記録ID: 2594516
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ハイキング
東海
乎那の峯
2020年09月23日(水) [日帰り]


体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 00:52
- 距離
- 3.7km
- 登り
- 44m
- 下り
- 44m
コースタイム
天候 | 台風がそれて曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年09月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
舗装 |
その他周辺情報 | 湖龍:中華料理 居酒屋 宴会場 |
写真
下尾奈塞(さい)の神について
この塞の神は、昔街道が利木峠から下尾奈神明宮の
前を通り今田西、鳥首、北向の阿弥陀堂(現龍谷寺に
移転)前を通り、この地を経て昔北??村、南脇村に通
じていた当時、下尾奈村と南脇村の境に設けられ、村人
や旅人から路上の悪魔を防ぎ塞(せ)きとめ、外敵や病気
災害を除き村を守ることから障(さえ)の神とも言われ、久
那土(くなど)の神とも呼ばれて村境にお祀りされたのであります
旅人の安全を守るとともに、村人の生死や運命なども
司さどり、又縁結びの神でもあり、子供の守り神、咳霊
を止める神、村びとの繁栄をはかる神として信仰され
代々龍谷寺の住職によってお祀りされてきた神様で
あります。
古来、霊験あらたかな神としてこの地を侵すもの、樹
木を伐採するものは神罰を蒙(こうむ)るものと伝えられ、恐れれれて来ま
したが、大正初期東側に県道がつくられ、昭和の初期二俣線の開
通に伴い、社の北で道路が中断されて、昔はこの近くに茶屋まで
あったほど賑(にぎ)わった通行人も絶(た)へてこの塞の神も世の人か
ら忘れられたが恐ろしい土地ということで村びとも近づか
ず、お祀りも行われなくなり、荒れるにまかせてあった
のを、これを遺憾として龍谷寺住職並に有志の人たちが
発願(ほつがん)して境内の整備と社殿を再興しお祀りされている所です。
例祭 毎年五月二十五日
昭和五十九年二月吉日
尾奈地区学習推進協議会
この塞の神は、昔街道が利木峠から下尾奈神明宮の
前を通り今田西、鳥首、北向の阿弥陀堂(現龍谷寺に
移転)前を通り、この地を経て昔北??村、南脇村に通
じていた当時、下尾奈村と南脇村の境に設けられ、村人
や旅人から路上の悪魔を防ぎ塞(せ)きとめ、外敵や病気
災害を除き村を守ることから障(さえ)の神とも言われ、久
那土(くなど)の神とも呼ばれて村境にお祀りされたのであります
旅人の安全を守るとともに、村人の生死や運命なども
司さどり、又縁結びの神でもあり、子供の守り神、咳霊
を止める神、村びとの繁栄をはかる神として信仰され
代々龍谷寺の住職によってお祀りされてきた神様で
あります。
古来、霊験あらたかな神としてこの地を侵すもの、樹
木を伐採するものは神罰を蒙(こうむ)るものと伝えられ、恐れれれて来ま
したが、大正初期東側に県道がつくられ、昭和の初期二俣線の開
通に伴い、社の北で道路が中断されて、昔はこの近くに茶屋まで
あったほど賑(にぎ)わった通行人も絶(た)へてこの塞の神も世の人か
ら忘れられたが恐ろしい土地ということで村びとも近づか
ず、お祀りも行われなくなり、荒れるにまかせてあった
のを、これを遺憾として龍谷寺住職並に有志の人たちが
発願(ほつがん)して境内の整備と社殿を再興しお祀りされている所です。
例祭 毎年五月二十五日
昭和五十九年二月吉日
尾奈地区学習推進協議会
装備
個人装備 |
携帯
|
---|
感想
日没が早くなり、仕事後の散歩では写真が苦しい。
ヤマレコで撮影したものとファイルで指定したものと画僧編集ソフトでいじったものが混在、同じ写真多数、配置の順番もでたらめ。削除と並び替えをはじめておこなった。
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