鈴鹿と伊吹の中間部


- GPS
- 06:56
- 距離
- 18.4km
- 登り
- 817m
- 下り
- 810m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
4月19日(土)「晴れ」 今日は取敢えず、ぐるっと滋賀県も見据えて、空白部の鈴鹿と伊吹の中間部のを走破する事とした。具体的には、野瀬山から岩倉山だが、標高も無いが、皺になって頑張っている。寝物語の里から野瀬山までは、既に踏破済みなので割愛する。野瀬山登山口駐車場に車を停めて出発だ。直ぐに明神神社があり、其れなりの登りが続く。ピンクのみつばつつじを楽しみながら登って行く。見晴台が分からなかったが、多分東の展望が開けた所だろう。長比砦跡(野瀬山)へと出る。先日訪ねた玄蕃尾城跡のような虎口、土塁、曲輪、堅堀、堀切などがある。此処は、姉川の戦い時に、織田信長が一時居座った場所の様です。展望も良く、伊吹山や小谷山も見えます。此処からは一旦西へ向かい、ジャンクションから北へと向かいます。須川山砦跡が現れ、其処から先は、一部不明瞭な道となる。鞍部から登り返すと林道に出て、少し南下すると大峰山へと出た。此処からは暫く林道を進む。アンテナが2基出迎えてくれる。2基目アンテナ横が大野木山だった。此処からは不明瞭な踏み跡を進む。笹が茂り少し鬱陶しい。進む方向は東向きになる。岩倉山に近づくと、カルスト地形となって来た。地形も歩き難いが、特有の植生も厄介だ。下には関ケ原鍾乳洞もある。コンクリート製の支柱が沢山出て来た。稜線上に繋がっていて、有刺鉄線の残骸もある。陸軍境の標柱も出て来た。グーグルマップで調べると、鍾乳洞近くに玉の火薬庫(名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠)跡があった。戦時中の遺産らしい。軍事施設なので、有刺鉄線で囲われていたようだ。岩倉山を踏み、稜線を進むと急激に下降し出した。なるべく県界尾根を踏破するよう進むが、最後は崖となって、藤古川へと落ちている。止む無く縁を歩いて右へと進むと橋へと飛び出た。国道365号から県境を踏んで次へと繋げる事とした。時間も有るので、玉の火薬庫営門と立哨台を通過し、城山を踏んでから大谷吉嗣陣跡を訪ねた。後は中山道から入山口へと戻った。
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