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キャンプ等、その他
ヨーロッパ
トルコ観光 世界遺産を巡る旅 6日目 イスタンブール歴史地区(ブルーモスク、アヤソフィア)
2025年10月21日(火) [日帰り]

体力度
8
2〜3泊以上が適当
- GPS
- 09:40
- 距離
- 83.5km
- 登り
- 816m
- 下り
- 846m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:41
- 休憩
- 4:00
- 合計
- 9:41
距離 83.5km
登り 816m
下り 846m
11:04
16分
FAIRMONT QUASAR ISTANBUL地点
11:20
12:20
30分
ボスポラス海峡クルーズ
12:50
12:20
130分
Halic View Restaurant 昼食
14:30
14:50
20分
ブルーモスク
15:10
16:00
30分
アヤソフィア
16:30
17:20
20分
グランドバザール
17:40
18:40
95分
chinese&Korean Restaurant 夕食
20:15
イスタンブール空港
| 天候 | 快晴 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
| アクセス |
写真
ドイツの会社ですが、大々的に売ってますな
写真を撮り忘れたのだが
ゴディバは2007年にトルコの食品系コングロマリットであるユルドゥズ・ホールディングに買収されて子会社となっていてトルコでは比較的安価に購入できます。スーパーの棚にも1000円程度の袋入りが売ってました。
写真を撮り忘れたのだが
ゴディバは2007年にトルコの食品系コングロマリットであるユルドゥズ・ホールディングに買収されて子会社となっていてトルコでは比較的安価に購入できます。スーパーの棚にも1000円程度の袋入りが売ってました。
ヨーロッパサイドを見てます
正面はスレイマニエ・モスク(トルコ語: Süleymaniye Camii)
1557年完成で、オスマン建築(トルコ建築)の最高作のひとつと言われる。イスタンブールの旧市街にある7つの丘のひとつの頂上に位置する。スレイマン・モスクともいう。
正面はスレイマニエ・モスク(トルコ語: Süleymaniye Camii)
1557年完成で、オスマン建築(トルコ建築)の最高作のひとつと言われる。イスタンブールの旧市街にある7つの丘のひとつの頂上に位置する。スレイマン・モスクともいう。
イェニ・ジャーミイ(Yeni Cami)
1597年メフメット3世の母后が建築家タバート・マーに着工を命じ、メフメット4世の時代の1663年に完成。「イェニ」とはトルコ語で「新しい」という意味。建築様式はオスマン様式で、中庭の清めの泉はイスタンブールで最も美しいといわれる。敷地内にはメフメット4世の霊廟がある。
1597年メフメット3世の母后が建築家タバート・マーに着工を命じ、メフメット4世の時代の1663年に完成。「イェニ」とはトルコ語で「新しい」という意味。建築様式はオスマン様式で、中庭の清めの泉はイスタンブールで最も美しいといわれる。敷地内にはメフメット4世の霊廟がある。
今回は寄ることが出来なかったガラタ塔
ガラタ塔は、ガラタ城壁の最高地点に建設された監視塔です。
6世紀頃、東ローマ帝国の第2代皇帝ユスティニアヌス1世によって建設されました。
1204年、フランスの諸侯とヴェネツィアを中心に行われた第4回十字軍によって破壊されました。
1348年、ロマネスク様式で再建された石造りの塔は、「キリストの塔」と名付けられました。
地震や火災で被害を受けたガラタ塔は、オスマン帝国時代に何度も改修されました。廃墟と化していた塔は、1960年代にイスタンブール市によって修復され、2020年に博物館として一般公開されました。
ガラタ塔は、ガラタ城壁の最高地点に建設された監視塔です。
6世紀頃、東ローマ帝国の第2代皇帝ユスティニアヌス1世によって建設されました。
1204年、フランスの諸侯とヴェネツィアを中心に行われた第4回十字軍によって破壊されました。
1348年、ロマネスク様式で再建された石造りの塔は、「キリストの塔」と名付けられました。
地震や火災で被害を受けたガラタ塔は、オスマン帝国時代に何度も改修されました。廃墟と化していた塔は、1960年代にイスタンブール市によって修復され、2020年に博物館として一般公開されました。
ガラタ橋(Galata Köprüsü)は、トルコのイスタンブール旧市街のエミノニュ桟橋と新市街のカラキョイ桟橋を結んで金角湾に架かる両開き式の跳開橋(跳ね橋)です。全長490m、幅42mで、上層と下層の2層式になっています。
