記録ID: 8944163
全員に公開
ハイキング
志賀・草津・四阿山・浅間
中山道 信濃追分-軽井沢
2025年11月15日(土) [日帰り]

体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:52
- 距離
- 15.1km
- 登り
- 79m
- 下り
- 119m
コースタイム
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
特になし。敢えて言えば、国道並走箇所は事故に注意。 |
写真
石尊山への登山口。ここは以前車10台程が止められる駐車場だったが何故か廃止されてしまった。ご丁寧に車で入ることが不可能なように石まで置かれている。何故ここまで排除するに至ってしまったのだろうか。
中山道の追分宿。以前は普通のアスファルト舗装だったのだが、今回訪れてみると割と新しめの石畳風の舗装になっていた。恐らく”追分宿”を売り出そうと整備した一環なのだろう。以前は見かけなかったお洒落なレトロ調の建物やお店も増えた気がする。
建物の真ん前に車が止まっていたのはかなり残念だが、往時の追分宿の姿を正確に残している建物ではないだろうか。以前はこの手の建物が各地で見られたものだが、随分珍しくなってしまった。古い建物なので維持も大変なのだろう。
石垣。浅間山の火山弾を使って組まれている。その辺に浅間山の噴石はその辺にゴロゴロしていたので安価で使いやすかったのかもしれない。ただ、近年は噴火の頻度が落ちてきている為か、古めの建造物に使われている例が多かった。少し調べてみると、この石を「あさま石」と呼ぶようだ。現在では採取が禁止されているとか。道理で新しい建造物に利用されていない筈だ。
草津道分去れ道標。従是左上州とある。その下に三列に書かれている文字は私には読めず。調べてみると右から「くさ津」「大ささ」「あか徒ま」とある。そしてその三列の下に道。つまり、「くさ津道(草津道)」「大ささ道(大笹道)」「あか徒ま道(吾妻道)」という事らしい。壬戌紀行にも登場するというこの道標、紀行の書かれた1802年には既に存在していたという事らしい。
道中には馬頭観音が数多く存在する。ここもその一つ。一際大きな馬頭観音。石碑は「明治五年壬申」と横に彫ってある。明治の初頭はまだ元号+年+干支という表記が一般的であったという事か。写真の左側に写っている灯篭は実はもう一基ある。灯篭には「明治廿一年八月借宿中」と彫られている。
黄壁布屋・土屋作右衛門家。歩かないと通り過ぎてしまいそう。観光名所という訳でも無いのだろうが由緒ある建物。由来が書かれた看板がある。また、付近を案内する無料の手作りミニガイドが置かれていた。
奉納百八十八番須礼供養塔。左に「明和五年(1768)」右に「霜月吉日」と読める。他にも彫られているようだが読めず。1768年というと浅間山天明大噴火(1783)の15年程前。この供養塔が建てられた時にはまだ鬼押し出しは存在しなかったという事か。
こちらの家(倉庫?)も今ではなかなか見かけなくなったレトロな建物だ。居住性を求めると窓はアルミサッシになってしまう例が多いのだが、この窓は以前のままの木の枠。そしてガラスの割り付けが郷愁を誘う。
この辺の旧中山道がどの辺りだったのか。左に見える舗装路がそれだという話だが、こちらの土手上の方が風情があったので短い区間だが土手上を歩いてみた。その先には旧信越本線(現しなの鉄道)の鉄橋が見える。
雲場池の紅葉。この雲場池、いつのまにかメジャーな観光地と化してしまっていた。人がまぁやたらと多い。若かった頃に初めて行った時には知る人ぞ知る…と言った感じの場所であったのに。
撮影機器:
装備
| 個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
日よけ帽子
靴
ザック
ザックカバー
行動食
ハイドレーション
ヘッドランプ
GPS
時計
サングラス
タオル
ストック
|
|---|
感想
追分(信濃追分)から旧碓氷峠まで歩こうと考え、歩いてみました。ただ、出発時間がかなり遅かった為、結局軽井沢までで今回は断念。次回は旧軽井沢あたりから横川まで歩いてみたいのですが、いつになるやら。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:65人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
Washiba2924




いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する