西武新宿線・本川越から出発
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10/18 9:52
西武新宿線・本川越から出発
期せずしてこの日は川越まつりの日。交通規制により大通りは歩行者天国に
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10/18 10:02
期せずしてこの日は川越まつりの日。交通規制により大通りは歩行者天国に
通り沿いでは川越まつり囃子も実演されています
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10/18 10:03
通り沿いでは川越まつり囃子も実演されています
大きな山車もスタンバイ
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10/18 10:16
大きな山車もスタンバイ
そろそろ出発するようです
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10/18 10:19
そろそろ出発するようです
札ノ辻交差点でも山車の準備中。ここを右折して児玉街道スタートです
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10/18 10:22
札ノ辻交差点でも山車の準備中。ここを右折して児玉街道スタートです
6月7日に訪れた六塚稲荷神社も紅白の垂れ幕で飾られています
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10/18 10:27
6月7日に訪れた六塚稲荷神社も紅白の垂れ幕で飾られています
新河岸川に架かる高沢橋を渡ると古民家風の建物は中正屋蕎麦店
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10/18 10:29
新河岸川に架かる高沢橋を渡ると古民家風の建物は中正屋蕎麦店
すぐ先に本應寺。奥に見える山門は力神門。2階に梵鐘が下がる鐘楼門です
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10/18 10:30
すぐ先に本應寺。奥に見える山門は力神門。2階に梵鐘が下がる鐘楼門です
境内には川越城主秋元喬知の家臣で松尾芭蕉の門人であった高山繁文の墓があります
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10/18 10:32
境内には川越城主秋元喬知の家臣で松尾芭蕉の門人であった高山繁文の墓があります
こちらの古民家は会所となっており路上でお囃子が舞われていました
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10/18 10:37
こちらの古民家は会所となっており路上でお囃子が舞われていました
その先の民家の表札には
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10/18 10:40
その先の民家の表札には
「玉鋼鋸製造専門店 中屋滝次郎正義」の文字。玉鋼鋸とは珍しい
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10/18 10:42
「玉鋼鋸製造専門店 中屋滝次郎正義」の文字。玉鋼鋸とは珍しい
八咫神社。こちらも今日は獅子舞が行われるようです。秋元候が藩主の頃、竹姫の眼病平癒を願い獅子舞を奉納したところ治癒し、葵の御紋を賜ったとか
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10/18 11:08
八咫神社。こちらも今日は獅子舞が行われるようです。秋元候が藩主の頃、竹姫の眼病平癒を願い獅子舞を奉納したところ治癒し、葵の御紋を賜ったとか
土手沿いに街道に戻り、平塚橋で入間川を渡ります。行く手には秩父や奥武蔵野の山々が連なります
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10/18 11:29
土手沿いに街道に戻り、平塚橋で入間川を渡ります。行く手には秩父や奥武蔵野の山々が連なります
10分ほど歩くと平塚天満天神社。創建年代等は不詳ながら江戸期には畑中に鎮座。ここは別当寺だった正光寺の跡地だそうです
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10/18 11:38
10分ほど歩くと平塚天満天神社。創建年代等は不詳ながら江戸期には畑中に鎮座。ここは別当寺だった正光寺の跡地だそうです
とげ橋で小畦川を渡ります。対岸には宮坂米菓・匠屋本店の工場が
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10/18 11:47
とげ橋で小畦川を渡ります。対岸には宮坂米菓・匠屋本店の工場が
「製造直売」の文字にふらふらと誘われてしまいます
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10/18 11:50
「製造直売」の文字にふらふらと誘われてしまいます
ファミマの建つ交差点を北に入り、慈眼寺に立ち寄り
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10/18 12:13
ファミマの建つ交差点を北に入り、慈眼寺に立ち寄り
境内のシダレザクラは樹齢約300年。通常4月1日ごろに満開を迎えるとのことです。見事でしょうね
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10/18 12:15
境内のシダレザクラは樹齢約300年。通常4月1日ごろに満開を迎えるとのことです。見事でしょうね
本堂を覗いてみると閻魔大王がにらみを利かせています。ところで左のガチャガチャは何?
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10/18 12:17
本堂を覗いてみると閻魔大王がにらみを利かせています。ところで左のガチャガチャは何?
