田端駅前をスタート。同じ帰宅でもこの界隈をじっくり歩くのは初めてです。ちょっと道が複雑でわかりにくいです。
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8/11 12:38
田端駅前をスタート。同じ帰宅でもこの界隈をじっくり歩くのは初めてです。ちょっと道が複雑でわかりにくいです。
不動坂、かつて付近に不動滝があり不動尊が祀られていたとのこと。その不動様にはこの後会いに行きます。
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8/11 12:49
不動坂、かつて付近に不動滝があり不動尊が祀られていたとのこと。その不動様にはこの後会いに行きます。
まずは『図会』に記載されている與楽寺です。本尊の地蔵菩薩(伝弘法大師作、秘仏)は「賊除地蔵」と称されるそうです。
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8/11 12:59
まずは『図会』に記載されている與楽寺です。本尊の地蔵菩薩(伝弘法大師作、秘仏)は「賊除地蔵」と称されるそうです。
『江戸名所図会』<田畑八幡宮>、右下に「與楽寺 六阿弥陀四番目」とあります。その上方に田畑八幡宮と参道の仁王像、隣に東覚寺があります。遠景のお山は道灌山?
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『江戸名所図会』<田畑八幡宮>、右下に「與楽寺 六阿弥陀四番目」とあります。その上方に田畑八幡宮と参道の仁王像、隣に東覚寺があります。遠景のお山は道灌山?
現在の與楽寺
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8/11 12:59
現在の與楽寺
山門の左手に石造物とお大師様
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8/11 13:00
山門の左手に石造物とお大師様
右「六阿弥陀第四番目與楽寺」と左「御府内八十八ヶ所 伊豫國大山寺移 第五十六番 寶珠山與楽寺/宝暦七丁丑正月吉祥日(1757)」には
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8/11 13:02
右「六阿弥陀第四番目與楽寺」と左「御府内八十八ヶ所 伊豫國大山寺移 第五十六番 寶珠山與楽寺/宝暦七丁丑正月吉祥日(1757)」には
道標銘「自是右谷中観音寺江八町 同左當所東覚寺江一町」
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8/11 13:01
道標銘「自是右谷中観音寺江八町 同左當所東覚寺江一町」
「<聖観音像>天下泰平 日月和順 西國秩坂東奉順禮供養佛」(□和四年□十二月吉日 豊嶋郡下田端村)にも
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8/11 13:07
「<聖観音像>天下泰平 日月和順 西國秩坂東奉順禮供養佛」(□和四年□十二月吉日 豊嶋郡下田端村)にも
道標銘「右ハ江戸駒込道 左(ハ)王子道灌山道」
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8/11 13:07
道標銘「右ハ江戸駒込道 左(ハ)王子道灌山道」
旧寛永寺石燈籠と本堂
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8/11 13:11
旧寛永寺石燈籠と本堂
「奉献 石燈籠壹基 東叡山 常憲院尊前 宝永六年己丑年正月十日(1709) 従五位下細川長門守源興榮」*常憲院(5代将軍徳川綱吉法号) *細川興榮(おきなが、常陸国谷田部藩第四代藩主)
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8/11 13:11
「奉献 石燈籠壹基 東叡山 常憲院尊前 宝永六年己丑年正月十日(1709) 従五位下細川長門守源興榮」*常憲院(5代将軍徳川綱吉法号) *細川興榮(おきなが、常陸国谷田部藩第四代藩主)
阿弥陀堂前の石燈籠は
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8/11 13:15
阿弥陀堂前の石燈籠は
左「<ウーン>庚申供養爲菩提<聞か猿> 寛文第九年己酉三月彼岸日(1669)」、左右側面に見ざる、言わざるのお猿さんがいます。
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8/11 13:16
左「<ウーン>庚申供養爲菩提<聞か猿> 寛文第九年己酉三月彼岸日(1669)」、左右側面に見ざる、言わざるのお猿さんがいます。
右「<阿弥陀三尊種子>阿弥陀念佛證爐 寛文第九年酉彼岸日□□ 武州豊嶋郡田端村」
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8/11 13:17
右「<阿弥陀三尊種子>阿弥陀念佛證爐 寛文第九年酉彼岸日□□ 武州豊嶋郡田端村」
境内に集積されたお地蔵様の中の一躰(元文四己未,1739)、その台石に
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8/11 13:21
境内に集積されたお地蔵様の中の一躰(元文四己未,1739)、その台石に
道標銘「右ハ六阿弥陀四番目道 奉造立地蔵菩薩 施主本所林町四丁目 桔梗屋 清正」「左者 六阿弥陀三番目道」
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8/11 13:21
道標銘「右ハ六阿弥陀四番目道 奉造立地蔵菩薩 施主本所林町四丁目 桔梗屋 清正」「左者 六阿弥陀三番目道」
