記録ID: 8958633
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
志賀・草津・四阿山・浅間
大笹街道 峰の原~旧鳥居峠~天狗松⛩️🐻🎋
2025年11月16日(日) [日帰り]

体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:54
- 距離
- 15.2km
- 登り
- 412m
- 下り
- 622m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 4:53
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:53
距離 15.2km
登り 412m
下り 622m
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
慶応2(1866)年の銘のある百番供養塔。仁礼宿からなめり峠までは標高差で800mほどあり特に冬は厳しい道のりで、遭難した人馬を供養するために建てられました。台座には信州川田宿の文字があります。無事にここまで戻って来れますように🙏
百番供養塔の横にある(十一面?)千手観音。仁礼宿からの石仏の中で一番大きく見事です。大日向村所右衛門と刻まれています。この後に出てくる大明神沢茶屋の亭主と同一名だそうです。付近一帯には他に南無阿弥陀佛塔、旧大笹街道の説明板があります。
滑(なめり)峠。享保7(1722)年に境界争いの裁定でここが小県郡と高井郡の境界とされました。往時、この一帯は峰の原から菅平を見渡せる原野で、北信濃から菜種油が多く運ばれたことから油峠とも呼ばれました。左に行くと根子岳、約4キロ2時間程度で行けます。福島宿から仁礼宿を経てここまでは歩いています。旧鳥居峠を目指して約12キロの街道探索歩きの開始です😁
古地図では三本松と呼ばれる街道の象徴的な古木までほぼ一直線の旧道です。もちろん往時の道は残っていません。なめり峠の下にシナノキの大木があるという資料がありましたが位置がわからないので確認できませんでした。菅平の本格的な開発は嘉永4(1851)年に上田藩が薬草栽培を始めた頃からという。明治初期には大笹街道から北側が北信牧場となり1700頭の放牧を数え長野県下一となりましたが、現在はスキー場やゴルフ場に転用されています。この辺りは往事とほとんど変わらない風景かもしれません。
ゴルフ場の入口に立つ三本松。明治大正期から昭和初期までの古地図には大笹街道の破線の横に三本松の表記がありますが、現在の国土地理院地図では道筋も三本松の表記も消えています。しかしこの三本松は立派に現存しています🌲特に三本松を説明する看板類がないのが悲しい😢
大笹街道はなめり峠から大明神沢まで真っ直ぐ南下していますが、区画整理により旧道は残っていません。現在の道をジグザグしながら大明神沢手前まで歩いてきました。県道182号は左にカーブしている場所の右側に大明神沢へ降りていく道が残っています。柵の右は筑波大学の生物研究用地のようです。
大明神沢。ここは大笹街道と保科道、米子不動道(上田小県・佐久方面から米子不動へ参拝する道)の交差点で地形的に見て重要な地であったとされます。十返舎一九の『上州草津温泉道中続膝栗毛』(文政2(1819)年)ではこの大明神沢で休憩したと書かれているそうです。
米子不動尊への参道の起点に立つ瀧山(米子)不動尊常夜燈。右は慶應4(1868)年、左は明治2(1869)の建立。手前にある寄進連名碑には上田小県・小諸の53名の名前が彫られています。
参拝者の安全を願い36名の名を刻んだ石標(三十六童子)。慶應4(1868)年に作られ米子不動尊参道沿いに並べられたそうです。交通手段の発達に伴い寂れてしまった参道と散逸した童子を菅平の開拓者が集め、紛失したものは復元してこの地に歴史遺産として残されています(童子上を通る県道脇にある説明版(写真右上に見える)より抜粋)。
大明神沢の東側にある100坪ほどの平らな部分に茶屋があったそうですが、現在は目線の高さ以上の笹藪です。家があったと思われる付近にかなり古い車の残骸が残っていました。ちなみに私は廃墟マニアではありません(笑)ここから県道に向かって少し登って行きますが目線の高さの藪漕ぎです。
