【勝沼宿 甲斐國】
ワイン民宿でワインを飲まずに出立
勝沼宿脇本陣跡
宿を出て500m程歩くと右手に標柱だけの脇本陣と見事な松が残る本陣跡がある
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6/13 8:04
【勝沼宿 甲斐國】
ワイン民宿でワインを飲まずに出立
勝沼宿脇本陣跡
宿を出て500m程歩くと右手に標柱だけの脇本陣と見事な松が残る本陣跡がある
本陣跡
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6/13 8:05
本陣跡
勝沼宿の街並み
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6/13 8:07
勝沼宿の街並み
勝沼宿仲松屋跡
中松屋は江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治前期の建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築
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6/13 8:07
勝沼宿仲松屋跡
中松屋は江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治前期の建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築
三階建ての土蔵 地下一階、地上三階
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6/13 8:09
三階建ての土蔵 地下一階、地上三階
旧田中銀行社屋 国登録有形文化財・経済産業省近代化産業遺産
明治三十年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられ、大正九年(1920)より昭和七年(1932)頃まで山梨田中銀行の社屋として利用された
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6/13 8:10
旧田中銀行社屋 国登録有形文化財・経済産業省近代化産業遺産
明治三十年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられ、大正九年(1920)より昭和七年(1932)頃まで山梨田中銀行の社屋として利用された
ようあん坂 標高400m
「勝沼宿内で最も急な坂。名は、用有と呼び止めたことからとも天野養庵の家が近くにあったためとも伝えられる。」(標柱)
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6/13 8:13
ようあん坂 標高400m
「勝沼宿内で最も急な坂。名は、用有と呼び止めたことからとも天野養庵の家が近くにあったためとも伝えられる。」(標柱)
丸石道祖神
ここの丸石道祖神は河原にあった丸い石を祀ったのだろうか?
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6/13 8:20
丸石道祖神
ここの丸石道祖神は河原にあった丸い石を祀ったのだろうか?
地蔵尊
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6/13 8:26
地蔵尊
甲州市勝沼の空気便 これもブドウに因むデザイン
明治初期ワイン醸造を学ぶためフランスに渡った二人を描いているそうだ
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6/13 8:27
甲州市勝沼の空気便 これもブドウに因むデザイン
明治初期ワイン醸造を学ぶためフランスに渡った二人を描いているそうだ
諏訪神社
鳥居脇のケヤキは目通り4.8m、樹高30m、樹齢三百年(勝沼町天然記念物指定)
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6/13 8:29
諏訪神社
鳥居脇のケヤキは目通り4.8m、樹高30m、樹齢三百年(勝沼町天然記念物指定)
文化六年(1809)建立の秋葉山常夜燈と丸石道祖神
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6/13 8:32
文化六年(1809)建立の秋葉山常夜燈と丸石道祖神
延命地蔵尊と丸石道祖神
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6/13 8:40
延命地蔵尊と丸石道祖神
山梨市と甲州市の境 8:55 宿から2.9km
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6/13 8:46
山梨市と甲州市の境 8:55 宿から2.9km
山梨市と甲州市の境 手前にワイン工場があり屋外に搾器や樽が置いてあった
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6/13 8:47
山梨市と甲州市の境 手前にワイン工場があり屋外に搾器や樽が置いてあった
【栗原宿 甲斐國】
白山建岡神社
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6/13 8:53
【栗原宿 甲斐國】
白山建岡神社
山梨県指定天然記念物の白山神社のフジ
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6/13 8:55
山梨県指定天然記念物の白山神社のフジ
天神社と丸石道祖神
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6/13 9:09
天神社と丸石道祖神
ブドウ園 袋掛有無は何が違うのだろうか?
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6/13 9:21
ブドウ園 袋掛有無は何が違うのだろうか?
