01 九度山駅
乗った「何か良い」電車が、真田幸村をイメージした南海・真田赤備え列車でした。「凄く良い」電車に昇格ですね(笑)
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01 九度山駅
乗った「何か良い」電車が、真田幸村をイメージした南海・真田赤備え列車でした。「凄く良い」電車に昇格ですね(笑)
02 九度山駅
駅舎やホームを、落ち着いた風合いに塗装するとともに、真田の「六文銭」をあしらった暖簾や幕を掲出し、真田ゆかりの地の特別感を演出しているそうです。
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02 九度山駅
駅舎やホームを、落ち着いた風合いに塗装するとともに、真田の「六文銭」をあしらった暖簾や幕を掲出し、真田ゆかりの地の特別感を演出しているそうです。
03 真田庵
小路を分け入ったところにあります。
真田幸村が、関ヶ原の合戦後に隠れて住んだところなので、当たり前と言えば当たり前。
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03 真田庵
小路を分け入ったところにあります。
真田幸村が、関ヶ原の合戦後に隠れて住んだところなので、当たり前と言えば当たり前。
04 真田庵
真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺となっています。
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04 真田庵
真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺となっています。
05 真田庵
高野山行きを命ぜられたものの、余りの寒さで、麓の九度山に住まいを移したのだとか。
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05 真田庵
高野山行きを命ぜられたものの、余りの寒さで、麓の九度山に住まいを移したのだとか。
06 真田庵
真田地主大権現。このお寺で、怒った姿の昌幸の霊がたびたび見られるようになったので、この地の大権現の神様にして祀ったところ、穏やかな顔になった昌幸が現れ、そして祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束したそうです。
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06 真田庵
真田地主大権現。このお寺で、怒った姿の昌幸の霊がたびたび見られるようになったので、この地の大権現の神様にして祀ったところ、穏やかな顔になった昌幸が現れ、そして祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束したそうです。
07 慈尊院
弘法大師創建の寺で、女人禁制のため高野山に入ることのできない大師の母親が住んでいたことで知られています。
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07 慈尊院
弘法大師創建の寺で、女人禁制のため高野山に入ることのできない大師の母親が住んでいたことで知られています。
08 慈尊院
多宝塔は県の指定文化財で、本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれているようです。
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08 慈尊院
多宝塔は県の指定文化財で、本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれているようです。
09 慈尊院
お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するために建てたのが、この弥勒堂らしいです。
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09 慈尊院
お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するために建てたのが、この弥勒堂らしいです。
10 慈尊院付近
丹生官省府神社(にゅうかんしょうふじんじゃ)への石段です。ここから町石道が始まります。
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10 慈尊院付近
丹生官省府神社(にゅうかんしょうふじんじゃ)への石段です。ここから町石道が始まります。
11 慈尊院付近
179町石とは…結構長いのかな(;´・ω・)
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11 慈尊院付近
179町石とは…結構長いのかな(;´・ω・)
12 丹生官省府神社
慈尊院の守り神として祀った神社だそうです。弘法大師は、どれだけ親孝行だったのでしょうか。
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12 丹生官省府神社
慈尊院の守り神として祀った神社だそうです。弘法大師は、どれだけ親孝行だったのでしょうか。
13 展望台
右に雨引山が見えます。目の前の斜面には、果樹園が広がっています。
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13 展望台
右に雨引山が見えます。目の前の斜面には、果樹園が広がっています。
14 展望台
紀ノ川が蛇行しているのが手に取るようにわかりますね!
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14 展望台
紀ノ川が蛇行しているのが手に取るようにわかりますね!
