記録ID: 4015887
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ハイキング
近畿
白旗山 兵庫県 上郡町 同日1本目
2022年02月20日(日) [日帰り]


体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 01:36
- 距離
- 4.2km
- 登り
- 418m
- 下り
- 403m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
歩きやすい |
写真
白旗城跡(しらはたじょうあと)は、足利尊氏と共に建武政権に反旗を翻した赤松円心が、建武3年(1336)に険峻な白旗山上に築いた山城跡です。
尊氏が政権方に敗れて九州に下ると、円心はこの城を中心に守りを固め、新田義貞率いる6万の追討軍をわずか2千の兵で50日余り釘づけにし、再起を図る尊氏の貴重な時間を稼ぐことに成功しました。その後、勢力を盛り返した尊氏は京を制圧して室町幕府を創設し、円心をはじめ赤松氏は幕府の要職を務めました。
また康安元年(1361)には、南朝方に占領された京より、幼少の足利春王(のちの義満)が白旗城へ避難していますが、これも赤松氏と白旗城に対する信頼の証といえるでしょう。
現在の城跡は、標高440mの白旗山山頂を中心に東西約350m、南北約700mにわたって広がり、尾根上や南谷筋に本丸・二の丸・三の丸・櫛橋丸・馬場丸・侍屋敷・桜門と伝えられる曲輪跡や堀切・土塁・石積などの防御施設が、築城当時に近い形でのこっています。
平成8年(1996)3月、「赤松氏城跡」として感状山城跡(相生市矢野町)、置塩城跡(姫路市夢前町)とともに国史跡に指定されました。
また平成28年度からは、難攻不落の史実にあやかり、「落ちない城・白旗城」として受験生の聖地を目指したPRプロジェクトを展開しているそうです。
尊氏が政権方に敗れて九州に下ると、円心はこの城を中心に守りを固め、新田義貞率いる6万の追討軍をわずか2千の兵で50日余り釘づけにし、再起を図る尊氏の貴重な時間を稼ぐことに成功しました。その後、勢力を盛り返した尊氏は京を制圧して室町幕府を創設し、円心をはじめ赤松氏は幕府の要職を務めました。
また康安元年(1361)には、南朝方に占領された京より、幼少の足利春王(のちの義満)が白旗城へ避難していますが、これも赤松氏と白旗城に対する信頼の証といえるでしょう。
現在の城跡は、標高440mの白旗山山頂を中心に東西約350m、南北約700mにわたって広がり、尾根上や南谷筋に本丸・二の丸・三の丸・櫛橋丸・馬場丸・侍屋敷・桜門と伝えられる曲輪跡や堀切・土塁・石積などの防御施設が、築城当時に近い形でのこっています。
平成8年(1996)3月、「赤松氏城跡」として感状山城跡(相生市矢野町)、置塩城跡(姫路市夢前町)とともに国史跡に指定されました。
また平成28年度からは、難攻不落の史実にあやかり、「落ちない城・白旗城」として受験生の聖地を目指したPRプロジェクトを展開しているそうです。
撮影機器:
感想
上郡町の落ちない城白旗山跡のある、白旗山に行ってきました。
山道に入る前に獣除け扉があります。入った後は戸締り。
その後は車1台が通れる幅の道になりました。緩い傾斜の道です。
次は、岩がゴロゴロのゴロタ坂です。足の置き場を確かめながら注意しましょう。
2番目のベンチを過ぎると傾斜が急になり、石階段になります。階段といっても土で覆われているので、1段1段ということではなく普通の山道を登る感覚です。
3番目のベンチをすぎると傾斜がもっと急な山道になります。所々に幅の狭い道があるので、重心を山側にかけて歩く必要があります。
全体を通して迷うほどの分岐はありません。踏み跡を確かめながら歩けば楽しいハイキングができるでしょう。
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