三峰山(みうねやま/三重・奈良)を見ながら
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5/30 7:33
三峰山(みうねやま/三重・奈良)を見ながら
野天モーニングセット
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5/30 7:17
野天モーニングセット
【5/30大神(おおみわ)神社/奈良県桜井市三輪1422】御祭神・大物主大神、配神・大己貴神(大国主命)、少彦名神
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5/30 9:17
【5/30大神(おおみわ)神社/奈良県桜井市三輪1422】御祭神・大物主大神、配神・大己貴神(大国主命)、少彦名神
三輪山。古事記には、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとある。
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5/30 9:20
三輪山。古事記には、大物主大神が出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとある。
御由緒。日本書紀では、大物主大神は大国主神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)と名乗った。
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5/30 9:34
御由緒。日本書紀では、大物主大神は大国主神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)と名乗った。
本殿を設けず直接三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りを今に伝えており、我が国最古の神社と呼ばれている。
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5/30 9:38
本殿を設けず直接三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りを今に伝えており、我が国最古の神社と呼ばれている。
狭井神社(狭井坐大神荒魂神社)から登ります。この先写真等撮影・飲食禁止。登拝入山料300円。
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5/30 10:18
狭井神社(狭井坐大神荒魂神社)から登ります。この先写真等撮影・飲食禁止。登拝入山料300円。
2時間ほどで下山して大和三山(耳成山)と大鳥居が見えます。奥には金剛山〜二上山。
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5/30 12:21
2時間ほどで下山して大和三山(耳成山)と大鳥居が見えます。奥には金剛山〜二上山。
素麺発祥の地でにゅうめんと柿の葉寿司を頂戴します。ちなみに酒造りも三輪が発祥だとか。
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5/30 12:50
素麺発祥の地でにゅうめんと柿の葉寿司を頂戴します。ちなみに酒造りも三輪が発祥だとか。
【箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市箸中)】卑弥呼とも噂される倭迹々日百襲姫(やまとととひももそひめ)命が被葬者とされる。
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5/30 13:30
【箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市箸中)】卑弥呼とも噂される倭迹々日百襲姫(やまとととひももそひめ)命が被葬者とされる。
池に浮かんでいるようで美しい。百襲姫は桃太郎のモデル吉備津彦命の姉で大神神社の大物主神のお妃。
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5/30 13:36
池に浮かんでいるようで美しい。百襲姫は桃太郎のモデル吉備津彦命の姉で大神神社の大物主神のお妃。
【ホケノ山古墳/奈良県桜井市箸中636】地元の方に資料を頂き古墳のことをいろいろ教えていただきました。農作業中であったのに恐縮・深謝です。
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5/30 14:44
【ホケノ山古墳/奈良県桜井市箸中636】地元の方に資料を頂き古墳のことをいろいろ教えていただきました。農作業中であったのに恐縮・深謝です。
【慶運寺/奈良県桜井市箸中1162】ボランティアをされているという中林さんに連れて行っていただいた慶運寺裏古墳。中に入れて嬉しい。
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【慶運寺/奈良県桜井市箸中1162】ボランティアをされているという中林さんに連れて行っていただいた慶運寺裏古墳。中に入れて嬉しい。
【第十二代景行天皇陵(奈良県天理市渋谷町)】日本武(やまとたける)尊のお父上。
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5/30 15:32
【第十二代景行天皇陵(奈良県天理市渋谷町)】日本武(やまとたける)尊のお父上。
【行燈山古墳(第十代崇神天皇陵)(奈良県天理市柳本町)】
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5/30 15:56
【行燈山古墳(第十代崇神天皇陵)(奈良県天理市柳本町)】
