天子山地・内船駅から思親山


- GPS
- --:--
- 距離
- 14.7km
- 登り
- 997m
- 下り
- 982m
コースタイム
天候 | 晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
<ゆき> 松本711━916甲府928━1104内船 <かえり> 井出1536━1721甲府1728━1816小淵沢1838━1950松本 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
靴
ザック
行動食
非常食
飲料
ライター
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ロールペーパー
時計
タオル
コンパス
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感想
身延線沿線の思親山に初めて登ったのは、山と渓谷社から出てたヴィニール・カヴァーの横長の本『アルペンガイド別冊 東京周辺の山』に載っている山に挑んでいた1993年の話。前回、山梨県白州町(現・北杜市)にある雨乞山の登頂(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4666914.html)を済ませ、次なる標的に私が選んだのが、思親山だった。今でこそ身延線は何往復も乗車してるけど、当時は南アルプスから下山後に1回身延駅から乗ったっきりで、身延から先は初乗車だったハズ。松本発の篠ノ井線─中央本線始発列車の立川ゆき一番列車に乗っても、甲府から先の身延線の列車はしばらくは鰍沢口駅止まりしかないので、身延
─内船方面に行く列車の時間から逆算して松本を7:11に出発。甲府で身延線に乗り換える。『青春18きっぷ』の期間外だったけど、急行富士川には乗らず普通列車にこだわったため、甲府駅から内船駅まで1時間半以上かかった。まだJR東海の合理化が進む前で、内船駅は駅員さんが居た。
内船駅前から線路に沿って歩く。これから目指す稜線をみると、生まれ育った富山や、その時住んでた松本の1月と違い、山の青みが深い印象。身延線の踏切を渡り、内船寺のほうへ登ってく。佐野峠のほうの道は当時の最新版の地形図(昭和55年修正の1:25,000地形図「南部」)では徒歩道として記載されてたけど、実際には車道化されており、その急坂をひたすら登ってく。途中で休憩を挟み、12:31に佐野峠に到着。今の佐野峠にはトイレやら駐車場やら展望デッキがあると思うけど、当時は何も無く、足を止めることなく思親山への道に入る。緩い上りの道で幾つかのピークを越えていくと、13:02に思親山の頂上に到着。
今の思親山の頂上は富士山の展望をはじめとして景色のよい山として知られているけど、この頃は木々が繁茂して富士山がイマイチよくみえない山だった(苦笑)。この14年後に弟子(妻)と再訪(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2890448.html)したけど、木がバッタバッタと伐り倒されてスッキリした頂上で随分とビックリしたものだ(苦笑)。
20分間頂上で休憩し、帰りの電車の時間もあるので、井出駅のほうへ下る。当時はハングライダーの飛び台があったけど、今はどうだろう? 一旦八木沢の集落まで降りて車道に出て、緩い上りで八木沢峠を越え、井出駅に下る途中に火葬場があった。当時の地形図(昭和55年修正の1:25,000地形図「篠井山」)にはしっかりと煙突の記号が描かれてたけど、今の地形図にはそれは無く、今はもう無いのかもしれない。この頃から無人の井出駅には15:20に到着。今のような簡易な駅舎では無く、大きな駅舎があった頃で、南部タクシーの待機場があったのを憶えてる(苦笑)。
ということで、身延線沿線ハイク第1回が成功裏に終え、すっかり気をよくした私は、2週間後にまた内船駅スタート、井出駅ゴールの山旅に挑戦するのだった。
(2025.3.24・記)
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