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Yamareco

記録ID: 7768023
全員に公開
キャンプ等、その他
房総・三浦

真間川(旧江戸川流末)流域

2025年02月04日(火) [日帰り]
情報量の目安: S
都道府県 千葉県 東京都
 - 拍手
体力度
5
1泊以上が適当
GPS
11:48
距離
67.2km
登り
37m
下り
19m
歩くペース
とても速い
0.60.7
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
6:02
休憩
0:00
合計
6:02
距離 34.9km 登り 26m 下り 17m
11:16
316
スタート地点
16:32
46
17:18
宿泊地
日帰り
山行
6:12
休憩
0:12
合計
6:24
距離 32.3km 登り 11m 下り 2m
9:49
49
宿泊地
10:39
202
14:01
14:08
24
14:32
14:37
47
15:23
15:24
2
15:26
48
16:13
ゴール地点
過去天気図(気象庁) 2025年02月の天気図
アクセス
船堀駅

前回の終着、船堀を出発します。
2025年02月04日 10:06撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 10:06
船堀駅

前回の終着、船堀を出発します。
新川
2025年02月04日 11:10撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:10
新川
新川千本桜
2025年02月04日 11:13撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:13
新川千本桜
2025年02月04日 11:19撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:19
新川さくら館
2025年02月04日 11:19撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:19
新川さくら館
直進は新川

左を古川という。
この古川こそ、江戸以前の船堀川。
2025年02月04日 11:21撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:21
直進は新川

左を古川という。
この古川こそ、江戸以前の船堀川。
三角の渡し場

新川と古川が合流する地点に於いて三角に渡し船が運航されていた。
2025年02月04日 11:21撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:21
三角の渡し場

新川と古川が合流する地点に於いて三角に渡し船が運航されていた。
古川親水公園
2025年02月04日 11:23撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:23
古川親水公園
稲荷神社

古川親水公園の左岸にある稲荷神社。詳細は不明。
2025年02月04日 11:24撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:24
稲荷神社

古川親水公園の左岸にある稲荷神社。詳細は不明。
妙光寺

元亀年間(1570-1573)の開山。
すぐ東にある妙勝寺が本山。
2025年02月04日 11:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:25
妙光寺

元亀年間(1570-1573)の開山。
すぐ東にある妙勝寺が本山。
古川

もともとこの川の右左岸、
新川よりも北側と一之江境川左岸の一之江町よりも東小松川の地域は二之江町といった。
その成立は1932年で、僅か6年で別々の町へ編入して、
二之江町の名前は一之江通り沿いの一部のみに留まる。

2025年02月04日 11:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:26
古川

もともとこの川の右左岸、
新川よりも北側と一之江境川左岸の一之江町よりも東小松川の地域は二之江町といった。
その成立は1932年で、僅か6年で別々の町へ編入して、
二之江町の名前は一之江通り沿いの一部のみに留まる。

二之江神社

創建年代不詳の旧二之江村の鎮守で村社であった香取神社と、
寛文年間(1661-1673)創建の八幡神社と、
昭和42年に合併して、二之江神社とした。

もともとは二之江村といった。
2025年02月04日 11:33撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:33
二之江神社

創建年代不詳の旧二之江村の鎮守で村社であった香取神社と、
寛文年間(1661-1673)創建の八幡神社と、
昭和42年に合併して、二之江神社とした。

もともとは二之江村といった。
妙勝寺

徳治二年(1307)の開山。
その旧本山は、市川市中山にある、文応元年(1260)開山の大本山法華経寺。

寺伝によると、1284年、堀江の浦(葛西沖)に漂着した難破船に残っていた少年を、二之江村の漁師が救いだし、
平家の生き残りだった少年は、法華経寺で学び、
後に妙見社の傍に小堂を建てた、のがこの寺の始まり。
2025年02月04日 11:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:37
妙勝寺

徳治二年(1307)の開山。
その旧本山は、市川市中山にある、文応元年(1260)開山の大本山法華経寺。

寺伝によると、1284年、堀江の浦(葛西沖)に漂着した難破船に残っていた少年を、二之江村の漁師が救いだし、
平家の生き残りだった少年は、法華経寺で学び、
後に妙見社の傍に小堂を建てた、のがこの寺の始まり。
その説明板
2025年02月04日 11:38撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:38
その説明板
新中川(左)と旧江戸川(右奥)の合流地点

左の流れは無かった事は確実だが、右の状況は想像するしかない。
2025年02月04日 11:43撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:43
新中川(左)と旧江戸川(右奥)の合流地点

左の流れは無かった事は確実だが、右の状況は想像するしかない。
下今井熊野神社

宝永四年(1707)、下今井村の鎮守として、
下今井稲荷神社、下今井香取神社と共に創建された。
2025年02月04日 11:45撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:45
下今井熊野神社

宝永四年(1707)、下今井村の鎮守として、
下今井稲荷神社、下今井香取神社と共に創建された。
下今井稲荷神社と水神宮

宝永四年創建。
2025年02月04日 11:48撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:48
下今井稲荷神社と水神宮

宝永四年創建。
猿田彦大神
2025年02月04日 11:49撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:49
猿田彦大神
妙見島

1362年、島に妙見堂が建立された記録が最古と見られる。
現在も北部に妙見神社があるとのこと。
島全体が工場地帯かと思われるが、島に降りる事は出来るのだそう。

太日川の河口部にあったとされ、川の流れによって肩が削られていって、現在のような尖った形になった。
2025年02月04日 11:54撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:54
妙見島

1362年、島に妙見堂が建立された記録が最古と見られる。
現在も北部に妙見神社があるとのこと。
島全体が工場地帯かと思われるが、島に降りる事は出来るのだそう。

太日川の河口部にあったとされ、川の流れによって肩が削られていって、現在のような尖った形になった。
妙見島

南側から見た、島の西側。
2025年02月04日 12:11撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:11
妙見島

南側から見た、島の西側。
周辺旧江戸川左岸の村を順に並べると

二之江-上今井
下今井
桑川
長島

下今井村は、その東側にあって(本来は地続きである新中川対岸の上今井村に対しての“下”である。
2025年02月04日 11:56撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:56
周辺旧江戸川左岸の村を順に並べると

二之江-上今井
下今井
桑川
長島

下今井村は、その東側にあって(本来は地続きである新中川対岸の上今井村に対しての“下”である。
下今井香取神社

宝永四年(1704)創建。

桑川村と長島村の境に位置する。
下今井村は桑川村の北に位置しているので、
桑川村を挟んで“下今井”の名が冠されている。
2025年02月04日 11:57撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:57
下今井香取神社

