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Yamareco

記録ID: 8157085
全員に公開
ハイキング
霊仙・伊吹・藤原

滋賀県近江八幡市 鶴翼山(八幡山)〜北之庄山〜岩崎山〜円山

2025年05月01日(木) [日帰り]
 - 拍手
Machapuchare その他1人
体力度
2
日帰りが可能
GPS
05:51
距離
12.5km
登り
544m
下り
539m
歩くペース
ゆっくり
1.31.4
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
4:34
休憩
1:16
合計
5:50
距離 12.5km 登り 544m 下り 539m
9:16
0
日牟禮八幡宮駐車場
9:16
9:32
35
10:07
10:14
8
八幡山展望館
10:22
10:23
18
村雲御所瑞龍寺門跡
10:41
10:45
12
10:57
11:00
6
八幡山城出丸跡
11:06
13
八幡山(八幡山城北の丸跡)2回目
11:19
2
11:21
11:24
9
11:33
21
11:54
11:55
6
北之庄城跡北虎口上展望台
12:01
10
12:11
12:16
44
13:00
13:02
23
百々神社
13:25
13:27
13
圓山神社
13:40
13:41
7
13:48
28
圓山神社(2回目)
14:16
14:43
7
14:50
14:54
12
15:06
日牟禮八幡宮駐車場
史跡や展望などを楽しむコース
歩行距離12.5km、歩行時間4時間30分、歩行数22,500歩、消費カロリー1,450Kcal
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2025年05月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車
日牟禮(ひむれ)八幡宮の駐車場に自動車を停めました。100台ちかく駐車可能です。9時過ぎには8割程埋まっていましたが、15時過ぎには半分程でした。この日はGW中の平日だったので、比較的空いているほうだったのかもしれません。
コース状況/
危険箇所等
 危険箇所はありません。円山<写真91>への上りは道ではありませんが、ほぼかき分けなしで歩けました。これ以外はきれいな道で、ロープ場もありますが下りでも使いませんでした。
 円山<写真91>へは、圓山(まるやま)神社<写真88,89>の最も北側(手前)の境内社から細道に入ったまではよかったのですが、T字路で右折のはずが左折してしまい、明瞭だった細道はすぐに木の枝がかぶさり歩きにくくなりました。それでも道だろうとしばらく我慢して木の枝をよけつつ西に歩きましたが、結局、少し崩れやすい斜面の木の間を適当に登る羽目になりました。ほとんどかき分けずに歩けてよかったです。尾根に出て少し東に進むと、堀切のようで明らかに溝状に掘れた箇所<写真90>があり、ここからひと登りすると円山城本丸跡らしき平坦地に出ました。円山頂上<写真91>からは明瞭な細道がありました。
その他周辺情報 「ラ コリーナ近江八幡」<写真99〜102>の営業時間は9〜18時(フードコートは10〜17時)です。売り切れ御免の商品もあるので要注意です。GW中の平日14時台には修学旅行中らしき女子高生などの団体さんがおられ、メインショップ2階のカフェは大行列、1階はそこまで人がいないと思ったら、品薄でした。
01ホテルの窓より彦根駅前&荒神山…宿泊先で朝食を摂りながら彦根駅前の建物越しに荒神山を望みました。この日は何度か見る機会があり、気になりました。
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01ホテルの窓より彦根駅前&荒神山…宿泊先で朝食を摂りながら彦根駅前の建物越しに荒神山を望みました。この日は何度か見る機会があり、気になりました。
02日牟禮八幡宮楼門(随神門)…自動車で彦根市から近江八幡市に移動、日牟禮(ひむれ)八幡宮の駐車場に停めて山行を開始しました。楼門は安政5年(1858年)に再建され上部は昭和46年に修復されています。ここから歩きながら動画も撮りました。
02日牟禮八幡宮楼門(随神門)…自動車で彦根市から近江八幡市に移動、日牟禮(ひむれ)八幡宮の駐車場に停めて山行を開始しました。楼門は安政5年(1858年)に再建され上部は昭和46年に修復されています。ここから歩きながら動画も撮りました。
03楼門軒下の獏の彫刻…鼻が長いので象に見えますが、耳が小さく巻き毛があります。想像上の生き物で、実物のマレーバクなどバク科の動物とはかなり違います。
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03楼門軒下の獏の彫刻…鼻が長いので象に見えますが、耳が小さく巻き毛があります。想像上の生き物で、実物のマレーバクなどバク科の動物とはかなり違います。
04日牟禮八幡宮境内こいのぼり越しに拝殿…GW中の平日ですが人は少なめでした。こどもの日が近いのでこいのぼりが飾られていました。
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04日牟禮八幡宮境内こいのぼり越しに拝殿…GW中の平日ですが人は少なめでした。こどもの日が近いのでこいのぼりが飾られていました。
05日牟禮八幡宮拝殿…文化2年(1805年)に改築されたものです。この八幡宮が八幡の地名の由来とされています。社伝によれば、成務天皇即位の際、地主神である大嶋大神をお祀りしたのが始まりとのことです。後にちょうどこの辺り、応神天皇御座所跡で日輪(太陽)が二つ見えたことから日群之社八幡宮と称したともいわれています。
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05日牟禮八幡宮拝殿…文化2年(1805年)に改築されたものです。この八幡宮が八幡の地名の由来とされています。社伝によれば、成務天皇即位の際、地主神である大嶋大神をお祀りしたのが始まりとのことです。後にちょうどこの辺り、応神天皇御座所跡で日輪(太陽)が二つ見えたことから日群之社八幡宮と称したともいわれています。
06日牟禮八幡宮本殿…文化年間(1804〜1818年)に改築されたようです。拝殿<写真05>とかなり似た造りです。この背後にある屏風岩と鏡池は見落としました😅
06日牟禮八幡宮本殿…文化年間(1804〜1818年)に改築されたようです。拝殿<写真05>とかなり似た造りです。この背後にある屏風岩と鏡池は見落としました😅
07岩戸神社…境内社です。ご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)で、近江の人々はお伊勢参りの代わりにここに参拝していたそうです。
07岩戸神社…境内社です。ご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)で、近江の人々はお伊勢参りの代わりにここに参拝していたそうです。
08天満宮鳥居越しに常盤神社&天満宮&宮比・子安神社…鳥居の奥は左から常盤神社、天満宮、宮比・子安神社です。どれも遷座されここの境内社となりました。
08天満宮鳥居越しに常盤神社&天満宮&宮比・子安神社…鳥居の奥は左から常盤神社、天満宮、宮比・子安神社です。どれも遷座されここの境内社となりました。
09日牟禮八幡宮本殿鬼瓦…平成30年、台風により本殿の鬼瓦が2つとも破損、そのうちの1つを銅で修復し展示してあります。現在、八幡瓦は製作者がいないため、とても貴重なものです。
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09日牟禮八幡宮本殿鬼瓦…平成30年、台風により本殿の鬼瓦が2つとも破損、そのうちの1つを銅で修復し展示してあります。現在、八幡瓦は製作者がいないため、とても貴重なものです。
10日牟禮八幡宮金の鳩像越しに拝殿…八幡宮の神使は鳩です。これは金婚式の記念に奉納されたもので、このような鳩像は複数あるそうです。
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10日牟禮八幡宮金の鳩像越しに拝殿…八幡宮の神使は鳩です。これは金婚式の記念に奉納されたもので、このような鳩像は複数あるそうです。
11恵比須神社前の恵比寿像…西宮神社の分霊です。小さな恵比寿様が並んでいました。
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11恵比須神社前の恵比寿像…西宮神社の分霊です。小さな恵比寿様が並んでいました。
12日牟禮八幡宮能舞台…明治32年の新築の際、能楽「日觸詣」(ひむれもうで)が制作され上演されました。
12日牟禮八幡宮能舞台…明治32年の新築の際、能楽「日觸詣」(ひむれもうで)が制作され上演されました。
13日牟禮八幡宮楼門裏側の木製狛犬…楼門をくぐって出る直前に気づき、右側を撮りました。木製は珍しく、随身門の内部など、屋内でしか見たことがありません。雨ざらしで大丈夫なのでしょうか。
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13日牟禮八幡宮楼門裏側の木製狛犬…楼門をくぐって出る直前に気づき、右側を撮りました。木製は珍しく、随身門の内部など、屋内でしか見たことがありません。雨ざらしで大丈夫なのでしょうか。
14村雲御所瑞龍寺門跡看板&平戸ツツジ…八幡山ロープウェー公園前駅を過ぎてすぐです。村雲御所瑞龍寺門跡<写真30〜32>は八幡山城本丸跡に建つ寺院です。手前の平戸ツツジは見頃を過ぎつつあるようでした。
14村雲御所瑞龍寺門跡看板&平戸ツツジ…八幡山ロープウェー公園前駅を過ぎてすぐです。村雲御所瑞龍寺門跡<写真30〜32>は八幡山城本丸跡に建つ寺院です。手前の平戸ツツジは見頃を過ぎつつあるようでした。