【5/30石上(いそのかみ)神宮/奈良県天理市布留町384】御祭神は布都御魂(ふつのみたま)大神、布留御魂(ふるのみたま)大神、布都斯魂(ふつしみたま)大神。それぞれ神剣・韴霊(ふつのみたま)、天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)、天十握(あめのとつか)剣に宿られる御霊威。
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5/30 16:35
【5/30石上(いそのかみ)神宮/奈良県天理市布留町384】御祭神は布都御魂(ふつのみたま)大神、布留御魂(ふるのみたま)大神、布都斯魂(ふつしみたま)大神。それぞれ神剣・韴霊(ふつのみたま)、天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)、天十握(あめのとつか)剣に宿られる御霊威。
日本最古の神社の一つで武門の棟梁たる物部氏の総氏神。本殿がなく、拝殿後方の禁足地を御本地と称し、その中央に主祭神が埋斎されている。展示期間は終了とのことでレプリカでもいいので剣を見たかった。
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5/30 16:35
日本最古の神社の一つで武門の棟梁たる物部氏の総氏神。本殿がなく、拝殿後方の禁足地を御本地と称し、その中央に主祭神が埋斎されている。展示期間は終了とのことでレプリカでもいいので剣を見たかった。
韴霊とは、武甕雷神が持っていた剣。天璽十種瑞宝は、天孫・饒速日(にぎはやひ)尊が天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝。天十握剣は素戔嗚(すさのお)尊が出雲国で八岐大蛇を退治するのに使われた。
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5/30 16:30
韴霊とは、武甕雷神が持っていた剣。天璽十種瑞宝は、天孫・饒速日(にぎはやひ)尊が天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝。天十握剣は素戔嗚(すさのお)尊が出雲国で八岐大蛇を退治するのに使われた。
たくさん歩きたくさん情報が入って疲れまくりでかつやの夕食。
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5/30 20:07
たくさん歩きたくさん情報が入って疲れまくりでかつやの夕食。
【橿原考古学研究所附属博物館(奈良県橿原市畝傍町50−2)】前日教えていただいて、古墳の埋葬物などの見学。精緻な模様に魅入ります。
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5/31 10:24
【橿原考古学研究所附属博物館(奈良県橿原市畝傍町50−2)】前日教えていただいて、古墳の埋葬物などの見学。精緻な模様に魅入ります。
緻密な細工が施された甲冑。戦さの激しさが偲ばれます。
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5/31 10:54
緻密な細工が施された甲冑。戦さの激しさが偲ばれます。
【5/31丹生都比売(にうつひめ)神社/和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230】山奥の集落で参拝。欧米人が山中を歩いていて驚きました。
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5/31 15:39
【5/31丹生都比売(にうつひめ)神社/和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230】山奥の集落で参拝。欧米人が山中を歩いていて驚きました。
御祭神・弘法大師に高野山を授けた女神・丹生都比売大神、高野御子大神、高野御子大神、市杵島比売大神。
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5/31 15:37
御祭神・弘法大師に高野山を授けた女神・丹生都比売大神、高野御子大神、高野御子大神、市杵島比売大神。
丹生都比売大神は天照大御神の妹神であり稚日女尊とも称され、古来魔除けとされる丹(赤)をつかさどる。
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5/31 15:36
丹生都比売大神は天照大御神の妹神であり稚日女尊とも称され、古来魔除けとされる丹(赤)をつかさどる。
高野山との関係深く、世界遺産。
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5/31 15:39
高野山との関係深く、世界遺産。
夕食は、マルタイラーメンとばくだんおにぎり・唐揚げ・カニカマセット。
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5/31 18:14
夕食は、マルタイラーメンとばくだんおにぎり・唐揚げ・カニカマセット。
【6/1丹伊太祁曽神社/和歌山県和歌山市伊太祈曽558】素戔嗚(すさのお)尊の御子神である五十猛命(いたけるのみこと)
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6/1 9:08
【6/1丹伊太祁曽神社/和歌山県和歌山市伊太祈曽558】素戔嗚(すさのお)尊の御子神である五十猛命(いたけるのみこと)
高天原から樹種を持ってきて、九州より播き始めて日本中を青山にしました。
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6/1 9:12