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6/13 9:29
浄土宗光雲山称名院 本堂の外壁に神力像二体
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6/13 9:43
浄土宗光雲山称名院 本堂の外壁に神力像二体
男女二体の夫婦像であると地元では言い伝えられており、夫婦の力神が本堂の屋根を支えている
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6/13 9:44
男女二体の夫婦像であると地元では言い伝えられており、夫婦の力神が本堂の屋根を支えている
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6/13 9:44
笛吹川支流日川を日川橋で渡る 山梨市から笛吹市へ 10:36 宿から6.5km
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6/13 10:00
笛吹川支流日川を日川橋で渡る 山梨市から笛吹市へ 10:36 宿から6.5km
節婦之碑
大きなザクロの木の脇にある節婦(栗)之碑は
「南田中村の農民安兵衛の妻であった栗。享保十三年(1728)豪雨で日川が氾濫すると、栗はまず老婆を避難させ、次いで夫を背負って家を出たが濁流にのまれてしまった」
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6/13 10:03
節婦之碑
大きなザクロの木の脇にある節婦(栗)之碑は
「南田中村の農民安兵衛の妻であった栗。享保十三年(1728)豪雨で日川が氾濫すると、栗はまず老婆を避難させ、次いで夫を背負って家を出たが濁流にのまれてしまった」
民家の間を抜ける
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6/13 10:04
民家の間を抜ける
笛吹市(旧一宮町)は全国一の桃の産地
桃の摘果作業を見ていると6月下旬からの桃狩りを勧められた
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6/13 10:17
笛吹市(旧一宮町)は全国一の桃の産地
桃の摘果作業を見ていると6月下旬からの桃狩りを勧められた
マンホールも桃の花と実のデザイン
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6/13 10:07
マンホールも桃の花と実のデザイン
桃太郎街道
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6/13 10:35
桃太郎街道
笛吹川の河川敷に、信玄が考案した治水工法聖牛(ひじりうし、せいぎゅう)
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6/13 10:35
笛吹川の河川敷に、信玄が考案した治水工法聖牛(ひじりうし、せいぎゅう)
笛吹川を渡ると石和温泉
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6/13 10:43
笛吹川を渡ると石和温泉
マンホールは特産品「カキ・ブドウ」、町の木「マツ」、笛吹川と釣り人、石和温泉に入る女性と欲張ったデザイン
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6/13 10:50
マンホールは特産品「カキ・ブドウ」、町の木「マツ」、笛吹川と釣り人、石和温泉に入る女性と欲張ったデザイン
笛吹権三郎像、水天宮、丸石道祖神
「笛吹権三郎は笛の名手として知られていました。川が氾濫し権三郎と母が住む小屋は一瞬で飲み込まれ、母は行方不明となってしまいました。日夜、笛を吹きながら母を探しますが、疲労困憊となりついに川の深みにはまり流され、下流の小松の河岸で遺骸が発見され、長慶寺に葬られました。 間もなく、川の中から美しい笛の音が聞こえてくるようになり、いつしか「笛吹川」と呼ぶようになったとされます。」(解説版)
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6/13 10:55
笛吹権三郎像、水天宮、丸石道祖神
「笛吹権三郎は笛の名手として知られていました。川が氾濫し権三郎と母が住む小屋は一瞬で飲み込まれ、母は行方不明となってしまいました。日夜、笛を吹きながら母を探しますが、疲労困憊となりついに川の深みにはまり流され、下流の小松の河岸で遺骸が発見され、長慶寺に葬られました。 間もなく、川の中から美しい笛の音が聞こえてくるようになり、いつしか「笛吹川」と呼ぶようになったとされます。」(解説版)
ここにも丸石道祖神
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6/13 11:11
ここにも丸石道祖神
【石和宿 甲斐國】
日蓮宗鵜飼山遠妙寺 仁王門は寛政元年(1789)の再建で市指定文化財建造物
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6/13 11:19
【石和宿 甲斐國】
日蓮宗鵜飼山遠妙寺 仁王門は寛政元年(1789)の再建で市指定文化財建造物
鵜の供養塔がある
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6/13 11:23