所変わって田端八幡神社・奥州征伐の凱旋途中、源頼朝が鶴岡八幡を勧請・神仏分離令により参道入り口の(赤紙)不動は隣の別当、東覚寺へ
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8/11 13:37
所変わって田端八幡神社・奥州征伐の凱旋途中、源頼朝が鶴岡八幡を勧請・神仏分離令により参道入り口の(赤紙)不動は隣の別当、東覚寺へ
一の鳥居「文化元年甲子年六月吉祥日(1804)/東覚寺現住以信代建立」と旧谷田川の石橋、昭和初期の暗渠化にともない移設して記念保存
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8/11 13:39
一の鳥居「文化元年甲子年六月吉祥日(1804)/東覚寺現住以信代建立」と旧谷田川の石橋、昭和初期の暗渠化にともない移設して記念保存
左が男坂の石段(寛政四壬子,1792)、左が女坂、途中に浅間社、三峯社、稲荷社が祀られています。
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8/11 13:41
左が男坂の石段(寛政四壬子,1792)、左が女坂、途中に浅間社、三峯社、稲荷社が祀られています。
田端冨士三峯講の冨士浅間社、元は田端駅の南の台地あたりにあったそうですが、線路拡張のため遷座したそう。
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8/11 13:42
田端冨士三峯講の冨士浅間社、元は田端駅の南の台地あたりにあったそうですが、線路拡張のため遷座したそう。
女坂の通路をはさんで三峯社
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8/11 13:43
女坂の通路をはさんで三峯社
黒ボクの冨士塚の様子
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8/11 13:44
黒ボクの冨士塚の様子
稲荷社
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8/11 13:44
稲荷社
坂を登り切って、手水舎横に不動明王像
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8/11 13:45
坂を登り切って、手水舎横に不動明王像
田端八幡神社社殿
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8/11 13:46
田端八幡神社社殿
狛犬さん「典都五十周年紀念/大正六年八月(1917)」
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8/11 13:47
狛犬さん「典都五十周年紀念/大正六年八月(1917)」
東覚寺不動堂前の赤紙仁王尊、赤紙を自分の病気と同じ患部に貼り、病気身代わりと心身安穏を願うそう、ご尊顔は全然わかりませんが、
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8/11 13:52
東覚寺不動堂前の赤紙仁王尊、赤紙を自分の病気と同じ患部に貼り、病気身代わりと心身安穏を願うそう、ご尊顔は全然わかりませんが、
説明板に写真がありました、阿像、「寛永十八年辛巳天八月二十一日(1641)」
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8/11 13:54
説明板に写真がありました、阿像、「寛永十八年辛巳天八月二十一日(1641)」
こちらが吽像、当時江戸市中に流行した疫病を鎮めるために建立されたとのこと
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8/11 13:54
こちらが吽像、当時江戸市中に流行した疫病を鎮めるために建立されたとのこと
御堂内には不動三尊像が安置されています。
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8/11 13:56
御堂内には不動三尊像が安置されています。
慶応二年頃の仁王尊の様子だそうです。まだ八幡社の入り口前にあった時ですね。
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8/11 13:57
慶応二年頃の仁王尊の様子だそうです。まだ八幡社の入り口前にあった時ですね。
白瀧山東覚寺
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8/11 13:58
白瀧山東覚寺
境内にある青面金剛庚申塔「享保三戊戌天□月吉日(1718)」、その隣に
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8/11 14:02
境内にある青面金剛庚申塔「享保三戊戌天□月吉日(1718)」、その隣に
「西國廿九番 丹後松尾寺うつし/馬頭観世音 田畑 東覚寺/江戸下谷竹町 住吉屋 源兵衛」と「<キリーク>九品佛 第二番 阿弥陀如来/享和二壬戌正月吉祥日(1802)/奉納々教供養塔 願主安住」
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8/11 14:03
「西國廿九番 丹後松尾寺うつし/馬頭観世音 田畑 東覚寺/江戸下谷竹町 住吉屋 源兵衛」と「<キリーク>九品佛 第二番 阿弥陀如来/享和二壬戌正月吉祥日(1802)/奉納々教供養塔 願主安住」
金次郎さんが読んでいた本、以上東覚寺でした。
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8/11 14:06
