祠峠越え 鎌倉街道信濃飛騨ルート


- GPS
- 05:06
- 距離
- 8.4km
- 登り
- 721m
- 下り
- 742m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
感想
松本〜高山の歴史ルート、鎌倉街道は、一部がたいへん不明瞭だが、大正時代の自動車道路建設以前は梓川流域の生活の道だった。徳川以前は信濃飛騨往還のメインルートであり、武田信玄も飛騨攻め戦役でここを歩いた。数十年前まで住人がいた峠道を訪ねる。
岳都まつもと山岳フォーラムの企画で祠峠を越えるツアーに参加した。ツアー登山は生涯初めて。この企画に深入りしていたのでお誘いいただいた。変なルートなのに、20人近くが参加。地元の若い人も多かった。ガイドは大野川在住のつぎたさん85才。いまだにBCもするというスーパー老人ガイド。
峠の北側、大野川側は道を見つけやすいが、南側、奈川側は踏み跡不明瞭箇所が多い。急傾斜でがれて不明な箇所もいくつか。でも下りのほうが集落跡も多くて営みの名残が多く残っていた。所々に杉の植林地あり。北側には炭焼き窯の跡もあった。電柱と電線の廃墟も続いていた。ツギタさんの記憶にある40年前の年寄の話などを聞きながら歩く。
峠の薬研堀は3mくらいか。元来はもっと深かったとツギタさんは言う。他の道は薬研というにはかなり遠い感じのトラバースルート。
峠には、10年ほど前までこの中腹の住人OBが時々集まったという小屋の跡があった。とうとう誰も居なくなったのだ。
最後に湖畔の近くの三木秀綱を祀る祠へ。戦国期にこの峠下でやられてしまった飛騨の殿様だ。本来ここから奈川の沢の本流へ降りて渡渉だが、今はダム湖の湖底なので、林道を進んで吊橋から田ノ萱へ。ここにバスが待っていた。
中山さんの鎌倉街道のシリーズで企画。このきっかけをくれた三宅さんに、中山さんが苦労して入手してくれた希少本を手渡すことができた。三宅さんはヤマケイにて峠シリーズを連載中である。
https://gm20250620.peatix.com/
コメント
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目的は違いますが先日大野川から祠峠まで歩きましたよ。思っていたより踏み跡明瞭だったので古道好きの方とかが歩いているようですね。
薬研堀という言葉はここを歩いて初めて知りました。切通しとほぼ同じ意味みたいですね。あとコゴミもお写真見てクサソテツなのでは?と思い調べたら同じ物と初めて知りました。
こんな所歩く人は稀だと思いますが、意外と面白いもんですね。しかも少しだけ物知りにもなれるし(^。^)
ツギタさんの話で、薬研堀を峠近くに作るのは、トンネルみたいに視界を狭くして、敵と対峙したとき、みせかけよりもたくさんの幟を見せる効果もあったという話を聞きました。こうなると山城的な側面もありますね。
鎌倉街道 歩かれたのですね♬ 朽ちていく建物に歴史を感じますね。
薬研堀という言葉を初めて知りました。 古道を歩かないとなかなか聞かれないことばでしょうか。
薬研やげんというのはあの、、薬草や木の根などをゴリゴリ擦る細長いすり鉢のようなやつです。薬缶やかんとならんで昔の薬剤師の道具ですね。登山道が尾根を超える峠や切通のとこでできている窓みたいな部分です。自然と掘れたのもあるけど、わざとやったのもあるみたい。
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