記録ID: 7797550
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ハイキング
近畿
熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く 14(継桜王子〜熊野本宮大社)
2025年02月13日(木) [日帰り]


体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 09:26
- 距離
- 21.8km
- 登り
- 1,016m
- 下り
- 1,418m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 8:08
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 9:23
距離 21.8km
登り 1,016m
下り 1,418m
16:37
ゴール地点
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年02月の天気図 |
アクセス | 民宿つぎ桜 07:14 - 07:37 中川王子 07:43 - 08:15 小広王子 - 09:54 岩上峠 09:55 - 10:33 蛇形地蔵 - 10:45 湯川王子 10:50 - 11:19 三越峠休憩所 - 11:54 道の川集落跡 - 12:27 赤木越分岐 12:31 - 12:31 船玉神社 12:33 - 13:05 発心門王子 13:08 - 13:14 発心門王子休憩所 13:34 - 13:55 水呑王子 - 14:33 伏拝王子跡 14:36 - 15:01 三軒茶屋跡 15:02 - 15:30 見晴台地 15:38 - 16:03 熊野本宮大社 16:21 - 16:37 ゲストハウス結 |
写真
秀衡桜
以前は王子社の社前にあったが枯れ、初代紀州藩主徳川頼宣の命により山桜を代わりに植えた。その2代めの桜も明治の水害で倒れ、100mほど東の古道端に植えられた。今の秀衡桜は5代目。
以前は王子社の社前にあったが枯れ、初代紀州藩主徳川頼宣の命により山桜を代わりに植えた。その2代めの桜も明治の水害で倒れ、100mほど東の古道端に植えられた。今の秀衡桜は5代目。
安倍晴明とめ石
安倍晴明が那智にこもる花山法皇のもとを訪れる途中、この地で土砂が崩れることをを予知し、石に式神を封じ、土砂崩れを未然に防いだという。
くぼみが腰掛けるのに丁度よさそうだからか「腰掛け石」ともいう
安倍晴明が那智にこもる花山法皇のもとを訪れる途中、この地で土砂が崩れることをを予知し、石に式神を封じ、土砂崩れを未然に防いだという。
くぼみが腰掛けるのに丁度よさそうだからか「腰掛け石」ともいう
87小広王子
半分かけた石碑だけがあり、解説版も読みにくくなっている。明治末期に金比羅神社(現、近野神社)に合祀された
中世は狼が吼(ほ)える所で「吼比狼(こびろう)」とも呼ばれていた
半分かけた石碑だけがあり、解説版も読みにくくなっている。明治末期に金比羅神社(現、近野神社)に合祀された
中世は狼が吼(ほ)える所で「吼比狼(こびろう)」とも呼ばれていた
道湯川集落跡
江戸時代までは宿場もあり賑わっていたが、昭和31年に廃村になった。
辺地であったため1902(明治35)年から 1945(昭和 20)年まで「義務教育免除地」だった
江戸時代までは宿場もあり賑わっていたが、昭和31年に廃村になった。
辺地であったため1902(明治35)年から 1945(昭和 20)年まで「義務教育免除地」だった
道の川集落跡
「昭和45年(1970)4月24日に公布された「過疎地域対策緊急措置法」を契機に、昭和48年(1973)に集団移転し廃村となった。また、平成23年(2011)の台風12号により、集落内で大規模な土砂崩れが発生した」(解説版)
「昭和45年(1970)4月24日に公布された「過疎地域対策緊急措置法」を契機に、昭和48年(1973)に集団移転し廃村となった。また、平成23年(2011)の台風12号により、集落内で大規模な土砂崩れが発生した」(解説版)
蘇りの樹
この木は平成23年(2011)の台風12号による崩落、数十メートル滑り落ちたが活着した
平成23年紀伊半島大水害の概要
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080604/2011disaster/2011disaster.html
この木は平成23年(2011)の台風12号による崩落、数十メートル滑り落ちたが活着した
平成23年紀伊半島大水害の概要
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/080604/2011disaster/2011disaster.html
和泉式部供養塔
「和泉式部が熊野詣をしようと、伏拝付近まで来たとき、月の障りとなり、不浄で本宮参拝もできないと、歌を詠んだ。『晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき』
すると夢に熊野権現が現われて、『もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき』
と返歌したので、和泉式部は参詣できたという。」
「和泉式部が熊野詣をしようと、伏拝付近まで来たとき、月の障りとなり、不浄で本宮参拝もできないと、歌を詠んだ。『晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき』
すると夢に熊野権現が現われて、『もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき』
と返歌したので、和泉式部は参詣できたという。」
熊野牛王神符(くまのごおうしんぷ)
厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓紙としても使われ、その誓いを破ると神罰を被るとされていた。
赤穂浪士の血判状なども熊野牛王神符が使われた
厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓紙としても使われ、その誓いを破ると神罰を被るとされていた。
赤穂浪士の血判状なども熊野牛王神符が使われた
感想
昨日と本日二日間山道を歩きましたが日本人に出会ったのは一組二人だけスペイン巡礼の道(サンチャゴ・デ・コンポステーラ)と共通のスタンプ帳を手にする外国の人ばかり。今宵の宿も、皆外国人でした。
宿のオーナーも日本人が珍しいのか酒を飲みながら四方山話に花が咲きました
やっとたどり着いた熊野本宮も感激でしたが、地元の方の話を聞くのも旅の醍醐味でもあります
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