15 雨引山付近
果樹園の無人販売所がありました。安い、美味い、1袋100円でした。これからの長い山行のお供にピッタリです。
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15 雨引山付近
果樹園の無人販売所がありました。安い、美味い、1袋100円でした。これからの長い山行のお供にピッタリです。
16 六本杉峠手前
果樹園を抜けると林間の緩やかな道が続きます。
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16 六本杉峠手前
果樹園を抜けると林間の緩やかな道が続きます。
17 六本杉峠
右に行くと丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)、かつらぎ町コミュニティバスがJR和歌山線「笠田」駅を結んでいます。町石道は左に折れます。
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17 六本杉峠
右に行くと丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)、かつらぎ町コミュニティバスがJR和歌山線「笠田」駅を結んでいます。町石道は左に折れます。
18 古峠付近
あずまやと公衆トイレがあります。
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18 古峠付近
あずまやと公衆トイレがあります。
19 古峠付近
里山の景色が広がっています。
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19 古峠付近
里山の景色が広がっています。
20 古峠
ここから南海高野線「上古沢」駅にエスケープすることができます。
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20 古峠
ここから南海高野線「上古沢」駅にエスケープすることができます。
21 白蛇の岩と鳥居
古来より蛇は神の使いとされていますが、その昔、僧侶が蛇をつついたところ、帰り道白い大蛇がこの木に巻き付いていたため、非があったことを悟り祀ったのがはじまりとのことです。
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21 白蛇の岩と鳥居
古来より蛇は神の使いとされていますが、その昔、僧侶が蛇をつついたところ、帰り道白い大蛇がこの木に巻き付いていたため、非があったことを悟り祀ったのがはじまりとのことです。
22 神田地蔵堂
平安、鎌倉時代の高野参詣の人々の休憩場として存在したそうです。お堂には、弘法大師、子安地蔵、後に応其上人も安置されています。
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22 神田地蔵堂
平安、鎌倉時代の高野参詣の人々の休憩場として存在したそうです。お堂には、弘法大師、子安地蔵、後に応其上人も安置されています。
23 神田地蔵堂付近
神様の使いが表れて、しばし、道案内をしていただきました。
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23 神田地蔵堂付近
神様の使いが表れて、しばし、道案内をしていただきました。
24 矢立
「矢立茶屋」さんに立ち寄ってみましょう!
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24 矢立
「矢立茶屋」さんに立ち寄ってみましょう!
25 矢立茶屋
名物「やきもち」。店内はお茶のサービスがあります。うまーでした!
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25 矢立茶屋
名物「やきもち」。店内はお茶のサービスがあります。うまーでした!
26 袈裟掛石
弘法大師が袈裟をかけたそうです。
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26 袈裟掛石
弘法大師が袈裟をかけたそうです。
27 押上石
弘法大師が女人禁制の高野山に母親を連れてこようと、結界を越えたところ、激しい雷雨が襲ってきたため、この石を押し上げて空間を作り、母親を助けたのだとか。愚息である我が身にとっては、耳の痛い話だ。
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27 押上石
弘法大師が女人禁制の高野山に母親を連れてこようと、結界を越えたところ、激しい雷雨が襲ってきたため、この石を押し上げて空間を作り、母親を助けたのだとか。愚息である我が身にとっては、耳の痛い話だ。
28 鏡石付近
あずまやがあり、景色が見渡せます。
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28 鏡石付近
あずまやがあり、景色が見渡せます。
29 鏡石
この石に向かって真言を唱えると、心願成就するそうです。
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29 鏡石
この石に向かって真言を唱えると、心願成就するそうです。
30 大門
本当に大きな、大きな門
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30 大門
本当に大きな、大きな門
31 大門
門の左右には、金剛力士像が祀られています
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31 大門
門の左右には、金剛力士像が祀られています
32 高野の街並み
ここから散策です
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32 高野の街並み
ここから散策です
33 壇上伽藍
高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所です
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33 壇上伽藍
高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所です
34 壇上伽藍
金堂です。高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきまました。7度目の再建だそうです。
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34 壇上伽藍
金堂です。高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきまました。7度目の再建だそうです。
35 壇上伽藍
朱塗りがひときわ目立つ大塔
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35 壇上伽藍
朱塗りがひときわ目立つ大塔
36 壇上伽藍
参道の両脇には灯篭が並んでいます、きっと夜は幻想的でしょうね
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36 壇上伽藍
参道の両脇には灯篭が並んでいます、きっと夜は幻想的でしょうね
37 金剛峰寺
最後に立ち寄りました
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37 金剛峰寺
最後に立ち寄りました
38 金剛峰寺
ろうそくを納めました
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38 金剛峰寺
ろうそくを納めました
39 金剛峰寺バス停
ここでゴールとしました
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39 金剛峰寺バス停
ここでゴールとしました
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