街道に戻ると駐車場の端に三面六臂の馬頭観音。天明3年(1783)建立のもの
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10/18 12:26
街道に戻ると駐車場の端に三面六臂の馬頭観音。天明3年(1783)建立のもの
北側畑の隅に馬頭観音。建立年代等見えません
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10/18 12:31
北側畑の隅に馬頭観音。建立年代等見えません
坂戸の消防署はおしゃれですね
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10/18 12:36
坂戸の消防署はおしゃれですね
セブンイレブンの先、交差点の北角に立つ馬頭観音は宝暦8年(1758)のもの
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10/18 12:43
セブンイレブンの先、交差点の北角に立つ馬頭観音は宝暦8年(1758)のもの
馬頭観音の立つ交差点を東坂戸団地方向に入ると大穴城跡が。中世に築かれた城を、江戸時代には陣屋として利用していたとか。誰のものかは分かっていないようです
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10/18 12:47
馬頭観音の立つ交差点を東坂戸団地方向に入ると大穴城跡が。中世に築かれた城を、江戸時代には陣屋として利用していたとか。誰のものかは分かっていないようです
街道に戻り、ここで昼食休憩
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10/18 13:17
街道に戻り、ここで昼食休憩
街道を進み、観音堂バス停の手前を西に入ると集会所らしき建物の前に石塔が並んでいます
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10/18 13:32
街道を進み、観音堂バス停の手前を西に入ると集会所らしき建物の前に石塔が並んでいます
この集会所らしき建物が観音堂の跡地のようです
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10/18 13:33
この集会所らしき建物が観音堂の跡地のようです
敷地片隅に置かれた手水鉢には文化十年(1813)の文字が読み取れます
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10/18 13:34
敷地片隅に置かれた手水鉢には文化十年(1813)の文字が読み取れます
街道に戻り、観音堂バス停を過ぎると順拝供養塔。羽黒三山と西國、坂東、秩父、四國の順拝先が刻まれていました
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10/18 13:35
街道に戻り、観音堂バス停を過ぎると順拝供養塔。羽黒三山と西國、坂東、秩父、四國の順拝先が刻まれていました
圏央道の手前、西側の畑の隅にはなんとなく愛らしいお地蔵さまが立っています
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10/18 13:41
圏央道の手前、西側の畑の隅にはなんとなく愛らしいお地蔵さまが立っています
圏央道を越え、少し歩くとフェンス際に地蔵尊と馬頭観音
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10/18 13:47
圏央道を越え、少し歩くとフェンス際に地蔵尊と馬頭観音
さらに街道を15分ほど進むと八坂神社。小さいながら立派なつくりの本殿です
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10/18 14:02
さらに街道を15分ほど進むと八坂神社。小さいながら立派なつくりの本殿です
10分ほど先の交差点に大宮住吉神社の石標。ここを東に入り住吉神社へ立ち寄り
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10/18 14:11
10分ほど先の交差点に大宮住吉神社の石標。ここを東に入り住吉神社へ立ち寄り
途中にあった塚越神社。義家塚ともいい、文治3年(1187)9月に源頼朝の命により、義家の忠魂を勧請したものといわれるが・・・
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10/18 14:15
途中にあった塚越神社。義家塚ともいい、文治3年(1187)9月に源頼朝の命により、義家の忠魂を勧請したものといわれるが・・・
その先には東山道武蔵路の説明版。ここに道幅11mの街道が走っていたとは
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10/18 14:18
その先には東山道武蔵路の説明版。ここに道幅11mの街道が走っていたとは
住吉人神社手前には大きな馬頭尊。左の三角の石碑は兵隊さんのお墓でした
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10/18 14:21
住吉人神社手前には大きな馬頭尊。左の三角の石碑は兵隊さんのお墓でした
コスモスの向こうに大宮住吉神社。天徳3年(959)に長門国の住吉神社から分霊を勧請したことに始まるといわれる
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10/18 14:26
コスモスの向こうに大宮住吉神社。天徳3年(959)に長門国の住吉神社から分霊を勧請したことに始まるといわれる
文治3年(1187)に源頼朝によって北武蔵12郡の総社に指定されたという。
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10/18 14:29
文治3年(1187)に源頼朝によって北武蔵12郡の総社に指定されたという。
