白髪岳《関西百名山》



- GPS
- 05:28
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 738m
- 下り
- 742m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | 篭坊温泉渓山荘\800 |
写真
感想
京都市内各所で参加者をピックアップし洛西竹林公園で最終集合しT野、A、Y本の3車が揃った。京都縦貫道から国道372号線を走ると丹波篠山は近い。1時間余りで篠山市住山に到着。白髪岳と松尾山の登山口への分岐点にある民家が1,000円の有料駐車場をやっているが、車の回収を考えて少し手前の天神川の河原に駐車した。K川リーダーを先頭に暫く林道を歩いた。人里を過ぎヘアピンカーブで高度を上げると谷間が迫って来て銀鉱堀跡登山口に達した。東屋があり一寸した広場になっているので車の駐車も可能だ。登山準備を整え左手の谷間に続く沢沿いの登山道に入った。銀鉱穴跡に続く踏み跡が下の谷間に続いている。明治8年から3年間銀の採堀をしていたという。
「←白髪岳、親水池→」の分岐点で右にルートを取り、池を見に行こうとしたが先程の林道上部に出てしまったので諦めて引き返し、改めて白髪岳を目指した。山頂域には一寸した岩場がある。渋滞しながら稜線に出たところで先頭から驚嘆の声が上った。何だと思ったら霧氷が付いて白くなった木々の美しさへの感動だった。標高722m程度の山で誰が霧氷を期待していただろう。実に素晴らしい。
山頂へは岩の尾根を攀じ登って詰めた。真新しい点標の2等三角点「白髪岳」はどっしり大地に根を生やしているが山頂標識は抜け落ちていた。山頂からの眺めは素晴らしく多紀アルプス、三嶽、弥十郎ヶ岳は篠山市街の向うに望むことができた。北斜面の霧氷は増々発達して美しい。先客が一人、地元の人らしく周りの山の名を掌を指すように語ってくれた。彼によるとこんな素晴らしい日にはそうそう遇えないと言う。風もなく穏やかな山頂は昼食の大休止の間も寒くはなかった。
昼食後は北斜面を下る。霧氷と共に北側は雪が1センチほど積もり、踏み固まってツルツルだ。急斜面でずっとロープが立ち木に繋がり、これを辿ればアイゼンを付けなくても問題なく下りられそうだ。689mピークは一瞬松尾山かと思ったが、そう甘くはなく右に弧を描くように稜線を進んだ。だんだん白髪岳の姿が右手に見えるようになってきた。文保寺に下りる分岐を左に二本ほど見送り登り詰めると松尾山(687m)に達した。
山頂は北西方向が樹間に開け、篠山市街と多紀アルプスを望むことができた。別名高仙寺山とも言い、戦国時代、酒井氏治が築いた城跡だが当時の砦的な山城であり遺跡は何も見当たらず朽ちた案内板だけが歴史を伝えていた。この城は天正6年(1578)5月織田信長の丹波攻に敗れ落城、麓一帯に25坊を要した天台宗の高仙寺も焼失してしまった。のちに再興されたが、廃仏毀釈の勢いにより衰退、大正十年JR宝塚線南八代駅の南側に移転し現在に至っている。
当初予定では先ほどの分岐に戻り篠山市味間新に下りJRで登山口に戻る予定だったが抵抗勢力のソフトな拒否に遭いあっけなく予定変更しこのまま住山へ下ることになった。南の尾根通しの下山路を600mほど下ると登山道が180°曲がり尾根道からトラバース道に変る地点に卵形の塔が40数基、“卵塔”と云われている。これは高仙寺の僧侶の墓が所狭しと並んだもので大小あるのは、徳の高さか、時の経済力の差なのだろうか。
北東方向に進むと高仙寺の遺跡、愛宕堂跡や本坊跡が現れ、鎌倉時代の栄華を偲ぶことができた。本坊跡辺りから発する沢の途中に不動の滝があり見ていこうと目論んでいたが下り口を過ぎてしまい巻き道で下山する羽目になってしまった。松尾山登山口は丹波茶の畑がありその向うに西寺山(646m)が控えていた。車道を歩き住山の駐車地点に戻った。下山後は三田市にある篭ノ坊温泉渓山荘に立ち寄った。泉質は「含炭酸塩類泉」で昭和41年まで三ツ矢サイダーの炭酸に利用されていたと云う。(入浴料800円、露天風呂あり)
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