県道にぶつかります。反対側にある道が大笹街道と思われます。藪漕ぎでウインドブレーカーがビショビショに濡れてしまった😂藪漕ぎ用を忘れてランニング用を着ています。藪漕ぎで破れると嫌だなぁ⤵️
胸から膝くらいの藪ですが下道があり真っ直ぐ進んで県道に降りました。国土地理院地図では県道の左側に擁壁マークがありましたが、ここだけなかったので行けるのではと思っていました。正解👍そして道を挟んでやはりここだけガードレールがない反対側に道が続いています。
写真ではわかりづらいですが、降りていく道があります。中之沢という場所でここにも茶屋があったとされています。しかしここは航空写真を何度見ても植林地になっていて行けるようには思えません。ここはさすがに諦めよう😅…と思って県道を進みながら下を見るとなんとなく道筋があるように見えた。行けるのかもと思い戻って進んでみたがすぐに激藪に。石積みしか残っていないという茶屋跡を見るために藪漕ぎは嫌だ、ということでまた県道に戻る😅
舗装路に合流してしばらくすると県道にぶつかる前に左手前に降りていく道があります。分岐には目立つ松があります🌲ここから国道144号に合流するまでは過去レポがあるので歩けるはずです。正面に鍋蓋山、西篭ノ登山、角間山が見えます。
大笹街道を歩いていた人も見ていたであろう浅間山、手前には村上山。天明3(1783)年の浅間山大噴火の折には大笹村は幕府に対して大笹街道の復旧工事を訴え、幕府が莫大な費用をかけて道普請を行ったそうです。
写真ではわかりづらいですが右と正面、左に道があります。ここは真っ直ぐでした(一度間違えて左に進んで戻りました)。藪の濃いところ、薄いところがあります。軽トラなら通れそうな程度の道幅がありましたが、この辺りから道幅がかなり狭くなります。
上道(うわみち)の家と称された上渋沢の一軒屋。ここでも十返舎一九は『上州草津温泉道中続膝栗毛』(文政2(1819)年)の中で休憩したと書いているそうです。『真田町文化財調査報告書「大笹街道」』(昭和57年)には江戸時代末期の母屋と小屋が廃屋として写真に残っていますが、さすがに取り壊されたようです。物資取次、茶屋を兼ね水車小屋と水田があったとあります。国道脇には建物がありますが住んでいなさそうです。この一軒屋が峰の原からの最低標高(約1200m)で旧鳥居峠まで今度は約200m登り返します。
国道144号に合流、滝ノ入沢に架かる渋沢橋を渡り国道と県道の合流点を過ぎて、前回旧鳥居峠探索で降りてきた場所に着きました。峰の原のなめり峠から3時間、ほぼノンストップで歩いてきたので一息入れます。
前回、反対側から歩いた時に登山計画とズレて藪漕ぎした地点に来た。写真を撮りここからどう進もうかと考えていたら、右上の方でガサガサと何か音がする👀そして笹の中の物体が段々と近づいてくる💦距離は20mもないくらいまで来た。木の後ろに隠れホイッスルを吹くと「グエッ」と何とも表現し難い、そして初めて聞く低い唸り声が!間違いなく熊だ!🐻ヤバい!心臓バクバク🫀ポケットに入れておいた爆竹を取り出して物体のいる方に投げ込む🧨
熊と自分を隔てているのは笹以外には自分が隠れているカラマツの木1本のみ、距離は10数mだろうか。10秒ほど睨み合ってお互いにどうするか様子を見ている。え〜と、背を向けて逃げちゃいけないんだよね💦どうしよう、どうしよう💦💦爆竹は間違いなく効果がある🧨煙の方には絶対に来ないはずと2発目の爆竹を熊の方向に投入🧨🧨
「バンバンバン」🧨という音に、熊は木を降りて今度は唸り声を上げずに奥の方に逃げていった🐻笹で動きがわかるがメチャ速い!あっという間に真正面の奥の方に登っていって見えなくなりました。急いでザックから爆竹をさらに3つ取り出しいつでも鳴らせるように準備。さらにホイッスルを何度も何度も吹く⚡️🪈⚡️……しばらくの静寂、もう物音はしない。た、助かった😅
3発目の爆竹を鳴らしたがもう熊の気配は感じない。熊がまさに自分が進もうとしている方向(東側)に逃げていったので、ここからどうしようか悩む😅笹藪で視界も悪いので戻るのがセオリーだが、爆竹はまだあるし大丈夫だろうと考え(←甘い)前進することに。熊鈴、ホイッスル、防犯ブザー、爆竹総動員です(いつか泣きを見るぞ、お前😇)
