九州歴史資料館「筑紫君磐井一族」展


- GPS
- --:--
- 距離
- 138km
- 登り
- 1,929m
- 下り
- 1,903m
過去天気図(気象庁) | 2024年11月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
飛行機
|
写真
感想
大分県埋蔵文化財センターから小郡市にある九州歴史資料館までは150キロ近くあり、2時間近くかかりそう。時間がないので昼食は用意した100円ローソンのパンをかじりながら、高速を飛ばす。さすがに長いので途中眠気が襲い、やむなく途中のSAでアイスクリームを購入して車内で食べ、出発。ラーメンでも食べようかと思ったが、また眠くなるのを恐れてアイスにした。これで目が覚めた。外は断続的に雨ー昨夜の天気予報では、1日雨模様だったが、朝はよく晴れており、寒くもなかった。シベリア低気圧が来ているはずなのにー?午後になると雨が降りだした。最後はかなりの降りで心配したが無事小郡市内に入り資料館到着、無料なので早速「筑紫君磐井一族」展を見学。筑紫君磐井とその墓に関する日本書紀や江戸時代以降の本居宣長ら国学者や近代の考古学者らの調査、研究の歴史を辿り、最終的に岩戸山古墳にたどり着く過程を学ぶ。ここで驚かされたのは岩戸山の資料館では、目立たなかった埴輪がたくさん並べられていることだ。石人などの石像物(石製表装と呼ぶらしい)ばかり目立ち、埴輪もあることを知らなかったのは迂闊。ここには、磐井とヤマト王権との関係が秘められている。磐井はヤマト王権に出仕してヤマト盆地で継体大王の王宮で、国家統制技術や新技術などを学び、筑紫に戻って大陸ー朝鮮半島諸国との交渉を重ねた。磐井の墓のある八女古墳群からは、ヤマト王権からもたらされた甲冑や埴輪、鉄製品などの他、伽耶や馬韓、新羅などからの装身具や初期須恵器(陶質土器)など筑紫君の活動の様子のわかる出土品がならぶ。継体天皇の今城塚古墳出土の巫女埴輪などと岩戸山や八女古墳群の埴輪との比較も面白い。また磐井の乱以後の筑紫国造とと那津のミヤケ周辺古墳出土の円筒埴輪になお続く筑紫国造との関係を示唆する要素を展示いている。今日は一時半から四時半まで三時間、途中軽食休憩をはさみながら四時半からのギャラリートークを待っていた。
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