鵜の供養塔がある
道路にも鵜飼のタイル
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6/13 11:31
道路にも鵜飼のタイル
石和本陣跡 11:30 宿から10.8km
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6/13 11:32
石和本陣跡 11:30 宿から10.8km
和町出身の小林中(あたる)
1922年(大正11)石和銀行取締役支配人、1943年(昭和18)富国徴兵保険相互会社(現富国生命)社長、1951年(昭和26)日本開発銀行初代総裁に就任、その後もアラビア石油社長(1968年(昭和43年))、日本航空会長(1973年(昭和48年))など数多くの団体、会社役員を歴任
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6/13 11:35
和町出身の小林中(あたる)
1922年(大正11)石和銀行取締役支配人、1943年(昭和18)富国徴兵保険相互会社(現富国生命)社長、1951年(昭和26)日本開発銀行初代総裁に就任、その後もアラビア石油社長(1968年(昭和43年))、日本航空会長(1973年(昭和48年))など数多くの団体、会社役員を歴任
川田道標 万延元年(1860)建立
「左甲府 甲運橋 身延道」「右富士山 大山 東京道」「左三峰山 大嶽山」と刻まれている
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6/13 12:35
川田道標 万延元年(1860)建立
「左甲府 甲運橋 身延道」「右富士山 大山 東京道」「左三峰山 大嶽山」と刻まれている
和戸町由来碑と丸石道祖神
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6/13 12:49
和戸町由来碑と丸石道祖神
二宮金次郎像(神社にあるが、学校以外では見たことがない)
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6/13 13:04
二宮金次郎像(神社にあるが、学校以外では見たことがない)
一石六地蔵 甲斐國に入って丸石道祖神と共によく見かける
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6/13 13:10
一石六地蔵 甲斐國に入って丸石道祖神と共によく見かける
山崎三叉路 赤→甲州道中・甲府方面 白→青梅街道
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6/13 13:15
山崎三叉路 赤→甲州道中・甲府方面 白→青梅街道
山崎刑場跡 明治5年に廃止された
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6/13 13:16
山崎刑場跡 明治5年に廃止された
酒折宮(さかおりみや)参道
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6/13 13:33
酒折宮(さかおりみや)参道
石川家住宅 (市指定文化財)
石川家は、江戸時代から金物屋、繭問屋などを営み、屋号を「河内屋」と称した。蔵屋敷は1872年(明治5)、他の建物は大正初期の建築。塗籠土蔵造(ぬりごめどぞうづくり)という建築様式によるもの
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6/13 13:44
石川家住宅 (市指定文化財)
石川家は、江戸時代から金物屋、繭問屋などを営み、屋号を「河内屋」と称した。蔵屋敷は1872年(明治5)、他の建物は大正初期の建築。塗籠土蔵造(ぬりごめどぞうづくり)という建築様式によるもの
印傳屋
天正10年(1582)創業。鹿皮に漆付の皮製品「印伝」は「印度伝来」に由来
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6/13 14:05
印傳屋
天正10年(1582)創業。鹿皮に漆付の皮製品「印伝」は「印度伝来」に由来
新聞発祥の地碑
峡中新聞(現山梨日日新聞)は明治五年(1872)の創刊で、現存最古の地方紙
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6/13 14:09
新聞発祥の地碑
峡中新聞(現山梨日日新聞)は明治五年(1872)の創刊で、現存最古の地方紙
【甲府柳町宿 甲斐國】
14:10 宿より18.7km
柳身延道道標「西志んしゅうみち」「南みのぶみち」
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6/13 14:26
【甲府柳町宿 甲斐國】
14:10 宿より18.7km
柳身延道道標「西志んしゅうみち」「南みのぶみち」
臨済宗光明山法輪寺の「かんかん地蔵」
五島で死去した武田有義の首級をここへ埋葬し石地蔵を安置したとされ、地蔵は当初、叩けば高い金属音がしたため「カンカン地蔵」と呼ばれている
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6/13 14:33
臨済宗光明山法輪寺の「かんかん地蔵」
五島で死去した武田有義の首級をここへ埋葬し石地蔵を安置したとされ、地蔵は当初、叩けば高い金属音がしたため「カンカン地蔵」と呼ばれている
