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ハイキング
東海
宮路山〜五井山 梅雨の晴れ間の宮道天神社巡り
2020年06月17日(水) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 10.4km
- 登り
- 633m
- 下り
- 626m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:08
- 休憩
- 1:22
- 合計
- 4:30
12:05
ゴール地点
国道1号線からすぐですが、宮道天神社は静かで趣があるところでした。
いつも名古屋に向かう途中通り過ぎてゆく山々ですが、
とても気持ちよく歩け、三河湾の絶景が楽しめました。
いつも名古屋に向かう途中通り過ぎてゆく山々ですが、
とても気持ちよく歩け、三河湾の絶景が楽しめました。
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
これよりの登山道は中級者向け トイレあり 35台駐車可 ネットより https://www.otowa.or.jp/sightseeing/ |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険なし 快適な道 |
写真
宮道天神社は7世紀末、天武天皇の皇子がこの地に居住の際、宮路山中に社を建てたのが始まりといわれています。1572年、領主松平左京亮盛次が本殿を宮路山に、拝殿を麓のこの地に造営しました。
明治13年、宮道天神社と名が改められました。
との事
明治13年、宮道天神社と名が改められました。
との事
宮道天神社 奥の院に着。
宮路山の名が歴史に出てくるのは大宝2年(702年)。このころ、持統上皇が三河を巡行。その最中(701年)に大宝律令が公布され、穂の国は三川(西三河)と統合され、三河の国となりました。
壬申の乱(672年)の時、持統上皇の子、草壁皇子が宮路山山頂近くで守備にあたり、皇子は宮道天神社の祭神となっています。
今となっては、宮路山山頂付近に本殿があるのは不自然にも思えますが、東海道ができる以前は、むしろこちらがメイン道路であったと思われます。鎌倉街道も宮路山山頂を通過していました。
との事
宮路山の名が歴史に出てくるのは大宝2年(702年)。このころ、持統上皇が三河を巡行。その最中(701年)に大宝律令が公布され、穂の国は三川(西三河)と統合され、三河の国となりました。
壬申の乱(672年)の時、持統上皇の子、草壁皇子が宮路山山頂近くで守備にあたり、皇子は宮道天神社の祭神となっています。
今となっては、宮路山山頂付近に本殿があるのは不自然にも思えますが、東海道ができる以前は、むしろこちらがメイン道路であったと思われます。鎌倉街道も宮路山山頂を通過していました。
との事
宮路山の碑
宮路山の山頂には宮路山聖跡碑があり、大宝2(702)年、三河を行幸した持統天皇が、この地を訪れたと伝えられることを顕彰して建てられたものである。
宮路山は、古くから三河の名所として知られていたことが、都の貴族らが詠んだ歌に出てくることから分かる。
「なにしおはばとほからねどもみやぢやま これをたむけのぬさにせよきみ」
との事
宮路山の山頂には宮路山聖跡碑があり、大宝2(702)年、三河を行幸した持統天皇が、この地を訪れたと伝えられることを顕彰して建てられたものである。
宮路山は、古くから三河の名所として知られていたことが、都の貴族らが詠んだ歌に出てくることから分かる。
「なにしおはばとほからねどもみやぢやま これをたむけのぬさにせよきみ」
との事
宮路山から五井山へ向けて進む。
とても歩きやすいミニ縦走。
気持ちよく歩けます。
途中、自衛隊の電波基地みたいなところあり。
突然ガサガサ音がするので見たら、迷彩服を着た方が木を引きずって作業していました。
とても歩きやすいミニ縦走。
気持ちよく歩けます。
途中、自衛隊の電波基地みたいなところあり。
突然ガサガサ音がするので見たら、迷彩服を着た方が木を引きずって作業していました。
撮影機器:
感想
300〜400m程度の低山ですが、今年はこうした地域の
気軽に行ける地域の名山を色々と行ってみたいと思いました。
神社の湧き水はとても美味しかったです。
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