白根隠山と白檜山



- GPS
- 32:00
- 距離
- 15.2km
- 登り
- 1,276m
- 下り
- 1,272m
コースタイム
- 山行
- 9:47
- 休憩
- 5:02
- 合計
- 14:49
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
2019年はお正月に初日の出を見に多峯主山に登ったのが始まりだが、今年はほんとに高い山に登っていない。2000mを越える山は今回が今年初めてなのだ。1週間前に22キロ歩いてみた。
週半ばから胸が苦しく感じられてこれも厭らしい。右足の親指の付け根辺りも違和感がある。ユメさんに行こうと言いながら、内心ものすごい不安を感じていた。
丸山スキー場の駐車場で仮眠したけど、3時ごろに目が覚めた。4時ごろに菅沼へ向かったが、バックドアを開けたまま走り出して、途中で気づいてみたら、私の荷物がなくなっていた。道路にみんな落ちていて、無事回収できたけど、これで少し時間をロスした。
結局 5時半に駐車場を出た。弥陀ヶ池には2時間で、更に稜線の分岐まで1時間、途中避難小屋を覗いて、毛布が沢山置いてあるので、ここで寝られると思った。
稜線に出てから、白根隠山まで50分は気持ちよく歩いた。ここからガレバを下り、笹薮の尾根に入る。この藪漕ぎは今日の具合にはつらかった。白檜山まで小一時間、そこからどーんと笹薮を下る。そしてしばらくして小さなピークに立つと目の前に錫ヶ岳が見えた。
一旦、長い稜線を下り、コルに至り、そこから登りかえす頂が錫ヶ岳だ。12時前だ。今日の私のペースでは山頂までは行けるだろうが、体力を使い果たしたら、白檜山や白根隠のガレバの登りに耐えられるか、遅くなれば小屋に付くにも遅くなる。
私は、2人に「ここにいるから、2人で登ってきて」と言いました。今日中に帰るならば、ここが限度だろうが、小屋に泊まることにすれば、2人は行ける。何としてもユメさんの思いは叶えたい。それでここに留まった。二人を見送り、少し下った場所で荷物を置いて横になった。
帰路思い二人見送る道半ば我には遠く錫ヶ岳みゆ
AOさんがラジオをおいていってくれたので、ラジオを聴きながらしばらく横になって寝た。2時ごろだったか、突然ご夫婦が現れて、こちらがびっくりした。
「二人に会いませんでしたか?」と聞くと、下山して15分くらいしたところで会いました」と言われた。
差を考えると3時ごろには戻るかなと思って、2時半ごろに、錫ヶ岳にむかってみた。途中いい道が現れたりいするが、倒木が多く、道が不明になる。二人ならいけるな、と思いながら、私は適当なところで引き返す。
ザックを置いた場所で、再び横になっていたら、4時近くに二人の声がして戻ってきた。
ユメさんが、群馬百名山を達成できて、興奮気味。アオさんがいてくれて、独りでは心が折れると言った。私たちより先行していた人も一緒だった。Sさんは道に迷ってあきらめて戻ろうとした時、二人に出会い一緒に山頂を踏んだと言う。
Sさんは先に下山して行った。私たちはピッチも遅く、白檜山の登り返し、笹薮の道、再び白根隠山のきつい登りを越えた時には、6時間近になりガスが我々を包んだ。小屋跡に出た時はほっとした。携帯がつながる場所だったので、妻に泊まることを連絡。青さんも、ユメさんも奥さんに連絡をした。これで私も安心した。ライトを取り出して日没に備える。
避難小屋への道を黙々と下り、小屋の前に立ったのは7時前だった。小屋の戸を開けると、Sさんともう一人若い人がいた。
その夜はにぎやかだった。Sさんは安中の人で、群馬百名山88番目となったと言う。若い人は東京の人で山を初めて間が無く、初めての避難小屋泊まりだと言う。
私はアオさんが沸かすお湯を貰って「カレー飯」の夕食。
毛布を3枚使って寝床として、食べたら寝てしまった。夜中に目が覚めた。小屋の外に用を足しに出た。寒い。その後、1時間ごとに目が覚めたようだったが、4時半ごろ起きだした。
Sさんが、デポしていた食パンで、キュウリとハムでサンドイッチを作ってくれて、自分は食欲がないからと、みんなに朝食としてプレゼント。これはありがたい朝食と喜んでいただく。コーヒーを沸かしてにぎやかに朝を迎えた。
ユメさんが奥白根の山頂まで1時間だよ、と言い出したので、アオさんと言ってくればいい、と私は言った。私の靴はソウルがはがれてしまい、登るの気はなかった。ただアオさんが以前登った時に展望が得られなかったことを悔やんでいたので、リベンジと言って、けしかけた。予定にはなかったが、私は小屋で待つことにした。