宝永四年(1704)創建。

桑川村と長島村の境に位置する。
下今井村は桑川村の北に位置しているので、
桑川村を挟んで“下今井”の名が冠されている。
2025年02月04日 11:58撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 11:58
桑川神社

主祭神は淤母陀琉神(おもだる)。
文九年間の火災によって旧記を焼失した為詳細不明となった。

桑川村は長島村の北、新川の南。
2025年02月04日 12:02撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:02
桑川神社

主祭神は淤母陀琉神(おもだる)。
文九年間の火災によって旧記を焼失した為詳細不明となった。

桑川村は長島村の北、新川の南。
桑川神社境内社 竜神社

で、この桑川神社の説明に知りたい情報の多くが含まれるので転載します。

【桑川神社と葛西の歴史考察 】より転写。

令和3年5月
桑川神社第24代副総代長 清水満善

Γ葛西」の地名が最初に出てくるのが下総の国葛西御厨として葛西城(青戸付近)の城主で現在の葛飾区、江戸川区、墨田区などを伊勢神宮の荘園領地として納めた葛西清重が知られる。葛西氏は頼朝の奥州合戦(文治5年1189年VS奥州藤原家)に参加して武功上げたとあるので鎌倉時代であると思われる。
(戦国時代まで17代続いたが秀吉の小田原攻めに参陣しなかった事で咎められ大名として滅びる)但し葛西城は室町時代には関東官領扇谷上杉の最前線城として(VS古河公方)の記載がある。
※江戸城築城(長緑元年1457」)の太田道灌はこの扇谷上杉家の家宰。
葛西城(葛西家)と離れて現在の葛西地区の歴史で戦国時代は小田原北条家の支配下になる
元々は安房里見家の領地であったが北条VS里見の国府台合戦(第2合戦永禄6年1563年)以後北条家となる。

小田原北条家(別称後北条)の時に現在の葛西地区の基盤が築かれていきます。
宇田川喜兵衛が北条家家臣で弘治元年(1555年)に小松川村へ入り、以後慶弔元年(1596年)葛西浦葦原に三千石の地を開拓(宇田川喜兵衛の新田)宇喜田の地名の始まりとなり、その後宇喜田村(以後の宇喜田、小島地区)、東宇喜田村(中割、雷)、長嶋村、桑川村(新田地区は桑川村の人々が開拓して桑川新田)となる。
桑川に由来する名字(佐久間、笈川、宇田川、星谷等が多数存在する)が時代的には江戸時代からあった。
2025年02月04日 12:03撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:03
桑川神社境内社 竜神社

で、この桑川神社の説明に知りたい情報の多くが含まれるので転載します。

【桑川神社と葛西の歴史考察 】より転写。

令和3年5月
桑川神社第24代副総代長 清水満善

Γ葛西」の地名が最初に出てくるのが下総の国葛西御厨として葛西城(青戸付近)の城主で現在の葛飾区、江戸川区、墨田区などを伊勢神宮の荘園領地として納めた葛西清重が知られる。葛西氏は頼朝の奥州合戦(文治5年1189年VS奥州藤原家)に参加して武功上げたとあるので鎌倉時代であると思われる。
(戦国時代まで17代続いたが秀吉の小田原攻めに参陣しなかった事で咎められ大名として滅びる)但し葛西城は室町時代には関東官領扇谷上杉の最前線城として(VS古河公方)の記載がある。
※江戸城築城(長緑元年1457」)の太田道灌はこの扇谷上杉家の家宰。
葛西城(葛西家)と離れて現在の葛西地区の歴史で戦国時代は小田原北条家の支配下になる
元々は安房里見家の領地であったが北条VS里見の国府台合戦(第2合戦永禄6年1563年)以後北条家となる。

小田原北条家(別称後北条)の時に現在の葛西地区の基盤が築かれていきます。
宇田川喜兵衛が北条家家臣で弘治元年(1555年)に小松川村へ入り、以後慶弔元年(1596年)葛西浦葦原に三千石の地を開拓(宇田川喜兵衛の新田)宇喜田の地名の始まりとなり、その後宇喜田村(以後の宇喜田、小島地区)、東宇喜田村(中割、雷)、長嶋村、桑川村(新田地区は桑川村の人々が開拓して桑川新田)となる。
桑川に由来する名字(佐久間、笈川、宇田川、星谷等が多数存在する)が時代的には江戸時代からあった。
2025年02月04日 12:03撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:03
東善寺と長島香取神社

文九年間の火災によって古記録を焼失した為詳細は不明になっている。
もとは長島村の鎮守で茂呂神社といった。
付近に香取神社が多いのは、鎌倉時代の葛西清重の影響がある可能性が高いとのこと。
また、この周辺には長島高城と呼ばれた城館があったとされ、
御北条時代には太田康資の所領であり、江戸時代には“長島殿”と呼ばれた城主の存在が確認できるが、
明確な城郭遺構は残されていない。
2025年02月04日 12:06撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:06
東善寺と長島香取神社

文九年間の火災によって古記録を焼失した為詳細は不明になっている。
もとは長島村の鎮守で茂呂神社といった。
付近に香取神社が多いのは、鎌倉時代の葛西清重の影響がある可能性が高いとのこと。
また、この周辺には長島高城と呼ばれた城館があったとされ、
御北条時代には太田康資の所領であり、江戸時代には“長島殿”と呼ばれた城主の存在が確認できるが、
明確な城郭遺構は残されていない。
東善寺

仁平二年(1152)創建、応永十八年(1411)中興。
2025年02月04日 12:07撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:07
東善寺

仁平二年(1152)創建、応永十八年(1411)中興。
香取神社。

境内に入るの忘れてた?
2025年02月04日 12:08撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:08
香取神社。

境内に入るの忘れてた?
旧江戸川を渡る。

南を向くと、川の向こうに、山と大きなホテルが見える。
2025年02月04日 12:13撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:13
旧江戸川を渡る。

南を向くと、川の向こうに、山と大きなホテルが見える。
境川

江戸時代、猫実村と堀江村の境にあった川を境川という。
伝承によれば、平安末期から鎌倉時代には人が住み始めていたという。
2025年02月04日 12:17撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:17
境川

江戸時代、猫実村と堀江村の境にあった川を境川という。
伝承によれば、平安末期から鎌倉時代には人が住み始めていたという。
2025年02月04日 12:17撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:17
2025年02月04日 12:18撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:18
2025年02月04日 12:19撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:19
浦安三社 清瀧神社

