不許葷酒入山門碑→北白川城南部-瓜生山-ホテル比叡尾根→梅谷 比叡山地


- GPS
- 06:57
- 距離
- 12.8km
- 登り
- 765m
- 下り
- 761m
コースタイム
- 山行
- 6:47
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 6:57
天候 | 曇り、のち時々晴れ、のち晴れ時々曇り、のち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
市バス・京都バス* 北白川別当町 京阪バス** 別当町 市バス・京阪バス** 北白川仕伏町 帰り 市バス・京都バス* 修学院離宮道・修学院道*** 叡山電鉄 修学院駅(通ってないが修学院道BSの近く) *=京都バスは休日・盆・年末年始のみ運行・上下1便 **=京阪バスは一部を京都バス便で運行・冬季上下6便程 ***=修学院道の方が修学院離宮道より系統が多い |
コース状況/ 危険箇所等 |
これから日増に寒くなると言うので急遽山行。よく調べずに歩き始めた・・・ 【比叡山地】(醍醐比叡山地北部) (北白川別当町バス停→) 北白川仕伏町バス停→不許葷酒入山門碑→北白川城南方曲輪群(北白川南城)のある尾根→北白川城瓜生山山頂エリア曲輪群(瓜生山南陵広場→瓜生山山頂)→地蔵谷→比叡アルプス( P543 →延暦寺山城)→一本杉→ロテルド比叡尾根(ロテルド比叡入口前→ P580.1 →林道坂端線出合)→掛橋の石鳥居→水飲対陣之跡碑→梅谷→檜峠→赤山禅院付近→修学院離宮道バス停 (→修学院道バス停→一乗寺清水町バス停) ※ 字数の都合でタイトルでは「ホテル比叡尾根」と書きましたがタイトル以外では「ロテルド比叡尾根」と書いています。同じ尾根です。ホテルの名前は1999年開業時は「ロテル・ド・比叡」→2015年から「星野リゾート ロテルド比叡」→2020年から「ロテルド比叡」と微妙に変っています。そのうちホテル比叡になるかも知れへん。 ●主要区間の所要時間(おおよそ): 北白川仕伏町BS→北白川南城→瓜生山 135分 北白川仕伏町BS→→地蔵谷 160分 北白川仕伏町→→→一本杉→ロテルド比叡 285分 ロテルド比叡→ロテルド比叡尾根→掛橋 45分 ロテルド比叡→→檜峠 90分 ロテルド比叡→→→修学院離宮道BS 110分 ※ 城跡で見晴しや地形を確めない場合は瓜生山、一本杉迄の所要時間は短くなる。 ●危険個所: 危険とまでは言わないが、北白川城南方曲輪群 「北白川城4-2」 エリアは、曲輪(平らにした所)と曲輪の間は坂がきつい(防御の為にそうしたのかと思う)。 きつい坂+砂の崩れ易い土+落ち葉が多い季節=滑り安い。 P217.0の北側は尾根の傾斜が一番きつく、迂回する巻道があるが細く足元が不安定。どちらが安全かは歩き方にも依ろう。ワタシ的には掴む木のある尾根の方が安心。他は問題なし。 ●道迷い: 起きにくいと思う。 「北白川城南方曲輪群の尾根」も「ロテルド比叡尾根(ホテル比叡尾根)」も、適当に歩いていたら表道に出た。 他はよく歩かれているルートだが、⚠写真12:52地点は注意。出合った尾根はまだ比叡アルプスではない。尾根右手の登坂方向へ、尾根左側の巻道か尾根を進む。良くこの尾根を比叡アルプスと誤認して左へ行ってしまい、心が折れて比叡アルプスを断念する。 今、地図を拡大して確認した所、道として表示されているのは巻道。P383を経由したい場合は尾根道を辿る。山頂で比叡アルプスに出合って左へ。(12月30日追記) 山中越の北白川仕伏町バス停近くに「不許葷酒入山門」と彫った碑(いしぶみ)がある。ここに地理院地図の実線の道があり、北白川城の南方曲輪(くるわ)群のある尾根への入口だ。 