、要領が悪くて、ついつい寝るのが遅くなってしまうのが、かなり積もり積もって、寝不足で歩いてしまいました。今回は前回ほど大変ではないと思っていたのに、なんだか、疲労がきてしまいました。日常から、気をつけないとですね。
私は願いごともなく、感謝だけして巡っている感じなのですが、今回、ひとつだけお願いをするという達磨さんがいらしたことで、慌ててお願いを、それもひとつ考えるということで、テンパってしまいました。日常から、ぼ〜ってしていては駄目ですね。
地図は、ほんと、しょっちゅう(これは方言ですかね。頻繁にみたいな意です。)見てます。その他にヤマレコも見るし、私はGoogle mapも開きました。私は病的方向音痴なので、あれこれ見ても、最終的にchecheriさんのおかげさまさまなのですよ💧
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