記録ID: 8910237
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ハイキング
関東
嵩山
2012年03月20日(火) [日帰り]

- GPS
- 02:50
- 距離
- 2.7km
- 登り
- 333m
- 下り
- 333m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:50
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2012年03月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
【嵩山】プロフィール
中之条町の中之条盆地の北に、城塞のような台形の形の岩山が目立つ。これが嵩山で、古くは武山、あるいは嶽山といい、ここに武山城が築かれていた。この武山城は岩櫃城の支城で岩櫃城主斉藤憲広の子、城虎丸が守っていたが、岩櫃落城の2年後、永禄8年(1565年)11月、真田幸隆(幸村の祖父)の攻略をうけ激戦のあとに落城。本丸北の天狗の峰から城虎丸が飛び降りて死ぬと、多くの家臣たちもあとを追って自決したという悲話を秘めている。元禄15年(1702年)頃から、江戸の僧空閑と地元の人々の力で、戦死者の霊を弔うため、霊山三十三観世音の石像が立てられた。現在、山内随所の岩陰に見られる。(上毛新聞社 ぐんま100名山より)
中之条町の中之条盆地の北に、城塞のような台形の形の岩山が目立つ。これが嵩山で、古くは武山、あるいは嶽山といい、ここに武山城が築かれていた。この武山城は岩櫃城の支城で岩櫃城主斉藤憲広の子、城虎丸が守っていたが、岩櫃落城の2年後、永禄8年(1565年)11月、真田幸隆(幸村の祖父)の攻略をうけ激戦のあとに落城。本丸北の天狗の峰から城虎丸が飛び降りて死ぬと、多くの家臣たちもあとを追って自決したという悲話を秘めている。元禄15年(1702年)頃から、江戸の僧空閑と地元の人々の力で、戦死者の霊を弔うため、霊山三十三観世音の石像が立てられた。現在、山内随所の岩陰に見られる。(上毛新聞社 ぐんま100名山より)
感想
こうやって多くの観音様を見ると圧巻ですね〜。今日は朝早くから岩櫃山と嵩山をたてつづけに登ったので登山時間以上に体力を消耗しました。改めて奇勝地である2山の魅力を再確認できた一日でした。
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