熊野古道 中辺路 小広峠〜道湯川集落跡〜道ノ川集落跡

sogaga
その他1人 - GPS
- 08:23
- 距離
- 14.6km
- 登り
- 1,270m
- 下り
- 1,269m
コースタイム
7:16草鞋(わらじ)峠
7:31仲人茶屋(ここから迂回路)
9:00蛇形地蔵
9:07〜9:50道湯川集落跡探索
10:14〜10:45三越峠休憩
11:04〜11:45道の川集落跡探索
13:03岩上峠
13:56岩神峠
14:20仲人茶屋跡
15:13小広峠バス停
| 天候 | 晴れ 涼しいくらいのしのぎやすい陽気 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2013年09月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
http://www.bus-tei.com/index177384.htm |
| コース状況/ 危険箇所等 |
○小広峠〜船玉神社間迂回路について↓ http://www.city.tanabe.lg.jp/kankou/ http://www.jata-net.or.jp/membership/topics/2012/120312_kmnrouteinfo.html#120312_kmnrouteinfo.html?s=2&_suid=138045041035908696246913333749 ○仲人茶屋から蛇形地蔵までの間は迂回路以外の入山は禁止。入山はすべて自己責任になる。今回、帰路に歩いた岩神峠から仲人茶屋は禁止区域。岩神峠付近には地すべりにより50m程度の亀裂が入っているとのこと。また、旧岩上峠から岩神峠までは踏跡がうすい。 ○トイレは小広峠の旧道と三越峠にある ○上小野温泉ひすいの湯(近露)↓ http://hisuinoyu.choitoippuku.com/ |
写真
1109年、藤原宗忠が参詣した時に、盲人がうずくまっており食料を与えた記録あり 障害のある人も、分け隔てのない熊野権現に会いに来て救いを求めたのだろう しかし、一人ではどう考えても無理!でもそこは熊野!ひと引きふた引き、小栗判官のように知らない他人が手引きしたはず!?
感想
今回は、熊野古道中辺路でも最も山深い険しい山越えのルート。平成23年の台風による被害のために、仲人茶屋近辺から迂回路で、旧岩上峠を越え蛇形地蔵へ行くコースを歩き、道湯川と道ノ川の集落跡を探索した。
昭和33年から昭和48年頃の道湯川と道ノ川の集落の様子は、宇江 敏勝さんの「幽鬼伝」に詳しく書かれている。
昭二という野中に住む21歳の若者が、山仕事で道湯川に来て、道ノ川のみや子と交流したことなどが、興味深く書かれている。同行したKさんに紹介してもらった本を今改めて読んで見る。すると、まるであの廃墟のような集落跡に血が通い、生き生きとした人間の営みのある村の姿が蘇ってくる。
昭和34年の伊勢湾台風により道ノ川の家屋13軒のうち8軒程度の屋根が飛ばされたこと、マツタケがわんさか採れたこと、プロパンガスが入ったこと、昭和38年に電気が引かれたこと、その頃は9軒にまで家が減っていたこと、そしてテレビを見れるようになったこと等など。
そして、次第に廃村へ近づいていく。
本宮町は国から「集落再編成事業」の指定受け、新しい住宅地を造って分譲することになる。平治川集落の人たちとともに温水(ぬくみ)団地へ8軒37人の人たちが引っ越したのは昭和48年の春のことである。
廃屋にあったランドセルとノートは、ようやく通った電気の下で一生懸命漢字の練習をする少女の姿を連想させる。一生道ノ川に住みたいと思っていた人、「こんなところにいたら時代に乗り遅れる」と田んぼに桧の苗を植えた人。時代は高度成長期、山仕事の時代は終わった。現在では、昔あった楢の雑木や杉、桧の大木はなくなり、代わってその頃に植えられた桧の苗は、田んぼや畑の跡に立派に大きくなっていて、それがよりいっそう廃墟の様相を色濃くかもし出している。
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