15ノダフジ…右側の斜面を見上げてみました。ヤマフジとは違い、蔓は左肩上がりに巻きます。また、花穂はより長く、上から徐々に咲いていき、一度にすべて開くことはありません。栽培されているのはたいていこちらです。
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15ノダフジ…右側の斜面を見上げてみました。ヤマフジとは違い、蔓は左肩上がりに巻きます。また、花穂はより長く、上から徐々に咲いていき、一度にすべて開くことはありません。栽培されているのはたいていこちらです。
16ムラサキカタバミ…イモカタバミに似ていますが、花の中心部は黄緑色でおしべの葯は白です。
16ムラサキカタバミ…イモカタバミに似ていますが、花の中心部は黄緑色でおしべの葯は白です。
17ニワゼキショウ…直径1cm少々の花は白花と赤花があります。ここは白だけでした。
17ニワゼキショウ…直径1cm少々の花は白花と赤花があります。ここは白だけでした。
18アカミタンポポ?&ベニシジミ…総苞外片が反り返るのは外来種です。花の直径が3cm程と小さめだったのでセイヨウタンポポではなくアカミタンポポではないかと思いました。ベニシジミが蜜を吸っていたので動画を撮りました。
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18アカミタンポポ?&ベニシジミ…総苞外片が反り返るのは外来種です。花の直径が3cm程と小さめだったのでセイヨウタンポポではなくアカミタンポポではないかと思いました。ベニシジミが蜜を吸っていたので動画を撮りました。
19濃いピンクの平戸ツツジ…正確にはオオムラサキツツジです。平戸系のツツジですが、花は大きめで葉が明らかに違います。
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19濃いピンクの平戸ツツジ…正確にはオオムラサキツツジです。平戸系のツツジですが、花は大きめで葉が明らかに違います。
20大日大聖不動明王鳥居…これをくぐって進むと祠があり、さらに進むと出世不動明王のお堂があるそうです。手前で左折し、八幡山ロープウェー山頂駅方面に進みました。
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20大日大聖不動明王鳥居…これをくぐって進むと祠があり、さらに進むと出世不動明王のお堂があるそうです。手前で左折し、八幡山ロープウェー山頂駅方面に進みました。
21シャガ…直径数cmの花を咲かせますが種はできず、地下茎で恐ろしいほど増えます。前日、多賀町の河内の風穴(かざあな)周辺で大群生を見ましたが、ここは少なかったです。
21シャガ…直径数cmの花を咲かせますが種はできず、地下茎で恐ろしいほど増えます。前日、多賀町の河内の風穴(かざあな)周辺で大群生を見ましたが、ここは少なかったです。
22八幡山城跡案内板…位置関係がわかりやすく、後日、石垣などの位置を特定するのに重宝しました。
22八幡山城跡案内板…位置関係がわかりやすく、後日、石垣などの位置を特定するのに重宝しました。
23八幡山展望館前LOVEオブジェ…階段を上るとこれがありました。恋人の聖地に認定されているそうです。
23八幡山展望館前LOVEオブジェ…階段を上るとこれがありました。恋人の聖地に認定されているそうです。
24八幡山展望館前より伊庭山&安土山&繖山&清水山&箕作山&小脇山…<写真23>の奥のほうに見えている山々をズームしてみました。東方面です。左端は西の湖、最奥の山塊の中央辺りが伊庭山、その右手前が安土城跡のある安土山、中央は繖山(きぬがさやま)、すぐ右奥にうっすら清水山、右端の山塊の左のほうが箕作山(みつくりやま)で右のほうが小脇山です。
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24八幡山展望館前より伊庭山&安土山&繖山&清水山&箕作山&小脇山…<写真23>の奥のほうに見えている山々をズームしてみました。東方面です。左端は西の湖、最奥の山塊の中央辺りが伊庭山、その右手前が安土城跡のある安土山、中央は繖山(きぬがさやま)、すぐ右奥にうっすら清水山、右端の山塊の左のほうが箕作山(みつくりやま)で右のほうが小脇山です。
25八幡山展望館前より瓶割山&岩倉山&雪野山…今度は南東方面です。左が瓶割山、中央が岩倉山、その右奥が雪野山です。動画も撮りました。
25八幡山展望館前より瓶割山&岩倉山&雪野山…今度は南東方面です。左が瓶割山、中央が岩倉山、その右奥が雪野山です。動画も撮りました。
26八幡山展望館内部の八幡瓦…近江八幡の伝統工芸品である八幡瓦は、本願寺八幡別院の屋根葺替工事に伴い、京都深草より招かれた瓦工が移住したのが始まりではないかといわれています。耐寒性があり、色もちのよい点が特徴です。平成30年に日牟禮(ひむれ)八幡宮本殿の鬼瓦<写真09>が破損した際には、製作者がいないためやむをえず銅で修復し展示したとのことで、今ではかなり貴重なものになってしまいました。
26八幡山展望館内部の八幡瓦…近江八幡の伝統工芸品である八幡瓦は、本願寺八幡別院の屋根葺替工事に伴い、京都深草より招かれた瓦工が移住したのが始まりではないかといわれています。耐寒性があり、色もちのよい点が特徴です。平成30年に日牟禮(ひむれ)八幡宮本殿の鬼瓦<写真09>が破損した際には、製作者がいないためやむをえず銅で修復し展示したとのことで、今ではかなり貴重なものになってしまいました。
27八幡山展望館内部の和傘…2階に展示してありました。八幡山ロープウェーでは、和傘を用いたイルミネーションが以前から行われているので、これはその際に使用するものかもしれません。目にする機会はなかなかないので、ゆっくり見てまわりました。展望館前(裏?)に八幡山城二の丸跡の表示があったようですが、見落としました。
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27八幡山展望館内部の和傘…2階に展示してありました。八幡山ロープウェーでは、和傘を用いたイルミネーションが以前から行われているので、これはその際に使用するものかもしれません。目にする機会はなかなかないので、ゆっくり見てまわりました。展望館前(裏?)に八幡山城二の丸跡の表示があったようですが、見落としました。
28天空のかざぐるま…展望館<写真26,27>を出てすぐです。5月25日まで展示されます。動画も撮りましたが、風が弱く端のほうしか回っていませんでした😅
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28天空のかざぐるま…展望館<写真26,27>を出てすぐです。5月25日まで展示されます。動画も撮りましたが、風が弱く端のほうしか回っていませんでした😅
29二色モミジ…赤いほうは新葉が赤い品種でしょう。黄緑色のモミジもきれいでした。動画も撮りました。
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29二色モミジ…赤いほうは新葉が赤い品種でしょう。黄緑色のモミジもきれいでした。動画も撮りました。
30村雲御所瑞龍寺門跡社号標&ご神木?…道の左側です。ご神木らしき木は2本で、うち1本の幹が三つ又に分かれていました。後で動画も撮りました。
30村雲御所瑞龍寺門跡社号標&ご神木?…道の左側です。ご神木らしき木は2本で、うち1本の幹が三つ又に分かれていました。後で動画も撮りました。
31村雲御所瑞龍寺門跡山門…ここが八幡山城本丸跡の虎口です。入山料一人100円以上ですが、無人なのでおつりはもらえません。小銭があってよかったです😁ここもモミジなどの新緑がきれいでした。
31村雲御所瑞龍寺門跡山門…ここが八幡山城本丸跡の虎口です。入山料一人100円以上ですが、無人なのでおつりはもらえません。小銭があってよかったです😁ここもモミジなどの新緑がきれいでした。
32村雲御所瑞龍寺門跡本堂…八幡山城本丸跡に建つ寺院です。秀吉の実子・秀頼誕生の後、養子の秀次は切腹させられました。彼の菩提を弔うため実母の瑞龍院日秀尼が京都の村雲に創建、昭和36年にここに移転しました。皇族や公家が住職を務める寺院を門跡寺院といい、ここは代々九条家に嫁いだ女性が住職になっています。
32村雲御所瑞龍寺門跡本堂…八幡山城本丸跡に建つ寺院です。秀吉の実子・秀頼誕生の後、養子の秀次は切腹させられました。彼の菩提を弔うため実母の瑞龍院日秀尼が京都の村雲に創建、昭和36年にここに移転しました。皇族や公家が住職を務める寺院を門跡寺院といい、ここは代々九条家に嫁いだ女性が住職になっています。
33八重桜…村雲御所瑞龍寺門跡本堂<写真32>の向かいです。落ちた花も多かったのですが、まだギリギリ見頃でした。動画には強風にあおられる花が映っています。
33八重桜…村雲御所瑞龍寺門跡本堂<写真32>の向かいです。落ちた花も多かったのですが、まだギリギリ見頃でした。動画には強風にあおられる花が映っています。
34開山塔…秀次の実母で村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>を創建した瑞龍院日秀尼のお墓のようです。
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34開山塔…秀次の実母で村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>を創建した瑞龍院日秀尼のお墓のようです。
35モミジ越しに瑞興殿…詳細不明です。手前の赤いモミジの葉がきれいでした。
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35モミジ越しに瑞興殿…詳細不明です。手前の赤いモミジの葉がきれいでした。
36モミジ&ノダフジ…<写真35>のモミジをズームしてみると、右にノダフジ<写真15>が😊モミジのほうは、葉が大きめで新葉が赤いノムラモミジという品種だろうと思います。