今出発前に書いている・・・ 『前日の山行予定』では 1)「北白川城4-3」エリア曲輪群(北白川南城)←初めて行く 2)「北白川城4-2」エリア曲輪群(北白川南城) 3)北白川城の中心部「北白川城1」エリア 4)地蔵谷を渡り比叡アルプスへ 5)一乗寺延暦寺山城 ←城趾と知らずに歩いた事があるようだ 6)一本杉〜ロテルド比叡入口前←今日最高地点 7)ロテルド比叡尾根 ←出口は知らずアドリブで 8)林道坂端線〜梅谷で修学院方面へ下山 ・・・予定通りに行けるかな? 5はまだ良く調べていないので場所が正しいかどうか? ルート説明: 目次 1. 不許葷酒入山門碑→北白川城南方曲輪群→南陵広場→瓜生山 2. 瓜生山→地蔵谷→比叡アルプス→一乗寺延暦寺山城→一本杉 3. ロテルド比叡尾根→掛橋の石鳥居→梅谷→修学院 1. 不許葷酒入山門碑→北白川城南方曲輪群→南陵広場→瓜生山 尾根に上って西側が京都府中世城館跡調査報告書で「北白川城4-3」と区分されているエリアの全域。東側のトレイル出合までが「北白川城4-2」エリアのほぼ全域。その後、南陵広場と瓜生山は「北白川城1」エリアの一部。 山中越の北白川仕伏町バス停近くから少し山地に入った所にある「不許葷酒入山門」碑(いしぶみ)から、北白川城の南方曲輪群のある尾根を歩いた。よく似た碑が八大龍王日天寺の向いにある。 その後、京都一周トレイルの旧ルートの一部を経て、瓜生山南陵広場経由で瓜生山へ向った。こちらが北白川城の中心エリア。 ルート入口の地理院地図実線谷道は「京都東山シリーズその07〜瓜生山近傍の名も無き渓流5発(^_^)b」(2023年08月25日)( https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5863547.html )で geo_surveyor さんが入られている。「不許葷酒入山門」の碑はわたしには書いてある文字も正確な意味も解らなかったが、 geo_surveyor さんの山行記録に説明がある。 地理院地図実線の谷道から曲輪群のある尾根へは、ここも曲輪か櫓跡と思われる地図実線終点の広場から直接上がれる可能性はあるが、私では無理なので、終点手前に引返して別の谷道から尾根に上った。このルートには以前からマーキングがある。 尾根に上って左側の尾根先までが「北白川城4-3」。右側の京都一周トレイル旧ルート出合までが「北白川城4-2」。「北白川城4-1」は歩いていないが、 yjin さんが「白鳥越(京都一乗寺から近江穴太)の戦国時代の山城跡を訪ねて」(2020年10月2日)( https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2615455.html )で歩かれているのでご参照下さい。また、京都北白川の瓜生山と周辺の山城跡巡り( https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3802162.html )でも広範囲に歩かれている。 他にも新しい記録と一部の区域の記録があるので、地図検索の高精度検索モードでお確かめ下さい。 * 山城の説明は感想欄に。 2. 瓜生山→地蔵谷→比叡アルプス→一乗寺延暦寺山城→一本杉 地蔵谷を渡って比叡アルプス尾根へ。下ったり上ったり。 地図を見ると、延暦寺山城(読みは、えんりゃくじ・やまじろではなく、えんりゃくじやま・じょう)のある曲り角付近に普通歩かれているのとは違う実線の道が描かれている。良く確かめてはいないが、この辺りが延暦寺山城だろう。実線の道はよく判らなかったが、何箇所も平坦地があった。尾根の切目=堀切、平坦地=曲輪だろう。上の段を下の段の平地が半円形に囲む感じで、北白川城とは様式が違う様な気がする。この区域は歩き易く、範囲も狭いので容易にうろつける。手前のP543山頂の小さい平地は櫓跡じゃなかろうか。 比叡アルプス終点の一本杉・登仙台駐車場からロテルド比叡入口前まではドライブウェイ左沿いに歩道がある。 