金次郎さんが読んでいた本、以上東覚寺でした。
散策途中、水神稲荷神社
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8/11 14:18
散策途中、水神稲荷神社
谷田川通り、暗渠によってできた通り、谷田川は西ヶ原四丁目から不忍池に注いでいた川で、藍染川とも呼ばれていた。
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8/11 14:20
谷田川通り、暗渠によってできた通り、谷田川は西ヶ原四丁目から不忍池に注いでいた川で、藍染川とも呼ばれていた。
近隣には著名なお方が住んでいたようです。半分くらいは存じております、もちろんお名前程度ですが…
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8/11 14:21
近隣には著名なお方が住んでいたようです。半分くらいは存じております、もちろんお名前程度ですが…
ありました!田畑不動尊、明治45年田端駅の拡張工事で谷田川の南に遷座し、昭和10年今度は川の改修工事で現地に遷座、その後戦時中に荒廃したままになっいたが、昭和44年再整備されたそう。
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8/11 14:23
ありました!田畑不動尊、明治45年田端駅の拡張工事で谷田川の南に遷座し、昭和10年今度は川の改修工事で現地に遷座、その後戦時中に荒廃したままになっいたが、昭和44年再整備されたそう。
現存する対の狛犬さん「昭和二十九年五月/日本(橋)常盤(や)」
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8/11 14:26
現存する対の狛犬さん「昭和二十九年五月/日本(橋)常盤(や)」
そのやや前方には吽像のみ残る狛犬さんも「田端<願主銘>/大正十一年五月吉日(1922) 田端 石重 刻」
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8/11 14:27
そのやや前方には吽像のみ残る狛犬さんも「田端<願主銘>/大正十一年五月吉日(1922) 田端 石重 刻」
「(金)剛夜叉明王 (王)子村字舩方 願主 石神松五郎」
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8/11 14:29
「(金)剛夜叉明王 (王)子村字舩方 願主 石神松五郎」
そして黒ボクのお山の前に不動三尊像、裏山景には不動滝も模されているようです。
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8/11 14:30
そして黒ボクのお山の前に不動三尊像、裏山景には不動滝も模されているようです。
不動明王像
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8/11 14:30
不動明王像
矜羯羅童子像
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8/11 14:30
矜羯羅童子像
制多迦童子像
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8/11 14:30
制多迦童子像
興味深い石分がありました。「滝水爲渇之□明治四十一年戊申年四月二十八日(1908)遷□ 中田端村」工事で遷される前に滝は涸れていたようですね。
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8/11 14:31
興味深い石分がありました。「滝水爲渇之□明治四十一年戊申年四月二十八日(1908)遷□ 中田端村」工事で遷される前に滝は涸れていたようですね。
石鳥居をくぐって対の狛犬、石段の先に木造の拝殿が見えます。
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8/11 14:36
石鳥居をくぐって対の狛犬、石段の先に木造の拝殿が見えます。
一見古そうに見える狛犬さん(対)は「大正十二年六月吉祥日(1923)」、どうやら焼夷弾の被害を受けているようです。
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8/11 14:38
一見古そうに見える狛犬さん(対)は「大正十二年六月吉祥日(1923)」、どうやら焼夷弾の被害を受けているようです。
本殿の石祠、基壇の中には御神体として庚申塔の主尊が収められているとのこと、何でもその台座が大久寺にあるとのこと。
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8/11 14:41
本殿の石祠、基壇の中には御神体として庚申塔の主尊が収められているとのこと、何でもその台座が大久寺にあるとのこと。
お隣のお宮は三峯社、この辺りけっこう三峯信仰が厚いようです。
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8/11 14:42
お隣のお宮は三峯社、この辺りけっこう三峯信仰が厚いようです。
その大久寺に来てみました。
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8/11 14:47
その大久寺に来てみました。
三猿浮彫の庚申塔、「奉供養庚申二世安楽(処) 元禄三庚午年六月朔日(1690)」、これではなさそうです。
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8/11 14:50