36モミジ&ノダフジ…<写真35>のモミジをズームしてみると、右にノダフジ<写真15>が😊モミジのほうは、葉が大きめで新葉が赤いノムラモミジという品種だろうと思います。
37モチツツジ…本州では岡山県の旭川沿いが西限とされています。直径数cmの花は平戸ツツジに似ていますが、萼などに腺毛が多く触るとベタベタします。この日は山中などでも何度も見かけましたが、この木が最も花つきがよかったです。
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37モチツツジ…本州では岡山県の旭川沿いが西限とされています。直径数cmの花は平戸ツツジに似ていますが、萼などに腺毛が多く触るとベタベタします。この日は山中などでも何度も見かけましたが、この木が最も花つきがよかったです。
38金生稲荷大明神…村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>の鎮守社でしょうか。🎵キンキラキンに金が生る(なる)😁マッチもビックリかも😅
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38金生稲荷大明神…村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>の鎮守社でしょうか。🎵キンキラキンに金が生る(なる)😁マッチもビックリかも😅
39八幡山城西の丸跡…建物がないのでここが最も広々としていました。写ってはいませんが、右のほうに座ってのんびりできるスペースがあり、1組おられました。
39八幡山城西の丸跡…建物がないのでここが最も広々としていました。写ってはいませんが、右のほうに座ってのんびりできるスペースがあり、1組おられました。
40八幡山城西の丸跡より岡山&頭山&琵琶湖…西方面です。手前は白鳥川とすぐ奥に北沢沼、手前から奥に延びる緑色の部分は湖岸緑地岡山園地、その奥は左が岡山で右が頭山、右端は琵琶湖です。
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40八幡山城西の丸跡より岡山&頭山&琵琶湖…西方面です。手前は白鳥川とすぐ奥に北沢沼、手前から奥に延びる緑色の部分は湖岸緑地岡山園地、その奥は左が岡山で右が頭山、右端は琵琶湖です。
41八幡山城西の丸跡より琵琶湖越しに比良山地…北西方面です。中央手前が近江八幡運動公園、琵琶湖越しに中央少し左寄りが3日前に登った蓬莱山(ほうらいさん)の辺りです。動画も撮りました。
41八幡山城西の丸跡より琵琶湖越しに比良山地…北西方面です。中央手前が近江八幡運動公園、琵琶湖越しに中央少し左寄りが3日前に登った蓬莱山(ほうらいさん)の辺りです。動画も撮りました。
42八幡山城本丸跡の石垣を登る猫…石垣の中ほどで動かないので立ち往生しているのかと思いました。一段上がって座り込み、一休みの後、一気に駆け上って消え去りました。岡山県高梁市にある備中松山城の猫城主・さんじゅーろーにあやかって「よんじゅーろー」と名付けましょうか😊
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42八幡山城本丸跡の石垣を登る猫…石垣の中ほどで動かないので立ち往生しているのかと思いました。一段上がって座り込み、一休みの後、一気に駆け上って消え去りました。岡山県高梁市にある備中松山城の猫城主・さんじゅーろーにあやかって「よんじゅーろー」と名付けましょうか😊
43八幡山城北の丸跡ハート型モニュメント越しに長命寺山&奥島山…恋人の聖地らしく、ここにもモニュメントが😊北北西方面に左に長命寺山、右に奥島山が見えました。後で動画も撮りました。
43八幡山城北の丸跡ハート型モニュメント越しに長命寺山&奥島山…恋人の聖地らしく、ここにもモニュメントが😊北北西方面に左に長命寺山、右に奥島山が見えました。後で動画も撮りました。
44八幡山城北の丸跡より西の湖越しに伊庭山&安土山&繖山…東北東方面です。手前は水路や田んぼなど「近江八幡の水郷」として重要文化的景観に指定されている地域、左は西の湖越しに伊庭山、中央手前は安土城跡のある安土山、右は繖山(きぬがさやま)です。
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44八幡山城北の丸跡より西の湖越しに伊庭山&安土山&繖山…東北東方面です。手前は水路や田んぼなど「近江八幡の水郷」として重要文化的景観に指定されている地域、左は西の湖越しに伊庭山、中央手前は安土城跡のある安土山、右は繖山(きぬがさやま)です。
45八幡山城北の丸跡より西の湖越しに安土山(安土城跡)…<写真44>中央の安土山(安土城跡)をズームしてみました。天下統一を目指した織田信長の居城は想像よりも小さそうでした。
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45八幡山城北の丸跡より西の湖越しに安土山(安土城跡)…<写真44>中央の安土山(安土城跡)をズームしてみました。天下統一を目指した織田信長の居城は想像よりも小さそうでした。
46八幡山城北の丸跡より荒神山…北東方面です。彦根駅前のホテルからの写真<写真01>とはちょうど逆方向です。ここから繖山(きぬがさやま)などを動画に撮りました。
46八幡山城北の丸跡より荒神山…北東方面です。彦根駅前のホテルからの写真<写真01>とはちょうど逆方向です。ここから繖山(きぬがさやま)などを動画に撮りました。
47八幡山頂上三角点「八幡」…標高271.8m頂上三角点です。地形図で見ると、村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>のある本丸跡のほうが高そうです。
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47八幡山頂上三角点「八幡」…標高271.8m頂上三角点です。地形図で見ると、村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>のある本丸跡のほうが高そうです。
48八幡山城本丸跡北東隅の石垣…石の大きさはバラバラです。加工せず天然の石をそのまま積み上げた野面積(のづらづ)みのようです。ちなみに、大津市坂本周辺を中心に活躍した石工集団「穴太衆」(あのうしゅう)が積んだ野面積みを穴太積(あのうづ)みといいます。
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48八幡山城本丸跡北東隅の石垣…石の大きさはバラバラです。加工せず天然の石をそのまま積み上げた野面積(のづらづ)みのようです。ちなみに、大津市坂本周辺を中心に活躍した石工集団「穴太衆」(あのうしゅう)が積んだ野面積みを穴太積(あのうづ)みといいます。
49八幡山城北の丸跡北西隅の石垣…加工せず天然の石をそのまま積み上げ隙間に小石を詰めた野面積(のづらづ)みは崩れやすそうに見えますが、この隙間がかえって地震の揺れによる圧力を分散させたり、排水性を高め大雨でも崩れにくくするなどのメリットがあります。その反面、デコボコが多いので敵がよじ登ってきやすいというデメリットも。確かに、猫<写真42>は駆け上っていきました😅
49八幡山城北の丸跡北西隅の石垣…加工せず天然の石をそのまま積み上げ隙間に小石を詰めた野面積(のづらづ)みは崩れやすそうに見えますが、この隙間がかえって地震の揺れによる圧力を分散させたり、排水性を高め大雨でも崩れにくくするなどのメリットがあります。その反面、デコボコが多いので敵がよじ登ってきやすいというデメリットも。確かに、猫<写真42>は駆け上っていきました😅
50八幡山城出丸跡…中央部分にはモチツツジなどが茂り、端のほうを周回できるだけですが、貸し切り状態で展望を楽しめたので、ここが一番よかったです。歩きながら動画も撮りました。石垣は1585年の築城当時のものですが、見学できませんでした。最後に道標のない細道に逸れて上がるとすぐにここだったので、北から西を巻く道をそのまま進めば見られたのかもしれません。
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50八幡山城出丸跡…中央部分にはモチツツジなどが茂り、端のほうを周回できるだけですが、貸し切り状態で展望を楽しめたので、ここが一番よかったです。歩きながら動画も撮りました。石垣は1585年の築城当時のものですが、見学できませんでした。最後に道標のない細道に逸れて上がるとすぐにここだったので、北から西を巻く道をそのまま進めば見られたのかもしれません。
51ヤマガラ…枝から枝へと飛び回りながらこちらを観察、ピントが合ったと思ったらすぐに飛び去りました。胸部がオレンジ色で喉元が黒いのでわかりやすいです。
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51ヤマガラ…枝から枝へと飛び回りながらこちらを観察、ピントが合ったと思ったらすぐに飛び去りました。胸部がオレンジ色で喉元が黒いのでわかりやすいです。
52八幡山城西の丸跡南側の石垣…石垣の湾曲と流れ落ちたような小石が気になりますが、大丈夫です。
52八幡山城西の丸跡南側の石垣…石垣の湾曲と流れ落ちたような小石が気になりますが、大丈夫です。
53高取の峠…八幡山城北の丸跡<写真43〜47>まで戻り縦走路に入りました。途中からロープ場を下りましたが、なくても大丈夫でした。展望は効かない道ですが、木漏れ日で明るいです。
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53高取の峠…八幡山城北の丸跡<写真43〜47>まで戻り縦走路に入りました。途中からロープ場を下りましたが、なくても大丈夫でした。展望は効かない道ですが、木漏れ日で明るいです。
54八王子山頂上より長命寺山&奥島山…北西方面です。左奥に琵琶湖と比良山地、中央に長命寺山、右に奥島山が見えました。狭く休憩には向きません。