実は家では妻がいないので、アイビーが独りになるのが不憫で早めに帰ることを願っていた。5時過ぎ二人を送り出し、Sさんは下山した。東京のKさんはしばらく話をした後、下山した。ピーカンの空は真っ青だった。
私は小屋に一人になった。
七十と四となっても山が好き一人避難小屋の掃除する
奥白根頂を踏む友を待つ短歌を詠んで一人笑っている
長年履いてきた靴の底がはがれて、Sさんが暮れたテーピングで修理する。最後の登山口まで持ってくれれば、この靴ともお別れだなと思った。
新しい靴もしばらく買えない。残りの靴でやり繰りしようと思いながら百名山のラストの山、大雪山を登ったのもこの靴だ。
百名山登った靴底剥がれ騙しだまして下山路をゆく
人生の仕舞いに向かう道半ば困窮(くなん)の頂き越える愉しみ
7時に二人がにこにこしながら戻ってきた。「すっごい眺めだったよ」とユメさん。アオさんも「最高の天気!」と興奮気味に山頂の様子を語る。
二人の喜びに私も満足。小屋の戸を閉めて、登山口へ心も軽く戻る。
とても充実した楽しい山となった。
故郷の百の頂踏み終えた我が山友に空笑う秋
(後記)
無事家にたどり着き思うことは、年齢と体力のことだった。まだ山は続けたいがコンスタントに行かないと体力を維持できないし、回復力も格段に言うことだ。
今回取った自分の行動は正しいと思った。冷静に判断することで、目的を達成させた。それが何よりうれしかった。
去年の体力ならば行けない山ではなかったと思う。ただ出かける前からの不安と闘いながら、精いっぱい頑張ったかなと思う。
今年は山の記録から見ても不遇の年であって、過去最低の山回数でしかない。しかしできるだけ頑張ろうと思う。工夫次第だろう。
道々思った。20代から60代まで過ぎていろいろな苦労があったが、この歳になって一番困窮している事態に直面しているが、なぜか楽しんでいる自分を見る。異の痛む思いをするが、友がいて気遣ってくれる。こんな仕合せなことはない。
この山は心に残った山です。リベンジしますよ。必ず。
コメント
この記録に関連する登山ルート

hagureさん こんにちは。
私は学がないのでとても上手に読めませんが一つ
わが夢に付き合い喜ぶ友嬉し
最後の山を一緒に祝ってもらい、山友の有難さを感じています。
4時間も待たせてしまってごめんなさい。動かずに待ってくれて有難かったです。今回は思い出の靴が壊れてしまって、一番行きたいだろうhagureさんが我慢を2度もさせてしまい、良かったのと申し訳なかったのが交差しています。
最後の鼻歌歌って終われたので良かったですね。
こちらこそ、頑張りが足りなくて、ヘタレで申し訳なかったです。やはりこの一年の不摂生が答えていますね。まだ足首痛いです。体力の不安が会ったのが気を弱くした原因でしょうね。今度は穂高ですね。それと信州百名山やりましょう。
山梨もあるけど、私は甲信越百名山頑張ります。
夢さんに代わって青さんへの感謝の歌
夢叶う友が導く頂に立てば果て無く空のひろがり
錫ヶ岳頂に立つ喜びを友と分ちて空に乾杯
ありがとうございます。
下手な筆をとって記念に、名作を残しておきたいと思います。
hagureさん、こんばんは。
2011年1月、湯の丸でご一緒してから9年。
yumeさんとは翌2012年の浅間隠山でお会いし
一年後から一緒に歩くようになったのかな
pikachanさまも一緒にみんなで黒檜山へ登ったのが
共通の初コラボだったでしょうか?
考えてみれば、あの大震災前からのお付き合いですので
月日の流れること、世の中の変化
そして、自分たちの年齢の重なり
ただただ、驚きと懐かしさが駆け巡ります。
以前のような山行はできずらくなりますが、
一緒に歩いてきた山や、日々はかけがいのない思い出であり、
私自身を作ってきた貴重な時間だったと思います。
まずは、pikachanさまとyumeさんのお祝い登山をして、
今年を締めくくりたいですね。
何時、どこがいいかな?悩むところです。
ただいま家で85歳までの計画立ててます。
早いよねつきがたつのは。でもお二人との出会いは特別。
面白いですよ。関東百名山低い山を残して行きます。
もしかしたら来年百高山達成するかも。一気にいきたい。
75歳までがひとつの限度。あとはゆるりと山歩き。
餓鬼岳、鋸岳、有明山、後は北信五山、
青さんの企画で、お祝い登山を計画してください。
2019年後半は、ちょっとがんばってエンジン吹かします。
青さん、男体山行かないと。
えー、その後の結果報告。足首、アキレス腱周りがむくんでいます。このむくみ感が取れるのを待っています。回復が遅くなっていますが、気力を新たに再スタートのエンジン吹かします。
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