最初の木製のガラタ橋が開通したのは1845年ですが、その後は何度か再建が繰り返され、現在の橋は1994年に開通した5代目です。
最初の木製のガラタ橋が開通したのは1845年ですが、その後は何度か再建が繰り返され、現在の橋は1994年に開通した5代目です。
少し遠いが目立つ塔はイスタンブールで最も高い丘であるチャムルジャの丘に立つ、2020年9月竣工したチャムルジャ・タワー。369メートル、海抜587メートル、地上45階建て、総工費1億7,000万ドル超の電波塔は、イスタンブールで最も高い建物。トルコ国花であるチューリップをイメージして建てられています。
オルタキョイ モスク
ボスポラス大橋のたもとに建つモスクです。もともとこの場所には1721年に建造されたモスクがありましたが、19世紀になり廃れていたモスクをスルタンが建て直させました。
設計はNigo Nios Balyanで、1855年にバロック様式とロココ様式を取り入れたモスクが完成。外観は石造りの彫刻やレリーフが装飾されており、まるで宮殿の入り口のような雰囲気です。
ボスポラス大橋のたもとに建つモスクです。もともとこの場所には1721年に建造されたモスクがありましたが、19世紀になり廃れていたモスクをスルタンが建て直させました。
設計はNigo Nios Balyanで、1855年にバロック様式とロココ様式を取り入れたモスクが完成。外観は石造りの彫刻やレリーフが装飾されており、まるで宮殿の入り口のような雰囲気です。
トルコ国営放送局の敷地に掲揚されている巨大な旗
あまりの巨大さに遠くからでもよく目立ちます
トルコでは、国営放送局のほか、歴史的建造物や丘の上など、さまざまな場所にトルコ国旗が掲揚されています。これは、国民の愛国心を高める目的があるとのこと。
あまりの巨大さに遠くからでもよく目立ちます
トルコでは、国営放送局のほか、歴史的建造物や丘の上など、さまざまな場所にトルコ国旗が掲揚されています。これは、国民の愛国心を高める目的があるとのこと。
橋の袂の施設は沿岸安全総局のもの
橋の向こうに見えるのはトルコ最大のモスクグランド・チャムリジャ・モスク
ウスキュダル地区、チャムリジャの丘に位置する。2019年に開館したこの複合施設は、最大6万3000人の礼拝者を収容でき、古典的なオスマン建築と現代建築が融合しています。礼拝スペースに加え、アートギャラリー、図書館、会議室、博物館を備えた文化センターでもある。
橋の向こうに見えるのはトルコ最大のモスクグランド・チャムリジャ・モスク
ウスキュダル地区、チャムリジャの丘に位置する。2019年に開館したこの複合施設は、最大6万3000人の礼拝者を収容でき、古典的なオスマン建築と現代建築が融合しています。礼拝スペースに加え、アートギャラリー、図書館、会議室、博物館を備えた文化センターでもある。
乙女の塔
乙女の塔については、いくつか言い伝えがありますが、最も有名なのは、ある国王と娘の物語です。
「王女が18歳の誕生日にヘビに噛まれて死ぬ」と占い師に警告された王様は、娘である王女を守るために塔を建てて彼女をそこに閉じ込めます。その間、王様は娘に会いに定期的に塔を訪れていましたが、18歳になる日にプレゼントとして持っていった果物を詰めたカゴの中に忍び込んでいた毒ヘビに噛まれ、予言通り娘は命を落としてしまいました。
この王女の悲劇から、“乙女”の塔と名付けられたといわれています。
乙女の塔については、いくつか言い伝えがありますが、最も有名なのは、ある国王と娘の物語です。
「王女が18歳の誕生日にヘビに噛まれて死ぬ」と占い師に警告された王様は、娘である王女を守るために塔を建てて彼女をそこに閉じ込めます。その間、王様は娘に会いに定期的に塔を訪れていましたが、18歳になる日にプレゼントとして持っていった果物を詰めたカゴの中に忍び込んでいた毒ヘビに噛まれ、予言通り娘は命を落としてしまいました。
この王女の悲劇から、“乙女”の塔と名付けられたといわれています。
まずはスルタンアフメト・モスクに入ります
建設時期:1609年から1616年
内部を飾る多数の青いタイルに由来し、「ブルーモスク」という愛称で広く知られていますがトルコの人はブルーモスクとは呼ばないそうです。
建設時期:1609年から1616年
内部を飾る多数の青いタイルに由来し、「ブルーモスク」という愛称で広く知られていますがトルコの人はブルーモスクとは呼ばないそうです。
次はアヤソフィアに向かいます
元々は東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)時代に首都コンスタンティノープルで建てられたキリスト教正教会の大聖堂を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であった[3]が、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。その後はオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落が起きた1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりイスラム教モスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となったとのことなので、ブルーモスクよりも400年以上古いことになるな。
