市原から竜王岳 京都北山 最南端取付からのルート!


- GPS
- 02:10
- 距離
- 4.3km
- 登り
- 377m
- 下り
- 300m
コースタイム
- 山行
- 2:08
- 休憩
- 0:09
- 合計
- 2:17
天候 | (午前)曇りのち晴れ (午後)曇り時々晴れ一時小雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
叡山電鉄鞍馬線 市原 又は 京都バス 市原 【帰り】 京都バス 鞍馬 (又は上在地) 又は 叡山電鉄鞍馬線 鞍馬 |
コース状況/ 危険箇所等 |
**ルート探索と言う分類がないのでハイキングとしていますが、道のない道(?)を歩きます。特別な歩行能力が必要なルートではありませんが、不用意に進入されません様ご注意下さい。** 竜王岳の一番遠く、一番南の登山口から竜王岳へ登った。 市原からP391安養寺山(この山名はyjinさんの山行記録で知りました)の南尾根をまっすぐ登り、救助標識R-16から救助標識竜王岳コースの二ノ瀬ルート(二ノ瀬〜R-10〜経塚〜竜王岳〜R-46〜薬王坂)に入り、竜王岳に行った。 (救助標識竜王岳コースは経塚から鞍馬の二ノ瀬トンネル寄りに出る分岐があり、そちらに救助標識R-2〜R-8がある。) 下山は手抜きで薬王坂経由で鞍馬へ。 【竜王岳へ、一番遠い取付きからのルートを探索】 竜王岳のある山地の南端は京都府道40号下鴨静原大原線(下鴨〜市原 - 静原 - 大原)と市原から鞍馬に行く鞍馬街道の股の所になる。 二ノ瀬の白龍園(庭園)以南の鞍馬街道側からは、山地との間に鞍馬川と叡山電鉄鞍馬線があるので、取付けない。 京都府道40号下鴨静原大原線(二ノ瀬トンネル南口の三差路までは二ノ瀬バイパスと兼用)側は、二ノ瀬トンネル南口の三差路から先(静原側)は砕石場があるが、三差路の手前に一箇所だけ取付ける箇所がある。今日はそこから。 【竜王岳はどこ?】 京都市左京区の竜王岳(りゅうおうだけ)ってどこですか? (1) どれ(どのピーク)か? 普通は経塚のあるP500mが竜王岳だったが、新しい地図*ではP496.1(=P500、さらに以前はP506)の300m程西南西にあるP493.8(=P492.5)が竜王岳になっている。三差路になっているピークで、ここにも経塚がある。 (*新しい地図:京都市が情報公開に使用している地図の事で、多分京都市制作の1/2500地形図なんじゃないかと思うが違うかも知れない。もし地方自治体制作の1/2500なら、それを基にして地理院が新しい1/10000地形図を製作中なので、地理院地図の表示もいずれこれと同じになるはず。) (2) どこ(地名)にあるか? そして、竜王岳の地名(いわゆる住所)は左京区静市のなんとか町でもなく、左京区鞍馬のどっかの町でもなく、左京区岩倉の幡枝町(飛地)にある。こういう山林の飛地は、山林が山主の居宅住所と同じ町村として町村界が定められた事による物だと思う。 【市原のいの字の送り火】 登山道が目的の方には不要な前説になるかも知れないので、後ろの感想欄に書きます。 【道迷い】 白龍園裏からTP290辺りまでは、尾根の傾斜はきついが幅が広いので、下りで中心から反れないか心配。現時点ではどこかの怖がりさん(笑)がくどいほどマーキングしているので余り心配ないが、注意されたい。 【危険箇所】 白龍園裏まで所々にくくり罠注意の表示がある。地面に落ちている長いスプリングみたいなのはくくり罠(押しバネ)らしいので注意する。目視で確認できる、明るい時間に通行される方が良さそうだ。でも、ばねが伸びた状態(作動済みの状態)に見えるが? 参考: https://chikatoshoukai.com/dangers-and-precautions-of-trap-hunting/#index_id1 その先TP290辺りまでは傾斜がきついので、私はゆっくり慎重に歩いた。 |
写真
10:38 叡山電鉄戦馬線市原駅。
叡電が山裾を走っていて、駅は高みにある。見下ろした中央の家は原田泰治の絵にも描かれている。もうかやぶきではないが往時の姿をとどめ、いつも沢山花を作られている。
中央に形の良い三角の山が見えている。いつもこれを見て、あそこで”い”の字を焚いていたんじゃないかと思っていた。
10:40 押しボタン信号の横断歩道を渡って、右折(北東へ)。京都バスの市原(ターミナルのりば)前を通過してその先踏切を渡り、カーブして北へ。
10:41 右手に橋(たしか下野中橋)があり、川向うがグリーンタウン(大部分野中町、南部少しだけ市原町)。
あと数メートル南下して、「線路内立入禁止」の看板の手前から折り返せば、文字通りこの山域の最南端取付になるが、どこまで叡電の立入禁止範囲になるのか良く判らないので、ここらで取付いている。看板まで行ってみる事も有るけど。