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54八王子山頂上より長命寺山&奥島山…北西方面です。左奥に琵琶湖と比良山地、中央に長命寺山、右に奥島山が見えました。狭く休憩には向きません。
55コバノガマズミ…直径数mmの花はガマズミなどに似ていますが、花期は少し早く、長さ数cmの細めの葉は触るとビロードのような手触りで気持ちいいです。よく咲いていたので動画を撮りました。
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55コバノガマズミ…直径数mmの花はガマズミなどに似ていますが、花期は少し早く、長さ数cmの細めの葉は触るとビロードのような手触りで気持ちいいです。よく咲いていたので動画を撮りました。
56北之庄城縄張図…北之庄山頂上周辺は城跡です。直進して頂上を目指しました。
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56北之庄城縄張図…北之庄山頂上周辺は城跡です。直進して頂上を目指しました。
57北之庄城跡土橋&空堀…この手前から北之庄城跡です。土橋は写真手前から左奥に延びており、中央奥のくびれが空堀です。
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57北之庄城跡土橋&空堀…この手前から北之庄城跡です。土橋は写真手前から左奥に延びており、中央奥のくびれが空堀です。
58北之庄山頂上のろし展望台(西南側監視台)より岡山&頭山&琵琶湖…地形図の254m辺りは十字路で、左折し西側土塁廻りコースに入ると動画を撮りながらここまで歩きました。北之庄山のピーク標があり、西南西方面に左に岡山、右に頭山、さらに右に琵琶湖が見えています。
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58北之庄山頂上のろし展望台(西南側監視台)より岡山&頭山&琵琶湖…地形図の254m辺りは十字路で、左折し西側土塁廻りコースに入ると動画を撮りながらここまで歩きました。北之庄山のピーク標があり、西南西方面に左に岡山、右に頭山、さらに右に琵琶湖が見えています。
59北之庄城跡東南側監視台より瓶割山&岩倉山&雪野山…南東方面です。小さくてわかりにくいですが、右側の山は手前が岩倉山で奥が雪野山、その左は瓶割山です。
59北之庄城跡東南側監視台より瓶割山&岩倉山&雪野山…南東方面です。小さくてわかりにくいですが、右側の山は手前が岩倉山で奥が雪野山、その左は瓶割山です。
60北之庄城跡上段曲輪より土塁見上げて…本丸にあたる上段曲輪(くるわ)は、土塁に囲まれ一段低い平坦地になっています。ピザの耳が土塁といえばわかりやすいでしょうか。適当に上段曲輪に下りて土塁を見上げてみました。
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60北之庄城跡上段曲輪より土塁見上げて…本丸にあたる上段曲輪(くるわ)は、土塁に囲まれ一段低い平坦地になっています。ピザの耳が土塁といえばわかりやすいでしょうか。適当に上段曲輪に下りて土塁を見上げてみました。
61北之庄城跡土塁よりアセビ越しに西の湖&伊庭山&安土山&繖山…再び土塁に上がりました。アセビにピントが合っていますが、東方面が見えています。手前が西の湖、左のほう最高点辺りが伊庭山、中央手前が安土城跡のある安土山、右は繖山(きぬがさやま)です。
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61北之庄城跡土塁よりアセビ越しに西の湖&伊庭山&安土山&繖山…再び土塁に上がりました。アセビにピントが合っていますが、東方面が見えています。手前が西の湖、左のほう最高点辺りが伊庭山、中央手前が安土城跡のある安土山、右は繖山(きぬがさやま)です。
62北之庄城跡虎口より上段曲輪…城の入口を虎口(こぐち)といいます。下りてから上段曲輪(くるわ)を振り返ってみました。手前から奥に向かって細道がついているのがわかります。通常、山城跡の虎口周辺はこんな感じで我々のような素人にはよくわからないことも多いです。
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62北之庄城跡虎口より上段曲輪…城の入口を虎口(こぐち)といいます。下りてから上段曲輪(くるわ)を振り返ってみました。手前から奥に向かって細道がついているのがわかります。通常、山城跡の虎口周辺はこんな感じで我々のような素人にはよくわからないことも多いです。
63北之庄城跡東桝形虎口…敵が直進できないようにするため、侵入経路が直角に折れ曲がるようにつくられた入口を桝形虎口(ますがたこぐち)といいます。今までも岡山県内の山城跡で見てきましたが、いまいちよくわかっていませんでした。ここは素人でも一目瞭然で、この城跡最大の見どころといわれています。
63北之庄城跡東桝形虎口…敵が直進できないようにするため、侵入経路が直角に折れ曲がるようにつくられた入口を桝形虎口(ますがたこぐち)といいます。今までも岡山県内の山城跡で見てきましたが、いまいちよくわかっていませんでした。ここは素人でも一目瞭然で、この城跡最大の見どころといわれています。
64北之庄城跡七つ池…あまり大きなくぼみではありませんが、周辺を少し歩くと6つ見えました。確か、1か所だけ水が少したまっていたように思います。井戸ではなく水たまりのような池というのは珍しいと思います。
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64北之庄城跡七つ池…あまり大きなくぼみではありませんが、周辺を少し歩くと6つ見えました。確か、1か所だけ水が少したまっていたように思います。井戸ではなく水たまりのような池というのは珍しいと思います。
65北之庄城跡西虎口…昔は琵琶湖の内湖は西の湖以外にもありましたが、干拓により陸地になっています。ここも昔は島で、この辺りから琵琶湖に出ていたと考えられています。
65北之庄城跡西虎口…昔は琵琶湖の内湖は西の湖以外にもありましたが、干拓により陸地になっています。ここも昔は島で、この辺りから琵琶湖に出ていたと考えられています。
66北之庄城跡より八幡山(城跡)…南南西方面に八幡山が見えました。左上のほうに村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>の屋根がわずかに見えています。
66北之庄城跡より八幡山(城跡)…南南西方面に八幡山が見えました。左上のほうに村雲御所瑞龍寺門跡<写真31,32>の屋根がわずかに見えています。
67ツクバネウツギ…道から少し逸れて見に行きました。コツクバネウツギに似ていますが、萼は5枚です。よく咲いていたので動画も撮りました。
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67ツクバネウツギ…道から少し逸れて見に行きました。コツクバネウツギに似ていますが、萼は5枚です。よく咲いていたので動画も撮りました。
68北之庄城跡北虎口上展望台より西の湖越しに荒神山&男鬼山&霊仙山…北之庄城跡北虎口上展望台の説明板の横です。北東方面を望みました。手前は西の湖、左端が荒神山、中央少し右寄りが男鬼山(おおりやま)、右奥は前日登った霊仙山(りょうぜんざん)です。
68北之庄城跡北虎口上展望台より西の湖越しに荒神山&男鬼山&霊仙山…北之庄城跡北虎口上展望台の説明板の横です。北東方面を望みました。手前は西の湖、左端が荒神山、中央少し右寄りが男鬼山(おおりやま)、右奥は前日登った霊仙山(りょうぜんざん)です。
69北之庄城跡北虎口上展望台より琵琶湖越しに権現山&蓬莱山&打見山&比良岳…少し上がってみました。今度は北西方面です。手前の琵琶湖が海のように見えました。中央少し左が権現山、中央少し右寄りの最高点辺りが3日前に登った蓬莱山(ほうらいさん)と右が打見山(うちみやま)、手前の木の右が比良岳です。
69北之庄城跡北虎口上展望台より琵琶湖越しに権現山&蓬莱山&打見山&比良岳…少し上がってみました。今度は北西方面です。手前の琵琶湖が海のように見えました。中央少し左が権現山、中央少し右寄りの最高点辺りが3日前に登った蓬莱山(ほうらいさん)と右が打見山(うちみやま)、手前の木の右が比良岳です。
70打越の峠…細道を下るとここに出ました。展望は効きません。道標の左側、「岩崎山城跡」とは、北之庄城跡<写真57〜69>のことです。江戸時代の『淡海温故録』に岩崎山城として記載されていますが、北にある岩崎山<写真71>と誤解しやすいので、北之庄城跡と呼ばれています。
70打越の峠…細道を下るとここに出ました。展望は効きません。道標の左側、「岩崎山城跡」とは、北之庄城跡<写真57〜69>のことです。江戸時代の『淡海温故録』に岩崎山城として記載されていますが、北にある岩崎山<写真71>と誤解しやすいので、北之庄城跡と呼ばれています。
71岩崎山頂上…周辺は平坦ですが、植物が茂り展望は効きません。
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71岩崎山頂上…周辺は平坦ですが、植物が茂り展望は効きません。
72イワカガミ…望西峰展望台の道標に従い西に進むと、イワカガミが群生していました。開花中の株もそれなりにあり、テンションが上がりました。ちなみに、ここからさらに北に下るとオオイワカガミ群生地の道標があり、咲き終わった株ばかり多数見られました。葉の大きさが数cmのものをイワカガミ、8cm以上のものをオオイワカガミ、かなり小さいものをコイワカガミと呼び分布域が異なるとされていますが、DNA鑑定では同じ種類だそうです。
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72イワカガミ…望西峰展望台の道標に従い西に進むと、イワカガミが群生していました。開花中の株もそれなりにあり、テンションが上がりました。ちなみに、ここからさらに北に下るとオオイワカガミ群生地の道標があり、咲き終わった株ばかり多数見られました。葉の大きさが数cmのものをイワカガミ、8cm以上のものをオオイワカガミ、かなり小さいものをコイワカガミと呼び分布域が異なるとされていますが、DNA鑑定では同じ種類だそうです。