堀江地区に建つ、浦安三社の一つ。
祭神は大綿積神。
創建は建久七年(1196)と伝えられている。
2025年02月04日 12:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:25
浦安三社 清瀧神社

堀江地区に建つ、浦安三社の一つ。
祭神は大綿積神。
創建は建久七年(1196)と伝えられている。
清滝弁財天

清瀧ではなく清滝と書いてせいりゅうと読む。
創建はなんと明治44年。
2025年02月04日 12:33撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:33
清滝弁財天

清瀧ではなく清滝と書いてせいりゅうと読む。
創建はなんと明治44年。
堀江地区、猫実地区

ここで境川を渡っており、猫実地区に入る。
2025年02月04日 12:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:37
堀江地区、猫実地区

ここで境川を渡っており、猫実地区に入る。
浦安三社 豊受神社

御祭神は豊受姫大神。

保元二年(1157)の創建と言われ、浦安地区最古の神社とされる。
その風格は境内に入った瞬間から分かる。
2025年02月04日 12:41撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:41
浦安三社 豊受神社

御祭神は豊受姫大神。

保元二年(1157)の創建と言われ、浦安地区最古の神社とされる。
その風格は境内に入った瞬間から分かる。
拝殿
2025年02月04日 12:42撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:42
拝殿
富士塚
2025年02月04日 12:44撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:44
富士塚
石祠
2025年02月04日 12:45撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:45
石祠
三峰神社
2025年02月04日 12:46撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 12:46
三峰神社
浦安三社 当代島稲荷神社

御祭神は、豊受大神、應神天皇、春日大神

石祠 八幡神社 八幡大神 大鯨金刀比羅宮
富士塚 浅間神社

当代島地区に鎮座する当社は、元禄二年(1689)、
武蔵国小岩村の善養寺から遷座したもの伝えられる。
相殿は大正時代になってからとのこと。

浦安市の北部の一部に集中している浦安三社だが、
それぞれ別の、すなわち、堀江、猫実、当代島の氏子地区に属している。
2025年02月04日 13:00撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:00
浦安三社 当代島稲荷神社

御祭神は、豊受大神、應神天皇、春日大神

石祠 八幡神社 八幡大神 大鯨金刀比羅宮
富士塚 浅間神社

当代島地区に鎮座する当社は、元禄二年(1689)、
武蔵国小岩村の善養寺から遷座したもの伝えられる。
相殿は大正時代になってからとのこと。

浦安市の北部の一部に集中している浦安三社だが、
それぞれ別の、すなわち、堀江、猫実、当代島の氏子地区に属している。
新井熊野神社

創建は元和元年(1615)、御祭神は伊邪那美大神。
2025年02月04日 13:09撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:09
新井熊野神社

創建は元和元年(1615)、御祭神は伊邪那美大神。
2025年02月04日 13:08撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:08
2025年02月04日 13:14撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:14
2025年02月04日 13:16撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:16
相之川香取神社

今井の渡しの水上安全の祠。

2025年02月04日 13:18撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:18
相之川香取神社

今井の渡しの水上安全の祠。

相之川香取神社の説明。

この対岸にあるのが上今井村の上今井香取神社
2025年02月04日 13:18撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:18
相之川香取神社の説明。

この対岸にあるのが上今井村の上今井香取神社
今井の渡し

左に見える橋が、今井橋
2025年02月04日 13:20撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:20
今井の渡し

左に見える橋が、今井橋
2025年02月04日 13:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:25
相之川日枝神社

万治二年(1659)創建。
御祭神は大山咋神、大年神と共に須佐之男命子孫にあたる神で国土守護を司ります。
2025年02月04日 13:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:26
相之川日枝神社

万治二年(1659)創建。
御祭神は大山咋神、大年神と共に須佐之男命子孫にあたる神で国土守護を司ります。
欠真間三峯神社

個人宅敷地内にあり、詳細不明。
鳥居と社碑、塚など、個人所有にしては立派な佇まい。
2025年02月04日 13:29撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:29
欠真間三峯神社

個人宅敷地内にあり、詳細不明。
鳥居と社碑、塚など、個人所有にしては立派な佇まい。
源心寺

永正年間(1504-21)に不動尊像を祀った安楽院が建てられており、
慶長16年(1611)に開山、創建。
2025年02月04日 13:30撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:30
源心寺

永正年間(1504-21)に不動尊像を祀った安楽院が建てられており、
慶長16年(1611)に開山、創建。
2025年02月04日 13:32撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:32
欠真間香取神社

“かんどり”じんじゃと読むらしい。
推定六百余年前に建立された。

1400年前後ということ?
2025年02月04日 13:33撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 13:33
欠真間香取神社

“かんどり”じんじゃと読むらしい。
推定六百余年前に建立された。

1400年前後ということ?
湊新田胡録神社

祭礼の由来は、“二百数十年前(江戸時代)”とある。
2025年02月04日 14:18撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:18
湊新田胡録神社

祭礼の由来は、“二百数十年前(江戸時代)”とある。
2025年02月04日 14:22撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:22
2025年02月04日 14:23撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:23
2025年02月04日 14:23撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:23
湊水神宮

江戸時代には、古くから地元の守り神として崇められていた、と伝えられている。
2025年02月04日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:26
湊水神宮

江戸時代には、古くから地元の守り神として崇められていた、と伝えられている。
2025年02月04日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:26
行徳河原
2025年02月04日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:26
行徳河原
2025年02月04日 14:29撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:29
押切稲荷神社

慶長三年(1598)創建。
2025年02月04日 14:30撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:30
押切稲荷神社

慶長三年(1598)創建。
光林寺

天文年間(1532-54)創建と伝えられているが、寛政三年や大正三年の大津波により過去帳や古文書が流出している為詳細は不明。
2025年02月04日 14:33撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/4 14:33
光林寺

天文年間(1532-54)創建と伝えられているが、寛政三年や大正三年の大津波により過去帳や古文書が流出している為詳細は不明。
伊勢宿豊受神社

神明社を豊受神社と改称(年代不詳)
本殿建立が元禄年間(推定七年1694年)となっている。
2025年02月04日 14:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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伊勢宿豊受神社

神明社を豊受神社と改称(年代不詳)
本殿建立が元禄年間(推定七年1694年)となっている。
2025年02月04日 14:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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関ヶ島胡録神社 (*録には草冠がつく)