三猿浮彫の庚申塔、「奉供養庚申二世安楽(処) 元禄三庚午年六月朔日(1690)」、これではなさそうです。
どうやらこれのようです。ここに主尊が立っていたのでしょうね。何れにしても古いタイプの庚申塔のようです。お猿さんがちょっと怖い…
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8/11 14:51
どうやらこれのようです。ここに主尊が立っていたのでしょうね。何れにしても古いタイプの庚申塔のようです。お猿さんがちょっと怖い…
「奉造立庚申本尊… 慶安(二己丑)天十月吉日(1649)」
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8/11 14:55
「奉造立庚申本尊… 慶安(二己丑)天十月吉日(1649)」
上田端八幡神社
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8/11 15:03
上田端八幡神社
狛犬さん「大正元年九月(1912)」
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8/11 15:05
狛犬さん「大正元年九月(1912)」
石燈籠「豈明治四年辛未八月十五日(1871) 若者中」、その左奥に
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8/11 15:07
石燈籠「豈明治四年辛未八月十五日(1871) 若者中」、その左奥に
白髭神社と稲荷神社、本殿の右手には大山祇神社のお宮があります。
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8/11 15:08
白髭神社と稲荷神社、本殿の右手には大山祇神社のお宮があります。
白髭神社の石祠、元は田端中学校あたりにあったが大正元年にこちらに合祀されたそう。
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8/11 15:09
白髭神社の石祠、元は田端中学校あたりにあったが大正元年にこちらに合祀されたそう。
『江戸名所図会』<白髭明神社>こちらでも石祠だったようですね。
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『江戸名所図会』<白髭明神社>こちらでも石祠だったようですね。
多分初めての渋チャミのベッド!
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8/11 15:10
多分初めての渋チャミのベッド!
山手線で唯一残る踏切
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8/11 15:18
山手線で唯一残る踏切
中里第二踏切 ♪ここはあかずの踏切〜(by陽水)
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8/11 15:18
中里第二踏切 ♪ここはあかずの踏切〜(by陽水)
電車と一緒に
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8/11 15:18
電車と一緒に
「厄除 大勢至菩薩霊場」石標(昭和十一年)
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8/11 15:20
「厄除 大勢至菩薩霊場」石標(昭和十一年)
『江戸名所図会』<圓勝寺 五石松>有名な松があったそうですがすでに枯死、
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『江戸名所図会』<圓勝寺 五石松>有名な松があったそうですがすでに枯死、
この丘の上に「せいし堂」があったのかな?「開山塔」とあるのは、
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8/11 15:26
この丘の上に「せいし堂」があったのかな?「開山塔」とあるのは、
おそらくこちら、阿弥陀様かな、台石に「開山上人之塔」とありました。
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8/11 15:28
おそらくこちら、阿弥陀様かな、台石に「開山上人之塔」とありました。
学生の時、何を血迷ったか「山手線一周ハイク」というイベントに参加したことを思い出しました。当時はバリバリの文科系でしたので、ヘロヘロになりました(笑)
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8/11 15:34
学生の時、何を血迷ったか「山手線一周ハイク」というイベントに参加したことを思い出しました。当時はバリバリの文科系でしたので、ヘロヘロになりました(笑)
所変わって旧古河庭園の横にある無量寺、「六阿弥陀三番目 西箇原 無量寺/西國三十三所観世音□ 紀伊国粉河寺」
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8/11 15:45
所変わって旧古河庭園の横にある無量寺、「六阿弥陀三番目 西箇原 無量寺/西國三十三所観世音□ 紀伊国粉河寺」
説明板
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8/11 15:45
説明板
『江戸名所図会』<無量寺 六阿弥陀第三番目 七社>「七の社」とは七社神社のことでしょうか?
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『江戸名所図会』<無量寺 六阿弥陀第三番目 七社>「七の社」とは七社神社のことでしょうか?