高天原から樹種を持ってきて、九州より播き始めて日本中を青山にしました。
磐(いわくら)
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6/1 9:49
磐(いわくら)
古事記には大屋毘古神(おおやびこのかみ)として登場し、大国主神が生命を狙われる災難に遭われたときに助けた。
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6/1 9:54
古事記には大屋毘古神(おおやびこのかみ)として登場し、大国主神が生命を狙われる災難に遭われたときに助けた。
脇殿があり、妹神である大屋津比売命、都麻津比売命をお祀りしています。
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6/1 9:59
脇殿があり、妹神である大屋津比売命、都麻津比売命をお祀りしています。
【神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑(和歌山県和歌山市広原)】地元の統治者であった名草姫は神武東征で進軍中だった神武天皇との戦いでこの地で天誅された。
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6/1 11:05
【神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑(和歌山県和歌山市広原)】地元の統治者であった名草姫は神武東征で進軍中だった神武天皇との戦いでこの地で天誅された。
10分近く藪漕ぎに悪戦苦闘してようやく到達。藪漕ぎ登山です。
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6/1 11:46
10分近く藪漕ぎに悪戦苦闘してようやく到達。藪漕ぎ登山です。
【6/1日前(ひのくま)神宮・國懸(くにかかす)神宮/和歌山県和歌山市秋月365】
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6/1 12:12
【6/1日前(ひのくま)神宮・國懸(くにかかす)神宮/和歌山県和歌山市秋月365】
御祭神・日前大神、相殿・思兼(おもいかね)命、石凝姥(いしこりどめ)命。思兼命は天岩戸で活躍された知恵の神。石凝姥命は鏡作りのプロ。
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6/1 12:19
御祭神・日前大神、相殿・思兼(おもいかね)命、石凝姥(いしこりどめ)命。思兼命は天岩戸で活躍された知恵の神。石凝姥命は鏡作りのプロ。
御祭神・國懸大神、相殿・玉祖(たまおや)命、明立天御影(あけたつあめのみかげ)命、鈿女(うづめ)命。
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6/1 12:24
御祭神・國懸大神、相殿・玉祖(たまおや)命、明立天御影(あけたつあめのみかげ)命、鈿女(うづめ)命。
みんな大好きラ・ムーのランチ。
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6/1 12:59
みんな大好きラ・ムーのランチ。
【竈山(かまやま)神社/和歌山市和田438番地】神武東征のゆかりの神社。式内社、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社と由緒正しい。
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6/1 13:18
【竈山(かまやま)神社/和歌山市和田438番地】神武東征のゆかりの神社。式内社、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社と由緒正しい。
御祭神(本殿)彦五瀬命、神日本磐余彦命、御毛入沼命 稲飯命、高倉下命、可美眞手命、天日方竒日方命、天種子命、天富命、道臣命、大久米命、椎根津彦命、頭八咫烏命
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6/1 13:21
御祭神(本殿)彦五瀬命、神日本磐余彦命、御毛入沼命 稲飯命、高倉下命、可美眞手命、天日方竒日方命、天種子命、天富命、道臣命、大久米命、椎根津彦命、頭八咫烏命
御祭神の彦五瀬命は、第一代神武天皇の皇兄に坐し、大和平定の途中、孔舎衙坂で長髄彦の軍と戦い、流れ矢に当たり給いて戦傷、雄水門に至りて遂に崩御遊ばされ、竈山の地に葬られ給う。
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6/1 13:26
御祭神の彦五瀬命は、第一代神武天皇の皇兄に坐し、大和平定の途中、孔舎衙坂で長髄彦の軍と戦い、流れ矢に当たり給いて戦傷、雄水門に至りて遂に崩御遊ばされ、竈山の地に葬られ給う。
神社の北側に、五瀬命(いつせのみこと/神武天皇の兄)竈山墓 (竈山の御陵)。
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6/1 13:33
神社の北側に、五瀬命(いつせのみこと/神武天皇の兄)竈山墓 (竈山の御陵)。
【水門吹上神社(湊本えびす)/和歌山県和歌山市小野町2丁目1】水門神社は蛭兒神(戎様)、吹上神社は大己貴神(大国様)が御祭神。
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6/1 14:18
【水門吹上神社(湊本えびす)/和歌山県和歌山市小野町2丁目1】水門神社は蛭兒神(戎様)、吹上神社は大己貴神(大国様)が御祭神。
鎮座地は、神武天皇が御東征のみぎり、御皇兄の彦五瀬命が、和泉で長髄彦の流失に当り、出血甚だしく、崩御されたと言われる旧跡である。神武天皇聖蹟男水門顕彰碑の地。
