記録ID: 8017982
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ハイキング
房総・三浦
【375】(鎌倉の切通をぶ〜らぶら)亀ケ谷坂→大仏切通→極楽寺坂
2025年04月16日(水) [日帰り]


- GPS
- 04:16
- 距離
- 12.5km
- 登り
- 326m
- 下り
- 348m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:09
- 休憩
- 1:08
- 合計
- 4:17
距離 12.5km
登り 326m
下り 348m
9:39
3分
スタート地点
13:56
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復:江ノ電鎌倉高校前→藤沢駅 |
写真
亀ケ谷の謂れは、建長寺の大覚池にいた亀が、「たまにはこの世を見てみたい」とこの坂を上りましたが、坂が急なため上がることが出来ずに引き返してきたことで「亀坂」と言われるようになり、いつからか「亀ヶ谷坂」となったと伝えられているそうです。
天柱峰を通過。山頂はロープで入れない様になっていました。始め北鎌倉駅から直接尾根を登ってこようと思っていましたが、私有地で入れないようになっているようです。踏み跡はありそうでした。
葛原岡神社に到着。明治維新後、南朝(吉野朝廷)が正統とされると日野俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、明治20年(1887年)には俊基を主祭神とする葛原岡神社が創建されたとのこと。お墓も近くにあります。
葛原岡神社の裏には、富士山のビューポイントがあります。今日は晴れて天気がいいのでよく見えます。現在ここの下に建物を建設中で、完成したらここは、ビューポイントでなくなるそうです。反対署名してました。
日野俊基のお墓。俊基は、後醍醐天皇の下で北条氏倒幕計画を進めたが、元弘元年(1331)の元弘の変で六波羅に捕らわれ、翌年元弘2年(1332)6月2日に葛原岡で処刑されました。
宇賀福神神社・銭洗弁天到着。源頼朝が、巳年である文治元年(1185年)の巳の月(旧暦4月)巳の日、巳の刻にある夢を見た。それは宇賀神から「この地に湧き出す水で神仏を供養すれば、天下泰平の世が訪れる」とお告げを受けるというもの。そこで頼朝は佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられる。
佐助稲荷に到着。由来は、源頼朝が「かくれ里の稲荷」と名乗る翁から夢のお告げで源氏挙兵を促され、「壇之浦の戦い」で平家を滅ぼし、「かくれ里の祠」を探し当て稲荷神社を再建させたと伝えられています。
感想
春もサクラが散り、新緑がまぶしい季節になりました。ハイキングには、いい季節で天気も良さそうなので、鎌倉の七切通でまだ行っていない3つの切通を回ってきました。
思いもかけず、葛原岡神社の裏で富士山が見られ得した気分でした。でも、前に建物が出来、近々見えなくなるそうです。その建屋からは、綺麗な富士山が見えることになるので、何ができるのかな。
鎌倉は、行く所がいろいろありそうなので、楽しめますね。
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