地蔵尊の台石に道標銘があります「右ハ六阿弥陀第一番目道 <戒名>菩提 享保十七壬子五月八日(1732)寂」
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8/11 15:47
地蔵尊の台石に道標銘があります「右ハ六阿弥陀第一番目道 <戒名>菩提 享保十七壬子五月八日(1732)寂」
ことぶき地蔵尊、由来は?
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8/11 15:48
ことぶき地蔵尊、由来は?
「弘法大師 御府内八十八ヶ所 第五十九番札所 無量寺/施主 深川佐賀町<施主銘>/明治四十三年庚戌五月(1910)/発起人…」
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8/11 15:49
「弘法大師 御府内八十八ヶ所 第五十九番札所 無量寺/施主 深川佐賀町<施主銘>/明治四十三年庚戌五月(1910)/発起人…」
「<キリーク>六阿弥陀第(三)番目 西箇原 無量寺/正徳四年甲午年三月吉日(1714)」、これより山内立入禁止、写真撮影、SNS等厳禁の案内あり。
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8/11 15:51
「<キリーク>六阿弥陀第(三)番目 西箇原 無量寺/正徳四年甲午年三月吉日(1714)」、これより山内立入禁止、写真撮影、SNS等厳禁の案内あり。
こんな路地がありました。七社神社は先日“七七七”の御朱印をもらいに行ったばかりなのでパスして、
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8/11 15:56
こんな路地がありました。七社神社は先日“七七七”の御朱印をもらいに行ったばかりなのでパスして、
旧渋沢邸公園、本日は開園時間内にセーフ、お決まりの渋沢翁と渋沢チャーミー君のツーショット!
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8/11 16:08
旧渋沢邸公園、本日は開園時間内にセーフ、お決まりの渋沢翁と渋沢チャーミー君のツーショット!
『江戸名所図会』<飛鳥山 全図 飛鳥橋>
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『江戸名所図会』<飛鳥山 全図 飛鳥橋>
“山の日”登山はいつもの飛鳥山になっちゃいました(笑)、右手から主稜線に乗ります
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8/11 16:14
“山の日”登山はいつもの飛鳥山になっちゃいました(笑)、右手から主稜線に乗ります
核心部、頭上注意&足元が苔で滑ります
1
8/11 16:15
核心部、頭上注意&足元が苔で滑ります
かろうじて踏み跡があります
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8/11 16:16
かろうじて踏み跡があります
象山先生の石碑を越えて、
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8/11 16:17
象山先生の石碑を越えて、
ちょっとしたアップダウンの先に
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8/11 16:17
ちょっとしたアップダウンの先に
山頂モニュメント
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8/11 16:19
山頂モニュメント
山の日記念!飛鳥山!
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8/11 16:19
山の日記念!飛鳥山!
下山はズルしようと思っていたら、終了していました。
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8/11 16:20
下山はズルしようと思っていたら、終了していました。
結局お昼を食べそびれてこれになりました。また雨が降る出したので寄り道せずに帰ります。
2
8/11 16:28
結局お昼を食べそびれてこれになりました。また雨が降る出したので寄り道せずに帰ります。
釜本さんが逝かれてしまいました。最近はお見受けしていませんでしたが、我々世代でサッカーと言ったらやっぱり釜本さんでした。合掌
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8/11 17:11
釜本さんが逝かれてしまいました。最近はお見受けしていませんでしたが、我々世代でサッカーと言ったらやっぱり釜本さんでした。合掌
いつも遅いコメントですみません💦
「江戸名所図会」と照らして歩く、いいですね。図会ではどこも自然いっぱいで長閑にみえますね。現在の街の混みようとすごいギャップ。そんななか、あっちこっちやられたりしながらも、江戸時代から残っているものがある。そんなものに逢えるのは楽しいですね。「江戸名所図会」は、たまに出てくるので、ご自身が所蔵されているのでしょうか。こんなに活用されるとは、本も本望ですね。
田端不動尊の石の不動滝、すごいですね。ほんとに滝に見えます。奥の滝から、手前に流れ落ちる。こういう仕事をした方は大変だったろうけど、楽しかったろうなぁと思いました。秩父のイケメン制吒迦童子と矜羯羅童子と同様、お不動さまより手が混んでますね。玉眼なのでしょうか。石造物にも使うのですね。制吒迦童子と矜羯羅童子、対にしては、お顔の様子がだいぶ違う感じですね。秩父のもですが、最近の私の推しは制吒迦童子みたいです。
金次郎さんは、いつも高いところにいるので、何の本を読んでいるのかしりませんでしたが、初めて知りました。って、またすぐに忘れてしまうのですが💧
いつも興味のわくレコをありがとうございます。
童子像、レコを拝見してから、ずーっと、どうやったら石造物に玉眼を入れることが出来るのだろうと考えていたのですが、やっぱり無理なんじゃないかと、またレコを拝見しに戻ってきました。これは、石を彫ることでこの潤みのある瞳を作ってるのかぁと、かえってきました。すごいですね。それとも、写真の具合なのかなぁ。気になります。
いつも詳細に見ていただきありがとうございます!