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6/1 14:18
鎮座地は、神武天皇が御東征のみぎり、御皇兄の彦五瀬命が、和泉で長髄彦の流失に当り、出血甚だしく、崩御されたと言われる旧跡である。神武天皇聖蹟男水門顕彰碑の地。
【神武天皇聖蹟 雄水門顕彰碑/大阪府泉南市男里7丁目35】
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6/1 15:27
【神武天皇聖蹟 雄水門顕彰碑/大阪府泉南市男里7丁目35】
孔舎衛坂(くさのへのさか)で皇軍は長髄彦軍に敗れ、神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ/神武天皇)の長兄、五瀬命(イツセノミコト)は深い傷を負った。その後、紀伊半島をぐるりと周り熊野から上陸しますが、五瀬命は途中で薨去。その地は、紀では「雄水門(おのみなと)」、記では「男水門(おのみなと)」と記される。
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6/1 15:27
孔舎衛坂(くさのへのさか)で皇軍は長髄彦軍に敗れ、神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ/神武天皇)の長兄、五瀬命(イツセノミコト)は深い傷を負った。その後、紀伊半島をぐるりと周り熊野から上陸しますが、五瀬命は途中で薨去。その地は、紀では「雄水門(おのみなと)」、記では「男水門(おのみなと)」と記される。
【山之井水門 雄水門(おのみなと)】。日本書紀によると、神武天皇の兄の五瀬命が矢傷をうけ、無念のあまり雄々しく叫んだところとされている。
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6/1 15:41
【山之井水門 雄水門(おのみなと)】。日本書紀によると、神武天皇の兄の五瀬命が矢傷をうけ、無念のあまり雄々しく叫んだところとされている。
秦の始皇帝の時代、不老長寿の薬を探しに来た徐福にまつわる地でもありました。
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6/1 15:42
秦の始皇帝の時代、不老長寿の薬を探しに来た徐福にまつわる地でもありました。
【男神社(おのじんじゃ/おたけびの宮)/大阪府泉南市男里3丁目16−1】
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6/1 16:02
【男神社(おのじんじゃ/おたけびの宮)/大阪府泉南市男里3丁目16−1】
御祭神は、神武天皇、五瀬命、天児屋根命、熊野速玉命の4柱。
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6/1 15:57
御祭神は、神武天皇、五瀬命、天児屋根命、熊野速玉命の4柱。
古事記・日本書記によれば、神武東遷のおり、生駒で長髄彦の抵抗により、兄五瀬命が負傷したため進路を変え、大阪湾を南下し、男里川河口で矢傷を清水で洗ったということ。上陸地の天神の森から波風を受けない現在の地に遷座したのは貞観元年(859)。
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6/1 15:59
古事記・日本書記によれば、神武東遷のおり、生駒で長髄彦の抵抗により、兄五瀬命が負傷したため進路を変え、大阪湾を南下し、男里川河口で矢傷を清水で洗ったということ。上陸地の天神の森から波風を受けない現在の地に遷座したのは貞観元年(859)。
平野台の湯安庵でカツカレー
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6/1 19:03
平野台の湯安庵でカツカレー
【6/2大鳥大社/大阪府堺市西区鳳北町1丁1−2】御祭神・日本武(やまとたける)尊、大鳥連祖神(おおとりのむらじおやがみ)
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6/2 10:06
【6/2大鳥大社/大阪府堺市西区鳳北町1丁1−2】御祭神・日本武(やまとたける)尊、大鳥連祖神(おおとりのむらじおやがみ)
日本武尊は伊吹山の荒ぶる神の祟りに遭い病となり伊勢国能褒野(のぼの)にて亡くなった。尊の御霊が白鳥となり陵から飛び立ち大和の琴弾原(ことひきのはら)、河内国の古市、当所に降り立ったという。
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6/2 10:13
日本武尊は伊吹山の荒ぶる神の祟りに遭い病となり伊勢国能褒野(のぼの)にて亡くなった。尊の御霊が白鳥となり陵から飛び立ち大和の琴弾原(ことひきのはら)、河内国の古市、当所に降り立ったという。
立派な拝殿
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6/2 10:20
立派な拝殿
奥宮・霊石・影向石(ようごうのいし)。
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6/2 10:28
奥宮・霊石・影向石(ようごうのいし)。
景行四三年に御祭神日本武尊の御霊が八尋の白鳥となって舞い降りた地とされ大鳥大社御創建縁の地。中央に祀られる石は明神影向石(神石)と言われる霊石で創建以来から信仰の対象としてこの地に祀られている。
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6/2 10:29
景行四三年に御祭神日本武尊の御霊が八尋の白鳥となって舞い降りた地とされ大鳥大社御創建縁の地。中央に祀られる石は明神影向石(神石)と言われる霊石で創建以来から信仰の対象としてこの地に祀られている。
御由緒