創建 天正三年(1575)
御祭神は面足命
2025年02月04日 14:41撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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関ヶ島胡録神社 (*録には草冠がつく)

創建 天正三年(1575)
御祭神は面足命
関ケ島
2025年02月04日 14:43撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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関ケ島
2025年02月04日 14:45撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 14:47撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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妙典駅
2025年02月04日 14:51撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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妙典駅
2025年02月04日 14:56撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 14:58撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 15:00撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 15:01撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 15:05撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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稲荷神社

高谷3丁目にある稲荷神社
詳細は不明
2025年02月04日 15:15撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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稲荷神社

高谷3丁目にある稲荷神社
詳細は不明
高谷羽黒神社 高谷大鷲神社

羽黒神社
御祭神は羽黒大神
創建年代は不詳

大鷲神社
御祭神は日本武尊
創建は不詳ながら宝暦13年とも

2025年02月04日 15:12撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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高谷羽黒神社 高谷大鷲神社

羽黒神社
御祭神は羽黒大神
創建年代は不詳

大鷲神社
御祭神は日本武尊
創建は不詳ながら宝暦13年とも

了極寺 安養寺

了極寺は永禄年間(1558-1569)創建。
安養寺は、創建年代不詳ながら『市川市史』では天文三年(1534)としている。
2025年02月04日 15:17撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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了極寺 安養寺

了極寺は永禄年間(1558-1569)創建。
安養寺は、創建年代不詳ながら『市川市史』では天文三年(1534)としている。
原木日枝神社

安永二年(1773)創建。
御祭神は大山咋神。
2025年02月04日 15:27撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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原木日枝神社

安永二年(1773)創建。
御祭神は大山咋神。
真間川
2025年02月04日 15:32撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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真間川
二俣日枝神社

創建年代は不詳。
行徳から来た道が、海神方面と成田方面に分かれる二又の道の分岐点にある集落がその地名の起こりと考えられる。
2025年02月04日 15:41撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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二俣日枝神社

創建年代は不詳。
行徳から来た道が、海神方面と成田方面に分かれる二又の道の分岐点にある集落がその地名の起こりと考えられる。
葛飾町稲荷神社

創建年代は不詳。
境内を市川市と船橋市の市境が通っているが、
本来は、二俣の地名の由来となったとも考えられる道が古くから存在しており、
その道を跨いで日枝神社の境内がある。
行政区画の都合上、その一部が船橋市になってしまったかと思われる。
恐らくは二俣日枝神社の境内社であると考えられる、とのこと。

冠している葛飾町は、現在の船橋市葛飾町という町名によるもの。
古代の葛飾郡の中心地を感じる名称は気のせい。
2025年02月04日 15:42撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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葛飾町稲荷神社

創建年代は不詳。
境内を市川市と船橋市の市境が通っているが、
本来は、二俣の地名の由来となったとも考えられる道が古くから存在しており、
その道を跨いで日枝神社の境内がある。
行政区画の都合上、その一部が船橋市になってしまったかと思われる。
恐らくは二俣日枝神社の境内社であると考えられる、とのこと。

冠している葛飾町は、現在の船橋市葛飾町という町名によるもの。
古代の葛飾郡の中心地を感じる名称は気のせい。
福泉寺

創建年代不詳ながら『市川市史』では寛永二年としている。
2025年02月04日 15:44撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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福泉寺

創建年代不詳ながら『市川市史』では寛永二年としている。
二俣龍神宮

創建年代は不詳。

2025年02月04日 15:45撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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二俣龍神宮

創建年代は不詳。

2025年02月04日 15:50撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 15:58撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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龍神池
2025年02月04日 15:58撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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龍神池
西海神龍神社

創建年代不詳だが、西海神村の鎮守社であったとされる。
祭神は大海津見命

(周辺地区の地名が海神)

2025年02月04日 15:59撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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西海神龍神社

創建年代不詳だが、西海神村の鎮守社であったとされる。
祭神は大海津見命

(周辺地区の地名が海神)

本町日枝神社

船橋市本町の日枝神社
昔から山王様と呼称されて、土地の人達から信仰を集めていた。
明治初期に神仏分離によって日枝神社となった。

2025年02月04日 16:12撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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本町日枝神社

船橋市本町の日枝神社
昔から山王様と呼称されて、土地の人達から信仰を集めていた。
明治初期に神仏分離によって日枝神社となった。

2025年02月04日 16:12撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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船橋駅
2025年02月04日 16:15撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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船橋駅
船橋嚴嶋神社

創建は不詳ながら、寛政十二年の『書上帳』に記されている弁財天が、当社なのでは無いかと言われている。
2025年02月04日 16:18撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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船橋嚴嶋神社

創建は不詳ながら、寛政十二年の『書上帳』に記されている弁財天が、当社なのでは無いかと言われている。
御蔵稲荷神社

当地にあった御蔵の鎮守として祀られていた稲荷祠を地元民が守ってきたと伝わる。
2025年02月04日 16:20撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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御蔵稲荷神社

当地にあった御蔵の鎮守として祀られていた稲荷祠を地元民が守ってきたと伝わる。
船橋東照宮
御殿稲荷大明神

二代秀忠、三代家光が度々宿泊した船橋御殿の跡地。
家光の頃に御蔵が建てられ、民が大事にしていたことから、江戸の大飢饉でも耐えられたと伝えられる。
四代家綱の時に御殿は廃された。
2025年02月04日 16:23撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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船橋東照宮
御殿稲荷大明神

二代秀忠、三代家光が度々宿泊した船橋御殿の跡地。
家光の頃に御蔵が建てられ、民が大事にしていたことから、江戸の大飢饉でも耐えられたと伝えられる。
四代家綱の時に御殿は廃された。
道祖神社

創建年代は不詳ながら『書上帳』には道祖神と記載されている。
2025年02月04日 16:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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道祖神社

創建年代は不詳ながら『書上帳』には道祖神と記載されている。
東中山三峰神社

見るからに犬な狛犬がいる事で有名な三峰神社。
創建は江戸時代末期とのこと。

2025年02月04日 16:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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東中山三峰神社

見るからに犬な狛犬がいる事で有名な三峰神社。
創建は江戸時代末期とのこと。

2025年02月04日 16:30撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 16:35撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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乳沼開運弁財天社

昭和40年頃までは、天沼弁天池公園の敷地に広大に広がる弁天池であった。
創建年代は不詳。
2025年02月04日 16:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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乳沼開運弁財天社

