大峯奥駈道 吉野〜熊野 逆峰 5日間


- GPS
- 94:45
- 距離
- 102km
- 登り
- 7,788m
- 下り
- 7,910m
コースタイム
- 山行
- 9:15
- 休憩
- 0:42
- 合計
- 9:57
- 山行
- 10:35
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 11:39
- 山行
- 9:33
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 10:12
- 山行
- 10:46
- 休憩
- 1:17
- 合計
- 12:03
- 山行
- 11:10
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 11:43
過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
渡瀬温泉から五条駅までバス(高速を使わない日本一長い路線バス) 五条から電車を乗り継いで吉野 |
コース状況/ 危険箇所等 |
新宮山彦グループさんのイラストMAPを参考にさせて頂きました (水場、幕営適地、危険地などの情報満載)年月の経過で変化する事もあり 諸注意事項あり) 念のためチェーンスパイクを持参したが使用せず |
その他周辺情報 | (下山後)渡瀬温泉 緑の広場キャンプ場620円 オートキャンプ場と車の入れないフリーサイトがあり快適 温泉徒歩5分 |
写真
感想
大峯奥駈道 吉野から熊野へ
山岳信仰の長大なトレイル、長いと思いつつも終わってみればあっと言う間の5日間だった
修行の霊場75靡をいくつも道中に見ながら、辿るのも興味が尽きない
里山から高山まで岩場を交えながら、登山の醍醐味も盛りだくさんである
要するに素晴らしい縦走路を無事歩けて、大満足という事です
1日目
予定では移動日初日は吉野山をまったり散策するつもりだったが、良い天気が続きそうな予報もあり、1日繰り上げて出発する事とした。
75靡の柳の宿を起点としたいと思ったので、吉野駅の始発で六田駅まで戻り、
駅から車道を歩き美吉野橋を渡る、朝の日が川面を綺麗に照らしていた。
土産物や茶店が並ぶ吉野を重いザックと足取りで抜ける、桜の見頃は過ぎたが高城山の頂きで桜吹雪が舞う光景が美しく、舞い散った花びらが地面を覆う。
青根ヶ峰を越え、二蔵宿小屋で少し水を補給、巻き道を使わず大天井ヶ岳へ、
崩れやすい土の斜面を必死に這い上がる。こだわりがなければ素直に巻き道の方が良さそうだ。
幾度かトレランのグループに追い越される、五番関の女人結界をくぐる頃には、
雲行きが怪しくなってきた、気がかりは前方の黒雲である、雨がぱらつく中ザックカバーを装着、雨具の上を羽織る。
今宿跡まできて地図を眺めていたら、至近距離で雷がバリバリと空を切り裂く、凄まじい轟音!、とっさにポールを放り屈み込む、ここで雷に打たれたら明日のニュースで取り上げられるだろうかなどと考え、なすすべ無く耐えた。
地面にはあられ混じりの冷たい雨が見えた、しばらくすると幸いにも遠くの方へ音が遠ざかったのが分かった、この雷で前進する気力は完全に削がれた、テントを設営すると食事もそこそこに眠ってしまった。
2日目
夜はかなり寒かった、夏用の寝袋とカバーでは少々無理があったようだ。
それでも疲れからかよく眠れた。
日の出前に出発、小さいクサリ場を越えしばらくで洞辻茶屋、3張りほどテントが見えた。 茶屋は湯を沸かす薪の燃える匂いがかすかに漂っていた。
陀羅尼助茶屋を越えると油こぼし、鐘掛岩と行場が続く、まだ残雪があるが歩行に支障はない。
山門をくぐると西ノ覗である、映像や写真で想像するより遥かに厳しい絶壁だった。
確保されるとはいえ、ここから半身を突き出されるのはまさに命がけである。
大規模な宿坊群を抜け大峰山寺へ、かすかに残る朱色が創建当時の色はどんなに色鮮やかだったか思い起こさせる。
山上ヶ岳を後にして大普賢岳へ、意外に残雪が多く踏み抜きそうで怖い恐る恐る足を運ぶ。
大普賢岳前後はハイカーも多く、賑わいがある。
稜線から行者還岳へピストンして、巻くようにつけられた岩場を伝い、行者還避難小屋へ到着、見上げれば絶壁の行者還岳の存在感がすごい。
