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記録ID: 8296849
全員に公開
ハイキング
近畿

柏原市高井田古墳群と高尾山周辺の群集墳+古代寺院巡り

2025年06月15日(日) [日帰り]
 - 拍手
GPS
--:--
距離
10.3km
登り
388m
下り
399m

コースタイム

日帰り
山行
6:10
休憩
0:00
合計
6:10
9:50
360
15:50
10
16:00
ゴール地点
9時50分JR高井田駅ー9:55高井田古墳公園入口10:00--12:00知識寺跡+石神社境内で昼食12:30--
天候 曇り
過去天気図(気象庁) 2025年06月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
JR高井田駅そばの高井田古墳公園入口集合、高尾山中腹の平尾山古墳群平野大県支郡11−4号墳あたりで暫定的解散−柏原駅に向かって下山
コース状況/
危険箇所等
雨あがりて多少滑りやすい。
その他周辺情報 高井田山古墳、高井田古墳銀、平野大県古墳群や古代寺院跡など、北河内の生駒西麓南側の
横穴墓、群集墳や古代寺院跡などが並ぶ歴史散策コース,なお当日は多数撮影したつもりだったが、スマホの写真の調子が悪かったのか、暑さにやられたのか、ごくわずかしか残っていなかった。
石神社に残された知識寺の礎石
2025年06月15日 12:31撮影 by  A403ZT, nubia
6/15 12:31
石神社に残された知識寺の礎石
撮影多数もスマホ写真の調子が悪く、ほとんど撮影に失敗してわずかしか残らなかった。暑さでスマホに熱を帯びていたのが原因か?
2025年06月15日 14:10撮影 by  A403ZT, nubia
6/15 14:10
撮影多数もスマホ写真の調子が悪く、ほとんど撮影に失敗してわずかしか残らなかった。暑さでスマホに熱を帯びていたのが原因か?
2025年06月15日 14:12撮影 by  A403ZT, nubia
6/15 14:12
撮影機器:

感想

橿原考古学研究所付属博物館の友史会(友の会)の例会で、高井田山古墳群から鳥坂寺址〜石神社〜高尾山山麓の平野大県支郡(高井田横穴墓群の1支群)の横穴墓、群集墳を巡る見学会に参加ー前日四国松山で瀬戸内海考古学会の研究会に参加、翌朝4時前に起きだして、松山駅から数百メートル北のすき家までシェアサイクルで行って納豆朝食を済ませて5時5分の特急潮風で岡山、のぞみで新大阪からJRで久宝寺時、王寺経由で9時48分に高井田駅に出る。新大阪でロッカー探しに手間取り、乗り換えを間違えて焦ったが、何とか時間までに高井田駅に到着した。すぐ先の高井田山古墳公園の入り口にすでに百名近い参加者が集まっていた。今日は幸い雨の予想から曇りになったが、気温は上がりそう。受付を済ませ、解説の音を拾うためのラジオをセットして開始を待つ。
 10時過ぎ、友史会の担当者が注意事項を説明し、研究所の平井学芸員が挨拶、解説を始めた。この高井田横穴墓群は、6世紀から7世紀にわたって作られた群集墳で、その起源は経緯は不明だが、肥後の墓制にあるようだ。推定200基以上の横穴墓があり、多くの支群を有する。大和川をはさんで南側の安福寺横穴墓群と玉手山東横穴群とを合わせると古墳時代後期の一大横穴墓群、群集墳地帯だ。公園内を登っていくつか横穴墓の特徴や種類について話され、以前見学した船の線刻壁画のある古墳を含め、渡来系の色彩の強いエリアであることを確認、次の丘の上の高井田山古墳に向かい、5世紀後葉の畿内で最初期の横穴式石室を持つ古墳について語る。日本の横穴式石室の起源は百済にあり、畿内より先に九州に伝播し、その後畿内で発展したが、この高井田山古墳は百済直輸入の色彩が強いという。しかも「ひのし」など百済の武寧王陵出土品と酷似する出土品や装身具も出土し、百済王家の関係者と推定されている。日本書紀に出てくる百済王家から倭国に送られた武寧王の父親の「昆支(こんき)」の可能性と「三国史記」の記述では百済に帰った記述を信じれば、その王族関係者と考えられるようだ。その後、この地に多くの群集墳が造営されたが、棺を並列させて、副葬品から夫婦合葬墓の可能性があり、また釘を使った木棺も用いられていることから、倭国の墓制でなく百済系(しかも漢城期)の墓制の色彩が強いことを説明された。この百済王家に連なる高井田山古墳の下や周辺に横穴墓を築いた人々は、百済や朝鮮半島と関係の深い人々で、それを意識した増募活動であったことが知れる。
 またこれから通過する地域には多くの古代寺院があり、主なものは「河内六寺」と呼ばれている。横穴墓群の終わりの時期には、古墳造営と並行して古代寺院の建立活動が盛んだった。高井田山古墳では棺並列やドーム状石室などを観察し、公園の上に上がって、高井田第一公園内に移設された安堂6−3号墳を見学する。これは300mほど下の現在住宅地となった場所で発見された横穴式石室を持つ円墳で、その石室だけが移設保存された。「岩屋山式石室」と呼ばれる古墳時代終末期の有力者の墓制で、その重要性から石室だけは移設された。鳥坂寺跡の造営時期と重なる可能性があるとも指摘された。多くの横穴墓は住宅地建設で失われた。開発の及んでいない高尾山周辺の横穴墓に向かって歩く。河内六寺と呼ばれる寺とは、鳥坂(とさか)寺、家原寺、三宅寺、大里寺、山下寺、知識寺があり、孝謙天皇が天平勝宝8年に訪問した記述のある寺だ。最初にこのうちの鳥坂寺跡を通過する。これらの古代寺院の大半は残念ながらその痕跡だけが確認され、心礎なども別の場所に移動して発見されたりしているケースもあるようだ。もっとも鳥坂寺建立の際には、それ以前に造営された鳥坂都古墳を壊して造営されたことが判明している。またこの地域には、近鉄大阪線が通り、その沿線沿いに「安堂古墳群」が存在していた。前期後半から中期後半まで継続していたが、後期の群集墳とはつながっていないようだ。通行中に鳥坂寺跡の看板があったが、線路の向こう側には鳥坂寺塔跡が発見され天湯川田神社の境内にその遺構が残され、国史跡に指定された。河内六寺のうち、伽藍配置などが大方判明しているのは鳥坂寺跡だけで、後の古代寺院はその一部のみが検出されているだけだ。通常、古代寺院は古代の郡に一つ程度だが、この北河内の鳥坂郡、大里郡、大県郡などでは多数の古代寺院が造営され多密集地帯になっている。これらの寺院造営のもととなった集団は、高井田古墳群をはじめとする渡来系の色彩の強い群集墳、横穴墓を継続的に造営した人々であると推定されるようだ。
 さらに先に進み安道駅近くの小休寺付近で安道寺跡の一部が発見されている。西の金堂と東の塔を配置する法起寺式伽藍配置が想定されるらしい。1984年に発掘調査がなされ、近世の池の護岸に転用された礎石や多量の古代瓦が確認されたという。さらに北上して石神社手前の広場に「知識寺跡」の碑がある。この寺は「太子伝古今目録集」や近隣の観音寺に伝わる経机にある墨書内容から「大平寺廃寺」であるようだ。この石神社境内で昼食弁当を食べ、平井学芸員からは知識寺=大平寺廃寺の話や、この奥山の山頂付近にある「岳岩」の説明があり、この後の「高尾山」山頂部の大岩同様、大県郡で盛んだった鉄器生産による燃料用の森林伐採ではげ山かしていた可能性が高いので、岳岩も高尾山頂大岩も下から丸見えだった可能性が高いという。これらの群集墳や古代寺院の多くはこうした山々の大岩を「磐座」として信仰の対象となっていた可能性を指摘していた。磐座信仰はおそらく縄文時代から存在していたと思われるが、世界各地で見られる土地と結びついた信仰だ。
 昼食後、高尾山登山口に向かって進み、皿池の手前を登っていく。皿池の西側からは多数の古代瓦が出土、その墨書などから山下寺廃寺とされている。この登山口からこれまで以上の急坂の山道になるので、足腰に自信のない人は離脱を進められた。70〜80代の高齢者が多く、100名近い参加者の多くは後方に遅れがちになっていたのだが、どれくらいの方が離脱されたかはわからない。これまでの経験では自分以上の高齢の方でも普段から歩くトレーニングをされている方が多く、私以上に早く歩く人が少なくないことに驚かされていたので、最後まで歩き切った方が多いのではないかと思われた。私も日ごろの鍛錬を怠って、足腰が弱くなり始めているが、何とか最後まで歩き切った。ここから本格的な山道を進む。登山口から「きぼうの道」を進み、20分くらい登った先の傾斜の緩やかな地点が平尾・大県支郡の第18支群らしく、そこからいったん下り、再び上ると南展望台に到着、佐野さらに策に第17支群1号2号墳がある。これらは開口して石室が見えるようになっており、平井氏が狭い丘陵の一角で説明を始める。100名近い参加者がこれらの石室を見学するのは大変で山道をすれ違うのもやっとで、大変時間がかかる。私は極力先頭近くを歩くように頑張ったが、撮影や石室観察をしていると遅れてしまう。その石室は天井石が取り払われているが、持ち送りの穹窿状になっている痕跡がみられる。6世紀中ごろのものらしい。さらに進むと今回最後の平野大県支郡17−2号墳に出る。これは横穴墓でなく南北12m、東西8mの方墳で右袖式の大型の横穴式石室を主体部としている。石材は巨大化し、奥壁は巨石を二段に積んでいて、6世紀後半の築造とされる。その先の11−4号墳は尾根の谷底に立地する長径15mの円墳石室石材はさらに巨大化し、飛鳥時代の石舞台などを思い起こさせる石室だ。ここが最後の見学先で、後ろにまだまだ長い見学の行列が続いていて、流れ解散となる。平井氏は後から見学する人々に解説するために残り、友の会メンバーの一部が先に帰る人々を近鉄堅下駅まで誘導した。私はその先のJR柏原駅まで歩き、駅手前のコンビニでアイスを買って電車待ちの時間に食べて、疲れをいやした。帰りの新幹線の自由席は混雑していたが何とか席を探して帰郷した。
 
 

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