廃村から石灰採石場跡地周回



- GPS
- 06:44
- 距離
- 14.8km
- 登り
- 797m
- 下り
- 801m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
霊仙山の南西にある500〜600mの丘陵地帯の谷間や中腹に山村が彼方此方に、又石灰の砕石場跡地もあって、それらを散策するのも中々楽しいものがある。しかしながら、それらの山村は現時点ではかなりの確率で廃村になっている。週末や連休などに家のメンテナンスや、田畑の世話などをしている時にのみ人の姿があるのかもしれない。今回は芹川の北側を周回したが、芹川の南側にも2個所の山村があって、1個所は毎週のように訪問して野菜を育てているようだが、も1つは廃村でわびしい限りだ。
新緑のこの時期に萌黄色の木々の瑞々しさを見ようと屏風集落下の南方駐車場に車を停めて、霊仙に登るときの落合への道を今日は歩くのだ。芹川の両岸は急斜面で大きな木々が新緑で美しいが、その林床には花が開いている。林床の女王シャガの花がその斜面に所狭しと咲いているのだ。そして斜面から道路に向けてはヤマブキの黄色がタワワニ揺れ動いている。何時もR306の久徳の信号からしばらく走った後に狭い道になる芹川の峡谷になると直ぐに河内の風穴、アケンバラ、落合へと到着するが、いざ歩くとなると何時もの様にはゆかない。勝手知ったる道だが、車と歩みとの差異は見えるものも異なるが、クネクネの舗装路は登りでシンドイのだ。やっとのことで河内風穴で、直ぐにアケンバラに着くと権現谷林道の分岐があるが、この集落には人が住んでいるようで、散歩をしている老人もいた。
そこから直ぐに左への分岐があるが、何時も車で通過時に何処に行く道なのか?と思っていた入谷(にゅうだに)の入口だったのだが、ここまで1時間もかかってしまった。予定では30分の見込が、距離が4Kmもあるので1時間は当然だ。入谷への道は急なコンクリの滑り止めの筋の入った道で、息が直ぐに上がるのだ。こんな急な道を毎日歩くのはシンドイだろうな?と誰かが言う。急な道の両側には次々に壊れかけの民家が見える。お寺らしき大きな建物もあるのには驚いた。全ての壊れかけを含めて20軒までであろうか?それなのに寺とは?と驚いていると、神社の鳥居もある。神社仏閣は日本の昔の当たり前の風情なのだと思い知らされた。軽トラや普通車も見えるが、住んではいない風情なのに何か音がするのはチェーンソウかDIYで工作をしているようだ。日常作業の定時訪問なのだろうか。
集落内は山桜が今や盛りと赤い葉と共に美しい。神社の上からは林道風の道が裏山に通じている。これが我々の進むべき道のようだ。林道は九十九折れ道から山道風になると、すぐ先が稜線で男鬼(おおり)峠というらしい。登りきると向こう側に、霊仙山が右手にデーンと大きな姿で佇んでいる。新緑は益々その色の鮮やかさが目に映ってくる。緩やかな稜線とピークが見えるのが、男鬼山で昨年歩いた藪の凄いピークであったところだろう。疎林の稜線はアップダウンが少なく、新緑があって快適な散策コースである。足元に可愛いポッコリした蕾が見えたと思ったら、咲きかけもある。これはご褒美と皆で悦んだ。
高取城址や男鬼・入谷城址と書かれた標識に、確かに城があったらしき感じはするが、随分と小さな城だ。山城だから当然かもしれないな、などと言いながら進むとやがて比婆の山であった。ここは北東側が開けているがそれ以外は杉の植林で見通すことは出来ない。この北東には霊仙がここでもその大きな山体が横たわっている。
その植林帯を西に急斜面の尾根を下って、進むと鉄塔があって、さらに左に進むと石灰の砕石場跡地の天辺に出るのだ。この光景をここで見たさ故のコース設定でもあったのだが、今日は残念なるかな、黄砂で見えるもの皆ぼやっとして彦根や多賀の街並みなど何一つ見えないのだ。期待が大きかっただけにその落差は大きい。がっかりもするが、近くを見ると真下の砕石現場や、その下の廃村らしき集落もよく見え、新緑とヤマサクラの素晴らしいことで琵琶湖の景色も諦めた。すぐ下の廃村は後谷集落であろうか、これから進むコースなのである。
砕石場に降りて来ると、その広場はサッカー場が幾つも設置できるほどだ。ウルトラマンや何とかレンジャーの撮影現場に相応しい場所だと講釈が煩い。車の通れる男鬼峠から来る林道の合流点は猫峠というらしいが、此処から後谷集落へ下降できるらしく国土地理院地図に点線マークがあるのだ。峠から谷間を覗くと踏み跡が僅かにあって、工事の残材らしきものが放置されているようだ。この先が如何なっているのか判らないが、行ってみようと杉の植林帯を下った。植林帯は直ぐに終わり小さな沢となって、水道用なのかホースや塩ビパイプが流れの中に転がっている。もうこれは廃村なので、不要となったのだろうか?などと話しながら進むと作業用の小屋らしきものがある先には大きな堰堤があって、直径10m以上の円筒の中に砂利が入った構造の見たことのないものだ。化け物みたいなものだが、上流は1Kmもないのにこんな大きな堰堤が必要なのだろうか?と疑問に感じながら、堰堤を下ると民家が数件あって住んでいるかのようであるが、変に静かで人の気配はない。ここも、常時在住者はいないのだろうが、周囲は整理されているし、カーテンなども真っ白なものが見えている。
後谷集落の尾根を越えた南東にある屏風集落を経て芹川沿いの駐車地に戻るべく舗装路を進むと分岐があって、左が屏風と書いてある。道なりに尾根を越えると墓地があって、まだ古くはなく保護柵もある立派なもので、この集落はまだ人が住んでいるのかな?と思いながら進むと、屏風の集落は多くの建物があるが、無人であった。集落の下への道にゲートあって進入禁止であるので、常駐者はいないのだろう。
メイン道路を進んでいて、GPSを見るとこの道は更に東の甲頭倉への方向に行くことに気が付いた。慌てて戻ると何処にも道はないが、集落の広場の脇に沿って何かがあるので進むと植林帯の方向に古い道があった。長らく人が通ることのない道のようだが、沈丁花の花が植えてある。そばに、サクラもまだ咲いている。
不明瞭な道を進むと左に傾斜のある畑状の台地があって、昔は日当たりの良いここで野菜つくりをしていたのではないだろうか?傾斜地でコツコツと鍬で土堀りをしている姿が見えるようだ。傾斜は徐々に急になってくると混交林で大きな木々に覆われた急斜面は途端に道がトラバース道となった。枯葉の多い滑りそうな狭い道に神経を使いながら、コースの確からしさだけをGPSとにらめっこしながら進んだ。下から水の音が聞こえるとホッとしたものの、まだ不安定な急斜面のトラバースは続いた。小沢に出会うと上から登山路が降りてきていて、急に安心できる道になった。これは後谷集落からの舗装路の右分岐の道のようだ。そぐ下に道も見え車が通過するのが見えた。落石防止の頑丈な保護柵越しにやっと道路に降り立った。
新緑の萌黄色を堪能して、この周辺の集落探索も『甲頭倉』を残すのみとなった。
“八”、“長”、“竹”
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