昭和40年頃までは、天沼弁天池公園の敷地に広大に広がる弁天池であった。
創建年代は不詳。
2025年02月04日 16:39撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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夏見台地
2025年02月04日 16:41撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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夏見台地
夏見台地
2025年02月04日 16:45撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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夏見台地
夏見日枝神社

創建年代は不詳ながら、当地が伊勢神宮の御厨だった頃に奉斎されたとも伝わる。
と記載されているが、夏見御厨であったのは、平安時代後期である。

2025年02月04日 16:47撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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夏見日枝神社

創建年代は不詳ながら、当地が伊勢神宮の御厨だった頃に奉斎されたとも伝わる。
と記載されているが、夏見御厨であったのは、平安時代後期である。

夏見日枝神社
2025年02月04日 16:47撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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夏見日枝神社
夏見稲荷神社

由来は隣の日枝神社と同じで平安時代後期か。
2025年02月04日 16:53撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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夏見稲荷神社

由来は隣の日枝神社と同じで平安時代後期か。
夏見城

夏見山禅宗曹洞宗長福寺

開創は円融期(969-984)の頃で、当時は天台宗の寺であった。
その後伊勢神宮の御厨の地となり、鎌倉時代も荘園として利用されていた。
一時期荒廃していたが、永禄年間に夏見の領主であった夏見氏によって城に取り立てられた。
曹洞宗になったのもその頃とのこと。
2025年02月04日 16:56撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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夏見城

夏見山禅宗曹洞宗長福寺

開創は円融期(969-984)の頃で、当時は天台宗の寺であった。
その後伊勢神宮の御厨の地となり、鎌倉時代も荘園として利用されていた。
一時期荒廃していたが、永禄年間に夏見の領主であった夏見氏によって城に取り立てられた。
曹洞宗になったのもその頃とのこと。
2025年02月04日 16:56撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 16:57撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月04日 16:59撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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米ヶ崎城
2025年02月04日 17:01撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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米ヶ崎城
2025年02月04日 17:05撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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東町意富比神社

御祭神は天照皇大神。
創建年代不詳ながら、江戸時代に船橋宮本の大神宮より勧請されたと推察される。
2025年02月04日 17:07撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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東町意富比神社

御祭神は天照皇大神。
創建年代不詳ながら、江戸時代に船橋宮本の大神宮より勧請されたと推察される。
2025年02月04日 17:12撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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船橋大神宮 意富比神社

景行天皇40年、日本武尊が東国平定の際、その平定成就と、
当地の旱天に苦しんでいた民の為に天照大御神を祀った事が始まりであるとされる。
船橋地区では最古最大の神社。
貞観五年の『日本三代実録』に記載された「下総国意富比神」の名が初出、延喜式にも記載されている。

意富比(おおひ)の名前については、
「大炊」であって食物に関する神である説、
古代豪族である意富氏(おほ)の氏神が祀られている説など。
読みは古くは“おほひ”で、日の意味を比と書く慣習であるから、
「大日神」即ち偉大な太陽神が、古くから祀られていた事がうかがえる。
2025年02月04日 17:18撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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船橋大神宮 意富比神社

景行天皇40年、日本武尊が東国平定の際、その平定成就と、
当地の旱天に苦しんでいた民の為に天照大御神を祀った事が始まりであるとされる。
船橋地区では最古最大の神社。
貞観五年の『日本三代実録』に記載された「下総国意富比神」の名が初出、延喜式にも記載されている。

意富比(おおひ)の名前については、
「大炊」であって食物に関する神である説、
古代豪族である意富氏(おほ)の氏神が祀られている説など。
読みは古くは“おほひ”で、日の意味を比と書く慣習であるから、
「大日神」即ち偉大な太陽神が、古くから祀られていた事がうかがえる。
2025年02月04日 17:18撮影 by  iPhone, Apple
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海老川
2025年02月04日 17:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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海老川
本塩豊受稲荷神社

江戸時代中期以降、行徳村の発展に伴い本塩地区が成立、本塩の鎮守として祀られた。
2025年02月05日 09:55撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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本塩豊受稲荷神社

江戸時代中期以降、行徳村の発展に伴い本塩地区が成立、本塩の鎮守として祀られた。
妙典春日神社

神社の創建年代は不詳ながら、鳥居には元禄二年(1689)の銘があり、江戸時代中期以前の創建であると考えられる。
2025年02月05日 09:59撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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妙典春日神社

神社の創建年代は不詳ながら、鳥居には元禄二年(1689)の銘があり、江戸時代中期以前の創建であると考えられる。
妙典八幡神社

神社の創建年代は不詳ながら、
その境内にある為、妙好寺とほぼ同時期ではと考えられている。



2025年02月05日 10:05撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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妙典八幡神社

神社の創建年代は不詳ながら、
その境内にある為、妙好寺とほぼ同時期ではと考えられている。



妙好寺

千葉氏の孫篠田雅楽助清久が、永禄八年(1565)に開基。
2025年02月05日 10:08撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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妙好寺

千葉氏の孫篠田雅楽助清久が、永禄八年(1565)に開基。
2025年02月05日 10:12撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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江戸川放水路工事前の

稲荷木-大和田-河原地区の地図。
大和田と河原の大半が水没している。

上の“300m”の右にある神社マークが甲大神社。
この地は古くから大和田村の飛地であったので、
北から
大和田村飛地-稲荷木-大和田-河原が正しい。

大和田村の中心地に神社マークがあるが、これが元々何であったかは分からない。

これが河原春日神社か?
神后社は、現在、“大”と“和”の字の間の右側の黒点の辺りに鎮座している。
当時は何も無い田畑である。
2025年02月23日 13:46撮影
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江戸川放水路工事前の

稲荷木-大和田-河原地区の地図。
大和田と河原の大半が水没している。

上の“300m”の右にある神社マークが甲大神社。
この地は古くから大和田村の飛地であったので、
北から
大和田村飛地-稲荷木-大和田-河原が正しい。

大和田村の中心地に神社マークがあるが、これが元々何であったかは分からない。

これが河原春日神社か?
神后社は、現在、“大”と“和”の字の間の右側の黒点の辺りに鎮座している。
当時は何も無い田畑である。
現状は、旧大和田村の北端部は稲荷木に吸収され、
旧大和田の大部分が、稲荷木の北側にあった、
甲大神社のある飛地が大和田の本領となっている。
2025年02月23日 13:47撮影
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現状は、旧大和田村の北端部は稲荷木に吸収され、
旧大和田の大部分が、稲荷木の北側にあった、
甲大神社のある飛地が大和田の本領となっている。
2025年02月05日 10:12撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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江戸川放水路
2025年02月05日 10:14撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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江戸川放水路
稲荷木
2025年02月05日 10:19撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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稲荷木
稲荷山 雙輪寺

