記録ID: 5163101
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ハイキング
房総・三浦
房総ハイク 鋸山 日本百低山
2023年02月09日(木) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 01:21
- 距離
- 3.6km
- 登り
- 360m
- 下り
- 360m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 1:01
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 1:21
距離 3.6km
登り 360m
下り 360m
15:42
ゴール地点
天候 | 晴れ霞 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
元々石切場だった鋸山 石切道が整備されておりトテモ歩き易い 切れ立った箇所には手摺がある 但し急階段も多く階段が苦手な方には少々辛いかも 元作業道だろう 登山道本線ではない踏み跡が多く有るので、迷い込まないように 石切場跡には不意に断崖絶壁が潜んでいるコトも有りトテモ危険 迷い込んだら突破しようとはせずに必ずもと来た道へ折り返すように |
写真
鋸山と車力道
「安房の国」と「上総の国」の境に位置する鋸山は、標高329mとあまり高い山ではありませんが、山腹に切り立った岩肌が露出している ために遠くから見るとひときわ高く険しい山に見えます。山全体が火山 性たい積物でできており、その岩石は最近まで 「房州石」という呼び名 で切り出され、京浜地方等に出荷されていきました。山の稜線は、金谷 まちから見るとノコギリの歯の形に見えます。この山の形が鋸山 の名の由来です。
この新登山道はかつての「車力道」です。鋸山の頂上部付近で切り 出された石を運び出した道です。房州石を木製の荷車に載せ、急傾斜の 道をブレーキをかけながら下りたので、石の重みで道の表面に荷車の轍 が残っています。 この石を運搬した人達は「車力」と呼ばれ、女性の 仕事でもありました。 空の荷車を背負って頂上まで上り、 1日3往復す る大変な重労働でした。 石切り場跡付近からの景観は、大変素晴らしく天気の良い日には遠く東京タワーや筑波山まで眺望することもできます。
「安房の国」と「上総の国」の境に位置する鋸山は、標高329mとあまり高い山ではありませんが、山腹に切り立った岩肌が露出している ために遠くから見るとひときわ高く険しい山に見えます。山全体が火山 性たい積物でできており、その岩石は最近まで 「房州石」という呼び名 で切り出され、京浜地方等に出荷されていきました。山の稜線は、金谷 まちから見るとノコギリの歯の形に見えます。この山の形が鋸山 の名の由来です。
この新登山道はかつての「車力道」です。鋸山の頂上部付近で切り 出された石を運び出した道です。房州石を木製の荷車に載せ、急傾斜の 道をブレーキをかけながら下りたので、石の重みで道の表面に荷車の轍 が残っています。 この石を運搬した人達は「車力」と呼ばれ、女性の 仕事でもありました。 空の荷車を背負って頂上まで上り、 1日3往復す る大変な重労働でした。 石切り場跡付近からの景観は、大変素晴らしく天気の良い日には遠く東京タワーや筑波山まで眺望することもできます。
車力道跡
「車力道」は鋸山から切出された「房州石」を麓まで運び降ろした道です。石を運ぶ人達は 「車 力(しゃりき)」と呼ばれ、主に女性の仕事でした。一本80Kgの房州石三本を「ねこ車」と呼ばれある荷車に載せ石を敷いた急な坂道をねこ車の後ろを引きずりブレーキをかけながら下りました。麓や港で石を降ろしたあと石切り場に戻るには 空になったねこ車を背負い急な坂を登ります。車力の仕事は一日三往復、ケーブル、トロッコが敷設されトラックが使われるようになってからも一部で昭和35年頃ま で続けられました。車力道は石を滑らせ降ろした「樋道(といみち)」 と共に貴重 な産業遺産の一つです。車力道に遺る石を運んだ痕跡は当時の石切の繁栄を物語る と共に女性の息づかいを伝えています
「車力道」は鋸山から切出された「房州石」を麓まで運び降ろした道です。石を運ぶ人達は 「車 力(しゃりき)」と呼ばれ、主に女性の仕事でした。一本80Kgの房州石三本を「ねこ車」と呼ばれある荷車に載せ石を敷いた急な坂道をねこ車の後ろを引きずりブレーキをかけながら下りました。麓や港で石を降ろしたあと石切り場に戻るには 空になったねこ車を背負い急な坂を登ります。車力の仕事は一日三往復、ケーブル、トロッコが敷設されトラックが使われるようになってからも一部で昭和35年頃ま で続けられました。車力道は石を滑らせ降ろした「樋道(といみち)」 と共に貴重 な産業遺産の一つです。車力道に遺る石を運んだ痕跡は当時の石切の繁栄を物語る と共に女性の息づかいを伝えています
切り通し跡
「切り通し」は岩壁を切りぬき作った道です。