3. ロテルド比叡尾根→掛橋の石鳥居→梅谷→修学院 一本杉から歩道(東海自然歩道連絡通路)を歩いて行くと、ドライブウェイの自動検札所手前にロテルド比叡入口や東海自然歩道入口へ渡る横断歩道がある。横断歩道を渡らず、左側の小屋の裏側に回るとロテルド比較尾根(ホテル比叡尾根)がある。しっかりした尾根だが小屋で隠してある。尾根は明るく中程まではなだらか。林道坂端線を歩くより気持ち良い。尾根先端は音羽川と支川の股にあり、右に渡渉すると林道坂端線に出る。後は定番ルート、掛橋の石鳥居〜梅谷〜赤山禅院付近〜白川通。 「ロテルド比較尾根」の所在地の住所は一乗寺延歴寺山なので、「延歴寺山尾根」と書こうかとも思ったが、それでは、一乗寺延暦寺山城跡のある尾根(比叡アルプス)の事になりそうなので、ロテルド比較尾根と書いた。 地図では一乗寺延暦寺山、京都市の文書や不動産業界のサイトでは一乗寺延歴寺山になっている。登記簿では「歴」なのかと推測。お寺は「延暦寺」なのだが。 |
写真
坂本道【道標】SA208
さかもとみち
所在地 左京区北白川山ノ元町
位置座標 北緯35度01分54.5秒/東経135度47分47.4秒(世界測地系)
寸法 高62×幅16×奥行16cm
碑文
[北東]
右 阪本道
[南東])
左 勝軍地蔵(以下埋没
白幽子遺【以下埋没】
[北西]
施主【以下埋没】
調査 2004年12月8日
(c) 2003-2014 京都市
出典 : 京都市碑データベース
前方の柵は聖護院宮墓地。左側から柵の所へ道がある。柵を超えると墓地の立入禁止の柵の外側に出られるが、そこはわたしには傾斜がきつい。
装備
個人装備 |
お金
長袖シャツ
長ズボン
時々下着
縫付地下足袋12枚馳
魚肉ソーセージ
缶コーヒー
携帯(スマホ)
カラー紐(PE)
ビニールテープ
標識テープ(リボン)
フェルトペン(名前ペン)
絆創膏
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感想
▶北白川城4-3エリアは広くなだらか。気持ち良い。天気も良くてお弁当を食べるのに良い感じだった。
▶北白川城4-2エリアは坂がきつく砂で滑り易い所がある。そういう箇所は短いが。
▶ロテルド比叡尾根は北白川城4-3ほど広くはないがなだらか(最後の方を除いて)。この日は残念ながら曇って風も強くなって来たが、天気が良い時は心地良い所。
▶比叡アルプスて結構距離があるのか、滑りやすいからか、時間がかっているなぁ。掛橋から尾根(白鳥越?)で入る人が多く、地蔵谷から入る人は少ないのか、掛橋分岐までは踏跡は薄くはないが濃くもない。
(12月21日 記)
●以下は山城について興味のある方に
【門外漢に付き以下の説明に間違いがあるかも知れない】
山城は一般に恒久的な建物はなく、地形しか残っていないのが普通で、大抵はわたしが見ても曖昧な感じしかしない。北白川南城の曲輪群は地形が明瞭に残っていて、わたしでも良く判る。
地理院地図の実線の道に石垣が多く残っているが、北白川城の一部とみて良いのだろうか。この付近の事も、石垣の事も資料に見つからなかったが、京都市遺跡地図提供システムから引用の地図(この付近の写真の所に入れておいた)では、石垣部分は北白川城の範囲に入っている。
山城では石垣あまり使われていないが、特に重要な所には使われていた。石垣の残っている部分は山中越に間近で、直接接続している部分なので、石垣で固められていたとしても不思議ではない。
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整理できてないので内容に重複があるかも知れません。今時間ないのでご容赦ください。
【山城についてのメモ】
門外漢なので正確ではないが、気付いた事柄をメモしておく。
山城と言う言葉は、山にある城ではなく、日本の中世の城を言う。少数は平地にある。
その数はコンビニ程度と言われ、どこにでもあった。