なかなか雰囲気が良いので、一度は白龍園に入ってみたいが、調べたらかなり高額。お金持ちになったら行ってみたい。
白龍園の外側にずっと道が付けてあるので心配ない。
この付近に各種のマーキングがある。どこから来たのか、どこへ行くのか不明。これから登る尾根に続くマーキングもある様に思うが、尾根のマーキングは連続していない。
なお、この谷を進んで歩き易い道に入ると採石場内の通路になる。ここの立入禁止の看板はそのルートを進む人向けだと思う。
(最後の方で尾根芯寄りにルートを取ると、もう少し竜王岳寄りに出る。いつもは救助標識R-16に出るのに、今日はもっと右に出た。)
(12:30 撮影) 経塚到着。アプリGPSではP約497。この周りは踏跡がはっきりせずややこしい。経塚まで来たのなら右前方へ。
(経塚を通らずに右寄りを通過する踏跡もある。)
(12:31 撮影) 2022年3月末で閉校した静原小学校のプレート。
写真を写す前はTP497を表示していたが、写し終わった時にはTP500を表示していた。アプリのGPSの標高表示は緯度経度をもとに地理院地図で修正されるため、地理院地図が正確でない場合は正確ではない。
装備
個人装備 |
お金
長袖シャツ
長ズボン
時々下着
縫付地下足袋12枚馳
行動食(厚切ハムサンド/レタスサンド/お茶)
携帯(スマホ)
カラー紐(PE)
ビニールテープ
標識テープ(リボン)
フェルトペン(名前ペン)
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感想
【市原のいの字の送り火】
京都の送り火と言えば、今は五山の送り火だが、昔は七山か、或いはもっと沢山あった。
私に身近な所では、市原のいの字の送り火があった。仮名(いろは)の頭(最初)なので、かながしら(仮名頭)とも言った。昔の絵にもよく描かれている。それを見ると、どう見ても二ノ瀬トンネルの上辺りに見える。
大文字なら「だいもんじ」と読むだけで京都の送り火だと思うのが普通だが、「いのじ」と言われても市原の送り火の事だとは分からない。相手がそれを知っていたら「いの字の送り火」で通じるかも知れないが、普通は「市原のいの字の送り火」と言う。ところで、なぜ「市原の」と言うのか? そりゃ「市原でやっていたから」に決まってるだろう! と思っていたが、実はそうではなかった。二ノ瀬トンネルの上付近の安養寺山P391(P387.8)の尾根はピークでも、175mほど南のTP378.1(肩?)でも、さらに南のTP327.1でも尾根の西は二ノ瀬村(町)、右が野中村(町)で、それより南では境界線は今日歩いた尾根ではなく、白龍園の中の尾根になっている。白龍園は二ノ瀬の村民が働いている日本庭園だが、その敷地は二ノ瀬と野中にまたがっている。いずれにしても、市原野ではない。「市原野の村民がやっていた」から、「市原のいの字の送り火」なのだ。なぜ他所の村の山を借りてまで送り火を? と言う事になるが、観光資源がどうのこうのと言う話ではないだろう。自分たちが見物するためだったろうと思う。市原野では京都の送り火は見えないので、自分たち用のを作ったのだ。また、二ノ瀬トンネルの上辺りでは、京都の旧市内からはほぼ(まったく?)見えないだろう。この送り火は「市原野村民による、市原野村民に対する、市原野村民の為の送り火」だったのだろう。従って市原から見やすい所に、当然、方角も市原向きに描いたと思う。(私の見た昔の絵ではいの字が南向きに書かれていたように思うが、京都の中心部向きに書かないと判り難いからだろうと思う。)(市原野は市原の元の呼び方。現在も小学校や幼稚園、各種自治組織、食品スーパー名などに広く使われている。)
母のショートステイ先が静原だった頃、市原の駅からバスターミナルまでよく歩いたし、さらにその先静原まで歩く事もあった。すると、市原野小学校付近(鞍馬街道旧ルート)では、北に形の良い三角の山が見える。二ノ瀬トンネルの上で、多分「市原のいの字の送り火」は安養寺山(P391)の南尾根かその辺りの山腹だったと考えている。
追記
洛北誌(明治44年初版の京都府愛宕郡村志の再版)に記載されている、鞍馬村鞍馬区の龍王ヶ嶽が竜王岳だろうと思われる。鞍馬村鞍馬区は旧鞍馬村です。従って岩倉畑枝町となったのは比較的新しいかも知れない。例えば戦後とか言う可能性も。
それより、読み方が気になる。この山を「リュウオウガダケ」と読んている例が確認出来ないが、元はリュウオウガダケだったのか?
Onigiri-Maru
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