記録ID: 2756688
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ハイキング
京都・北摂
天王山 ”荏胡麻油で栄えた大山崎とは” 大山崎町歴史資料館〜離宮八幡宮〜待庵・・・天王山往復・・・聴竹居
2020年11月23日(月) [日帰り]



体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 05:26
- 距離
- 6.6km
- 登り
- 284m
- 下り
- 280m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:57
- 休憩
- 1:16
- 合計
- 4:13
距離 6.6km
登り 284m
下り 284m
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
離宮八幡宮
(乙訓郡大山崎町大山崎西谷)
祭神
応神天皇、酒解大神、比売三神
貞観元年(八五九)八月二十三日、宇佐神宮(大分県宇佐市)から、奈良大安寺の行教により勧請された。後に淀川対岸の男山(現石清水八幡宮)にも八幡神を勧請し、ともに京の都の玄関口を守る、国家安康・国民平安を願う神社として祀られた。この勧請に由来する祭は、日使頭祭として、現在も毎年四月に行われている。社伝によると、当宮の神官が荏胡麻(シソ科)の種から搾油をする長木という道具を工夫し、これが日本の製油の発祥となった。後に当宮は油座の本所となり、繁栄を極めた。当時から残る禁制などの文書(大山崎離官八幡宮文書)は国の重要文化財に指定されている。元治元年(一八六四)、禁門の変の際には、長州藩の陣となり、社殿のほとんどは焼失したが、後に再興された。
[京都検定テキストより]
(乙訓郡大山崎町大山崎西谷)
祭神
応神天皇、酒解大神、比売三神
貞観元年(八五九)八月二十三日、宇佐神宮(大分県宇佐市)から、奈良大安寺の行教により勧請された。後に淀川対岸の男山(現石清水八幡宮)にも八幡神を勧請し、ともに京の都の玄関口を守る、国家安康・国民平安を願う神社として祀られた。この勧請に由来する祭は、日使頭祭として、現在も毎年四月に行われている。社伝によると、当宮の神官が荏胡麻(シソ科)の種から搾油をする長木という道具を工夫し、これが日本の製油の発祥となった。後に当宮は油座の本所となり、繁栄を極めた。当時から残る禁制などの文書(大山崎離官八幡宮文書)は国の重要文化財に指定されている。元治元年(一八六四)、禁門の変の際には、長州藩の陣となり、社殿のほとんどは焼失したが、後に再興された。
[京都検定テキストより]
離宮八幡宮なのになぜ石清水八幡宮の灯篭?
すぐ近くに石清水八幡宮があるのにのにぃ。
本当はこちらが本命の石清水八幡宮だったとか・・・。
裁判に負けてこういう結果に(-_-;)
JRの東海道線ができたためにこんなに小さくなってしまった(-_-;)
深い事情は分かりませんがこちらに味方したくなった。
すぐ近くに石清水八幡宮があるのにのにぃ。
本当はこちらが本命の石清水八幡宮だったとか・・・。
裁判に負けてこういう結果に(-_-;)
JRの東海道線ができたためにこんなに小さくなってしまった(-_-;)
深い事情は分かりませんがこちらに味方したくなった。
妙喜庵
(乙訓郡大山崎町大山崎竜光)
本尊 聖観世音菩薩
臨済宗東福寺派。山号は豊興山。明応年間(一四九二〜一五〇一)に春嶽士芳が連歌師の山崎宗鑑の庵を寺として創始。三世の功叔士紡が茶人であったことから、千利休がよく当庵を訪れ、天正十年(一五八二)頃、茶室待庵(国宝)を建てたと伝える。待庵は利休作の唯一現存する茶室。藁すさを見せる荒壁仕上げや、抽象画にも似た窓の配置、入隅の柱を隠し、天井まで壁で塗り込めた
室床などによって、二畳という規模ながら、その狭さを感じさせない。
[京都検定テキストより]
(乙訓郡大山崎町大山崎竜光)
本尊 聖観世音菩薩
臨済宗東福寺派。山号は豊興山。明応年間(一四九二〜一五〇一)に春嶽士芳が連歌師の山崎宗鑑の庵を寺として創始。三世の功叔士紡が茶人であったことから、千利休がよく当庵を訪れ、天正十年(一五八二)頃、茶室待庵(国宝)を建てたと伝える。待庵は利休作の唯一現存する茶室。藁すさを見せる荒壁仕上げや、抽象画にも似た窓の配置、入隅の柱を隠し、天井まで壁で塗り込めた
室床などによって、二畳という規模ながら、その狭さを感じさせない。
[京都検定テキストより]
宝積寺(宝寺)
(乙訓郡大山崎町大山崎銭原)
本尊 十一面観音
真言宗智山派。山号は天王山。通称は宝寺。聖武天皇は、夢に現われた龍神から打出と小槌を授かり祈願すると天皇に即位したと伝え、神亀年間(七二四〜二九)に聖武天皇の勅願で行基が創始し、本堂に十一面観音を祀ったという。一説に前身は、行基が淀川に架けた山崎橋の橋寺として開創した山崎院。長徳年間(九九五〜九九)には寂照が衰退していた当寺を中興。この時に天台宗に改めて、その後に真言宗となった。三重塔(重要文化財)は慶長九年(一六〇四)建立で、相輪頂までの総高は約二十メートル。本尊十一面観音立像をはじめ、閻
魔王坐像、司録・司命坐像(いずれも重要文化財)など、多くの寺宝を所蔵している。
[京都検定テキストより]
(乙訓郡大山崎町大山崎銭原)
本尊 十一面観音
真言宗智山派。山号は天王山。通称は宝寺。聖武天皇は、夢に現われた龍神から打出と小槌を授かり祈願すると天皇に即位したと伝え、神亀年間(七二四〜二九)に聖武天皇の勅願で行基が創始し、本堂に十一面観音を祀ったという。一説に前身は、行基が淀川に架けた山崎橋の橋寺として開創した山崎院。長徳年間(九九五〜九九)には寂照が衰退していた当寺を中興。この時に天台宗に改めて、その後に真言宗となった。三重塔(重要文化財)は慶長九年(一六〇四)建立で、相輪頂までの総高は約二十メートル。本尊十一面観音立像をはじめ、閻
魔王坐像、司録・司命坐像(いずれも重要文化財)など、多くの寺宝を所蔵している。
[京都検定テキストより]
撮影機器:
感想
かねてから疑問に思っていた名前の神社、「”離宮”八幡宮」
荏胡麻油で繁栄した大山崎、なぜ衰退したのか。
そして誰でもが知っている”山崎の戦”の足跡をめぐりに大山崎へ行ってきました。
オマケに妙喜庵、聴竹居のあるところまで足を運びました。
大山崎町歴史資料館の展示はとてもよかった。
ガイドさんの説明もよかったのだが、
さらに良かったのは離宮八幡宮の境内におられたおじさん、
かつてガイドをされていたおじさんの名ガイドはもっと良かった♬
帰って改めて京都検定のテキストを読むとよくわかる。
よくまとまている♬(-_-;)♬
お勉強は現場主義に徹底するとよいかも・・・。
ブログは
https://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/2a14251565ffbe142b7aa41eee87a100
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