富士山 五合目 佐藤小屋



- GPS
- 32:00
- 距離
- 4.2km
- 登り
- 972m
- 下り
- 157m
コースタイム
- 山行
- 4:15
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:15
- 山行
- 1:30
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 2:00
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
飛行機
|
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
ワイズメンズクラブはYMCAのサポートクラブとしてアメリカで誕生し、日本ではロータリーやライオンズクラブに比すると数では圧倒的に小さなボランティアサービスクラブではあるが、それぞれのクラブが地域の特徴なんかをうまく取り入れてなかなかユニークで面白い活動をおこなっている。
私もメンバーなのだが詳しくは以下をどうぞ。
http://ys-east.jimdo.com/
ワイズメンズクラブ国際協会東日本区の仲間である富士五湖ワイズメンズクラブは設立12年を経過しても今でも元気で魅力的なメンバーを擁する注目に値するクラブで、毎年、日本で一番高いところでやる例会として富士山例会を行っていて、いつか必ず参加するぞと意気込んでいたが、必ず何かがぶつかり叶わなかった。
ところが今年はいくつかの偶然が重なって条件が整い参加することができた。
まずは富士山例会を前にした馬返しから例会会場である五合目佐藤小屋への有志による登山である。
山岳ガイド ゲンちゃんの音頭によるチームコールを全員の発声で行って元気よくスタート。
歴史ある山岳信仰の登山道としての面影を深く刻み込んだルートは藪と沢と雪しかない歴史の浅い北海道のそれとは趣が異なりひっじょーに面白かった。
ゲンちゃんの解説がまたそれに対する興味をかき立てる。
今回、富士山に対して感じたことは後述します。
まだまだ紅葉には早い感じだったが4合目から黄色く色づくものが目立ち登山道を明るいものにしていた。
会場の佐藤小屋に到着すると富士五湖クラブを始めとして懐かしい顔との再会に心が弾む。これがワイズメンズの醍醐味のひとつである。
佐藤小屋から仰ぎ見る頂上は直ぐそこに見えて3時間ぐらいの距離にしか見えないが仲間に聞くと、「無理無理」とメンバーをあきれさせてしまった。
でも、「うそっ!!」と思うぐらい近くに見えた。
例会開会式で広島土砂災害の被災地で活動する広島YMCAに対する募金をささやかながら全員の総意で捧げられ、その後、宴会がスタート。
アホみたいに楽しいバーベキューは、たまたま立ち寄ったアメリカ人親子や香港女子二人組・日本人男子学生二人組を巻き込んで、元気なメンバーは朝の3時まで延々と飲み続けたらしい。
清く正しい岳人である私は翌日に備えて11時ぐらいに就寝したはずなのだが、全く記憶が無い。ただただ爆笑していた。
翌日、ドピーカンな朝焼けに染まる富士山をバックにご来光に手を合わせながら「俺ってやっぱり日本人」なんだなぁと思った。
メンバーに富士駅まで送って頂き、憧れの実現させるための次の地。北岳バットレスに向かった。
さて、富士山である。
一部の岳人は富士山の大衆性を嫌って、軽んじるようなシニカルな態度をとるものがいる。山に対する考えや嗜好はそれぞれなのでそれは否定しないでおこう。
ただ、感じたのは実際来てみて日本人の遺伝子に組み込まれているような富士山と日本人の精神的な関係である。
「日本百名山」で深田久弥は「もしこの山がなかったら、日本の歴史はもっと別な道を辿ったかもしれない。」と記した。
広島の元ワイズメン、久保田さんと前日の宿泊地 富士吉田の「ふじみち」から仰ぎ見た富士山のその大きさと我々を包み込むような力強さやエネルギーを感じたとき、その言葉があながちウソではないことを実感したのである。
「富士山は万人の摂取に任せて、しかも何者にも許さない何物かをそなえて、永久に大きくそびえている。」と深田久弥は富士山の章を締めくくった。
「日本百名山」の功罪については置いておいて、富士山に触れてこの一節は名文であることを認めざるを得ない。
看板が立っていた。
富士山でのキノコにセシウム濃度が基準値を超えているものが認められたので食べるなというおふれである。
その看板を前に富士山は日本人の喜びと悲しみと苦しみ寄り添ってあることを感じた一瞬であった。そして、その頂きに立ちたいと強く思った。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する