恒久的な建物は無く、小規模な物が多い。朝来市の竹田城の様な大規模の城は例外。
石垣は元からなかったか、残っていないか、が多い。この点でも例外なので、竹田城は思い浮かべない方が良い。わたしの身近(京都市左京区岩倉や上高野)にある山城はどれも小規模な物だ。
【北白川城についてのメモ】
次に、北白川城について記憶で適当に書く。
北白川城は、いろいろな時代に色々な人が築城していて、ある築城者にとっては全体で一つの山城であるかも知れない、一部を築城、又は整備して使用した人物にとってはそこだけで完結する山城であったかも知れない。(記憶が曖昧)
北白川城4-2エリア内だけで見ると、P217.0が一連の曲輪群の中心をなす本曲輪で、その手前や、今回通っていないその周辺の。曲輪を合わせたものが、一つの山城に見える(が、北白川城4-1エリアを見ていないので、そこを見てから全体で考えないとあきませんなぁ)。登り口の碑付近に石垣が多くあり、この山城は山裾を石垣で固め、平地まで続いていた様に見える。
【京都府中世城館跡調査報告書】
京都市図書館の中央他全4館が所蔵・ただし持出禁止。
この報告書は未見。城郭放浪記がこの報告書の内容を書いているのを読んだ。
京都一周トレイルの旧ルート出合までが京都府中世城館跡調査報告書で「北白川城4-2」と呼ばれている地域のほぼ全域で、「北白川城4-2は北白川城のなかでも広い曲輪群がまとまった領域である。このあたりの曲輪群は広く高い切岸(侵入を防ぐため斜面を削って急傾斜にしたもの)をともない、帯曲輪群も発達しているが土塁は見当たらない。」とある。
最初に尾根に上った地点から左手、尾根先の方に上記報告書で「北白川城4-3」と区分されているエリア、谷を越して東側の尾根には「北白川城4-1」エリア曲輪群がある。
この3つのエリアを合わせたものが北白川南城と呼ばれるものと思う。
瓜生山南陵広場は上記報告書では「北白川城1」と屋ばれている山頂を中心としたエリアに含まれる。「北白川城1」は北白川城の中心エリアである。
報告書原文は読んでいないが、山裾に近い石垣とその上の地理院実線先の台地は、見た限りのウエブページで触れていないので、北白川城の一部と断定はしない。
出典:城郭放浪記 (城郭放浪記TOP: https://www.hb.pei.jp/ )
(城郭放浪記 > 城 > (山城国/京都府) > 北白川城-1: https://www.hb.pei.jp/shiro/yamashiro/kitashirakawa-jyo/ )
【その他の資料】
また「戦国山城を歩く>志賀越えを押える─北白川南城」で、北白川城の一部の北白川南城と呼ばれているものが今回の山行エリアと思われる。( http://www2.harimaya.com/sengoku/zyosi/ym_kitaminami_jo.html )この記事には地図がないので主郭の北尾根と言う表現がどこを指すか、「北白川城4-1」エリアが記事に含まれているのかなどが不明だが、北白川城の他のエリアの説明もある。
『京都北山の昔話』と言うサイトがある。京都北山の昔話 第72話 「東山第八峰 瓜生山」 ( http://kitayama.blog.jp/archives/26051030.html ) このページにも瓜生山について纏められている。また、この方(小西博記さん)の生まれ育った地域についての昔の話が興味深い。
「久方ぶりの里帰り・・・大見村」http://kitayama.blog.jp/archives/31989117.html
「久方ぶりの里帰り・・・百井村」 http://kitayama.blog.jp/archives/31934890.html
村の郵便配達人さん http://kitayama.blog.jp/archives/9409686.html
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