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6/2 10:33
御由緒
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6/2 10:37
【6/2住吉大社/大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9−89】御祭神、第一本宮底筒男命、第二本宮中筒男命、第三本宮表筒男命、第四本宮息長足姫命(神功皇后)
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6/2 11:33
【6/2住吉大社/大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9−89】御祭神、第一本宮底筒男命、第二本宮中筒男命、第三本宮表筒男命、第四本宮息長足姫命(神功皇后)
住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして当社鎮斎の神功皇后。
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6/2 11:38
住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして当社鎮斎の神功皇后。
神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎。
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6/2 11:40
神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎。
住吉大神は海中より出現されたため、海の神として信仰される。
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6/2 11:44
住吉大神は海中より出現されたため、海の神として信仰される。
奈良時代、遣唐使の派遣の際には、必ず海上の無事を祈りました。
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6/2 12:31
奈良時代、遣唐使の派遣の際には、必ず海上の無事を祈りました。
【6/2坐摩(いかすり)神社/大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目 渡辺3号】御祭神・生井神(いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)
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6/2 13:30
【6/2坐摩(いかすり)神社/大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目 渡辺3号】御祭神・生井神(いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)
古語拾遺等によれば、神武天皇が即位されたときに御神勅により宮中に奉斎されたのが起源。
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6/2 13:33
古語拾遺等によれば、神武天皇が即位されたときに御神勅により宮中に奉斎されたのが起源。
全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地。
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6/2 13:41
全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地。
神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地に奉祀されたのが始まりとされている。
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6/2 13:42
神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地に奉祀されたのが始まりとされている。
【6/2枚岡神社/大阪府東大阪市出雲井町7−16】主祭神・天児屋根(あめのこやね)命、比売御神(ひめみかみ)、経津主(ふつぬし)命、武甕槌(たけみかづち)命。
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6/2 14:47
【6/2枚岡神社/大阪府東大阪市出雲井町7−16】主祭神・天児屋根(あめのこやね)命、比売御神(ひめみかみ)、経津主(ふつぬし)命、武甕槌(たけみかづち)命。
天児屋根命は、「日本書紀」神代巻に中臣の上祖(とおつおや)、「神事をつかさどる宗源者なり」と記される。
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天児屋根命は、「日本書紀」神代巻に中臣の上祖(とおつおや)、「神事をつかさどる宗源者なり」と記される。
比売御神(ひめみかみ)はその后神。経津主命・武甕槌命は、香取・鹿島の神で、ともに中臣氏との縁深い神。
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6/2 14:57
比売御神(ひめみかみ)はその后神。経津主命・武甕槌命は、香取・鹿島の神で、ともに中臣氏との縁深い神。
神津嶽(かみつだけ)登山開始。
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6/2 15:07
神津嶽(かみつだけ)登山開始。