朝方見た遥かかなたの弥山も、残雪が多い事が判別できるくらいの、現実的な距離感で見える様になってきた。
奥駈道出合のあたりから弥山から下山する方たちとすれ違う事が多くなってきた
2日目はザックの腰ベルトの締め付けが痛くてかなり苦しい時間が多かった、最後の弥山への登りも本当に辛いものになった、最後の鉄階段のわきで残雪を踏み抜き股まで沈んだ時はさすがに参った。
這々の体という言葉がこれほど実感できた日は無い。
弥山小屋の周辺はかなり残雪が多く、テントを張れるスペースも普段より大分少ない様に感じた。 乾いたスペースを見つけテント設営して横になる、周辺を散策する事も無く横になってすぐに寝てしまった。
3日目
3時くらいに目が覚める、ゆっくりと準備して朝食をとり出発。
弥山の山頂へ立ち寄り八経ヶ岳へ向かう、白骨樹が独特の景観を醸し出す。ここにしか無い風景に心を奪われる。
割と穏やかなアップダウンの稜線歩きが続く、全行程で一番気持ちいい歩きを満喫した。
幾つかのピークを越え太古の辻から南奥駈道へ、まだ半分もう半分いろいろな気持ちが混じり合う。気持ちも体力も、装備も問題無い。
自信を持って南奥駈へあゆみを進めた。
当初の計画とは大分違う行程になっているので、どこで幕営するか常に考えながらの縦走でした、天狗の稽古場周辺もロケーションは素晴らしいが時間が早いため通過。
水もたっぷり持っているのでそれほど水場にこだわる必要もなかった、持経ノ宿が理想だったがその手前、乾光門(拝み返しの宿跡)で幕営とした。
テントの周囲はバイケイソウとブナの木々、深夜に見上げた一面の星空は生涯記憶に残るでしょう。
4日目
だんだんと標高を下げてきた事もあり、樹林帯の雰囲気が変わってきた。
傘捨山への登りはなかなか手強いが、少しづつでも足を前へ出せばいつかは山頂へ到達するさ、と自分に言い聞かせながら登る。
傘捨山からの激しい下りをこなすと、地蔵岳を越えるクサリ場の難所である
雰囲気は危険な感じがしないが、取り付いて見ると木の根と岩の厳しい登りだ
滑落すれば重大事故間違いなし、大きく重いザックである事に留意しつつ慎重に槍ヶ岳、地蔵岳をクリアする
どこを泊地にするか悩んだ、塔ノ谷峠が地図ではキャンプ適地とあるが、杉の樹林帯で、薄暗く居心地がよくないので 思い切って21世紀の森へ下る事にした。
樹林帯を抜けると立派な奥駈道の標識があった、更に林道を下ると車道に出会う
テントが幾つか張ってあり、水場が枯れている事を聞くが施設のトイレと水道が使える事を教えてもらった。
4日目もそこそこ歩いた割に疲れもそれほど感じず、荷物の重さもほとんど気にならず軽快な1日だった。
5日目
当初の計画では五日間での踏破はかなり難しいと考えていたが、熟慮の末5日目で熊野まで歩く事に決めた。
かといってペースを乱すとバテるので、自制しながら一歩一歩を丁寧に
車道と交わりながら玉置山へ到達、境内は参拝の方が大勢いたが、奥駈道を進むと人の気配は無くなった。
大森山を越え五大尊岳、大黒天神岳と激しいアップダウンが続く、落ち葉が積もり滑り易い斜面もあり気が抜けない。
時折視界が開けたところから熊野川が見え始めた、感慨深いものがある
しかしまだまだ先は長い、七越峰から下り油断したところで備崎経塚の最後の登りが待ち構えている、疲れもピークに達する頃ようやく眼前に熊野川が飛び込んでくる。
熊野川の青い流れを間近に本宮、そして本宮旧社地大斎原へ向かう
大斎原の大鳥居も素晴らしいが、石の祠と大きな木が残るだけの、旧社地の厳かな空気感は今も肌に残っている。
ここが今回の旅のゴールなんだと、そんな雰囲気を強く感じた。
下山後
周辺にいくつかキャンプ場があり、下調べしておいた渡瀬温泉のキャンプ場へ向かう
バスで行くつもりだったのだが、買い物などをしていたら乗り過ごしてしまった。
仕方なく歩いて移動、5キロ程一時間歩いてようやくくつろぐことができた。
キャンプ場はオートキャンプと車の入れないフリーサイトに分かれていて至極快適、温泉で汗を流し、生ビールとふわふわの親子丼は最高の贅沢でした。
翌日は近くのバス停から五条へ向かう、日本で一番長い路線バスへ乗車
通しで乗る乗客は少なかった、車窓から見る景色に飽きることはなかった。
準備と下調べに物凄く時間をかけた山行でした。
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