73望西峰展望台より長命寺山&奥島山&比良山地…文字通り、西側がよく見えます。北西方面に手前に長命寺川、左端に長命寺橋、中央に長命寺山、右に奥島山、背後に蓬莱山(ほうらいさん)などの比良山地の山々が見えました。
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73望西峰展望台より長命寺山&奥島山&比良山地…文字通り、西側がよく見えます。北西方面に手前に長命寺川、左端に長命寺橋、中央に長命寺山、右に奥島山、背後に蓬莱山(ほうらいさん)などの比良山地の山々が見えました。
74西の湖展望台より西の湖越しに伊庭山&安土山&繖山…東方面です。西の湖が目の前にドーン。左のほう最高点辺りが伊庭山、中央手前が安土城跡のある安土山、右は繖山(きぬがさやま)です。
74西の湖展望台より西の湖越しに伊庭山&安土山&繖山…東方面です。西の湖が目の前にドーン。左のほう最高点辺りが伊庭山、中央手前が安土城跡のある安土山、右は繖山(きぬがさやま)です。
75重要文化的景観展望台より円山&近江八幡の水郷&伊庭山&安土山&繖山&箕作山&小脇山…西の湖周辺は水路や田んぼなどを含め「近江八幡の水郷」として重要文化的景観の第1号となりました。ここからは東方面がよく見えます。左端はこれから登る円山<写真91>、中央奥は伊庭山、その右手前が安土城跡のある安土山、さらに右は繖山(きぬがさやま)、右端奥は箕作山(みつくりやま)と小脇山です。動画も撮りました。
75重要文化的景観展望台より円山&近江八幡の水郷&伊庭山&安土山&繖山&箕作山&小脇山…西の湖周辺は水路や田んぼなどを含め「近江八幡の水郷」として重要文化的景観の第1号となりました。ここからは東方面がよく見えます。左端はこれから登る円山<写真91>、中央奥は伊庭山、その右手前が安土城跡のある安土山、さらに右は繖山(きぬがさやま)、右端奥は箕作山(みつくりやま)と小脇山です。動画も撮りました。
76円山(円山城跡)&白王山&荒神山…ここは特に展望地に指定されていませんが、東北東方面が見えました。中央手前の円山<写真91>や左奥の白王山周辺は重要文化的景観の「近江八幡の水郷」に追加指定されています。白王山の奥にうっすらと荒神山が見えました。
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76円山(円山城跡)&白王山&荒神山…ここは特に展望地に指定されていませんが、東北東方面が見えました。中央手前の円山<写真91>や左奥の白王山周辺は重要文化的景観の「近江八幡の水郷」に追加指定されています。白王山の奥にうっすらと荒神山が見えました。
77ヤマツツジ…実物は朱色ですが、なぜか明るいオレンジ色に写ってしまい、レンゲツツジのようです。動画の色もこうでした😅
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77ヤマツツジ…実物は朱色ですが、なぜか明るいオレンジ色に写ってしまい、レンゲツツジのようです。動画の色もこうでした😅
78百々神社鳥居…鳥居の奥に見えている石段を下りてここまで出て振り返りました。長命寺川対岸にある大嶋奥津嶋神社の境外社です。すぐ北にある渡合(わたらい)橋の下に住んでいた大蛇を敦実(あつみ)親王が退治したとの伝説があり、この蛇の魂を鎮めるためお祀りしたのが始まりとされています。
78百々神社鳥居…鳥居の奥に見えている石段を下りてここまで出て振り返りました。長命寺川対岸にある大嶋奥津嶋神社の境外社です。すぐ北にある渡合(わたらい)橋の下に住んでいた大蛇を敦実(あつみ)親王が退治したとの伝説があり、この蛇の魂を鎮めるためお祀りしたのが始まりとされています。
79百々神社拝殿…ご祭神は道祖神である猿田彦命(さるたひこのみこと)と大蛇で、昔は百々(どど)神社と呼ばれていましたが、織田信長が安土城の堀に架けた橋を百々橋(どどばし)と名付けたことから、百々(もも)に変更したと伝えられています。
79百々神社拝殿…ご祭神は道祖神である猿田彦命(さるたひこのみこと)と大蛇で、昔は百々(どど)神社と呼ばれていましたが、織田信長が安土城の堀に架けた橋を百々橋(どどばし)と名付けたことから、百々(もも)に変更したと伝えられています。
80ツルニチニチソウ…直径4〜5cmの花がたくさん咲いていました。つる性植物なので地面を這うようによく伸びます。
80ツルニチニチソウ…直径4〜5cmの花がたくさん咲いていました。つる性植物なので地面を這うようによく伸びます。
81ウマノアシガタ…直径2cm程の花には光沢があるのでわかりやすいです。ここだけでした。
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81ウマノアシガタ…直径2cm程の花には光沢があるのでわかりやすいです。ここだけでした。
82馬…道の左側、奥のほうにいました。こちらを警戒しているのか、カメラを向けると小屋の背後に移動してしまうので、通り過ぎてから振り返りました。
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82馬…道の左側、奥のほうにいました。こちらを警戒しているのか、カメラを向けると小屋の背後に移動してしまうので、通り過ぎてから振り返りました。
83ピンクの藤越しに円山…東南東方面にピンクの藤越しに目指す円山<写真91>が見えました。
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83ピンクの藤越しに円山…東南東方面にピンクの藤越しに目指す円山<写真91>が見えました。
84ピンクの藤…たまにピンク色の品種があります。ズームして動画も撮りました。
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84ピンクの藤…たまにピンク色の品種があります。ズームして動画も撮りました。
85島真珠水郷観光船乗り場…3月中旬から11月末まで運行され、西の湖などを巡ります。定期便は10時半と14時半の2回、所要時間は約60分です。事前予約の貸切船には120分コースもあり、お弁当を食べながらのんびり楽しめます。
85島真珠水郷観光船乗り場…3月中旬から11月末まで運行され、西の湖などを巡ります。定期便は10時半と14時半の2回、所要時間は約60分です。事前予約の貸切船には120分コースもあり、お弁当を食べながらのんびり楽しめます。
86圓山(まるやま)神社参道…清見寺の石段の途中から入りました。神社の石段にしては緩やかなほうですが、一度舗装道路に出て緊張の糸が切れてしまったのか、連れは脚が痛いを連発していました。
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86圓山(まるやま)神社参道…清見寺の石段の途中から入りました。神社の石段にしては緩やかなほうですが、一度舗装道路に出て緊張の糸が切れてしまったのか、連れは脚が痛いを連発していました。
87寶珠寺本堂…石段の途中、右側にありました。弘化4年(1847年)建立の棟札があり、本尊の毘沙門天立像は重要文化財に指定されています。「近江八幡の水郷」が重要文化的景観に選定された際、景観重要建造物に選定されたため、修復工事が行われました。
87寶珠寺本堂…石段の途中、右側にありました。弘化4年(1847年)建立の棟札があり、本尊の毘沙門天立像は重要文化財に指定されています。「近江八幡の水郷」が重要文化的景観に選定された際、景観重要建造物に選定されたため、修復工事が行われました。
88圓山神社本殿&御影大岩…社伝によれば、日吉大社の社の中で山王七社と呼ばれる社のひとつ、十禅師を勧請して室町時代に建立されたとのことです。本殿の背後に見えている岩はご神体で御影大岩と呼ばれています。手前の境内社前から歩きながら動画を撮りました。
88圓山神社本殿&御影大岩…社伝によれば、日吉大社の社の中で山王七社と呼ばれる社のひとつ、十禅師を勧請して室町時代に建立されたとのことです。本殿の背後に見えている岩はご神体で御影大岩と呼ばれています。手前の境内社前から歩きながら動画を撮りました。
89圓山神社本殿…道の左側に境内社とともに並んでおり、拝殿だけが右側で本殿と向かい合う形です。このように日陰で正面からはご神体の御影大岩<写真88>が見えにくいです。
89圓山神社本殿…道の左側に境内社とともに並んでおり、拝殿だけが右側で本殿と向かい合う形です。このように日陰で正面からはご神体の御影大岩<写真88>が見えにくいです。
90円山城跡堀切?…最も北側(手前)の境内社まで戻り、細道に入ったまではよかったのですが、T字路で右折のはずが左折してしまい、木の間を適当に登る羽目に😅ここは堀切のようで明らかに溝状に掘れており、ここからひと登りすると円山城本丸跡らしき平坦地に出ました。
90円山城跡堀切?…最も北側(手前)の境内社まで戻り、細道に入ったまではよかったのですが、T字路で右折のはずが左折してしまい、木の間を適当に登る羽目に😅ここは堀切のようで明らかに溝状に掘れており、ここからひと登りすると円山城本丸跡らしき平坦地に出ました。
91円山頂上…地形図上はピークの少し北に見えますが、周辺は平坦でどこが最高点かよくわからない状態です。展望は効かず、木が茂って周辺の城跡の遺構は探しにくいです。
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91円山頂上…地形図上はピークの少し北に見えますが、周辺は平坦でどこが最高点かよくわからない状態です。展望は効かず、木が茂って周辺の城跡の遺構は探しにくいです。
92円山城本丸跡…山頂プレート<写真91>からは明瞭な細道がありました。少し進んで振り返ってみたところです。円山城は鎌倉時代中期に佐々木六角泰綱の孫・氏綱により築城され、佐々木氏滅亡の際に廃城となったと伝えられています。
