佐助稲荷道、銭洗弁財天道とそれぞれ書かれた石柱。方向指示が無いので道標とは言えないのかもしれない。それなりに古そうなもの。明治。大正期のものかな。横を見れば設置年が判ったのかも知れないが、先を急いでしまった。
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3/2 9:23
佐助稲荷道、銭洗弁財天道とそれぞれ書かれた石柱。方向指示が無いので道標とは言えないのかもしれない。それなりに古そうなもの。明治。大正期のものかな。横を見れば設置年が判ったのかも知れないが、先を急いでしまった。
銭洗弁財天へと続く道。歩く人が多い。佐助稲荷と比べると銭洗弁財天へと向かう人のほうが多いように見受けられた。
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3/2 9:23
銭洗弁財天へと続く道。歩く人が多い。佐助稲荷と比べると銭洗弁財天へと向かう人のほうが多いように見受けられた。
銭洗弁財天入り口。鳥居の奥に素掘りの隧道があり(やはりここはトンネルというより隧道だろう)、それを抜けると境内に至る。隧道を通らない道もあるが、こちらの方がメインルートのようだ。
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3/2 9:27
銭洗弁財天入り口。鳥居の奥に素掘りの隧道があり(やはりここはトンネルというより隧道だろう)、それを抜けると境内に至る。隧道を通らない道もあるが、こちらの方がメインルートのようだ。
三つ鱗の家紋が入った鉢。北条家の家紋も三つ鱗なのでその関係なのかな。
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3/2 9:37
三つ鱗の家紋が入った鉢。北条家の家紋も三つ鱗なのでその関係なのかな。
元々水の湧く洞窟だったのだろう。それが拡幅され現在の姿になったのだと感じた。人の少ない時間だからこそ撮れる写真。
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3/2 9:38
元々水の湧く洞窟だったのだろう。それが拡幅され現在の姿になったのだと感じた。人の少ない時間だからこそ撮れる写真。
弁財天側から隧道の入り口側を撮ってみた。やはり雰囲気のある隧道だ。この場所は昔から変わっていない。
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3/2 9:52
弁財天側から隧道の入り口側を撮ってみた。やはり雰囲気のある隧道だ。この場所は昔から変わっていない。
葛原岡神社。こちらは初めての訪問。銭洗弁財天に比べてしまうと知名度は劣る。鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基卿の処刑地とのこと。明治期になって神社がこの地に創建されたとのこと。
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3/2 10:09
葛原岡神社。こちらは初めての訪問。銭洗弁財天に比べてしまうと知名度は劣る。鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基卿の処刑地とのこと。明治期になって神社がこの地に創建されたとのこと。
葛原岡神社鳥居の右隣にある”魔去ル石”ここで盃を購入して中央にある大石に投げつけ、割る事によって魔が去る転じて勝(まさる)→幸せを勝ち取る…という事らしい。いつ頃から行われているのかちょっと興味がある。ちなみに、「割れなかった時は拾ってもう一度投げてください」と小さく書かれている。親切だ。
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3/2 10:09
葛原岡神社鳥居の右隣にある”魔去ル石”ここで盃を購入して中央にある大石に投げつけ、割る事によって魔が去る転じて勝(まさる)→幸せを勝ち取る…という事らしい。いつ頃から行われているのかちょっと興味がある。ちなみに、「割れなかった時は拾ってもう一度投げてください」と小さく書かれている。親切だ。
ミツマタ(三椏)の花が咲いていた。
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3/2 10:12
ミツマタ(三椏)の花が咲いていた。
基本的に比較的平坦なハイキングコースが続く。思い出したようにちょっとしたアップダウンも現れる。険しい道ではないが、たまに写真の場所のような岩が現れ、ちょうど良いアクセントになっている。
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3/2 10:26
基本的に比較的平坦なハイキングコースが続く。思い出したようにちょっとしたアップダウンも現れる。険しい道ではないが、たまに写真の場所のような岩が現れ、ちょうど良いアクセントになっている。
天柱峰(てんちゅうほう)。 鎌倉時代末期に元から渡来し、浄智寺の住職を務めた僧、竺仙梵僊の供養塔と言われる。何故か周囲にはロープが張られていた。特に立入禁止という警告は無かったが何だったのだろう?
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3/2 10:31
天柱峰(てんちゅうほう)。 鎌倉時代末期に元から渡来し、浄智寺の住職を務めた僧、竺仙梵僊の供養塔と言われる。何故か周囲にはロープが張られていた。特に立入禁止という警告は無かったが何だったのだろう?
