焼岳北峰(上高地からのピストン)


- GPS
- --:--
- 距離
- 11.6km
- 登り
- 1,138m
- 下り
- 1,141m
コースタイム
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
よく整備されている。途中、長い梯子、鎖場あり。 北峰から降りると右手が中の湯、左手が上高地。中の湯側の道が、降りる側からだと見えづらい。 |
その他周辺情報 | 上高地温泉ホテルで日帰り入浴(前泊したのでサービス) |
写真
焼岳小屋で軽くお昼。Tシャツと山バッジ購入
ちなみに山頂から焼岳小屋まで登りと同じ時間がかかった。地図時間の2.3倍…は遅すぎるにしても、地図時間が早い気もする。
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
ハイドレーション
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ナイフ
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感想
感染防止と経済のはざまで逡巡されている方も多いであろう。筆者も山には行きたいが山小屋泊はちょっと躊躇していたので、リーダーといくつかの候補を相談した。ホテルとか旅館とか個室対応が出来るところに前泊し、翌日に日帰り登山するという計画である。「上高地」を強く推していたリーダーの思いが通じたのか、上高地温泉ホテルが運よく取れたため、焼岳に登ることにした。百名山である。
ということで、リーダーとは松本駅で待ち合わせて、松本電鉄の「痛車」に乗り(結構混んでいた)、新島々でバスに乗り(乗り継ぎ割引があったのに後で気が付いた・・・悔しい)、赤い屋根の瀟洒な帝国ホテル前のバス停に降り立った。前日まで天気予報はあまりよくなかったが、それを覆して好天である。昨年の地蔵岳も白馬岳も雨、今年の木曽駒ヶ岳は霧、と天気に恵まれていなかったが、ようやくツキが回ってきた。
1日目は観光である。山行記録なのに観光レポートしていいのか? だが、魅力的な山行記録を書けないのだからせめて観光ネタで読者の興味を引くことにしよう。奮発して帝国ホテルでランチをとり、上高地温泉ホテルに荷物を預けて大正池まで歩くことにした。結構な人出で、皆さん日本経済の先行きを思って出てきているらしかった。そうです。筆者も単に「山に行きたい!」という衝動で来た訳ではないのです。ささやかながら日本経済に貢献しようとしているのです。
田代橋から木道に入り、田代池まで歩いてくると、穂高がきれいに見え、さらに進んで大正池まで来ると、翌日登る焼岳がきれいなピラミッド型にそびえていた。ちょうど大正池前にバスが来たのでそれに乗り上高地バスセンターまで行くことにした(体力温存)。ここでもまたリーダーのブランド志向に従う形で五千尺ホテルのラウンジに入りチーズケーキを注文。河童橋が見える席に案内されたので、しばらく眺めていたが、登山の恰好をした人も多い。4連休だし、テント泊の人も多いようであった。
しばらくまったりした後、河童橋を渡って梓川沿いを歩いてホテルに戻った。途中ウェストン碑に立ち寄った。どうも筆者はこの手の石碑の類を見逃す傾向にあるようで、今回は注意深く探して目標達成である。日本の山々を世界に紹介したウォルター・ウェストンは1861年12月生まれである。和暦だと文久1年末。翌文久2年になると坂下門外の変や皇女和宮のお嫁入りなど急に「幕末」めいてくる時期である。同じ年、日本では南極探検の白瀬矗が生まれている.。同世代では、グスタフ・マーラー(1860年生)、グスタフ・クリムト(1862年生)、クロード・ドビュッシー(1862年生)などがいるようだ。だから何だというのかって?いや何でもありません。
閑話休題。さて、上高地温泉ホテルは上高地では数少ない温泉付きホテルである。100%源泉かけ流しの「樽風呂」というのがあって、少し白濁した柔らかいお湯を堪能した。今回のような登山ではホテルに荷物を預かってもらえるし、今回は下山時に温泉にも入らせてもらえてとても良かった。まったりしすぎてしまって、このままゆっくりしてしまいたくなるのが難点だが。
翌日は早く出るので朝ご飯はお弁当にしてもらった。ホテルの人に、「焼岳でしたら朝ご飯食べてから登られる方もいらっしゃいますよ」と言われたが、いえいえとんでもない。私たちとっても遅いんです。その日の晩に朝食代わりのお弁当が届いたが、予想したおにぎりではなく、普通のお弁当であった。これは持ち歩くわけにいかないので、早朝頑張って食べてから出発することにした。
今回、当初はタクシーで中の湯登山口まで行き、ピークハント後、田代橋に降りてくるルートを計画したが、事前にホテルの方に相談したところ、中の湯に行くトンネルが夜間閉まっていることやタクシーを早朝に呼べないことが分かり、田代橋からのピストンにすることにしていた。