享保六年(1721)、福王寺と称して開基。
昭和13年に龍厳寺を合併して雙輪寺と改号す。
2025年02月05日 10:20撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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稲荷山 雙輪寺

享保六年(1721)、福王寺と称して開基。
昭和13年に龍厳寺を合併して雙輪寺と改号す。
稲荷木稲荷神社

寛永12年(1635)創建。
“稲荷木”は、“とうかぎ”と読む。
2025年02月05日 10:22撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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稲荷木稲荷神社

寛永12年(1635)創建。
“稲荷木”は、“とうかぎ”と読む。
一本松

慶長年間、家康の命によって上総道を改修する際、
新たに八幡と行徳とを結ぶ新道を造り、その分岐点に松を植えたのが、この一本松の由来との事。
2025年02月05日 10:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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一本松

慶長年間、家康の命によって上総道を改修する際、
新たに八幡と行徳とを結ぶ新道を造り、その分岐点に松を植えたのが、この一本松の由来との事。
甲大神社

永延二年(988)当地に鎮座、葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田村の鎮守社であった。

御祭神は誉田別命。

“甲”については、応神天皇の兜、若しくはその母である神功皇后の兜、
若しくは平将門の兜、若しくは源義家の兜を祀っているからなどと説は様々。
『江戸名所図会』には、「甲の宮」と称され、
国府台合戦で戦った大将の兜が祀られていると紹介されている。
『葛飾記』では、「兜八幡」と紹介されている。
2025年02月05日 10:27撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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甲大神社

永延二年(988)当地に鎮座、葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田村の鎮守社であった。

御祭神は誉田別命。

“甲”については、応神天皇の兜、若しくはその母である神功皇后の兜、
若しくは平将門の兜、若しくは源義家の兜を祀っているからなどと説は様々。
『江戸名所図会』には、「甲の宮」と称され、
国府台合戦で戦った大将の兜が祀られていると紹介されている。
『葛飾記』では、「兜八幡」と紹介されている。
甲大神社
2025年02月05日 10:28撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 10:28
甲大神社
甲大神社
2025年02月05日 10:28撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 10:28
甲大神社
甲大神社
2025年02月05日 10:30撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 10:30
甲大神社
甲大神社
2025年02月05日 10:30撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 10:30
甲大神社
甲大神社
2025年02月05日 10:31撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 10:31
甲大神社
稲荷木緑道
2025年02月05日 10:33撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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稲荷木緑道
旧大和田村

おおよそこの向きで街道が対岸まで続いていた。
2025年02月05日 10:41撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 10:41
旧大和田村

おおよそこの向きで街道が対岸まで続いていた。
←河原春日神社 胡録神社→

河原春日神社は、江戸川放水路開鑿の為に大正三年に当地に遷座された。
元は河原58番地西側に鎮座しており、大永七年(1527)の創建。
天児屋命が御祭神。

胡録神社は、御祭神は面足命、創建は寛永12年(1635)、としか分からない。
2025年02月05日 10:43撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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←河原春日神社 胡録神社→

河原春日神社は、江戸川放水路開鑿の為に大正三年に当地に遷座された。
元は河原58番地西側に鎮座しており、大永七年(1527)の創建。
天児屋命が御祭神。

胡録神社は、御祭神は面足命、創建は寛永12年(1635)、としか分からない。
正源寺

文安元年(1444)創建。
2025年02月05日 10:48撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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正源寺

文安元年(1444)創建。
下新宿稲荷神社

寛永十二年(1635)創建。
2025年02月05日 10:50撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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下新宿稲荷神社

寛永十二年(1635)創建。
行徳神明神社 豊受神社

寛永十二年に当地に遷座。

その以前は、大永年間(1521-28)に江戸川の対岸に鎮座していたというので、
篠崎の何処かにあったものである可能性があるらしい。
正確な位置は不明。
伊勢内宮の土砂を遷し、内外両皇大神宮を勧請している。
2025年02月05日 10:54撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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行徳神明神社 豊受神社

寛永十二年に当地に遷座。

その以前は、大永年間(1521-28)に江戸川の対岸に鎮座していたというので、
篠崎の何処かにあったものである可能性があるらしい。
正確な位置は不明。
伊勢内宮の土砂を遷し、内外両皇大神宮を勧請している。
2025年02月05日 10:58撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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本行徳八幡神社

創建年代は不詳、江戸時代には自性院が別当を務めていた。
2025年02月05日 10:59撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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本行徳八幡神社

創建年代は不詳、江戸時代には自性院が別当を務めていた。
本行徳神明社

詳細は不詳とのこと。
2025年02月05日 11:05撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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本行徳神明社

詳細は不詳とのこと。
行徳ふれあい伝承館
2025年02月05日 11:12撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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行徳ふれあい伝承館
常夜燈
2025年02月05日 11:18撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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常夜燈
欠真間

真間は国府台南を流れる真間川の事なのか。
個人的には、江戸川開鑿の為に真間川流路から分断かれて、切り離された地区なのではと考えるが、どういう意味なんだろう?
2025年02月05日 11:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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欠真間

真間は国府台南を流れる真間川の事なのか。
個人的には、江戸川開鑿の為に真間川流路から分断かれて、切り離された地区なのではと考えるが、どういう意味なんだろう?
2025年02月05日 11:28撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月05日 11:30撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 11:30
円照寺

享禄年間(1528頃?)に開基された。

現在の江戸川区にある。
2025年02月05日 11:34撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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円照寺

享禄年間(1528頃?)に開基された。

現在の江戸川区にある。
上今井香取神社

永禄七年(1564)に創建。
2025年02月05日 11:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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上今井香取神社

永禄七年(1564)に創建。
上今井八雲神社

創建年代は不詳ながら、永禄七年に創建された香取神社と同時期か。
2025年02月05日 11:39撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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上今井八雲神社

創建年代は不詳ながら、永禄七年に創建された香取神社と同時期か。
鎌田川親水緑道
2025年02月05日 11:42撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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鎌田川親水緑道
2025年02月05日 11:43撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月05日 11:44撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月05日 11:46撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月05日 11:50撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月05日 11:51撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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前川神社