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92円山城本丸跡…山頂プレート<写真91>からは明瞭な細道がありました。少し進んで振り返ってみたところです。円山城は鎌倉時代中期に佐々木六角泰綱の孫・氏綱により築城され、佐々木氏滅亡の際に廃城となったと伝えられています。
93円山城跡石積み…突然周辺が少し開けてこれがありました。言い伝えによれば石組みをもった望楼跡があったとのことですが、これかどうかは定かではありません。小さな祠の土台となっている石積みがだいたいこのくらいの大きさなので、元々ここにあった祠の跡を見張り台に転用した可能性はあると思います。
93円山城跡石積み…突然周辺が少し開けてこれがありました。言い伝えによれば石組みをもった望楼跡があったとのことですが、これかどうかは定かではありません。小さな祠の土台となっている石積みがだいたいこのくらいの大きさなので、元々ここにあった祠の跡を見張り台に転用した可能性はあると思います。
94圓山神社鳥居…くぐってから振り返りました。
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94圓山神社鳥居…くぐってから振り返りました。
95水路&ヨシ原…橋の上より南東方面を望みました。円山町はすだれやよしずなどのヨシの加工品が特産です。「近江八幡の水郷」は、このようなヨシ原などの自然環境とヨシ産業などの地域住民の生活とが深く結びついて発展した文化的景観である点が評価されています。
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95水路&ヨシ原…橋の上より南東方面を望みました。円山町はすだれやよしずなどのヨシの加工品が特産です。「近江八幡の水郷」は、このようなヨシ原などの自然環境とヨシ産業などの地域住民の生活とが深く結びついて発展した文化的景観である点が評価されています。
96キショウブ…花菖蒲などに似ていますが、花色が黄色なのでわかりやすいです。きれいですが、アヤメ科の絶滅危惧種との競合や交雑の恐れがあるため、日本の侵略的外来種ワースト100および、要注意外来生物に指定されています。
96キショウブ…花菖蒲などに似ていますが、花色が黄色なのでわかりやすいです。きれいですが、アヤメ科の絶滅危惧種との競合や交雑の恐れがあるため、日本の侵略的外来種ワースト100および、要注意外来生物に指定されています。
97水郷のさとまるやま水郷めぐり舟のりば…定期船、貸切船ともに予約が必要です。所要時間は前者が60分、後者は60と90分コースがあります。水路とヨシ原の景観を楽しみながら食事も可能です。
97水郷のさとまるやま水郷めぐり舟のりば…定期船、貸切船ともに予約が必要です。所要時間は前者が60分、後者は60と90分コースがあります。水路とヨシ原の景観を楽しみながら食事も可能です。
98カルガモ…つがいでしょうか、水を張った田んぼに2羽いました。動画の最後には安土城跡のある安土山などが映っています。
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98カルガモ…つがいでしょうか、水を張った田んぼに2羽いました。動画の最後には安土城跡のある安土山などが映っています。
99「ラ コリーナ近江八幡」庭越しに岩崎山&たねやグループ本社…バームクーヘンなどが人気のたねやグループのショップです。カフェでスイーツや軽食も楽しめますが、敷地に入った途端、修学旅行中らしき女子高生などの団体さんが😅結局、メインショップをすぐに通り抜けて庭に出ました。左が先程登った岩崎山<写真71>、右の建物が本社です。動画も撮りました。
99「ラ コリーナ近江八幡」庭越しに岩崎山&たねやグループ本社…バームクーヘンなどが人気のたねやグループのショップです。カフェでスイーツや軽食も楽しめますが、敷地に入った途端、修学旅行中らしき女子高生などの団体さんが😅結局、メインショップをすぐに通り抜けて庭に出ました。左が先程登った岩崎山<写真71>、右の建物が本社です。動画も撮りました。
100「ラ コリーナ近江八幡」庭のセイヨウアブラナ&ゲンゲ…庭はセイヨウアブラナとゲンゲ(レンゲソウ)が自然に生えたような花畑でした。この敷地全体が自然に学ぶというコンセプトのもと、設計されたようです。
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100「ラ コリーナ近江八幡」庭のセイヨウアブラナ&ゲンゲ…庭はセイヨウアブラナとゲンゲ(レンゲソウ)が自然に生えたような花畑でした。この敷地全体が自然に学ぶというコンセプトのもと、設計されたようです。
101「ラ コリーナ近江八幡」庭越しにカステラショップ&メインショップ…左がカステラショップ、すぐ右奥の塔のような建物がメインショップ、右は回廊です。メインショップ2階のカフェは大行列、1階はそこまで人がいないと思ったら、品薄でした😅もう、笑うしかなく、ここでお金を使う気はナッシング😁
101「ラ コリーナ近江八幡」庭越しにカステラショップ&メインショップ…左がカステラショップ、すぐ右奥の塔のような建物がメインショップ、右は回廊です。メインショップ2階のカフェは大行列、1階はそこまで人がいないと思ったら、品薄でした😅もう、笑うしかなく、ここでお金を使う気はナッシング😁
102「ラ コリーナ近江八幡」庭のオヘビイチゴ…直径2cm程の花は、キジムシロやミツバツチグリなど似た花が多いのですが、これは葉が5枚セットなのでわかりやすいです。
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102「ラ コリーナ近江八幡」庭のオヘビイチゴ…直径2cm程の花は、キジムシロやミツバツチグリなど似た花が多いのですが、これは葉が5枚セットなのでわかりやすいです。
103北之庄神社鳥居…ここからも北之庄城跡<写真57〜69>に登れます。境内に縦走路の案内板がありました。
103北之庄神社鳥居…ここからも北之庄城跡<写真57〜69>に登れます。境内に縦走路の案内板がありました。
104北之庄神社拝殿&本殿…左が拝殿です。昔は八王子神社と称し、北之庄、多賀、市井の氏神様でしたが、現在は北之庄のみの氏神様で北之庄神社と改称しています。
104北之庄神社拝殿&本殿…左が拝殿です。昔は八王子神社と称し、北之庄、多賀、市井の氏神様でしたが、現在は北之庄のみの氏神様で北之庄神社と改称しています。
105北之庄神社本殿左側脇障子の彫刻…獅子の彫刻です。植物は何かよくわかりません。
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105北之庄神社本殿左側脇障子の彫刻…獅子の彫刻です。植物は何かよくわかりません。
106古い道標「京みち」&「長命寺」…岡山県内でも目にする道標に似ています。左は「京みち」、奥は長命寺に向かう道のようです。
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106古い道標「京みち」&「長命寺」…岡山県内でも目にする道標に似ています。左は「京みち」、奥は長命寺に向かう道のようです。
107彦根銘菓「埋れ木」&びわ湖銘菓「鮎もなか」外装…「埋れ木」製造の「いと重菓舗」は文化6年(1809年)創業です。「鮎もなか」の外装は紙製のかごで、インテリアとしてちょっとした小物入れに使えそうです。
107彦根銘菓「埋れ木」&びわ湖銘菓「鮎もなか」外装…「埋れ木」製造の「いと重菓舗」は文化6年(1809年)創業です。「鮎もなか」の外装は紙製のかごで、インテリアとしてちょっとした小物入れに使えそうです。
108「埋れ木」&「鮎もなか」…手前の「埋れ木」は3cm四方の求肥に抹茶と砂糖をまぶしてあり、中は少し甘めのこしあんです。外の抹茶は多少渋みもあり飲み物なしでもおいしく食べられました。「鮎もなか」は長さ13cm程で外は香ばしく、中の粒あんは甘さ控えめでほくほく感があり、尻尾までぎっしり詰まって食べ応えがありました。
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108「埋れ木」&「鮎もなか」…手前の「埋れ木」は3cm四方の求肥に抹茶と砂糖をまぶしてあり、中は少し甘めのこしあんです。外の抹茶は多少渋みもあり飲み物なしでもおいしく食べられました。「鮎もなか」は長さ13cm程で外は香ばしく、中の粒あんは甘さ控えめでほくほく感があり、尻尾までぎっしり詰まって食べ応えがありました。
109「琵琶湖あゆ塩焼きせんべい」&「近江牛ステーキせんべい」外装…「琵琶湖産あゆ100%」、「牛肉(近江牛100%)」の表示に惹かれて購入。
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109「琵琶湖あゆ塩焼きせんべい」&「近江牛ステーキせんべい」外装…「琵琶湖産あゆ100%」、「牛肉(近江牛100%)」の表示に惹かれて購入。
110「琵琶湖あゆ塩焼きせんべい」&「近江牛ステーキせんべい」…左の「琵琶湖あゆ塩焼きせんべい」は直径7cm、厚さ1mm程で塩味が効いており、魚介の風味はちゃんとします。アユの味かどうかはよくわかりませんが、おいしかったです。「近江牛ステーキせんべい」は直径6cm、厚さ2mm程で牛肉風味、ニンニク風味、黒コショウ味と複雑な味わいです。肉の食感はありませんが、意外にも薄味で食べやすく、何枚でもイケます。
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110「琵琶湖あゆ塩焼きせんべい」&「近江牛ステーキせんべい」…左の「琵琶湖あゆ塩焼きせんべい」は直径7cm、厚さ1mm程で塩味が効いており、魚介の風味はちゃんとします。アユの味かどうかはよくわかりませんが、おいしかったです。「近江牛ステーキせんべい」は直径6cm、厚さ2mm程で牛肉風味、ニンニク風味、黒コショウ味と複雑な味わいです。肉の食感はありませんが、意外にも薄味で食べやすく、何枚でもイケます。