浄智寺まで下って来た。浄智寺といえば布袋尊が印象的だった記憶がある。というより、布袋尊だけ覚えていて、それが鎌倉のどこだったか分らなくなっていた時期もあった。この門の奥に鎮座されているのかな。残念だけど今回は先を急ぐことにする。
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3/2 10:44
浄智寺まで下って来た。浄智寺といえば布袋尊が印象的だった記憶がある。というより、布袋尊だけ覚えていて、それが鎌倉のどこだったか分らなくなっていた時期もあった。この門の奥に鎮座されているのかな。残念だけど今回は先を急ぐことにする。
北鎌倉方面から浄智寺へ参拝する時はこの雰囲気のある参道を歩く。今回は山から下って来たので逆方向だった。
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3/2 10:53
北鎌倉方面から浄智寺へ参拝する時はこの雰囲気のある参道を歩く。今回は山から下って来たので逆方向だった。
明月院。ここも寄りたいところだけれど…。でも紫陽花の季節にはちょっと早いので次の機会に。
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3/2 11:03
明月院。ここも寄りたいところだけれど…。でも紫陽花の季節にはちょっと早いので次の機会に。
笛という名の喫茶店の看板があった。微かな記憶を辿れば、以前も似たような看板があったように思う。Googlemapで確認してみると、以前も似たデザインの看板があった。朽ちてきたら作り替えるのだろう。今回は割と新しい感じの看板だった。
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3/2 11:04
笛という名の喫茶店の看板があった。微かな記憶を辿れば、以前も似たような看板があったように思う。Googlemapで確認してみると、以前も似たデザインの看板があった。朽ちてきたら作り替えるのだろう。今回は割と新しい感じの看板だった。
雰囲気のある門。こんな感じのお宅が鎌倉の周辺には点在する。
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3/2 11:04
雰囲気のある門。こんな感じのお宅が鎌倉の周辺には点在する。
やぐら?隧道?何故これが掘削されたのだろう。このような小さな謎が周辺には沢山埋もれている。
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3/2 11:05
やぐら?隧道?何故これが掘削されたのだろう。このような小さな謎が周辺には沢山埋もれている。
スイセンの種類は多いのだそう。これはフサザキズイセン(房咲き水仙)だろうか。色々調べてみるとナルキッスス・パピラセウスという名も出て来る。…結果、良く判らないのであった。
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3/2 11:06
スイセンの種類は多いのだそう。これはフサザキズイセン(房咲き水仙)だろうか。色々調べてみるとナルキッスス・パピラセウスという名も出て来る。…結果、良く判らないのであった。
オオアラセイトウ(大紫羅欄花)。中国からの帰化植物。江戸時代に渡って来たらしい。
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3/2 11:07
オオアラセイトウ(大紫羅欄花)。中国からの帰化植物。江戸時代に渡って来たらしい。
喫茶店”笛”に到着。40年ぐらい振りの訪問。雰囲気の良い外観に惹かれ、いつかは入ってみたいと思っていたあの頃。学生の頃だったので敷居が高く、結局あの頃入店したのは一度切りだった。変わらず残っていてくれて嬉しい。
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3/2 11:10
喫茶店”笛”に到着。40年ぐらい振りの訪問。雰囲気の良い外観に惹かれ、いつかは入ってみたいと思っていたあの頃。学生の頃だったので敷居が高く、結局あの頃入店したのは一度切りだった。変わらず残っていてくれて嬉しい。
喫茶店”笛”の店内にはこのようにいろいろな物が飾られている。以前は笛メインに飾られていたような気がするのだが…。実は店内よりもその外観の印象の方が強く残っている。ここで一休み。
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3/2 11:15
喫茶店”笛”の店内にはこのようにいろいろな物が飾られている。以前は笛メインに飾られていたような気がするのだが…。実は店内よりもその外観の印象の方が強く残っている。ここで一休み。
十王岩。ちょっとゴツゴツした岩が露出している…と思ったのだが、なんとその岩には仏像が彫られている。
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3/2 12:09
十王岩。ちょっとゴツゴツした岩が露出している…と思ったのだが、なんとその岩には仏像が彫られている。
仏像は左から如意輪観音・血盆地蔵・閻魔大王らしい。一番右側の閻魔大王だけなんとなくフォルムで解るが、他の二体は言われても良く判らない。そもそも血盆地蔵って初めて聞く名前。かなり
風化してしまっているが、以前はここ自体が洞窟内であったとの事。文政12年(1829)の『鎌倉攬勝考』にその旨の記載があるという。
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3/2 12:11
仏像は左から如意輪観音・血盆地蔵・閻魔大王らしい。一番右側の閻魔大王だけなんとなくフォルムで解るが、他の二体は言われても良く判らない。そもそも血盆地蔵って初めて聞く名前。かなり
風化してしまっているが、以前はここ自体が洞窟内であったとの事。文政12年(1829)の『鎌倉攬勝考』にその旨の記載があるという。
やぐら内部。新し目に見える地蔵?仏像?が安置されている。台座に掘られている文字を読むと「四谷区」「下谷区」などの文字がある事から、これらのものは明治以降のものである事が解る。このように、やぐらの”再利用”が為されていた。しかし、それでは何故首が落とされているのか。廃仏毀釈の時期より後に設置されたはず。話によると、落とした仏像の首持って博打を打つと勝つという迷信(?)があったとか…本当かなぁ?