残念ながら玉眼ではなく彩色の加減かと思われます。石仏でも、明らかに眼球の所に何か入っていたのではないかと思われる像は見かけたことがありますが、あれは玉眼とは別物なのかなぁ?
私もこの二童子を見てあの秩父の像がすぐに頭によぎりました!またこの二童子の作風の微妙な違いも同感です。ちなみに制吒迦はちょっとヤンチャっぽい所がいいですよね。
金次郎さんは手にした本を覗いたら文字があったので…それにしても若いのに字が大きすぎますよね(笑) 『図会』はご近所あたりが掲載されている本を所有しています。ここに載せていいのかどうか不明ですが、案内板にも同じ図が引用されていたり、“昭和三年”の書物なので著作権ももう切れているかなと思い使っておりますぅ。
それはそうと最高気温更新しちゃいましたね!まだまだ暑い日が続くと思いますが、どうぞお気をつけ下さいませ。それでは。 godohan
潤みのある瞳は彩色の加減なんですね。なんにしても、よいお仕事ですね。お不動さまの目の彩色とは、対照的(笑)。
まだ気になってたのですが、石にも、下地となる石を彫り、そこに他の石材をはめ込む象嵌という技法があるそうです。そう言われてみると、太田の八王子丘陵の墓地を横切ったときに墓石に別の石を嵌め込んで文字や絵を描いたりしているのを見てなんでこんなにピッタリ嵌められるんだろうと思ったことがあるのを思い出しました。本来の金属象嵌の場合は、埋め込んだ後に上からたたくことで金属が下地の内部で打ち広がり、しっかり食い込んで外れないようになるそうですが、石材では出来ないので、石材用ボンドを使って接着し、表面を研磨するのだそうです。石材用ボンドのない時代も、何か工夫をして他の素材や他の石を嵌め込んでそうですよね。godohanさんが見かけたことがあるのは、そういう工夫の賜物だったのでしょうね。そんな工夫をするのも、嵌め込まずとも潤んだような瞳をつくるために工夫するのもやりがいがありそうですね。
最高気温更新お見舞い、ありがとうございます(笑)。たぶん、近郊はみんな同様に暑かったと思いますが、ニュースになったことで、いろいろな方に暑くて大変だったねといたわっていただけました(^^;)
詳しく調べていただきありがとう御座いました。
件の石像を思い出したので御紹介します。2021年11月21日の神川御嶽山のレコの三笠山刀利天宮像です。目の部分もさることながら、その他の彫りも素晴らしい石像です。お時間がある時に覗いてみてください。 それでは。 godohan
神川御嶽山のレコ、拝見しました。三笠山刀利天宮像いいですね。確かに目が嵌めこんでいたようですね。ドーハンくんとのツーショット、とっても歓迎してくれているようないい写真からですね。こっちまで笑顔になってしまいました。
つい先日、金鑽神社がいいよと勧められたところだったので、お〜!ここは!と思いました。心して行ってみようと思います。ありがとうございました。
神川御嶽山&金鑽神社は人気のある所ですが、なかなかこちらの裏?ルートを歩く方は少ないようなのです。元々城跡だったり、修験の寺があったり、四国札所も勧請されているので見所満載です。ただ藪道は「マムシ注意」の看板もあるのでお気をつけ下さい。 今日も暑いですね。ご近所散歩に出かけようかどうか逡巡しておりますぅ。それでは。 godohan
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