装備

個人装備
長袖シャツ ズボン 靴下(厚手) 手袋(防水加工) 軍手 雨具 スパッツ 日よけ帽子(フード付き) 雨用帽子 登山靴(防水加工) 靴ひも予備 ザックカバー(防水用) 地形図 コンパス マップケース 筆記用具 タオルハンカチ カメラ 飲料水(スポドリ&茶) 水筒(保温) 非常食(栄養補助食品) スマホ(地図アプリ使用) eTrex22x(GPSナビゲーター) 虫よけスプレー

感想

 近江八幡といえば、八幡堀、水郷めぐり、沖島(おきしま)が有名で、各種ガイドブックやパンフレットにも必ず出てきます。
 八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次(秀吉の甥で関白)が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造らせた人工水路です。全長約4.7kmに及び、城の防御という軍事的役割と、琵琶湖の水運を利用した物流という商業的役割を果たしました。また、堀に沿って白壁の土蔵や旧家が立ち並び、時代劇や映画「るろうに剣心」などのロケ地としても知られています。
 水郷めぐりは、日本最大の水郷地帯といわれる近江八幡の水郷を船に乗ってめぐるもので、その景観の美しさは、琵琶湖八景のひとつに数えられています。
 沖島は琵琶湖の沖合約1.5kmにある琵琶湖最大の島であり、日本の湖(淡水湖)に浮かぶ島(琵琶湖に浮かぶ4つの島)のうち、唯一人が住んでいる島です。ちなみに同じ琵琶湖で面積第2位の竹生島(ちくぶじま)は無人島です。
 もちろん、これらの近江八幡らしい観光スポットに興味がありましたが、史跡、特に城跡により関心が高まり、結局は鶴翼山(八幡山)や円山を訪問することにしました。

【日牟禮八幡宮から鶴翼山(八幡山)へ】
 出発点としたのは、鶴翼山(かくよくざん、以下八幡山)の南東麓にある日牟禮(ひむれ)八幡宮<写真02〜13>の駐車場です。100台ちかく駐車可能です。9時過ぎには8割程埋まっていましたが、15時過ぎには半分程でした。この日はGW中の平日だったので、比較的空いているほうだったのかもしれません。
 ここは近江八幡市の市名の由来となった神社で、成務天皇即位の際、地主神である大嶋大神をお祀りしたのが始まりとのことです。後にちょうどこの辺り、応神天皇御座所跡で日輪(太陽)が二つ見えたことから祠を建てて日群之社八幡宮と名付けたともいわれています。また、参拝した藤原不比等が「ひむれの杜」と詠んだことから比牟礼社と改称したと伝えられています。正暦2年(991年)には宇佐八幡宮を勧請して八幡山に社殿を建て、後に山麓に遥拝所を設けましたが、天正13年(1585年)に豊臣秀次の八幡山城築城計画により八幡山の社殿を山麓に合祀、秀次の切腹により予定されていた遷座は行われず現在に至ります。徳川家康が関が原の戦いの後に参拝するなど、時の権力者の崇敬も篤かったようです。
 社宝には、江戸時代に海外貿易で活躍した商人西村太郎右衛門が寄進したという「安南渡海船額(あんなんとかいせんがく)」をはじめ、ご祭神である三神の木像などがあり、いずれも国指定重要文化財になっています。また、二大火祭の左義長(さぎちょう)まつりと八幡まつりは国の選択無形民俗文化財です。
 この地区一帯が「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」に指定されており、日牟禮八幡宮の南東方面に碁盤目状に広がる地区内に建築物180、工作物93が伝統的建造物として指定されています。時間的な余裕があれば、山行後に見学したかったのですが、日牟禮(ひむれ)八幡宮が想像以上に見どころが多く(それでもいくつか見落としています)、出発早々足踏み状態となり、保存地区巡りは次の機会にすることにしました。

 さて、日牟禮八幡宮を出た後、八幡山ロープウェー乗り場がすぐ近くにあったのですが、これにほぼ並行して登山道がついていたので、歩いて登ることにしました。特に最初は地形図にはない分岐がいくつかあるので、道標を見て方向を確認する必要があります。
 この登山道沿いにはさまざまな花が咲いていましたが、特に岡山県の旭川沿いが西限とされているモチツツジ<写真37>が多く開花していました。最初は発見するごとに喜んでいましたが、次第に有り難みが薄れていきました😅石埋まりの土道もありますが、階段が多く歩きやすいです。

