記録ID: 8254002
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ハイキング
九州・沖縄
高塔山
2025年06月03日(火) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 00:20
- 距離
- 0.6km
- 登り
- 5m
- 下り
- 4m
コースタイム
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
河童封じの地蔵尊
昔、この高塔山の上空で、島郷と修多羅のカッパ群が、縄ばり争いのため、夜、手に手に葦の葉を太刀のようにひらめかして飛びたち、空中戦をした。朝になると、戦死したカッパは、青いドロドロの液体になって田や畠に流れ込み、稲や野菜を腐らせてしまった。
これを、聞いて現れたのが、日向の名貫川で、名痛坊というカッパを、ヘチマの葉に封じ込んだ堂丸総学という山伏である。総学は、人々の苦しみを救うため、法力によってカッパを地中に封じ込めようと決心し、この地蔵の前で祈祷を始めた。石の地蔵をやわらかくするための祈祷である。これを見たカッパ達は、すぐに仲間争いをやめて連合軍を作り、美女に化けて誘惑し、金銀をつみ、お化けとなり、糞尿をたれ流して妨害したが、総学の祈祷は続けられた。
やがて、何千べん目かの日の沈む頃総学が石地蔵に触れた時、石がへこんだので、釘と金槌を取り上げ石地蔵の背中にあてた。経文が下におかれたすきに、カッパ達がとりついたが、総学は、経文をとなえながら、釘を打ちこみ、釘が半分入った時、力つきて倒れた。しかし、一念に成就して、カッパ達は木の葉のように舞い落ち、永遠に地中に封じ込められた。
今でも、この石地蔵の背中には、釘が打ちこまれたままになっている。
−この伝説は、火野葦平の作品「石と釘」によるものである。−
昔、この高塔山の上空で、島郷と修多羅のカッパ群が、縄ばり争いのため、夜、手に手に葦の葉を太刀のようにひらめかして飛びたち、空中戦をした。朝になると、戦死したカッパは、青いドロドロの液体になって田や畠に流れ込み、稲や野菜を腐らせてしまった。
これを、聞いて現れたのが、日向の名貫川で、名痛坊というカッパを、ヘチマの葉に封じ込んだ堂丸総学という山伏である。総学は、人々の苦しみを救うため、法力によってカッパを地中に封じ込めようと決心し、この地蔵の前で祈祷を始めた。石の地蔵をやわらかくするための祈祷である。これを見たカッパ達は、すぐに仲間争いをやめて連合軍を作り、美女に化けて誘惑し、金銀をつみ、お化けとなり、糞尿をたれ流して妨害したが、総学の祈祷は続けられた。
やがて、何千べん目かの日の沈む頃総学が石地蔵に触れた時、石がへこんだので、釘と金槌を取り上げ石地蔵の背中にあてた。経文が下におかれたすきに、カッパ達がとりついたが、総学は、経文をとなえながら、釘を打ちこみ、釘が半分入った時、力つきて倒れた。しかし、一念に成就して、カッパ達は木の葉のように舞い落ち、永遠に地中に封じ込められた。
今でも、この石地蔵の背中には、釘が打ちこまれたままになっている。
−この伝説は、火野葦平の作品「石と釘」によるものである。−
感想
妻が『北九州市立いのちのたび博物館』に行きたいということで八幡へ。その帰りに、紫陽花はまだ早いよなと思いつつ高塔山へ行ってみました。
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