伝承によると、応永年間(1394-1428)の時の川の氾濫の後に鎌田村・今井村に砂州が出来、その後も60年程は洪水によって川筋が度々変化していった。
その後に、葛西御厨によって開発が進んでいき、その過程で祠が建てられたとの事。
前野村の鎮守であり、当初の名称は大六天。
御祭神は素戔男尊、面足尊(おもだるのみこと)・綾惶根尊(あやかしこねのみこと)、豊受姫神。
2025年02月05日 11:56撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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前川神社

伝承によると、応永年間(1394-1428)の時の川の氾濫の後に鎌田村・今井村に砂州が出来、その後も60年程は洪水によって川筋が度々変化していった。
その後に、葛西御厨によって開発が進んでいき、その過程で祠が建てられたとの事。
前野村の鎮守であり、当初の名称は大六天。
御祭神は素戔男尊、面足尊(おもだるのみこと)・綾惶根尊(あやかしこねのみこと)、豊受姫神。
豊田神社

創建年代は不詳。
下鎌田村の鎮守として、天照大御神と経津主命を祀り、当初は神明社といった。
明治期に豊田神社と改称した。
2025年02月05日 12:03撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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豊田神社

創建年代は不詳。
下鎌田村の鎮守として、天照大御神と経津主命を祀り、当初は神明社といった。
明治期に豊田神社と改称した。
豊田神社
2025年02月05日 12:05撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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豊田神社
豊田神社
2025年02月05日 12:06撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 12:06
豊田神社
南篠崎天祖神社

上鎌田村の鎮守。
創建年代は不詳だが、西光寺住職権大僧都智賢により伊勢神宮の東葛西領上鎌田村の御厨として創建されたという。
当初は神明大神宮といい、明治初期に天祖神社に改称した。
御祭神は天照皇大神。

2025年02月05日 12:11撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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南篠崎天祖神社

上鎌田村の鎮守。
創建年代は不詳だが、西光寺住職権大僧都智賢により伊勢神宮の東葛西領上鎌田村の御厨として創建されたという。
当初は神明大神宮といい、明治初期に天祖神社に改称した。
御祭神は天照皇大神。

水神宮
2025年02月05日 12:13撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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水神宮
南篠崎天祖神社
2025年02月05日 12:14撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 12:14
南篠崎天祖神社
2025年02月05日 12:15撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 12:15
2025年02月05日 12:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 12:25
東篠崎中洲
2025年02月05日 12:27撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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東篠崎中洲
2025年02月05日 12:29撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 12:29
ポニーランド
2025年02月05日 12:36撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 12:36
ポニーランド
2025年02月05日 12:38撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 12:38
2025年02月05日 13:32撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 13:32
2025年02月05日 13:36撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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篠崎本郷
2025年02月05日 13:39撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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篠崎本郷
篠崎浅間神社

(当社HPより)

 当社は平安時代承平二年(932年)九月、下総国弥山の人、弥山佐奈比神人として奉仕した社であり後の、天慶承平の乱のとき、平貞盛朝臣関東の平安を祈って、霧島神社を祀り、金幣・弓矢を捧げ祈願致しました。その時が天慶元年(938年)五月十五日であり、その時を神社の創建としております。一千百年前(江戸川区最古)の鎮座でございます。村上天皇の宝剣などを有し、明治の神仏御改革により郷社に列し、終戦後は宗教法人浅間神社として現在にいたっております。
2025年02月05日 13:53撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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篠崎浅間神社

(当社HPより)

 当社は平安時代承平二年(932年)九月、下総国弥山の人、弥山佐奈比神人として奉仕した社であり後の、天慶承平の乱のとき、平貞盛朝臣関東の平安を祈って、霧島神社を祀り、金幣・弓矢を捧げ祈願致しました。その時が天慶元年(938年)五月十五日であり、その時を神社の創建としております。一千百年前(江戸川区最古)の鎮座でございます。村上天皇の宝剣などを有し、明治の神仏御改革により郷社に列し、終戦後は宗教法人浅間神社として現在にいたっております。
篠崎浅間神社
2025年02月05日 13:48撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 13:48
篠崎浅間神社
篠崎浅間神社
2025年02月05日 13:51撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 13:51
篠崎浅間神社
2025年02月05日 13:56撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 13:56
2025年02月05日 14:01撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:01
国府台
2025年02月05日 14:02撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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国府台
東小岩天祖神社

弘治元年(1555)の創建と伝わり、旧笹ケ崎村の鎮守であった。
2025年02月05日 14:04撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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東小岩天祖神社

弘治元年(1555)の創建と伝わり、旧笹ケ崎村の鎮守であった。
2025年02月05日 14:20撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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2025年02月05日 14:22撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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伊予田北野神社

創建年代不詳ながら、江戸期には天神稲荷合社と称していたらしい。
さらにもう一社、天神稲荷合社が存在していたらしいが、
明治42年に合祀して北野神社となり、
さらに昭和39年に一里塚近くにあった須賀神社を合祀した。
2025年02月05日 14:23撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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伊予田北野神社

創建年代不詳ながら、江戸期には天神稲荷合社と称していたらしい。
さらにもう一社、天神稲荷合社が存在していたらしいが、
明治42年に合祀して北野神社となり、
さらに昭和39年に一里塚近くにあった須賀神社を合祀した。
御番所町
2025年02月05日 14:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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御番所町
小岩市川の渡し場・番所
2025年02月05日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:26
小岩市川の渡し場・番所
小岩側の渡し場
2025年02月05日 14:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:26
小岩側の渡し場
市川側の渡し場・番所
2025年02月05日 14:31撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:31
市川側の渡し場・番所
市川番所
2025年02月05日 14:32撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:32
市川番所
市川春日神社

春日神社の御祭神は天児屋命。
創建は不詳だが、承応三年(1654)に再建したとあるので、それ以前から鎮座していたらしい事がわかる。
里見城の城下町であった当地の鎮守として崇拝され今日に至るとある。
2025年02月05日 14:36撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:36
市川春日神社

春日神社の御祭神は天児屋命。
創建は不詳だが、承応三年(1654)に再建したとあるので、それ以前から鎮座していたらしい事がわかる。
里見城の城下町であった当地の鎮守として崇拝され今日に至るとある。
2025年02月05日 14:38撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:38
市川胡録神社

胡録神社の御祭神は面足命と惶根命(かしこね-)。
創建年代は不詳だが、天保七年に社殿改築の記録がある。
2025年02月05日 14:42撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 14:42
市川胡録神社