さて、翌日、ホテルから登山口までは15分ほどである。日の出はまだである。少し前に上高地にクマが出たというニュースがあり、熊鈴を鳴らしながら登山道に入った。しばらくは緩やかな登りである。ハシゴが出てきたところでストックをしまったが、最初のハシゴはまあなくてもいいんでね(⤴)、みたいなものであった。でも安全第一。ちゃんとハシゴを上りました。いくつかハシゴをクリアした先で、木々が途切れて霞沢岳の上に日が昇っているのが見えた。太陽にまさに霞が掛かっており、東山魁夷か平山郁夫の絵のようであった。
それから深くえぐれた沢にそって登ることになる。前日、大正池からもその崩れた様子がよく見えた場所だ。その荒々しい崩れ方から比較的最近崩れたのかな、などと思ったが、よく見ると地図に峠沢という名前がついていた。長ハシゴを登り、ワイヤーのかかった斜めの岩の上を登ると、ササ原となり、急登を折り返しながら登っていく。ここからはもう焼岳の山頂が見える。大正池から見たきれいなピラミッド型とはだいぶ違った様相だ。山頂方向からはちょっと逸れた方向に行って焼岳小屋に到着した。
焼岳小屋で小休憩して、山頂を目指す。地図に「展望台」とあるところを越えて少し下り、中尾峠に到達。ここから岩だらけの急坂を登っていく。急にイオウの臭いがきつくなって、ところどころ噴煙が上がるのが見え、火山に来たという実感がわいてくる。急登なのでゆっくりと。ゆっくりと。どんどん抜かされるけどゆっくりと。ゆっくりと。ゆっくりだが何かキツイ。キツイぞ! リーダーが筆者の顔をみて、バテるときの顔だと言ってゼリーをくれた。リーダーの説によれば筆者のバテはシャリバテなのだが、筆者自身は酸欠なのではないかと思っている。息は上がっていないけど、脚も上がるけど、頭がぼーっとして早く歩けない。原因はよく分からないがよくそうなる。結局は体力不足なのだろうなあ。
まあ、そんな状態ではあったが、中の湯方面との分岐まで登ってきて、もう一息というところまで来た。中の湯方面への分かれ道は下からだと分かりやすいが、山頂から降りてくると看板が見にくい場所にある。現に山頂から降りてきた人が間違えて道なき道に入りかけていた。要注意である。
さてここから山頂までは急登ながらすぐである。やった! 焼岳北峰2393m登頂である。そして快晴! 北に笠ヶ岳、穂高、槍ヶ岳が見える。西にはすぐ近くに乗鞍。北西の遠くに見えるのは白山か? 絶景である。しばらくぶりの山頂からの絶景。これがあるから登山はやめられない。コロナがあっても感染対策をしてでも登る。感染対策をして対応してくれている宿に感謝。交通機関に感謝。天気に感謝。ゼリーをくれたリーダーに感謝。
名残惜しいが、山頂が密になってきたこともあって、下山することにする。慎重に下山。下る。下る。ここで珍しくリーダーの脚力が怪しくなり、より慎重に降りることに。若干不機嫌になったリーダー。かすかに遠雷を聞いたような感覚。嵐の予感。しかし、何とか焼岳小屋にたどり着き、リーダーはTシャツを買って機嫌が直ったようだった。九死に一生を得たとはこういうことを言うのだろうか(違うだろ)。焼岳小屋⇔北峰の往復は思いのほか時間が掛かった。我々が遅いこともあるが、それでもずいぶんかかった。地図時間はちょっと早いのではないかと思った。
今回はピストンなので、小屋からの下りは斜めの岩も長ハシゴも勝手知ったる(?)道である。難なく、いや、それなりに苦労しながら突破し、一息ついたところで、時計を見ると、ん、意外に時間がない。ゆっくりだと温泉に入れないのではないか? ということで、ちょっと急ぐことにした。といっても田中陽希氏の3倍遅ぐらいのスピードである。筋肉痛を気にしながら安全第一。それでも途中、焼岳小屋の人が登山者とヒカリゴケの話をしていたのを思い出し、それを探しながら行くと、あった!小さな洞窟の中にヒカリゴケ。初めて見るヒカリゴケ。準絶滅危惧種だそうである。登りでは全然気が付かなかったなあ。「ほとんどの人は見たいものしか見えていない」ユリウス・カエサルの言葉が突き刺さります。「ボーっと歩いてんじゃねえ」チコちゃんの言葉もグサッときます。でもいいんです。これまでウン十年もボーっと生きてきてしまったので、これからもボーっと生きていきます。
でもあまりボーっと歩いていると転んで救助される羽目になるので、注意深く急いで、登山口に到着。ああ、なんとか温泉に間に合いそうだ。筋肉痛が心配だけど。帰りのバスの時間が迫っていたので、ゆっくり浸かってもいられなかったが、温泉に入れると入れないでは大違いである。ホテルに感謝。それから急いで上高地のバスターミナルまで行き、河童どら焼きのようなものを買い、バスに乗り込んで帰路についた。これで終了かと思いきや、バスに眼鏡を忘れて(落として)、夕食のビールもそこそこにバス会社の営業所まで取りに行く羽目になった。筆者は何度も山行で忘れ物をしており、リーダーに笑われている。忘れ物にはご注意を。バス会社の方の対応に感謝。
以上、十分に楽しんで十分に筋肉痛になった山行であった。
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