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3/2 12:17
やぐら内部。新し目に見える地蔵?仏像?が安置されている。台座に掘られている文字を読むと「四谷区」「下谷区」などの文字がある事から、これらのものは明治以降のものである事が解る。このように、やぐらの”再利用”が為されていた。しかし、それでは何故首が落とされているのか。廃仏毀釈の時期より後に設置されたはず。話によると、落とした仏像の首持って博打を打つと勝つという迷信(?)があったとか…本当かなぁ?
大平山山頂。山頂標はあるものの、あまり山頂っぽくない場所だった。ここで一休みしたが、少し下った場所にある芝生の方が休憩適地に思えた。
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3/2 12:51
大平山山頂。山頂標はあるものの、あまり山頂っぽくない場所だった。ここで一休みしたが、少し下った場所にある芝生の方が休憩適地に思えた。
鎌倉カントリークラブ横を過ぎると道は整備された平らな道となる。軽自動車なら通れそうな道。実は40年程前、オートバイでこの道を走った。ゆっくりと走れば大丈夫だった。(今でも通行禁止になっている訳では無さそうだけど、オートバイで来るのは色んな意味で止めておいた方が良いと思う)
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3/2 13:17
鎌倉カントリークラブ横を過ぎると道は整備された平らな道となる。軽自動車なら通れそうな道。実は40年程前、オートバイでこの道を走った。ゆっくりと走れば大丈夫だった。(今でも通行禁止になっている訳では無さそうだけど、オートバイで来るのは色んな意味で止めておいた方が良いと思う)
昔の私にとっての”Point of no return”はここ。そう、バイクでこの坂を下りてしまったのだ。降りている最中に「ここを登り返すことは出来ないな…」と思った。初見でこんな所に突っ込んでゆく勇気(ただし蛮勇)はもう持ち合わせていないな…。
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3/2 13:21
昔の私にとっての”Point of no return”はここ。そう、バイクでこの坂を下りてしまったのだ。降りている最中に「ここを登り返すことは出来ないな…」と思った。初見でこんな所に突っ込んでゆく勇気(ただし蛮勇)はもう持ち合わせていないな…。
貝吹地蔵。バイクで来た時の私は”帰れないかもしれない”という焦りもあり、この地蔵があった事は全く覚えていない。多分、目にも入っていない。
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3/2 13:35
貝吹地蔵。バイクで来た時の私は”帰れないかもしれない”という焦りもあり、この地蔵があった事は全く覚えていない。多分、目にも入っていない。
更に出現する急坂。いや、徒歩では大した事ないんですよ、徒歩では。この辺りまで来ると若干泣きが入っていたな。同じパターンの上り坂が出て来なかったのが幸いした。
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3/2 13:37
更に出現する急坂。いや、徒歩では大した事ないんですよ、徒歩では。この辺りまで来ると若干泣きが入っていたな。同じパターンの上り坂が出て来なかったのが幸いした。
周辺にはやぐら群が点在してる。このハイキングコース沿いにここまでやぐらが多いとはしらなかった。
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3/2 13:47
周辺にはやぐら群が点在してる。このハイキングコース沿いにここまでやぐらが多いとはしらなかった。
このやぐらは後年再利用された…といった感じではなく当時からの物なのであろうか。
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3/2 13:48
このやぐらは後年再利用された…といった感じではなく当時からの物なのであろうか。
平坦な道を歩いて行くと、この暫く後に瑞泉寺への分岐が現れる。
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3/2 13:52
平坦な道を歩いて行くと、この暫く後に瑞泉寺への分岐が現れる。
瑞泉寺へ下る道の最後のカーブ。以前バイクで訪れた時にこのカーブを曲がるのにとても苦労した記憶がある。最後の最後にきてこれかよ…と思ったものだ。
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3/2 13:58
瑞泉寺へ下る道の最後のカーブ。以前バイクで訪れた時にこのカーブを曲がるのにとても苦労した記憶がある。最後の最後にきてこれかよ…と思ったものだ。
天園ハイキングコースの瑞泉寺口。この入り口にも覚えがある。とてもホッとし、安堵したなぁ…。
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3/2 13:59
天園ハイキングコースの瑞泉寺口。この入り口にも覚えがある。とてもホッとし、安堵したなぁ…。
鎌倉宮の鳥居。今回のハイキングはここまで。ここからはバスで鎌倉駅へ。そこから駐車場まで消化試合のような徒歩が残るのだが。
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3/2 14:14
鎌倉宮の鳥居。今回のハイキングはここまで。ここからはバスで鎌倉駅へ。そこから駐車場まで消化試合のような徒歩が残るのだが。
鎌倉宮の鳥居前に植えられた”初春桜”と名付けられた川津桜。もう花の時期か。今年は少し遅れ気味だったのかな。
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3/2 14:15
鎌倉宮の鳥居前に植えられた”初春桜”と名付けられた川津桜。もう花の時期か。今年は少し遅れ気味だったのかな。
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