251103の(1) 甲斐黄金村湯之奥金山博物館と下部温泉駅

- GPS
- 01:31
- 距離
- 0.8km
- 登り
- 1m
- 下り
- 5m
コースタイム
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
| その他周辺情報 | 道の駅「信州蔦木宿」 八ヶ岳PA 次のレコに続く。 |
写真
感想
今週、職場の行事が土曜日にあり、代休が火曜日。日、月、火と3連休となった。日曜日は、前日の疲れ及びその後行われた飲み会の疲れがあり、とても山に行こうと言う気にならなかった。それでも月曜日には山に登りたいと車で移動はした。
道の駅「信州蔦木宿」で、車中泊。月曜日は韮崎市の山に行こうと思っていたのだが、夜半過ぎから雨。早朝、iPadを開いてみると、予報が変わっており、午前中は山梨北部は雨予報に変わっていた。どうしようか、そして僕は途方に暮れる。
雨降る車の中でうだうだしていたのだが、雨でも行けるところはないかなぁとiPadで検索してみると、「金山資料館」が身延にあるらしい・・・というか、行ったことあるっぽい。でも記憶にはない。多分20年以上前に行ったのだろう。ここを再訪するのも面白いかもしれないと思い、私は車を南に走らせた。
朝食は八ヶ岳パーキングエリア、よくある朝食セットなどはなく、麺類かカレーの選択。カレーは「清里カレー」をうたっているが、量も少なそうで、トッピングをつけると1500円を超えてしまいそう。よって、そばにした。そばといっても、選択肢にあるのは「天ぷらそば」「天玉そば」「まいたけ天そば」の3つである。仕方がなく、まいたけ天そばを注文した。そばの香りはよく、まぁまぁ満足できた。
博物館の開館は、9時。20分ほど遅れて駐車場にたどり着いた。ここでGPSを入れる。残念ながら館内はほとんど撮影禁止であった。
この地域から金が取れると言うのは、甲斐を武田氏が治めるようになる相当前からなのだそうだ。もちろん最初は「ただきれいなもの」として流通していたものであるが、戦国時代ごろから、貨幣としての価値が出てくるようになる。武田信虎はこの地域に金山衆を置き、金の増産を行った。それにより、莫大な軍備を行うことができたのだ。
武田氏が滅んだ後も、この地は織田氏や徳川氏の保護下に置かれ、金の増産を行った。これらの金は、貨幣として流通するほかに、海外の品物と引き換えに流出するようになった。
ここの博物館では、金鉱床をどうやって探り、いかにして岩を砕き、いかにして、そこから金を取り出すのか。そして、それを高温で溶かし、塊にするのだ。ここまでの工程を、まるで1つの村が行っているかのように、流れ作業で行っていたのだ。これらの集落の様子についても非常に詳しい。
また、館内の観覧を終えた後、有料で「金洗い出し」を行うことができる。せっかくなので私も行ってみることとする。30分1本勝負だ。
場所を指定され、目の前には大量の水と砂が入っている。風呂桶のような容器で砂をすくい、水の中で砂のみを下に落としていく。金は重いので桶の下に沈む、これを繰り返していくと、1番下に金の粒が残ると言うのだ。30分で3粒取れれば上等だと言う。私は1粒だけ取ることができた。結構大きいと係員に言われたので、それは嬉しかった。職場の自分の机の上に置いておこうと思います。
ここまで来たら、やはり下部温泉駅まで足を伸ばしてみようと思います。吊り橋渡ればすぐです。きっと、この駅にも自分の自宅からの赤線が到達することがあると思われます。その時に金山資料館も一緒に赤瀬に取り込まれます。それが楽しいのです。
駅前には、日帰り温泉施設がありました。これはきっと、そのうち、入りに来るに違いありません。その時を楽しみにしたいと思います。
車まで戻った私は、今日1日でこのレコだけと言うのはもったいないと思い、とりあえず身延駅に向かって車を走らせたのです。
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aideiei




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