 八幡山頂上一帯は、八幡山城跡になっていました。1585年に豊臣秀吉の養子・秀次(ひでつぐ)が築いた城です。
 本丸跡には、村雲御所瑞龍寺門跡<写真30〜32>があります。皇族や公家が住職を務める寺院を門跡寺院といい、ここは代々九条家に嫁いだ女性が住職になっています。開山したのは秀吉の実姉で秀次の母親、羽柴智(はしばとも)の方です。秀吉の実子・秀頼誕生の後、養子の秀次は切腹させられました。彼の菩提を弔うため実母の智は出家して瑞龍院日秀尼と称し、京都の村雲にこの寺を創建、昭和36年にここに移転しました。
 城跡は、本丸の西に西の丸<写真39〜41>、北に北の丸<写真43〜47>、南西の尾根上一段低く出丸<写真50>を配置する構造がはっきりと確認できましたが、加工せず天然の石をそのまま積み上げた野面積(のづらづ)みの石垣<写真48,49,52>を遺すのみで、それぞれが展望地として機能していました。各曲輪(くるわ)間は細道ですが歩きやすく、道標もあるので迷わず見てまわれました。

【八幡山から百々神社まで史跡&展望地巡り】
 八幡山から北北東方面に縦走路がありましたので、この尾根の終点となる百々(もも)神社<写真78,79>まで山道を進みました。やはりきちんと整備され、一部にはロープ場もありましたが、下りでも使わずにすみました。
 標高254mの北之庄山(北之庄城跡)に着くと、土橋<写真57>、土塁<写真60>などの城跡の遺構がはっきりと遺っていたので、しばらくの間、探索することにしました。ここは江戸時代の『淡海温故録』に岩崎山城として記載されていますが、北にある岩崎山<写真71>と誤解しやすいので、北之庄城跡と呼ばれています。打越の峠<写真70>の道標では「岩崎山城跡」となっているので間違えないよう要注意です。
 本丸にあたる上段曲輪(くるわ)の北側には、東桝形虎口(ますがたこぐち)<写真63>があります。敵が直進できないようにするため、侵入経路が直角に折れ曲がるようにつくられた入口を桝形虎口といいます。今までも岡山県内の山城跡で見てきましたが、いまいちよくわかっていませんでした。ここは素人でも一目瞭然で、この城跡最大の見どころといわれています。「ホンマに四角や!こう、クックックって曲がっとる。」と連れがかなり興奮していました。
 下段曲輪には七つ池<写真64>と呼ばれる小さなくぼみがありました。1か所だけだったと思いますが水がたまっており、長期間の籠城に備えた水源であったことがうかがえます。ちなみに、池の数は6つしか確認できませんでした。1つは埋もれてしまったのかもしれません。
 頂上や土塁は展望地にもなっており、岡山にある水茎(すいけい)岡山城跡<写真58>、安土城跡と繖山(きぬがさやま)の観音寺城跡<写真61>、八幡山城跡<写真66>と城跡から他の城跡が一望できるというお城好きにはたまらないロケーションでした。

 北之庄山からさらに北へ進むと、標高278mの岩崎山<写真71>に到着しました。周辺は展望が効きませんが、望西峰展望台の道標に従い西に進むと、イワカガミ<写真72>が咲いていました。さらに北に下ったオオイワカガミ群生地では完全に咲き終わっていたので、間に合ってラッキーでした。望西峰展望台<写真73>はちょっとした展望地になっており、西側の景観も楽しむことができました。
 ここから百々(もも)神社<写真78,79>までもいくつかの展望スポットがあり、特に重要文化的景観展望台<写真75>からの水路や田んぼなど近江八幡らしい景観は、ここの魅力を堪能するには十分でした。ちなみに、この展望台から見えている西の湖周辺と長命寺川一帯は2006年1月26日に「重要文化的景観」の全国第1号に選定されました。

 そして、この山域の北端(登山口)に位置する百々(もも)神社<写真78,79>には、予想外の興味深い歴史がありました。
 宇多天皇の御代、神社のすぐ北にある渡合(わたらい)橋の下に大蛇が住んでおり、川を渡る人々を困らせていましたが、偶然通りかかった敦実親王(あつみしんのう)に退治されたといわれています。この蛇の魂を鎮めるためお祀りしたのがこの神社の始まりとされています。また、喘息(ぜんそく)を封じる神としても信仰され、多くの参拝者が病気の回復を祈って訪れるようです。
 北側の公園のような境内には、「おいつ島」(沖島と長命寺山の2つの説あり)を詠んだ紫式部の歌碑が建てられています。文化的な魅力も感じられますが、我々はこの歌碑のことを後で知ることになりました😓

【近江八幡といえばヨシと“ラ コリーナ”】
 百々(もも)神社<写真78,79>を出た後、本日のコース上で最後の城跡となる円山<写真91>を訪問しました。円山城は鎌倉時代中期に佐々木六角泰綱の孫・氏綱により築城され、佐々木氏滅亡の際に廃城となったと伝えられています。
 圓山(まるやま)神社<写真88,89>の最も北側(手前)の境内社から細道に入ったまではよかったのですが、T字路で右折のはずが左折してしまい、明瞭だった細道はすぐに木の枝がかぶさり歩きにくくなりました。それでも道だろうとしばらく我慢して木の枝をよけつつ西に歩きましたが、どう考えてもおかしい。結局、少し崩れやすい斜面の木の間を適当に登る羽目に😅ほとんどかき分けずに歩けてよかったです。尾根に出て少し東に進むと、堀切のようで明らかに溝状に掘れた箇所<写真90>があり、ここからひと登りすると円山城本丸跡らしき平坦地に出ました。
 円山頂上<写真91>はここまでの城跡とは違い展望は効かず、木が茂って周辺の遺構は探しにくいです。ここからは明瞭な細道があり、南尾根には石積み<写真93>がありました。ここが本丸跡だと書かれたサイトもあり、言い伝えによれば石組みをもった望楼跡があったとのことですが、これかどうかは定かではありません。小さな祠の土台となっている石積みがだいたいこのくらいの大きさなので、元々ここにあった祠の跡を見張り台に転用した可能性はあると思います。
 無事に圓山(まるやま)神社<写真88,89>まで戻ってくると、その後、円山の南麓に位置する水郷地帯を歩きました。ここには、たくさんのヨシ<写真95>が生育していました。近江八幡のヨシは日本一の品質とも言われ、古くからすだれやよしず、茅葺き屋根の素材として活用されてきました。ヨシは毎年4月頃に芽吹くので、品質の良いヨシを生産するためには、毎年刈り取る必要があります。円山町のヨシ群は水路に囲まれて舟でしか行けない場所があるため、土地の所有者に代わって舟で飛地に渡ってヨシ刈りとヨシ焼きを実施しているようでした。こうした地元の方の不断の努力により、重要文化的景観が保たれていることを改めて知りました。ヨシは春に芽吹き、夏になると青々と4m近くに成長し、秋が深まるにつれ葉を落とし黄金色に変化、冬にはヨシ原で刈り取り風景が見られます。四季を通じて、地元の風景の一部となっているようでした。

 さて、円山町から少し南に進んだところに、近江八幡を象徴する施設がありました。それは「ラ コリーナ近江八幡」<写真99〜102>です。なんと、地形図にも記載されています。ここは滋賀県のスイーツブランド「たねや」グループのフラッグシップ店として2015年にオープンしました。フラッグシップ店とは、ブランドを代表する施設として機能する店舗のことで、ブランドが最も力を入れている店舗です。現在は本社もここにあります。敷地内にはメインショップ、カステラショップ、バームファクトリーなどがあります。
 たねやグループの「たねや」の最中と「クラブハリエ」のバームクーヘンは人気商品で、特に「ラ コリーナ」に来た人のほとんどが、このバームクーヘンをお土産に買うために来ていると言っても過言ではありません。以前は日本一売れている最中(もなか)、日本一売れているバームクーヘンとしてメディアに取り上げられていたこともありました。
 ここのカフェでは軽食も提供されているので、昼食を摂り食後のデザートに出来たてのバームクーヘンを食べてこのツアーを締めくくるつもりだったのですが、敷地に入った途端、修学旅行中らしき女子高生などの団体さんが😅メインショップ2階のカフェは大行列、1階はそこまで人がいないと思ったら、品薄でした😅もう、笑うしかなく、結局、メインショップをすぐに通り抜けて庭に出ました。庭も戦利品をぶら下げた人、諦めてぶらついている人が行き交い、外国語も飛び交ってここはどこ?一応、バームファクトリーものぞいてみると、製造過程が見学できました。スタッフさんなどの撮影は禁止です。結局、お金を一銭も使わずにここを出ましたが、我々だけではなかったでしょう。
 ちなみに、ゴールの日牟禮(ひむれ)八幡宮の隣にあった「たねや日牟禮乃舎」も多くの方で賑わっていました。集客にもっとも成功している施設がスイーツを扱う店というのも今時らしいと思います。
 近江八幡の自然・歴史・食(見ただけですが)、すべてが素晴らしいものでした。GWの滋賀遠征ツアーの最後がここでよかったです。



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