神武御東征の砌、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命(あめのたねこのみこと)が平国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため天児屋根命・比売御神の二神を、霊地に一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。
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6/2 15:09
神武御東征の砌、神武天皇の勅命を奉じて、天種子命(あめのたねこのみこと)が平国(くにむけ)(国土平定)を祈願するため天児屋根命・比売御神の二神を、霊地に一大磐境を設け祀られたのが枚岡神社の創祀とされています。
あべのハルカスとか見えています。
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6/2 15:31
あべのハルカスとか見えています。
神津嶽(枚岡神社奥宮 神津嶽本宮)登頂
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6/2 15:41
神津嶽(枚岡神社奥宮 神津嶽本宮)登頂
1時間少々で無事山行(参拝)終了。
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6/2 16:14
1時間少々で無事山行(参拝)終了。
今日もお腹が空きまくって天丼・天ぷら本舗さん天。
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6/2 18:18
今日もお腹が空きまくって天丼・天ぷら本舗さん天。
【神武天皇聖蹟 盾津顕彰碑/大阪府東大阪市日下町6丁目10】住宅地にポツンと顕彰碑。神武天皇は45歳のとき兄の五瀬命らと日向の国から船で東征に出て河内国に入り生駒山を経て大和国に入ろうとしましたが孔舎衙坂での戦いに失敗して草香津まで退き、盾を並べて士気を鼓舞し、この地を盾津と命名。
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6/3 11:07
【神武天皇聖蹟 盾津顕彰碑/大阪府東大阪市日下町6丁目10】住宅地にポツンと顕彰碑。神武天皇は45歳のとき兄の五瀬命らと日向の国から船で東征に出て河内国に入り生駒山を経て大和国に入ろうとしましたが孔舎衙坂での戦いに失敗して草香津まで退き、盾を並べて士気を鼓舞し、この地を盾津と命名。
町中華で昼食
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6/3 11:34
町中華で昼食
【神武天皇聖蹟 孔舎衛坂(くさえざか)顕彰碑/大阪府東大阪市善根寺町1丁目】神武天皇は皇軍を率いて生駒山を越えて中州(奈良盆地)に入ろうとしたが、長髓彦(ながすねひこ)軍と合戦になったのがこの辺り。雨が降って士気上がらず顕彰碑は見つけられず。五瀬命負傷碑(厄山)も近くらしい。
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6/3 12:26
【神武天皇聖蹟 孔舎衛坂(くさえざか)顕彰碑/大阪府東大阪市善根寺町1丁目】神武天皇は皇軍を率いて生駒山を越えて中州(奈良盆地)に入ろうとしたが、長髓彦(ながすねひこ)軍と合戦になったのがこの辺り。雨が降って士気上がらず顕彰碑は見つけられず。五瀬命負傷碑(厄山)も近くらしい。
【誉田御廟山古墳(応神天皇陵)/大阪府羽曳野市誉田6丁目】一宮の御祭神で最も多いのが大国主命で第二位は第十五代応神天皇。(別名、誉田別命/ほんだわけのみこと)母上様の神功皇后は第三位あたり。
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6/3 14:37
【誉田御廟山古墳(応神天皇陵)/大阪府羽曳野市誉田6丁目】一宮の御祭神で最も多いのが大国主命で第二位は第十五代応神天皇。(別名、誉田別命/ほんだわけのみこと)母上様の神功皇后は第三位あたり。
【誉田八幡宮/大阪府羽曳野市誉田3丁目2−8】中座第十五代応神天皇、左座第十四代仲哀天皇、右座応神天皇の母君神功皇后。 西暦559年に欽明天皇の勅願によって御陵前に社殿を建立。
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【誉田八幡宮/大阪府羽曳野市誉田3丁目2−8】中座第十五代応神天皇、左座第十四代仲哀天皇、右座応神天皇の母君神功皇后。 西暦559年に欽明天皇の勅願によって御陵前に社殿を建立。
【向墓山古墳(応神天皇陵陪塚に号)隣の羽曳野市文化財展示室】日本最大の木製はにわ。全て本物を間近に閲覧できました。
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6/3 15:10
【向墓山古墳(応神天皇陵陪塚に号)隣の羽曳野市文化財展示室】日本最大の木製はにわ。全て本物を間近に閲覧できました。
【岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇 恵我長野西陵)/大阪府藤井寺市藤井寺4丁目】第十四代仲哀天皇は日本武尊の御子。奥様は神功皇后。皇后の古墳だけ離れているのでまたの機会に。
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【岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇 恵我長野西陵)/大阪府藤井寺市藤井寺4丁目】第十四代仲哀天皇は日本武尊の御子。奥様は神功皇后。皇后の古墳だけ離れているのでまたの機会に。
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