石切り場 から採石する際、良質な石材を求めて切り下る事に成り、石切り場周囲が岩壁で囲まれた状態になります。そのた め、石材やズリ (石のくず)の搬出道を作る必要があり、 これを「切り通し」 と呼びます。
大規模な石切り場には「切 り通し」が伴う事が多くこれを地元では「口抜き」と言いました。
「切り通し」を通過すると石材を集積する「平場」があり、そこが石材を滑り下ろすすべり台である「樋道」の起点になるのが通例です。
「切り通し」両側の壁面にも、石を切り出した痕跡が横縞模様となって残って います。
「切り通し」は岩壁を切りぬき作った道です。
石切り場 から採石する際、良質な石材を求めて切り下る事に成り、石切り場周囲が岩壁で囲まれた状態になります。そのた め、石材やズリ (石のくず)の搬出道を作る必要があり、 これを「切り通し」 と呼びます。
大規模な石切り場には「切 り通し」が伴う事が多くこれを地元では「口抜き」と言いました。
「切り通し」を通過すると石材を集積する「平場」があり、そこが石材を滑り下ろすすべり台である「樋道」の起点になるのが通例です。
「切り通し」両側の壁面にも、石を切り出した痕跡が横縞模様となって残って います。
石切り場跡(観音洞窟)
「鋸山」 の地質は、 褶曲構造 (しゅうきょくこうぞう)の向斜(こうしゃ) が特徴です。地層の傾斜は、 鋸山北面 (金谷側) で はいずれも南方 (山側) 奥へ下る斜行層と成っています。
前方の石切り場跡は、良質な石材を求め地層に沿って、奥に掘り進んでいます。良質な地層を追ってさらに横に掘り進み、広い空間が作られる場合も有ります。四角い穴の上部には通常横長に切 り出す石が、縦長に切り出された痕跡が残っています。 これは、垂直な 壁面を切り出し始める際にのみ行われる「垣根掘り」という技法であり、熟練者の仕事でした。その下からは下へ掘り下げる一般的な 「平切り」その痕が横縞となって残っています。階段状の掘り残しは、崩落防止とも 言われます。
「鋸山」 の地質は、 褶曲構造 (しゅうきょくこうぞう)の向斜(こうしゃ) が特徴です。地層の傾斜は、 鋸山北面 (金谷側) で はいずれも南方 (山側) 奥へ下る斜行層と成っています。
前方の石切り場跡は、良質な石材を求め地層に沿って、奥に掘り進んでいます。良質な地層を追ってさらに横に掘り進み、広い空間が作られる場合も有ります。四角い穴の上部には通常横長に切 り出す石が、縦長に切り出された痕跡が残っています。 これは、垂直な 壁面を切り出し始める際にのみ行われる「垣根掘り」という技法であり、熟練者の仕事でした。その下からは下へ掘り下げる一般的な 「平切り」その痕が横縞となって残っています。階段状の掘り残しは、崩落防止とも 言われます。
石切り場跡 (岩舞台)
|鋸山には大小規模の 「石切り場跡」が数多く点在しております。産業としての採石は江戸後期頃から始まったようです。
最盛期には30軒ほどの石の元締めがあり年間56万本を産出し金谷は石の町として栄えました。
この岩舞台 (俗称)は昭和60年まで採石を続 けた最後の石の元締め、芳家石店 (鈴木四郎右衛門家) の石切り場跡です。ここは岩の形状と刻み込まれた文字の位置で石切り場の時代による変化がよく確認できる場所です。左下の写真は昭和20年代後半頃ですが、現在その 場所ははるか上方になっています。
また「安全第一」の文字の上あたりが ツルハシで切った跡からチェーンソーの跡に変わっており、機械化された昭和33年当時の石切り場がその高さであった事が確認できます。
この岩舞台は鈴木四郎右衛門家に伝わる第一級の歴史資料とともに石切の変遷を後世に伝える貴重な遺構の一つです。
今ではコンサートが開かれる等文化発信の場として地域活性化の舞台にもなっております。
|鋸山には大小規模の 「石切り場跡」が数多く点在しております。産業としての採石は江戸後期頃から始まったようです。
最盛期には30軒ほどの石の元締めがあり年間56万本を産出し金谷は石の町として栄えました。
この岩舞台 (俗称)は昭和60年まで採石を続 けた最後の石の元締め、芳家石店 (鈴木四郎右衛門家) の石切り場跡です。ここは岩の形状と刻み込まれた文字の位置で石切り場の時代による変化がよく確認できる場所です。左下の写真は昭和20年代後半頃ですが、現在その 場所ははるか上方になっています。
また「安全第一」の文字の上あたりが ツルハシで切った跡からチェーンソーの跡に変わっており、機械化された昭和33年当時の石切り場がその高さであった事が確認できます。
この岩舞台は鈴木四郎右衛門家に伝わる第一級の歴史資料とともに石切の変遷を後世に伝える貴重な遺構の一つです。
今ではコンサートが開かれる等文化発信の場として地域活性化の舞台にもなっております。
感想
嶺岡愛宕山からの本日二座目
伊丹行最終便までの余った時間の消化でやってきました
鋸山は前評判でトテモ良い山だと聞いており興味津々で来ましたが、期待を裏切らないトテモ面白い山でした
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