街道に戻り数分ほど、ブロック塀の横に元文4年(1739)の庚申塔
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10/18 14:54
街道に戻り数分ほど、ブロック塀の横に元文4年(1739)の庚申塔
宗福寺入口の覆屋の中には正徳4年(1714)の地蔵尊や宝暦12年(1762)の庚申塔が並び
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10/18 14:59
宗福寺入口の覆屋の中には正徳4年(1714)の地蔵尊や宝暦12年(1762)の庚申塔が並び
その隣には馬頭損や馬頭観世音、供養塔などが並んでいます
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10/18 15:00
その隣には馬頭損や馬頭観世音、供養塔などが並んでいます
再び街道を東に入ると勝呂公民館の跡地に勝呂廃寺跡。飛鳥時代の終わりごろ(680頃)、ここに寺院が建てられていて埼玉県最古の寺院跡とのこと
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10/18 15:10
再び街道を東に入ると勝呂公民館の跡地に勝呂廃寺跡。飛鳥時代の終わりごろ(680頃)、ここに寺院が建てられていて埼玉県最古の寺院跡とのこと
その一角には道興准后歌碑も。聖護院門跡道興准后が文明18年(1486)勝呂の地を訪れた時の作。「旅ならぬ 袖もやつれて 武蔵野や すぐろの薄霜に朽にき」
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10/18 15:13
その一角には道興准后歌碑も。聖護院門跡道興准后が文明18年(1486)勝呂の地を訪れた時の作。「旅ならぬ 袖もやつれて 武蔵野や すぐろの薄霜に朽にき」
街道に戻り数分、小さな御堂が。中を覗くと小さな石祠と須賀神社と記された札が置かれていました
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10/18 15:19
街道に戻り数分、小さな御堂が。中を覗くと小さな石祠と須賀神社と記された札が置かれていました
川を渡ると田圃の中にポツンと〆松地蔵。足元には可愛い板碑も並んでいました。鉄製の覆屋は丈夫そうですが、風情がありませんね
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10/18 15:28
川を渡ると田圃の中にポツンと〆松地蔵。足元には可愛い板碑も並んでいました。鉄製の覆屋は丈夫そうですが、風情がありませんね
10分ほど先で県道は左へ曲がっていきますが、児玉街道は真っ直ぐ狭い道に入ります。入口には立派な長屋門がありました
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10/18 15:40
10分ほど先で県道は左へ曲がっていきますが、児玉街道は真っ直ぐ狭い道に入ります。入口には立派な長屋門がありました
道の突き当り、越辺川の土手下に地蔵菩薩や観音菩薩、庚申塔などが並んでいました。地蔵菩薩は天和3年(1683)のもの
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10/18 15:48
道の突き当り、越辺川の土手下に地蔵菩薩や観音菩薩、庚申塔などが並んでいました。地蔵菩薩は天和3年(1683)のもの
土手に上がると木製の冠水橋・島田橋が見えます。昔は島田の渡しといわれた渡し船がありましたが、明治初期頃に木製の橋が架けられたとか
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10/18 15:49
土手に上がると木製の冠水橋・島田橋が見えます。昔は島田の渡しといわれた渡し船がありましたが、明治初期頃に木製の橋が架けられたとか
橋を渡り、土手を越えると真っ直ぐな一本道が国道407号線まで続きます
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10/18 15:55
橋を渡り、土手を越えると真っ直ぐな一本道が国道407号線まで続きます
国道407号手前の石柱は道標。「左 江戸道 右 八王字道」と刻まれています。八王子道とは日光脇往還・千人同心街道のこととか
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10/18 16:02
国道407号手前の石柱は道標。「左 江戸道 右 八王字道」と刻まれています。八王子道とは日光脇往還・千人同心街道のこととか
407号線を強制横断し坂道を上っていくが、ここで児玉街道と千人同心街道は合流して高坂宿までは同じ道をたどる
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10/18 16:05
407号線を強制横断し坂道を上っていくが、ここで児玉街道と千人同心街道は合流して高坂宿までは同じ道をたどる
坂を上り始めてすぐ、西側の覆屋にはお地蔵様と庚申塔
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10/18 16:06
坂を上り始めてすぐ、西側の覆屋にはお地蔵様と庚申塔
坂道を上っていくと街道東側の建物の壁沿いに六地蔵が並んでいます。あまり見かけない光景ですね
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10/18 16:11
坂道を上っていくと街道東側の建物の壁沿いに六地蔵が並んでいます。あまり見かけない光景ですね
六地蔵から街道を10分ほど歩き、西に折れて高坂駅に到着。今日の旅はここで終了とします
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10/18 16:34
六地蔵から街道を10分ほど歩き、西に折れて高坂駅に到着。今日の旅はここで終了とします
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