胡録神社の御祭神は面足命と惶根命(かしこね-)。
創建年代は不詳だが、天保七年に社殿改築の記録がある。
市川駅
2025年02月05日 15:09撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:09
市川駅
市川稲荷神社

道路からやや高台(階段)上にある稲荷神社。
2025年02月05日 15:22撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:22
市川稲荷神社

道路からやや高台(階段)上にある稲荷神社。
真間入江
2025年02月05日 15:24撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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真間入江
真間入江
2025年02月05日 15:25撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:25
真間入江
真間入江
2025年02月05日 15:27撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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真間入江
真間入江
2025年02月05日 15:27撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:27
真間入江
入江橋
2025年02月05日 15:31撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:31
入江橋
真間川 浮島弁財天

現存する勧進碑には天保十二年と記されているが、おそらくより古い時代の創建では無いかと推測されている。
元々は前後に方向に架けられた橋を渡らなければならなかった。
2025年02月05日 15:35撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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真間川 浮島弁財天

現存する勧進碑には天保十二年と記されているが、おそらくより古い時代の創建では無いかと推測されている。
元々は前後に方向に架けられた橋を渡らなければならなかった。
真間入江
2025年02月05日 15:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:37
真間入江
真間川
2025年02月05日 15:40撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:40
真間川
下総府中六所神社

御祭神:大己貴尊・伊弉諾尊・素盞嗚尊・大宮売尊・布留之御魂・彦火瓊々杵尊

由緒は、境内の掲示より、

当六所之宮は、いまを去る1881年前人皇十二代景行天皇の勅願によって
大己貴尊 伊弉諾尊 素盞嗚尊
大宮売尊 布留之御魂 彦火瓊々杵尊
六神を祭礼した宮と伝えられ国府台字府中の六所の森(現在の国府台スポーツセンター内市民体育館)北に鎮座していました。
その後下総国の総社として国守による祭礼が行われて来ましたが戦国時代には里見氏、北条氏、千葉氏の各諸将の守護を受け、さらに徳川氏からは朱印賜り、篤崇敬されていました。
御神徳勇武の神として宏く、幸運招来、厄払い、縁結びさらに学問の神として須和田、真間、根本、市川の四カ村の鎮守として古くから崇められて来ました。
明治十九年境内が陸軍用地となったため此の地に遷座されました。
2025年02月05日 15:44撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
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下総府中六所神社

御祭神:大己貴尊・伊弉諾尊・素盞嗚尊・大宮売尊・布留之御魂・彦火瓊々杵尊

由緒は、境内の掲示より、

当六所之宮は、いまを去る1881年前人皇十二代景行天皇の勅願によって
大己貴尊 伊弉諾尊 素盞嗚尊
大宮売尊 布留之御魂 彦火瓊々杵尊
六神を祭礼した宮と伝えられ国府台字府中の六所の森(現在の国府台スポーツセンター内市民体育館)北に鎮座していました。
その後下総国の総社として国守による祭礼が行われて来ましたが戦国時代には里見氏、北条氏、千葉氏の各諸将の守護を受け、さらに徳川氏からは朱印賜り、篤崇敬されていました。
御神徳勇武の神として宏く、幸運招来、厄払い、縁結びさらに学問の神として須和田、真間、根本、市川の四カ村の鎮守として古くから崇められて来ました。
明治十九年境内が陸軍用地となったため此の地に遷座されました。
2025年02月05日 15:50撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:50
真間之井と亀井院
2025年02月05日 15:51撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:51
真間之井と亀井院
2025年02月05日 15:51撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:51
真間稲荷神社

万延元年(1860)に再建された記録が残るものの、以前の記録が無いので創建年代は不詳。
2025年02月05日 15:52撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:52
真間稲荷神社

万延元年(1860)に再建された記録が残るものの、以前の記録が無いので創建年代は不詳。
弘法寺手児奈霊神堂

奥が手児奈池

手児奈とは、舒明時代(593-641)の人物で、(当地の?)国造の娘であり、
近隣の国へ嫁いでいたが、勝鹿(葛飾)の国府と諍いがあったので、真間に戻らなくてはならなくなった。
実家にも帰る事ができず一人で子育てしてひっそりと暮らしていたが、男達が黙っておらず、彼女を巡って争いが起こる。
これを嫌がって遂には身を投げてしまったのだとか。

これが、万葉集に詠まれている。
2025年02月05日 15:55撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 15:55
弘法寺手児奈霊神堂

奥が手児奈池

手児奈とは、舒明時代(593-641)の人物で、(当地の?)国造の娘であり、
近隣の国へ嫁いでいたが、勝鹿(葛飾)の国府と諍いがあったので、真間に戻らなくてはならなくなった。
実家にも帰る事ができず一人で子育てしてひっそりと暮らしていたが、男達が黙っておらず、彼女を巡って争いが起こる。
これを嫌がって遂には身を投げてしまったのだとか。

これが、万葉集に詠まれている。
2025年02月05日 16:00撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:00
弘法寺

天平九年(737)、手児奈の伝説を聞いた行基によって弘法寺が建てられたと言われている。
2025年02月05日 16:00撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:00
弘法寺

天平九年(737)、手児奈の伝説を聞いた行基によって弘法寺が建てられたと言われている。
井上駅(仮)

古代東海道の駅であった井上(いかみ)駅は、
現在も様々な説があって場所が特定されていない。
2025年02月05日 16:06撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:06
井上駅(仮)

古代東海道の駅であった井上(いかみ)駅は、
現在も様々な説があって場所が特定されていない。
真間入江
2025年02月05日 16:06撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:06
真間入江
2025年02月05日 16:08撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:08
2025年02月05日 16:11撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:11
国府台城
2025年02月05日 16:19撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:19
国府台城
国府台城
2025年02月05日 16:26撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:26
国府台城
国府台城から見た奥内海
2025年02月05日 16:29撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:29
国府台城から見た奥内海
国府台城
2025年02月05日 16:37撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 16:37
国府台城
2025年02月05日 17:07撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 17:07
汐留
2025年02月05日 18:46撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 18:46
汐留
汐留
2025年02月05日 19:51撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 19:51
汐留
2025年02月05日 21:28撮影 by  iPhone 12 Pro, Apple
2/5 21:28
撮影機器:

感想

編集途中

石浜城、隅田川河口沿岸、葛西城を確保したその次は、
太日川河口沿岸部と、真間川河口部を掌握、
そしてついに国府台城へと辿り着いた。

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