前回、古地図を元に作った登山計画を外してしまった場所を歩くと明らかに踏み跡のある下道が!古地図の大笹街道の旧道と航空写真の道らしきものは一致しているので、今は植林の作業道だとしても大笹街道の旧道だと言っても過言ではないと思います。
まだまだ踏み跡が続いています。これはもう旧道を歩いているといってもいいでしょう😆あ、爆竹は定期的に鳴らしながら進んでいますが特に変な物体の動きは感じず物音もしません。今日は計16個の爆竹を持ってきていました🧨歩き終えるまでに計11個爆竹を鳴らしました。
8〜10畳ほどの広場のような場所に目立つ石があったのでちょっと掘ってみました。人工的な形状に見えなくもない。見方によっては石祠の屋根の部分や台座に見えなくもない(思い込み)。近くにはこれも祠の台座のような加工した感じの石がありました(思い込み)🤣
ず〜っと続いていた踏み跡。熊と出会った場所からはほぼ藪漕ぎなし。なんとなく踏み跡がわかってきたよ、俺ってスゲ〜😤と思っていたらついに踏み跡が消えて激藪へ。参道は目の前なので進むしかない💦歩き終えて軌跡を見たらだいぶ北寄りにズレていました。手前の広場の位置から真っ直ぐ進めば旧鳥居峠っぽいところまで道が続いているのかも。
広場のような場所に出ました。5月に的岩から降りてきた時にも通っているはずですが、その時は旧鳥居峠のことは頭になかったのでスルーしていました。ここが旧鳥居峠の第一候補かな🤔広場の西側に古びたドラム缶が放置されていました。
原生と思われる特徴的なアカマツのある場所(3回目😂)ここも広場のようになっています。ここが旧鳥居峠の第二候補ですね。大笹街道を忠実に歩くならここから左(東側)の林道側に進み東進しなければいけませんが、植林で旧道は完全に消滅しているのでこのまま真っ直ぐ進みます。
快適な林道歩きで天狗松まで行けそうです。…と思っていたら段々と道幅が狭く笹も高くなり、とうとう目線の高さの笹藪に。マジか😓もう今日は藪漕ぎしたくな〜い(笑)笹藪にも熊はいます、ということでホイッスルを吹いて進んでいきます。
左手の少し高くなっている笹藪から先ほど熊に遭遇した時と同じようにガサガサと何かが移動している音がする💦50m以上は離れているが爆竹をポケットから取り出して凝視していたら、笹の上から角が見えた。ニホンジカのようだ🦌あっという間にいなくなってしまって写真は撮れませんでした。破線通りに歩いていたら遭遇していたかも😅
そして天狗松。元禄15(1702)年の甲石村と大笹村国境紛争の幕府裁断絵図にも記されているとのことだったので、少なくとも300年以上は生きていたんですね🌲お疲れ様でした。「大笹街道の天狗松」で Googleマップに登録されました🥰落葉時期であれば国道144号からも確認できます。
感想
写真掲載量抑制のためポイント写真のみです。詳細はYAMAPでご覧ください。
https://yamap.com/activities/44389115
大笹街道歩き第3章として、峰の原から旧鳥居峠を越えて天狗松まで歩いてきました。2日連続の大笹街道です。ここは廃道化している部分が多く、旧道に正確な道筋で歩くには難易度が高い区間。さらに石仏や史跡も少なく黙々と歩くところが多い。
そんな区間ですが完全踏破を目指して古地図、航空写真、過去レポ、現地確認を積み重ねて登山計画を作っていざ出陣!😆
ところが、旧鳥居峠手前の藪漕ぎ中にまさかまさかの熊との遭遇🐻人気ない藪の中で襲われたら完全に行方不明になるところでしたが、道中に石仏や鳥居にお祈りしてきたご利益でしょうか、なんとか無事に歩き終えることができました🙏⛩️😊
(街道・古道・石仏マニアの完全自己満足活動日記です。見映えのしない藪の写真ばかりです。ご興味のない方はスルーしてください🙏)
他の方が大笹街道を歩いたレポがありますが、あまり正確な道筋ではありませんでした。現時点で歩行可能な大笹街道の旧道に最も近い道筋だと思います。自分のレポが誰かの役に立てば嬉しいなあ😃
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