元々は東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)時代に首都コンスタンティノープルで建てられたキリスト教正教会の大聖堂を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であった[3]が、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。その後はオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落が起きた1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりイスラム教モスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となったとのことなので、ブルーモスクよりも400年以上古いことになるな。
アヤソフィアの「噴水」は、**アヤソフィアに併設されている、礼拝前に手や足などを清めるための「アブレーション噴水(シャディルヴァン)」です。この噴水はスルタン・マフムード1世によって追加された建物の一つで、8本の大理石の柱の上にアーチ構造が乗っています
建物の向こうに見えるのはヌルオスマニエ・モスク
第24代オスマン帝国皇帝マフムト1世(1696〜1754年 在位1730〜1754年)の命により建設が開始され、皇帝が急死した翌年の1755年に完成したとされます。
トルコのイスタンブール、ファティフ地区のチェンベルリタシュ地区にある18世紀のオスマン帝国時代の モスクで、 2016年にトルコの世界遺産暫定リストに登録されました。
第24代オスマン帝国皇帝マフムト1世(1696〜1754年 在位1730〜1754年)の命により建設が開始され、皇帝が急死した翌年の1755年に完成したとされます。
トルコのイスタンブール、ファティフ地区のチェンベルリタシュ地区にある18世紀のオスマン帝国時代の モスクで、 2016年にトルコの世界遺産暫定リストに登録されました。
ガイドのムスタファさんと
トルコに誇りを持った良いガイドさんでした
出国の前に、パムッカレの革製品工房で購入したリストが空港側に伝わっていて、ちゃんと国外に持ち出すかのチェックを受けました。こんなことは初めての経験ですが、非課税で大量に購入してトルコ国内で売り捌くのを防止しているのでしょうか?
トルコに誇りを持った良いガイドさんでした
出国の前に、パムッカレの革製品工房で購入したリストが空港側に伝わっていて、ちゃんと国外に持ち出すかのチェックを受けました。こんなことは初めての経験ですが、非課税で大量に購入してトルコ国内で売り捌くのを防止しているのでしょうか?
感想
今日は最終日
といっても飛行機が飛ぶのは26時なので、1日イスタンブールを満喫できる。
今回の旅では国内線を除いた車と徒歩での総移動距離が1853km。
トルコの道路は非常に走りやすく、移動距離は長かったものの体は比較的楽だった。
しかし、どこに行っても人馴れした猫が多い
ちょっとググって調べてみたら以下のような説明を見つけた
「トルコで猫が多い理由は、イスラム教の教えで猫が大切にされていることと、歴史的に船のネズミ駆除などで人間と共存してきたこと、そして現代では国が野良猫の保護を推進していることが挙げられます。具体的には、預言者ムハンマドが猫好きだったことが信仰の背景にあり、生活の場に猫が溶け込んでいるだけでなく、野良猫に餌や水をあげる習慣が社会全体に根付いており、国が制定した動物保護法によって猫の権利が守られているからです。
トルコ政府は「飼い主のいない動物たちに、一杯のご飯、一杯の水」というスローガンを掲げ、地域住民や公務員が積極的に野良猫の世話をしています。
観光客が野良猫にご飯をあげやすいように、市販のご飯も小分けにされて販売されています。2004年に制定された動物保護法により、みだりに動物に苦痛を与えたり、虐待したりすることが禁じられ、罰則が強化されています。」
日本の感覚で無闇に餌をやってはいけないと思いあげなかったのが悔やまれます。
ということでトルコは猫の天国、旅行とは別の意味でも癒されました。
初めてのトルコ旅行でしたが、大好きな国になりました。
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