上石田のサイカチ(推定樹齢三百年)甲府市指定有形文化財天然記念物
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6/13 14:51
上石田のサイカチ(推定樹齢三百年)甲府市指定有形文化財天然記念物
甲府市から甲斐市へ 15:43 宿から23.3km
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6/13 15:42
甲府市から甲斐市へ 15:43 宿から23.3km
丸石道祖神(道祖神場)文政七年(1824)建立
解説版には竜王新町下宿村の寄合場だったと書かれている
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6/13 16:06
丸石道祖神(道祖神場)文政七年(1824)建立
解説版には竜王新町下宿村の寄合場だったと書かれている
JR中央本線を第一信州往還踏切で横断 右に竜王駅がある
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6/13 16:10
JR中央本線を第一信州往還踏切で横断 右に竜王駅がある
赤坂
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6/13 16:18
赤坂
赤坂供養塔(甲斐市指定有形民俗文化財):安政年間に念仏講中が無縁者供養のため建立
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6/13 16:20
赤坂供養塔(甲斐市指定有形民俗文化財):安政年間に念仏講中が無縁者供養のため建立
赤坂を往来する人馬を見守ってきた馬頭観音
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6/13 16:21
赤坂を往来する人馬を見守ってきた馬頭観音
御柱達つ諏訪神社 いよいよ諏訪が近づいてきた
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6/13 16:22
御柱達つ諏訪神社 いよいよ諏訪が近づいてきた
石仏群
ゴミの集積場の様に見えるトタン囲いの石仏群は道標を兼ねた地蔵尊「右江戸道 左五ケ村道」や供養塔等
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6/13 16:38
石仏群
ゴミの集積場の様に見えるトタン囲いの石仏群は道標を兼ねた地蔵尊「右江戸道 左五ケ村道」や供養塔等
二十三夜塔
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6/13 16:39
二十三夜塔
下今井の道標2基
甲州街道と市川(市川三郷)への分岐点。
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6/13 16:51
下今井の道標2基
甲州街道と市川(市川三郷)への分岐点。
左の道標は元禄六年(1693)の建立で「従是左甲府 従是右市川」
右手道標は弘化三年(1846)の建立で「庚申右市川駿河 左甲府江戸」
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6/13 16:50
左の道標は元禄六年(1693)の建立で「従是左甲府 従是右市川」
右手道標は弘化三年(1846)の建立で「庚申右市川駿河 左甲府江戸」
双体道祖神 風化が激しいが横から見ると何と無く判る
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双体道祖神 風化が激しいが横から見ると何と無く判る
下今井の街並み
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6/13 16:52
下今井の街並み
双体道祖神
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6/13 16:57
双体道祖神
曹洞宗天真山自性院 丸石道祖神
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6/13 17:03
曹洞宗天真山自性院 丸石道祖神
泣き石
「天正十年(1582)高遠城が落城すると武田勝頼は完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち岩殿城に向けて落ち延びました。勝頼夫人がここで振り返り、燃える城を見て、涙を流したといいます」(解説版)
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6/13 17:13
泣き石
「天正十年(1582)高遠城が落城すると武田勝頼は完成したばかりの新府韮崎城に自ら火を放ち岩殿城に向けて落ち延びました。勝頼夫人がここで振り返り、燃える城を見て、涙を流したといいます」(解説版)
塩崎駅 17:15 宿より28.7km
電車で甲府駅まで戻り宿泊
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6/13 17:19
塩崎駅 17:15 宿より28.7km
電車で甲府駅まで戻り宿泊
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